158名前:112投稿日:2013/04/06(土)01:03:09.09ID:RUq4wJ57
風呂でナイスな伝えかたが浮かびました。
どこかで聞いた話なんですが、自分の手を紙に模写するとき
(机に手を開いてそれをスケッチする)多くの人は「手」から描きます。
でも手の外部、つまり手の境界線より外側から先に描いていくとあら不思議、
手そのものを描いてないのに手が浮かび上がりますね。
人間は体と自我で出来ています(一般的にはみんなそう思い込んでます)。
体は食べ物でできています。つまり地球の産物です。
野菜もプラスティックも、発明も電気もガスも、
あらゆるものは地球から発生したものです。
それら複数のものが融合、結合して「カタチ」が完成する。
つまり「それ自体」は最初から存在していないのです。
外部の合わさりによって産まれる。
自我も同じ。
否定や肯定などの感情は、その人個人のものではなく、
外的要因により形成されたものです。
子供を叩いてる親を見て腹を立てる人もいれば、
アジア諸国のように、それが当たり前と取る人もいる。
手を描く話と同じで、その人を取り巻く環境で、自我が出来ている。
自我自体は実態はない。
このように考えてみれば、世界が自分であり、
自分と思っているものは、浮かび上がった虚像でしかない。
だから好かない人を見ても、その人は存在していない、
その人の環境が作り上げているのだから許せるわけです。
さらに突き詰めると、許すとか感情とか、世界とかも体感しなくなっていきます。
これ書いていいかわからないけど、なぜすべてのスピ本で書かれていないのか、
タブーなのかもしれないけどちょっと勢いで書いてみます。
でも嘘なんで忘れてくださいね。
見る、聞く、感じる、味わうなどの5感や、精神的な6感~8感にしろ、
すべて脳が認識したものです。悟りもスピも全部、脳が認識したものです。
では脳の外側って本当にあるんでしょうか?
世界も他人も脳が認識したものである以上、そりゃ全部自分色になりますね。
全部「脳」の中の世界だとしたら?
自分の手足、姿カタチも脳がそう思わせてるだけだとしたら?
自分と思ってる外側にはなにもない。自分もない。脳内がすべてを作っている。
なぜ観音菩薩さまの頭の冠には、阿弥陀如来が鎮座してるのか。
そもそも脳も幻影だと思いますが。そう思えばそうだし、思わなければそうじゃない。
だって全部脳内ワールドだから。
144:名無しさん投稿日:2013/04/05(金)23:03:13.31ID:bSPjEN0o
恐れは克服しました。大変だったけど。
ただいまとなれば、なんでそんな恐れていたのか理解に苦しむところもある。
所詮、そんなもんです。だから恐れは捨ててください。
感じる想いみたいなのは、大切ですが
行動を制限してるなら、まるで必要のないものです。
恐れ=思考なんですが
思考は制限のためだけにある。
本当は全部うまくいくようになってるんですよ。
ただ、思考が邪魔しまくりで、ほぼできない気分にさせてしまう。
157名前:名無しさん投稿日:2013/04/06(土)00:23:36.88ID:4hgt7n63
>>144
運命?を創って置きながら、なんで変える必要があるんでしょう!
また、“思考は制限だけのためにある”というのも、実にうなづけるのですが、だけど・・・。
私達は自分(意識?)を身体だと、ずぅ~と想って来たのだと思います。
何故なら、思考(意識?)は五感から生じ、その五感は身体に属しているわけなんで、
だから、自分(意識?)=身体だと思ってしまうんだと思います。
言葉上、ワンネスという宇宙生命があるとすれば、私達が身体が
自分という長い間の錯覚によって、それを狭い身体に閉じ込めてるわけなら、
もし、私達が無限大の宇宙生命だと常に意識するようになれば、
やがて錯覚という自縛から、ワンネスに目覚めるのではないかなと!?
諸々の瞑想法も、そのような心の拡がりを薦めているようにも思うのですが!?
160名前:112投稿日:2013/04/06(土)01:31:30.13ID:RUq4wJ57
>>157
う~ん、この話をしますね。
俺の嫁のお母さんが末期がんです。
お母さんは幼少の頃から、実母の折檻で言語障害を持って生きてきました。
姉もいるけど、都合の悪いことは妹のせいにして、全部被って生きてきたようです。
そんな人生の中で、お父さん(嫁の父)と出会いました。
そのとき20歳にして、初めて言葉を発したといいます。
だからお母さんにとって、お父さんは絶対の存在なんですね。
だけど、お母さんが一緒にいたいと思えば思うほど、一緒にいられない。
お父さんの仕事が転勤になったり、夜勤で帰って来れなかったり。
そんなのが数十年続いて、その折檻をしていた実母の介護をすることになり(姉は拒否)
「なんで私はこんな人生なん?」と、俺の嫁によく漏らしていました。
そして、姉夫婦や、娘夫婦(俺んとこね)が度々海外旅行や遊びに行ったりする姿を見て
「あんたらはいいよね」ともよく言ってました。
お母さんが望んだのは、お父さんと一緒に仲良く暮らすことです。
でも本人的にはそれが叶わず、思い詰める日々の中、
とうとう精神を病んでさらに癌になってしまった。
俺は思うんだけどね、お母さんが望んだ世界は実は叶ってるんだよ。
だって姉夫婦や娘夫婦がそれぞれ楽しい日々を送ってるから。
まさにお母さんが望んだ世界が実現されていたわけだ。
「自分が」そうなりたい、を捨て去れば、すでに叶っていたんですよ。
これが自我の苦しみ。
>ただ、運命?を創って置きながら、なんで変える必要があるんでしょう!?
俺も自我に苦しめられていました。世界を変えるんじゃなくて、気付くんです。
162名前:112投稿日:2013/04/06(土)01:41:54.33ID:RUq4wJ57
俺が嫁に「俺は毎日クラブギャルに囲まれたパーティライフを送りたい!」と
ふざけてよく言ってたんですが(本当にそう思ってるんですが)
そんなある日、俺の甥が大学生になり、クラブでバーテンのバイトをするようになった。
んで、まあ結構男前なのもあって、毎日バイトの帰りをクラブギャルに待ち伏せされる始末!
あいつと話してると「まさに人生うっひょーー!!」が伝わってきて俺も楽しい。
ここで「あ、そうか。こいつは俺なんだ」と思えるかどうかが、鍵。
俺も楽しい。自分で体験してても、甥の話を聞いてても、満足感は同じ。
つまり俺が自ら体験する必要はないのだ。
嫁のお母さんもそこに気付いていたら、こうにはならなかったのかも。
ただ、俺の世界の住人なので、お母さんが実在していたら、
彼女の世界での彼女は全然違う人生なんだろうけど。
165名前:112投稿日:2013/04/06(土)01:53:31.56ID:RUq4wJ57
えっと、だからお金ってのは、俺が儲けてようが、
どっかの実業家が儲けてようが同じなんですよ。
「でもそれじゃあ、今月の支払いはその実業家が払ってくれるの?」
となりそうだけどそれはありません。
支払いなんてしなければいいんじゃないですか?
望んでないものならば。
しなければ「支払いをしなかった世界」がやってきます。
それは今生きてる世界とは大きくかけ離れた世界です。
俺が絶望の底にタッチしてきたのは、そういうことをやってみたからです。
ビビリまくりの日々だったけど。
とにかく恐れを捨てること。不安を超えること。幻を超えること。
簡単にはできないですが。
従業員を抱えた会社を経営していて、幼い子供を抱えて、
住宅ローンもまだまだあってこれからの生活もある。
だけど、自我(苦しみ)を超えたくて、あらゆることを決行してみたんですよ。
こうやって書けば、単なる体験談となり、
読み物として認識されてしまうから、絶対伝わらないのはわかってます。
でも、もしあなたが苦しい日々を送っているのならば、
なにもわざわざ苦しい日々を選択する必要はないんですよ。
やりたいことをやってください。
ハードルを超えるときはものすごい恐怖が迫りますが(俺の場合半年以上)
超えてしまえば、単なる過ぎ去った出来事です。
今はやりたいことだけを考えて毎日うっひょーー!!な日々です。
悟りとか、気付きとか、そんなものありません。
いや、あるんだけど、囚われてる時点で超えれません。
ただ、超えるだけです。すべてを超えるんです。
いずれ全部どうでもいいことだったんだ、ってわかります。
さて寝るか。
164名前:名無しさん投稿日:2013/04/06(土)01:44:19.73ID:t+DpuAm2
>>160
お母様の自我が、そうなりたいと願ったのに、
お母様の自我が娘さんたちの願いを叶える力があったのですか?
そしてあなたは、お風呂に入って五感で温かい、気持ちいいと感じてこられたのでは。
幻想であるかもしれませんが、
5感すら超えられたのであれば、お風呂に入る必要もないのでは。
嘘にたいし嘘の質問をしてすみません。
168名前:112投稿日:2013/04/06(土)02:00:23.20ID:RUq4wJ57
>>164
>お母様の自我が、そうなりたいと願ったのに、お母様の自我が娘さんたちの
>願いを叶える力があったのですか?
そうじゃないですよ。
ただ、最初から姉夫婦と娘夫婦の幸せな日々があったんです。
願いを叶えるとか、そういうのはありえないと思います。
ただ、最初からあったんだけど、そこを見てないから見えないだけ。
169名前:112投稿日:2013/04/06(土)02:04:44.14ID:RUq4wJ57
>>164
見てないというのは
「姉夫婦も娘夫婦の幸せも、自分の世界の出来事だったんだ」
てことに気がついていないってことです。
俺が>131で書いた通り、死ぬ間際で多くの人が
「世界は自分だった」と気付くらしいですが
それを早い段階で理解するか、しないかの違いです。
お母さんのお見舞いは毎日行って励みになる言葉をかけています。
でもたぶん、おばあちゃんと、お父さんと一緒にいたいって幻に囚われてるので
ホントの最後に気付くんだと思います。それでもいいと思います。
170名前:名無しさん投稿日:2013/04/06(土)02:14:43.14ID:t+DpuAm2
なるほど。解ったような気はします。ありがとう。大変な思いをされてのですね。
意地悪な言い方になっちゃってすみません。
しかし…私のような者にはデンジャーゾーンですねw
支払いをしない世界。幻想だと気付いている状態が続いてないと
闇金に生命保険かけられて殺される間際に、そうだ。幻想だったのだ。
何故、囚われて忘れてしまってたんだろう…とかいっちゃいそう。冗談ですよ。笑)
いつか、そこにあるものにも、常時、気付けるようになれたら嬉しいなと思います。
長い時間、お付き合いしてくださってありがとうございました。
171名前:112投稿日:2013/04/06(土)02:22:18.33ID:RUq4wJ57
こちらこそありがとうございました。
支払いをしない世界、それは現時点で考えると妄想しかないですよね。
その妄想が恐怖に変わるんです。
でも実際飛び込んでみれば、その「いま」の事実しかない。
さらに「いま」を突き詰めると、なにがどうあろうが、どうもいいってなります。
苦しみの根源は、妄想です。未来や過去は妄想の産物です。
超えるのは、妄想を超えることであり、‥うーん、ちょっと違うかw
とにかく、いまの現状に満足してないからこのスレにいるのかもしれません。
現状に満足してないなら、単純に変えていくだけです。
満足していないという時点で自我やら妄想やらに囚われてますので。
基本、なにも考えないことです。野良猫や植物は「明日のこと」は考えてません。
ただ、いま生きてることを「感じてるだけ」です。
では~本当におやすみなさい
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