2017年6月30日金曜日

自分さん11 「絵の中」だけの世界は、時間が存在しない、純粋な瞬間である。



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160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 09:24:41.96 ID:m2mK8czy
次は絵画の中、である。
絵画や写真とは、その瞬間を描いているように感じる。
つまり時間の止まった状態=時間の存在していない世界である。
だがそれは絵が「無」であるからだ。

しかしその「絵」が例えば、部屋というさらに大きな「無」に飾られておれば
たちまち「絵」は概念と化し、部屋の中の人から見れば
絵は時とともに、風化し、紙自体も劣化していく。
壁に飾っておれば、落として破損しているかもしれない。

だが、純粋に「絵の中」だけの世界は、無である。
どこに意識をフォーカスするかで、物事の捉え方は変わる。

よくスピリチュアル系の教えで言われることが、
仮にあなたが、そこで死体になってみよう。
脳が働かず、ただ「物体」として置いてある感じだ。イメージしてほしい。
すると、その周りの景色を含めた「絵」の中にいることに気付く。
つまり時間が存在しない、純粋な瞬間である。


170 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/06/22(土) 09:58:19.20 ID:m2mK8czy
さっきの「絵」の話だが、それ自体が空間=無であることは、時間も存在していない。
だからその「無」自体を客観的に観れば、その時点でそれは無ではなくなるが
つまり「絵」のようなものだ。

絵とは不思議である。
そこに描かれている中身にレッテルを貼らずに
それそのものを感じることができる。

瞑想中に度々訪れる、見ているが見ていない状態を表現するならば
「絵」が近いかもしれないな。


247 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/06/26(水) 23:52:43.29 ID:5JsfCnNB
私といえば、スレッドはたまに目を通しているがちょっと忙しい。
自分をなくすと書いて、忙しい。 まさに無意識状態。
意識的に生きなさい。つねに体を感じながら、意識しながら生活しなさい。

また私は有り難い言葉とともに訪れる。


250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/27(木) 03:12:30.56 ID:bmoAiCkG
>>自分
意識的とは、自己観照のことではなくて、
単に物事を意識して行なう。 ということでしょうか?



251 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/06/27(木) 09:06:05.88 ID:F0ATLRq2
>>250
常に体の動作を意識していると、いわゆる「今に在る」ことが容易にできる。
その状態であれば、それら体の動作を「観ている意識」に気付くことができる。

それは観照者である。

観照者の意識にあれば、行っている動作のすべてが超客観状態である。
つまり足が勝手に動き、そして歩いている。
足を動かしている実感を伴わないから、風景がこちらに迫ってきている
(このあたりの表現は何とでも言い表せる)、 つまり「行為」をしているのは、
「出来事」が起こっているだけであり、自分はただ「観ている」だけなのだ。


254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/27(木) 12:49:47.37 ID:bmoAiCkG
>>251
理論的なことは良く解かりました。
自分思うに、人は普段、無自覚に明け暮れているわけですが、
これを単に、自覚を持って過ごせば良いだけではないかと思うのですが。
その方が、生活しやすい気がするわけです。

行為(動作、思考、感情、感覚など)の観照に専念すると、
どうしても全力で事に当たれない気がします。
車を運転してて方向を間違えるとか、仕事をミスってしまうとか・・・・・。
肝心な事がおろそかに成るんではと思われます。

ではそれよりも、
行為に専念しながらも、そうしている事に気づいているなら、
これもまた、「今に在る」ことではないのでしょうか?
こちらの方が現実生活に即していると思うので、自然と実行出来ると、
この様に思ったりもしているわけですが!?



263 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/06/27(木) 21:10:20.23 ID:F0ATLRq2
>>254
>どうしても全力で事に当たれない気がします。
>肝心な事がおろそかに成るんではと思われます。

よろしい。
あなたはひとつ理解を超える必要がある。
それは、あなたが全力で当たろうと(そう感じてようと)なかろうと、
単に「出来事」が起こっているだけだということだ。

どれだけ意識的にあろうが交通事故は起こる時は起こる。
仕事のミスにしても起こるときは起こる。
つまり寝ぼけてようが冴えていようが、どちらでも良いのだ。
勝手に起こり続ける物事の中で、あなたは流れているだけなのだから。

全力で当たるというのは、あなたの言うとおり自我の単なる納得である。
少し話は変わるが、あなたに人生のヒントを送ろう。

あなたがどれだけ精魂込めた努力をしようが、すべては単に流れていく。
つまり悩みや不安などの問題は、別に解決する必要もない。
なにもしない、これに限る。

「なにもしない」とは「起こった出来事」に対して、
必死に、命懸けにならなくてもよいということだ。
ただ呼吸のように何も考えず、身を任せているだけでよい。

もちろん出来事に自らを同一化し、執着に溺れた取り組みをしても構わない。
あなたの自由だ。 その行いを古くから「苦行」と呼ぶ。

苦行をしてもしなくても、必ず「結果」にたどり着く。
我々は努力や苦労をしたから、良い結果になった、と思い込んでいるが
別にそんなことをする必要もないことは、あなたが「苦行」を捨てたときに理解できるだろう。


264 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/06/27(木) 21:41:20.75 ID:F0ATLRq2
追記しておく。

>>254
あなたが観照者の視点で物事を観ているとき
そして仕事や運転などの行為を行っているとき、
「全力で当たれない」そう感じている。

それこそが、なにもしていない、
つまり苦行を脱した行為者である。

釈迦は「歩かず、歩きなさい」と伝えたが
まさにその通りである。

ただ自我の視点では「事故が起こるんじゃないか」
「仕事でミスをするんじゃないか」と騒ぎ立てるだろう。
だが前述した通り、起こるものは起こるだけであり
あなたがどのような意識状態であろうが、それは無関係だ。
むしろ、余計な心労を抱えないので事態は好転していく。

心労を抱えない人は、他者にとって好意的に写るからね。
そういう意味では、良い世界になっていく。


265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/27(木) 21:55:31.40 ID:bmoAiCkG
>>263
悩みは不安は、時と共に流れて行くのは分かります。
そしてまた、考えるから発生するのも分かります。
連想しなければ、そこで感情的な問題は終了します。
でも、今このことは横に置いときまして。

>どれだけ意識的にあろうが交通事故は起こる時は起こる。
>仕事のミスにしても起こるときは起こる。
>つまり寝ぼけてようが冴えていようが、どちらでも良いのだ。
>勝手に起こり続ける物事の中で、あなたは流れているだけなのだから。

スイカ割りは目隠しして行ないます。
だから、なかなか当たりません。
これと同じて、もし目をつむって運転すれば事故ると思うんですが。
でもこれもまた、「目をつむって運転して事故る」という流れになっていた。
こういうことでしょうか!?

つまり、意識して事故らないも、意識しないで事故るも、
それは単に無意識が選んだことであり、どちらを選ぶかは初めから決まっていた。
こう言う事になるんでしょうか!?


266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/27(木) 22:04:46.37 ID:bmoAiCkG
>>264
人の行為の根源には、快と不快があり、
人は運命的に?、快の方角へしか進めないようです。
目をつむって運転するのには、恐怖という不快が伴うので、
だからそれは、有り得ないことに成るんだと思われます。



267 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/06/27(木) 22:08:41.72 ID:F0ATLRq2
>>265
あなたが起こす行動は、起こっている出来事である。
つまりあなたが目を瞑って運転すれば、そういう結果になるだろう。
ただそれだけのことである。

ひとつ言っておく。
自我にとってベストな結果を導く「スピリチュアル」などない。
つまり日々生まれ起こる出来事に「いかに苦悩しないか」、
そういう消去法的なスタンスこそが苦しみのない道である。
だが、幸福の道ではない。あくまで苦しみのない道なのだ。

般若心境がなぜ「あれはない。これもない」という無い尽くしなのか。
それは出来事は「起こる」からである。

マネーゲーム本もそうだが、貧乏は貧乏だ。
勝手に起こる出来事の中で富を得られるときもあるのかもしれない。
一生貧乏かもしれない。

だが貧乏とはどういう定義なのだろうか。
そこに幻があり、その幻(概念)を破壊するのが
釈迦の示した「苦しみのない世界」である。

だがそこでは終わらず、その境地に立てば
あなたを取り巻くすべてが、あなたのためだけに用意されていることに気付く。

結果は必ず訪れる。だから結果から観るのだよ。


268 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/06/27(木) 22:12:46.50 ID:F0ATLRq2
>>266
あなたが目を瞑って運転することをしないのであれば(恐怖かどうかは別として)
そうしないのだろう。つまりそういう出来事は起こらなかっただけのことだ。

あなたは、あなたではない。まずはそれを自覚してはどうだろう。
あなたがいま書き込みをしている。返信に思案している。
それらも生まれ起こった出来事だ。

遠くのコンビニで万引きがあった、株価が変動した、誰かが告白をした。
それらと同じく、単なる出来事である。

だれがあなたの思考を「起こらせた」のか。
それは、私である。
つまり私はあなたを起こしている。
つまりあなた自身が起こしているのではない。
あなたは単に反応でしかない。私も同じだ。あなたへの反応で私は在る。


269 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/27(木) 22:17:16.86 ID:UMs6HlkF
>>267 
横ですが、御教授ください。
では意識せず、どうしてもなりたいや、やりたいには従うべきなのですか?
なにがエゴだか解らなくなってきました。

例えば恋愛などは、意識が、止めとけ、止めとけと言っても体などが勝手に反応する。
又、食欲などもそうですよね。意識は多くは食べる必要などないと言っても勝手に食事を求める。

苦しみの無い世界、全てを諦めること。
無に徹する事とすれば、もうそれすらが苦行のような気がしてしまって。
貧乏でもいいやと思い込んでも意味がなく、本当に貧乏でも構わないと
自然に思えることこそ、手放すということですよね?

その手放すことが、ものすごく苦行に感じた時は、
結果が決まってるならば、もう求めるままでいいのですか?



270 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/06/27(木) 22:22:29.74 ID:F0ATLRq2
>>269
あなたは何に疑問を持っているのか。
何かを行おうとして、単に失敗を恐れている?

具体的な部分はわからないが、やりたいならばやればいいだけだ。
ただ、「これをやって、こうなったらどうしよう」とかいうのは愚問である。

とりあえず、野良猫のように生きてみなさい。
腹がへれば飯を探し喰らい、理想も希望などの概念もなく、ただ生きる。
ただ在るのみ。


271 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/06/27(木) 22:25:37.52 ID:F0ATLRq2
>>269
追記しておく。
「なりたい」というのは、あなたではない。
あなたは最初から完璧な存在なので、別の存在に変容したいとなれば苦行となるだろう。

ただ欲求を満たすだけ、それは野良猫が飯を漁る、その意味である。
それだけで、あなたは価値がある。


272 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/27(木) 22:30:29.73 ID:UMs6HlkF
いえ、すみません。解りにくくて。
マネゲとか悟りの目的って、結局、厳しい人生をいかに楽に生きるかにつきると思うのです。
執着が駄目だと言われるのは、失敗を犯しやすいこともありますが願いを叶えるというよりは
執着による苦しみを発生させないことが目的だと憶測するんです。

お金持ちでもお金に執着しまくって不安であれば、幸せでもないし楽でもない。
貧乏でもお金に執着せず沖縄などで自給自足を楽しめる人なら苦痛でもない。

そう考えても、やはりどうやっても貧乏が嫌だし、お金が頭に浮かぶ時って
無理に金持ちなんて...と酸っぱいブドウをしたとしても腹の底から貧乏を受け入れられてる
わけじゃないので我慢、我慢で苦しいと思うのですね。

じゃあ、結果、お金持ちになれなくとも素直に貧乏は嫌だ!お金もちになりたい!
とエゴと呼ばれる声に従ったほうが、まだ苦行に感じないかなと...。

執着なくすって、言葉では、すごく簡単そうだけれど
自我意識や努力でなんとかできる領域じゃないだけに
その状態にと意識することこそが、もう苦行に思えて。

じゃあ、無駄な理想でも持っててそれに向かったほうが却って大きな意味じゃ
楽なのじゃ?と思ってしまっただけです。すみません。



273 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/06/27(木) 22:43:51.54 ID:F0ATLRq2
>>272
野良猫になりなさい。
常に今に在り、等身大の自分で生きなさい。
腐った死体でも良い。そのようになりなさい。

幸せ?ラク?苦痛?金持ち? そんなもの捨て去りなさい。

すべてどうでも良いことだ。
なぜならば、あなたの為に世界があるからだ。

この意味を理解するとき、あなたは自由になるだろう。
明日出社せずに、今月の支払いも気にせずに
突然アフリカなどへ飛び立って「生」を満喫するだろう。

何が怖い? そうしたら後がどうなるかって?
そんなもの、どうでもいいのだよ。なぜなら成るように成っていくからだ。
あなたがいまの人生に苦しみを覚えているならば
それは自らの変容を求めているからだ。

そういう変容は苦行である。
だが、あなたの世界(概念)は自由に崩すことが出来る。
あなたが一生を終えるときに、必ずこの意味はわかる。
今日のあなたは昨日までのあなたの最後の自分であるからその意味は理解に容易い。

だから思う存分欲求を満たし続ければ良い。
だけども自分を忘れないようにしなさい。
つまり今の自分を変えたいとか、環境を変えたいとか
ああなりたいとか、そういうのをしないことだ。

蝶は10日程度しか羽ばたけないが
彼らにとって、「今」が永遠ゆえに、寿命はない。


274 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/27(木) 22:51:33.53 ID:UMs6HlkF
>>273
ありがとうございました。
正直な所、難しいなぁ...。もし自分の世界があり、自分中心に実は世界は廻っていたとしても
その状態の時は、なろうとせずに、今に在れて、執着無くそうとせず執着がなくて
何も必要ない、大丈夫だと思い込まなくとも、勝手に思って自己中世界でも
エゴが無いから自己中でない状態の時ですよね?

何かの偶然で一瞬、そうなれたとしても、その状態の維持は並大抵のことじゃなさそう…。
だけど、なるだけ、今を意識して生きるよう意識してみます。
ありがとうございました。



275 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/06/27(木) 22:59:25.29 ID:F0ATLRq2
>>274
あなたが明日極端な行動に出ても良いのだよ。
覚えておきなさい。

あと、人の「死」と出会う切っ掛けをなるべく多く作りなさい。
葬式でも良いし、海外のニュース記事でも良い。大きな病院に出入りするのも良いかもしれない。
なるべく直接、遺体や「死」と遭遇できる機会を設けるとよいだろう。

欲求の赴くままに生きなさい。


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