2017年10月28日土曜日

自分さん18 記憶を通して捉えなければ「いまそれを体験している」があるだけになる。

598:576:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:LAhxNF4r

>>579
>サッカーが好きでサッカーをしつつも、サッカー自体に囚われてはいけない。
つまり、サッカーを通して生み出された「それ」がお宝だ。

その意味よく分かります。
「それ」を味わいたいから、サッカーをするわけで、
すべての行為(体験)は、その為にあるのだと。
我々に「それ」への欲求があるから、行為も生じるということでしょう。

無の体験(究極のアホ体験^^;)もいいのですが、
そこで終わっては、何も生み出さない(創造しない)と言う事でしょうか!?
ビックバンは創造のために起こったのなら、無の体験は始まりに過ぎないのでしょう。


599:おめ子◆ypT6qYukQ.:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:dxeT88Xp

代わりにおめ子さんがお答えいたします(*^-^*)

>無の体験(究極のアホ体験^^;)もいいのですが、
>そこで終わっては、何も生み出さない(創造しない)と言う事でしょうか!?

答えは
「無の体験(究極のアホ体験^^;)もいいのですが、
そこで終わっては、何も生み出さない(創造しない)と言う事でしょうか!?」
でした。

ただ単に、文字のようなものが(`ハ´)アルだけで、
そんなものどう解釈しようと意味などありません(*^-^*)



609:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5

>>599
>ただ単に、文字のようなものが(`ハ´)アルだけで、
>そんなものどう解釈しようと意味などありません(*^-^*)

あなたは知っているようだ。概ねその通りである。
迷える人を突き放すのもあなたの自由だ。
だが私は違う路線である。

いまいち理解が浅い方に記しておく。
すべてはあなたの世界である。

これをわかりやすく書こう。
わかりやすく書いている時点で本当の答えではない。
だが、先日も書いたように理解には段階が必要なのだ。

すべてはあなたの記憶なのだ。
例えば、今日の昼に腹の立つ人に出会ったとする。
それは過去にあなたが、同じ行為を受けて腹が立ったからだ。
その記憶があるから、今日の昼に出会った人に腹が立ったのだ。

つまりその人自体には何の罪もない。罪があるのは、あなたの方だ。
あなたが罪を持っているから、その人を罪人として見るのだ。
これはオホポノポノなどに代表される、「手放し」の根源的理由である。

誰かに腹が立つのは、その同じものをあなたが持っているからである。
つまりあなたのエゴがそれに反応しているだけであり
結果、あなたの見たり聞いたりしている世界は「あなた」ということだ。
喜びも、悲しみも、単に過去の記憶というフィルターを通じるから
いま、そのように反応するのだ。

では記憶を消せばどうなるのか。
それがポノポノであり、執着を捨てるという「空」の境地である。
あるがままに、出来事や人、モノを見ることができるようになる。



610:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5

ちなみに「記憶」が「カルマ」だ。

積み重ねられたカルマを解消することで
何のフィルターもなく、「それ」を観ることができる。
それは素晴らしい世界である。

あなたは自由に生きており、そしてすべてがあなたのためだけに
存在していることが髄から理解できるようになる。

先日も書いたが森に棲む虫たちを見なさい。
土があり、水があり、空気がある。
それらの中で、存在を許されて生きている。ただ生きている。

我々は虫を小さな世界と観るが、我々も何の変わりもなく同じなのだ。
だが「記憶」=「カルマ」が邪魔をしている。

理性を持った虫が幸福に見えるだろうか?
ただ恐怖におびえ、存在の消滅に恐れるだけの
よくわからない生命体になるだろう。


611:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5

さてここからが本題だ。
過去に腹が立ったから記憶があるから、今日の人にも腹が立ったと書いた。
では、そもそもの起因はいつなのだろうか。
過去に腹が立っているということは、それも記憶である。
辿っていくと生まれる以前となってしまう。

そうなのだ。考えずとも呼吸をし細胞が分裂し、髪は伸びる。
それぞれが「知性」を持っているのだ。
それら知性の統合体が我々であり、知性はDNAによる情報の開示である。
そこには「記憶」があるのだ。

前世がどうとか、そういう話は私はよくわからないが
DNAに記憶があり知性が刻まれている。
なぜ赤子は恐怖を覚える前に、蛇を怖がるのか。
なぜ動物は親がいなくても、習性を持っているのか。

さあカルマを手放そう。
我々がはるか過去から背負ってきた負の遺産を消化するのだ。

すべてあなたの中にある。
世界とは記憶のことである。

「なぜ「A」が起これば「B」という反応をするのか」
「なぜワンパターンなのか」

こういうことを悟りの入り口として考えてみれば良いだろう。


612:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5

我々を「カタチ」として成り立たせている細胞は60兆だ。
それぞれに数億の知性、記憶が刻まれている。途方もない数だ。
何度も生まれ変わり、歴史を繰り返すことで情報は肥大化していく。

悲痛な歴史を通り過ぎるたびに、苦しい生まれ変わりを経験する。
誰かが記憶を手放すことで、人類はひとつ苦しみから解放される。

集団的なシンクロニシティも、予知能力も、運命的とか言われる事象も
なんら不思議な出来事ではない。基本的にワンネス、
つまり地球やら宇宙やらすべてが、ひとつの生命体だからだ。
あなた自体が60兆の細胞でできているようにだ。

因縁生起。
まずはあなたから解消していこう。

すべてあなたの中の記憶が幸も不幸も作り出している。
これはマネゲのプロセスもポノポノも同じ手法だ。
ムカつく人も、悲痛な現実も、すべてあなたが作り出している。

だからその責任を全うしなさい。
責任を全うするとは、それらに「色」を与えないことだ。
つまりそれに染まらない、あなたはあなたであることを思い出すということだ。



613:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5

輪廻転生もカルマも、上で書いた内容から理解ができるだろう。
トンデモ話でもなんでもない、当たり前の話だ。
呼吸もするし心臓も動いている。だがそれは勝手に動いている、
あなたの身体なのにあなたの意思とは関係なく動いている。
それが証明となる。

さて、この苦しみの堂々巡りから脱するには
物事を「記憶」のフィルターを通して見ないこと、それしかない。

もの凄く嫌な体験をした、だがそれはなぜ「嫌な体験」なのか。
それは過去に同様の体験へネガティブをくっつけたからだ。
つまり「体験」自体はネガティブでも嫌でもないということだ。
この辺の話は毎日している通りだな。

山道など歩く機会があれば、虫たちを観察しなさい。
植物もいいが、たぶん理解に壁を感じるだろう。まだ虫の方が理解を得やすいはずだ。
彼らには土も木も水もある。あるからこそ、存在しているのだ。
計画性も将来の夢も、挫折も苦しみもない。
なのに繁栄している。

それが「存在」である。
驚愕の事実かもしれないが
実はあなたも同じである。


614:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/13(土)NY:AN:NY.ANID:hwoSmGfu

自由になりなさい。
記憶から解放されなさい。

宗教やスピリチュアルなどは単なる手段のひとつだ。
どうでもよいものだ。囚われてはいけない。

何が起ころうが、記憶を通して捉えない。
そうすれば未来への予測も生まれないし過去の経験も抹消される。
純粋な、「いまそれを体験している」があるだけになる。

そこには、あなたがいる。
あなたはあなたであることを思い出したあなたがいる。

生をダイナミックに表現し続けなさい。
私はそれを待っている。

ありがとう。
これで役目を終えることにする。


2017年10月13日金曜日

自分さん17 「体験」自体ではなく、そこから生み出されるエネルギーが大切なのだ。

526:名無しさん:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:BQLKsAZZ

なんなの?よくわかんない。
もう一回マネーゲームの本読んでみるよ。

あれって「これは私の意識の想像物だ」って唱える奴だよね。
自分さんがトンチンカンなこと言ってるのか、俺が忘却したのか。

まぁ、目的が出来たので自分さんには感謝します。



529:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:7KJPo90U

>>526
あなたの解釈する「マネーゲームから脱出する法」がある。
それはそれでよい。

ただ執着に囚われないように薦められている内容なのに
「マネーゲームから脱出する法」に囚われてしまって本末転倒だろう。
それを私は伝えている。

だが私への解釈もあなたの捉え方による。
そして「解釈」すらも執着である。

根本的な苦しみを脱したければ執着を捨てることだ。
つまり「意味」を探さない。求めない。

質問があっても、疑問があっても、
それは「質問」や「疑問」が「ただあるだけ」である。




530:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:7KJPo90U

「ただあるだけ」が理解できるようになると
「言葉」で世界を見なくなる。

つまり「ただ感じるだけ」を知る。
その境地(境地といっても簡単に行き着くが)になれば
「意味」は意味をなさなくなる。

つまり「幸せ」も「不幸」もない。
ただ「それ」があるだけだ。

山に生息する虫を観察しなさい。
彼らは、ただ生きている。
そして空気も水も土も用意されている。

なぜ我々は「不足」に目が行ってしまうのか。
もっと大きな視野から見れば、全部用意されていることが理解できるだろう。
「ただ在れば」よいのだ。


531:名無しさん:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:BQLKsAZZ

あーそういうことね。
1+1=1+1って訳ね。
そのままが回答。

実社会じゃ思考停止状態と呼ばれる。

自分さんの回答は理想論だね。

悪く言ってるわけじゃないです。
他のスピリチュアルと較べて突出しているというか、
実践しがたいというか、時間がかかるというか・・・。

置いてけぼりを食らって寂しいって感じです。

分かる。
虫は「ただ」生きてる。
それは分かる。

でも、私は思考を止められない。
不快感を常に感じている。

コテハンにこんなにマジレスしたのは始めてだ。
なんだろう、自分さんにはどうしても反論したくなる何かがある。



533:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:7KJPo90U

>>531
「執着」と書けば理解しにくいかもしれないが、
つまりは「意味」のことである。
「単なる出来事」に意味を持たせようとするから
苦しみや希望が生まれるのである。

ただ見たまま、聞いたままで終わらせれば良いのに
多くの人は、それらに「意味」を持たせる。
だから理不尽などが生まれるのだ。

悟りとは、実に単純な話である。
わかりやすく書けば「意味を持たせない」こと、
すなわち、誰もが悟っているのだ。単に見聞きすることであるから。

だがそこから「意味」を持たせるから苦しみなどへ繋がるのだ。
だから幻想ワールドとなる。あれは良くてこれは嫌、みたいなね。
「執着」=「意味」=「解釈」である。いくらでも同じことを指す言葉は出てくる。

「ただ上司が怒鳴っている」それだけだ。
「ただ独身生活がある」それだけだ。

なぜそこから「上司むかつく」「自分は一生懸命やってるのに」や
「このままひとりだったらどうしよう」「孤独だ」などへ展開させるのか。
その展開が幻想であり、苦である。
ポジティブも同じ。それも「単なる出来事」を展開させているに過ぎない。

単に見聞きした時点で終わらせればよい。
あなたは何をしても何を感じても、必ず「意味」に繋げているだろう。
思考を止めると書けば大げさに感じるかもしれないが
ただ単に「意味を持たせなければ良いだけ」なのだ。


534:名無しさん:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:BQLKsAZZ

あんた最高だよ
でも、俺にはむりだ
そんな急には変われない

申し訳ない



535:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:7KJPo90U

>>534
変わるのではない。
見聞きしている時点で、すでにその境地にあることに「気付く」だけだ。
あなたはすでにわかっている。だがそれらに意味を持たせるから苦しいのだ。
私の書き込みも、単にそれがあるだけである。

例えれば何年も前に興味があったことが、今は興味がない。その逆もある。
つまりその対象には何の力もなく、単にあなたの「捉え方」が変わっただけだ。
だがその対象は今も昔も、ただ存在している。

世界を変えるのは世界ではなく、あなただ。
だがそれは執着である。
つまり「意味」に繋げなければ、最高も最低も、幸せも不幸もない。
ただそれだけの世界を、ただそれだけに生きるだけである。
虫たちをよく観察してみなさい。

すべては「逆」を見れば良い。
それ以外が「それ」を形成しているから、つまりはすべて「逆」なのだ。
あなたが何かを望むならば、望ましくないものがあるからだ。

では望ましくないものは、なぜ望ましくないのか。
その芽を捨て去れば望みはなくなる。
つまり希望という苦しみから解放される。常に「逆」を観なさい。


545:名無しさん:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:2gGCIiPI

>>517自分◆3wwHKM8d6kさん

離人症状は悟りの境地?
http://blog.goo.ne.jp/forteneige/e/b5d397da303be006a22e8a467f540cbb

症状としては、
●自分が自分であるという感覚がせず、他人のように感じる

●自分の行動や身体を傍観者のように眺め、周囲の環境に現実味が感じられない

●その感覚は外界のせいではなく,自分の中で起こっているとの自覚がある

他にも,喜怒哀楽や感動がなくなり,
本人が不適応感を抱くと、うつやパニック症状などを引き起こし,
自殺するケースもある・・・、そんな神経症なんだ。

この症状自体は、「空(くう)の意識」とか、

悟りの境地にも、当てはまることなんじゃない。
自分という人格から離れて、観察自我である立ち位置に戻る、
そこは、なんの感激もないし、「自分は人間である」という意識から

離れるわけだから、「空の意識」は離人的だよね。

ただ、本人が、苦痛を訴えると「離人症」になって、
静かに受け容れると「悟り」になるのかも知れないね。



572:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5

ひとつ言えることはそれを経験する「あなた」があるということだ。
つまり体験に疑似も本当もない。
あなたの世界でそうなのであれば、そうなのだろう。

私は苦境に遭っていたときたまたまスピリチュアル本と出会い
「ああこういう考え方があるのか」と知った。
そしてその「考え方」が「捉え方」へと認識が変わってきたときに
なるほど、と理解をしたのだ。

つまり何でもよいのだ。
「体験」自体はなんでもよい。
「対象」との間で得られるもの、つまり生み出されるエネルギーが大切なのだ。
何をやろうが、結果がどうあろうが、それに取り組んでいる様子がすべてなのだ。


高価なカメラ、高価な楽器、高級車などそれらを手に入れたが
道具に支配され振り回される人が多くいる。結果、何も生み出せない。苦しいだけだ。
思い入れすらもない、安い道具を手にした方がスマートに
「未知」を生み出せたのではないか?

「お金」を使うことで得られる「未知」が大切だ。それはカタチあるものではない。
お金自体に執着をし、ケチった暮らしを送れば間違いなく支配下に置かれる。
この世のすべては、「未知」を生み出すためだけに存在している。
使い経験してなんぼなのだ。

理由や実証、証拠、裏付け、意味‥、
そんなものはあなたの生にとって
足枷以外のなにものでもない。


576:555:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:LAhxNF4r

>>545
>「空の意識」は離人的だよね

今更どうでもいいかもだけどこれは>>521に書かれてる

>概念すら生まれない、それが一元論だ。
「ない」からこそすべてを包括する空間、それが無と言われるもので
概念がないから、我々はそれを捉えることはできない。
感じた、としてもそれはイメージだ。感じるという五感イメージすらも超えてこそ
無がわかる。だが「わかる」ものではない。

つまり、
空とは何も無い空っぽ状態というか
すべてを包括してしまう空間。
したがって、そこには離人感覚も無し。



578:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5

>>576
物事に囚われてはいけない。

あなたの世界では、すべてがあなたにとって「あるがままに」あるのだ。
つまりすべて正しい。

だが正しいも間違いもない。ただそこにポンと「それ」が置かれているだけだ。
「それ」をただ「それ」として感じればよい。

上でも書いたが
大切なのは、あなたの世界に「それ」が現れたときに生じるエネルギーだ。

あなたが2年後にサッカーに興味を持つ。
社会人なので、小学生とは違ってグレードの高いスパイクなどを
そろえることができるだろう。
高い会費のクラブへ入門することもできるだろう。

だが高いスパイクやクラブのスケジュールに囚われてしまっては、
純粋なエネルギーを得られない。

サッカーに興味を持ったあなたは、決してサッカーをしてはいけないのだ。
つまり裸足で、整地されていない空き地で駆けまわっている子ども達の方が
サッカーを通してより「サッカーを離れた楽しさ」を感じ取れるのだ。

少し例え話が遠回りになってしまったが、
「空の意識」を捉えるには、「空の意識」に漬からないことだ。
純粋に、「それ」が生じさせてくれるエネルギーを感じればよい



2017年10月6日金曜日

自分さん16 あなたも是非この質問に参加してほしい。「問:青とは何か」

466:名無しさん:2013/07/08(月)NY:AN:NY.ANID:w3WzlksP

>>462-465
自分◆3wwHKM8d6kさんよう、
死ですべてが解決ってのはどうしたんだよ?

>願いは常に叶っている。

これはさしずめ↓か?

【ありがとう】願いなんていつも叶ってる。
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/esp/1370831661/

1:名無しさん:2013/06/10(月)NY:AN:NY.ANID:EvU8iYas
願いなんていつも叶ってる。
水が飲みたい→水を飲む。で1つ叶えただろ。1人で。
いつの間にかだれかが水道設備を整えてくれてたし。

願いが叶わないって言ってる奴は、すぐに実現したいと思ってるからダメなんだよ。
振り返ってみると、飲み会で何気なく発言した将来の希望が
5年後に実現していて驚いたことがある。



483:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/08(月)NY:AN:NY.ANID:IOp6ldKt

>>466
死が解決するのではない
死も「流れ」である。単なる出来事のひとつだ。
つまりあなたは死であるということだ。これで伝わるだろう。

さて、結局のところあなた方が生きている世界がすべてある。
あなたが見て、聞き、感じ、様々なことを思い、
それがあなただ。

スリピチュアルをスピリチュアルとして捉えている以上、
それは単なる知識でしかない。

体感するもなにも、その境地に立つもなにも、
すでにそのど真ん中にいるではないか。
それに気付くことが「気付き」と言われるものだ。

それは決して、現状に魔法をかけて意のままに操るというものではない。

逆だ。
現状の捉え方が変わることにより、
すべてあなたのために用意されているものを知るということだ。
すべてはあるがままだ。
変容はしない。
だからあなたの捉え方を変えるのだよ。

あなたが借金まみれで余命も短く、孤独なアパート住まいをしていて
それがいかに幸福の絶頂であるかを理解することだ。簡単なことだ。

こうして文章にすれば簡単なことを、そもそもの概念として
そのように見ようとしていないから問題なのだ。
だから問題のある人生になるのだ。


484:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/08(月)NY:AN:NY.ANID:IOp6ldKt

見ようとしていない概念を持っているから、問題なのだ。
つまり概念を捨て去ることだ。

あなたの知っている世界が、世界のすべてだ。
あなたがヘアカットに興味がなければ、それがない世界であり
興味があれば美容師などの世界を知っているのかもしれない。

だがすべての人々が美容業界を知っているわけではない、
なぜならば、それに興味がなければその世界すら、存在しないからだ。

だからあなたの生きている世界が、あなたのすべてなのだ。
つまり世界こそがあなたであり、あなたが極楽として捉えれば
極楽世界なのだ。


487:名無しさん:2013/07/08(月)NY:AN:NY.ANID:CezNYL0Z

名前変えなよ。なんで自分なのさ。



490:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/09(火)NY:AN:NY.ANID:u8GNm1a2

私の名は「自分」である。
もしあなたが私にレスを返したり、何かを感じたりするということは
あなたが「自分」自身にそう反応しているという意味を持たせてある。
だから私に対して話していることは、あなた方は
自分に対していっているのと同じなのだ。

街を歩きながらゴミをポイ捨てするのは
あなたの世界を汚しているからであり
それを苦と取れば苦なのだろう。快と取れば快なのだろう。

なぜならば、いつも書いている通り
あなたが普段自分と思っている以外のすべてが、自分だからである。

私の名は自分であるが私はいない。実在していない。
なぜならば単に自分という概念だからだ。つまり私はあなたである。

この文章をどのようなカラーで読み取るかは、人それぞれ。
だから私は実体を持たない。
人それぞれの「この文章」がある。


507:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:LNWe7pFI

久しぶりにスレッド全体を読んでみたが、
読み取る人の理解度の落差が大きいと感じている。

釈迦も教団を始めた最初の頃に集まった人々は修行を極めた者たちばかりだったので
理解も早かったというが、数千人規模になってくると根本からの理解をしていない。
(意味がわからない?)人々が増えあえて遠回りな言い回しになって
伝えられたとも言われている。

では少し質問をさせてほしい。

「青という色」、それは何なのか説明しなさい。
「色」という答えはダメだ。「青という色」とはなんなのか、
それをあなたの言葉で答えなさい。
色は名称以外に指し示すことはできない。
だから「青」とは何なのかを説明してみなさい。

ある程度返信が集まったら回答を書く。
だが、最初に書く回答は本当の回答ではない。
私は本当の回答を伝えすぎる傾向にあり、
どうやらそれで理解不能に陥る人が多いようだ。

なのであえて段階を踏んで、まずは理解しやすい回答を入れよう。


509:名無しさん:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:G5UjbcNq

「青とは何か」


510:名無しさん:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:TOIRZOrq

科学的には答えられるけどスプリチュアル的には難しいね

青色なんてない!
とか、そういうのが答えなのだろうか。
よく分からん。

アフリカのある部族では、色は2種類しかないという話を聞いた。
虹だって7色と言われているが、中間色はたくさんある。
音階もドとド#の間にも音はある。

ある色を見て
それを青と名付けた
それに近い色も青と名付けた

リンゴと言えば皆、同じようなイメージを持つが、
正確には色も形も重さも、皆違うはず。
なのにリンゴと言えば、皆同じイメージを持つ。

いや違うな。
多分、他人がどうとかって話じゃないんだ。
自分自信がどう考えるかだ。br /> ・・・。



515:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:LNWe7pFI

>>510
そう、あなたが最後に自問自答している通り
あなたは単に「それ」に付けられた呼称を述べているだけだ。
私は「青とは何か」を問うている。
つまり「それ」が何か、ということを答えなければならない。

青、その「あお」という名称を外して、では「それ」は一体何か?


511:名無しさん:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:+VQajRV7

>>507
第一問。
「スレチとは何か」

第二問。
「このスレは何のスレか」



512:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:LNWe7pFI

>>511
ふふふ。その問いをそのままあなたにも返せるから
マネゲを含むすべてのスピリチュアル、
つまり同じ内容を手順を変えて伝えているだけということが、ひとつの答えとなるね。

あなたのレスと私の答え、それでひとつの世界がある。
まあこれは「青とは何か」とは関係ない話だが。

あなたにも参加してほしい。
「青とは何か」

決してスレチではない。
作者の伝えんとしていることへ導くための「単なる話題」である。


513:名無しさん:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:/X+6vPqw
#0067C0



516:名無しさん:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:LNWe7pFI

23時30分ぐらいに答えを書くよ。

「青とは何か」

この質問の答えは、実はすべての答えでもある。
つまり「何もかも」の答えは、結局同じなのだ。

「青とは何か」

あなたなりの答えを述べて欲しい。
あなたが本当の意味での人生を見つめないならば
是非この質問に参加してほしい。


521:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:LNWe7pFI

では答えよう。
最初に伝えたようにまずは本当の答えじゃない答えを書く。
本当の答えへの理解、その段階踏むためだ。

「青とは何か」

答えは「青以外」の「以外」である。
つまり赤や黄色、沢山の「青以外」の色があるが
それら以外が「青」である。

つまり「青」自体を指し示すことは絶対にできないのだ。
青以外のものがあって、青がある。
これを二元論と呼ぶ。

冷たいがあるから熱いがあるが、それぞれ単独には存在できない。
それ以外があるから、それ以外が生まれる。つまり実体はない。
この世界が「青」という色しかなければ「青」はない。

そういう世界は「色」という概念すらない。
概念すら生まれない、それが一元論だ。
「ない」からこそすべてを包括する空間、それが無と言われるもので
概念がないから、我々はそれを捉えることはできない。

感じた、としてもそれはイメージだ。
感じるという五感イメージすらも超えてこそ無がわかる。
だが「わかる」ものではない。

「青とは何か」これは私がよく書いているように、
「自分」とは本来自分と思っている「以外のすべて」である、と同じことだ。
「それ」自体は独立した存在ではない。「それ」以外の隙間が「それ」である。

よくスピリチュアル本に書かれている通り、あなたは
「名前」「生まれ」「特技」など外的要素でしか「自分」を定義できないが
「今日あった出来事」「いま感じていること」などそういうことも、
あなたを形成しているのだ。

つまりあなた以外のすべてが「あなた」である。
あなたは実在しない。「あなた以外」があるだけである。
ちなみに「あなた以外」も単独では実在しない。
それらも「それ以外」による隙間である。

よって答えは「青以外」の「以外」が「青」の定義である。
これを「答えA」とする。これは本当の答えではない。
だがまずはこの「段階」を理解しなさい。


522:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:LNWe7pFI

本当の答えを書こう。
正解者がいる。>>509だ。

「青とは何か」の正しい答えは
「青とは何か」だ。


我々は二元論に生きている。
先にも書いたとおりそれは、それ以外の隙間によるものだ。
ではなぜ隙間を認識するのか。それはそこに「意味」を持たせるからだ。

私は「青とは何か」という質問を書いた。
当然意味を探すわけだから、答えを求め思案するだろう。
だがすべてに実体はない。つまり求められるものではないのだ。
つまり、質問が「ただあるだけ」なのだ。


質問すらも、単なる質問である。
我々は「質問」と書かれると、その答えを即座にリンクさせてしまう。

なぜか。
それはそのように教えられてきたからだ。
「1+1=」それは「1+1=」があるだけだ。

数学を知らない原始人に尋ねてみればよい。
疑問という概念すら持たないかもしれない。
ただ目の前にある、それを認識するだけである。そこに疑問も答えもない。
ただそれがあるだけだ。「意味」に結びつけない。

私は>>520で「現実は現実だ」と書いた。
その通りである。

なぜそこに苦しみ、快楽を意味付けるのか。
ただ「現実」があるだけだ。その通りに受け取ればよい。

「青とは何か」

これが正しい答えだ。

「青とは何か」


ではまた。


523:名無しさん:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:TOIRZOrq

ながい



524:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:LNWe7pFI

>>523
「ながい」とは「みじかい」があるからこそ存在できる概念である。
「ながい」と「みじかい」はそれでひとつなのだ。
つまり私の解説は長くもあり短くもある。そしてそのどちらでもない。
この説明は一元論の範囲だ。

要はあなたの解釈がすべてだ。
私の解説に「まだ足りない!」と思う人もいるだろう。
そういう人からすれば「短い」のだ。

つまり、私の文章は長くもなく短くもない。その実体すらない。
他者の解釈により、私の文章は存在する。
だから私は「自分」と名付けている。私はあなたである。


525:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/10(水)NY:AN:NY.ANID:LNWe7pFI

私は「ただあるだけ」である。

私をどのように認識するかが「幻想」である。十人十色だ。
だが「私」は単にそこにあるだけだ。

私を「現実」に置き換えてみなさい。
苦しい現実があるのならば、それは単にあなたが
「苦しい」という解釈を与えているだけだ。
嫌なら、その解釈をやめれば良い。現実は「ただあるだけ」。

これがマネーゲームの脱出で伝えられている真意である。