2017年10月13日金曜日

自分さん17 「体験」自体ではなく、そこから生み出されるエネルギーが大切なのだ。

526:名無しさん:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:BQLKsAZZ

なんなの?よくわかんない。
もう一回マネーゲームの本読んでみるよ。

あれって「これは私の意識の想像物だ」って唱える奴だよね。
自分さんがトンチンカンなこと言ってるのか、俺が忘却したのか。

まぁ、目的が出来たので自分さんには感謝します。



529:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:7KJPo90U

>>526
あなたの解釈する「マネーゲームから脱出する法」がある。
それはそれでよい。

ただ執着に囚われないように薦められている内容なのに
「マネーゲームから脱出する法」に囚われてしまって本末転倒だろう。
それを私は伝えている。

だが私への解釈もあなたの捉え方による。
そして「解釈」すらも執着である。

根本的な苦しみを脱したければ執着を捨てることだ。
つまり「意味」を探さない。求めない。

質問があっても、疑問があっても、
それは「質問」や「疑問」が「ただあるだけ」である。




530:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:7KJPo90U

「ただあるだけ」が理解できるようになると
「言葉」で世界を見なくなる。

つまり「ただ感じるだけ」を知る。
その境地(境地といっても簡単に行き着くが)になれば
「意味」は意味をなさなくなる。

つまり「幸せ」も「不幸」もない。
ただ「それ」があるだけだ。

山に生息する虫を観察しなさい。
彼らは、ただ生きている。
そして空気も水も土も用意されている。

なぜ我々は「不足」に目が行ってしまうのか。
もっと大きな視野から見れば、全部用意されていることが理解できるだろう。
「ただ在れば」よいのだ。


531:名無しさん:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:BQLKsAZZ

あーそういうことね。
1+1=1+1って訳ね。
そのままが回答。

実社会じゃ思考停止状態と呼ばれる。

自分さんの回答は理想論だね。

悪く言ってるわけじゃないです。
他のスピリチュアルと較べて突出しているというか、
実践しがたいというか、時間がかかるというか・・・。

置いてけぼりを食らって寂しいって感じです。

分かる。
虫は「ただ」生きてる。
それは分かる。

でも、私は思考を止められない。
不快感を常に感じている。

コテハンにこんなにマジレスしたのは始めてだ。
なんだろう、自分さんにはどうしても反論したくなる何かがある。



533:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:7KJPo90U

>>531
「執着」と書けば理解しにくいかもしれないが、
つまりは「意味」のことである。
「単なる出来事」に意味を持たせようとするから
苦しみや希望が生まれるのである。

ただ見たまま、聞いたままで終わらせれば良いのに
多くの人は、それらに「意味」を持たせる。
だから理不尽などが生まれるのだ。

悟りとは、実に単純な話である。
わかりやすく書けば「意味を持たせない」こと、
すなわち、誰もが悟っているのだ。単に見聞きすることであるから。

だがそこから「意味」を持たせるから苦しみなどへ繋がるのだ。
だから幻想ワールドとなる。あれは良くてこれは嫌、みたいなね。
「執着」=「意味」=「解釈」である。いくらでも同じことを指す言葉は出てくる。

「ただ上司が怒鳴っている」それだけだ。
「ただ独身生活がある」それだけだ。

なぜそこから「上司むかつく」「自分は一生懸命やってるのに」や
「このままひとりだったらどうしよう」「孤独だ」などへ展開させるのか。
その展開が幻想であり、苦である。
ポジティブも同じ。それも「単なる出来事」を展開させているに過ぎない。

単に見聞きした時点で終わらせればよい。
あなたは何をしても何を感じても、必ず「意味」に繋げているだろう。
思考を止めると書けば大げさに感じるかもしれないが
ただ単に「意味を持たせなければ良いだけ」なのだ。


534:名無しさん:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:BQLKsAZZ

あんた最高だよ
でも、俺にはむりだ
そんな急には変われない

申し訳ない



535:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:7KJPo90U

>>534
変わるのではない。
見聞きしている時点で、すでにその境地にあることに「気付く」だけだ。
あなたはすでにわかっている。だがそれらに意味を持たせるから苦しいのだ。
私の書き込みも、単にそれがあるだけである。

例えれば何年も前に興味があったことが、今は興味がない。その逆もある。
つまりその対象には何の力もなく、単にあなたの「捉え方」が変わっただけだ。
だがその対象は今も昔も、ただ存在している。

世界を変えるのは世界ではなく、あなただ。
だがそれは執着である。
つまり「意味」に繋げなければ、最高も最低も、幸せも不幸もない。
ただそれだけの世界を、ただそれだけに生きるだけである。
虫たちをよく観察してみなさい。

すべては「逆」を見れば良い。
それ以外が「それ」を形成しているから、つまりはすべて「逆」なのだ。
あなたが何かを望むならば、望ましくないものがあるからだ。

では望ましくないものは、なぜ望ましくないのか。
その芽を捨て去れば望みはなくなる。
つまり希望という苦しみから解放される。常に「逆」を観なさい。


545:名無しさん:2013/07/11(木)NY:AN:NY.ANID:2gGCIiPI

>>517自分◆3wwHKM8d6kさん

離人症状は悟りの境地?
http://blog.goo.ne.jp/forteneige/e/b5d397da303be006a22e8a467f540cbb

症状としては、
●自分が自分であるという感覚がせず、他人のように感じる

●自分の行動や身体を傍観者のように眺め、周囲の環境に現実味が感じられない

●その感覚は外界のせいではなく,自分の中で起こっているとの自覚がある

他にも,喜怒哀楽や感動がなくなり,
本人が不適応感を抱くと、うつやパニック症状などを引き起こし,
自殺するケースもある・・・、そんな神経症なんだ。

この症状自体は、「空(くう)の意識」とか、

悟りの境地にも、当てはまることなんじゃない。
自分という人格から離れて、観察自我である立ち位置に戻る、
そこは、なんの感激もないし、「自分は人間である」という意識から

離れるわけだから、「空の意識」は離人的だよね。

ただ、本人が、苦痛を訴えると「離人症」になって、
静かに受け容れると「悟り」になるのかも知れないね。



572:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5

ひとつ言えることはそれを経験する「あなた」があるということだ。
つまり体験に疑似も本当もない。
あなたの世界でそうなのであれば、そうなのだろう。

私は苦境に遭っていたときたまたまスピリチュアル本と出会い
「ああこういう考え方があるのか」と知った。
そしてその「考え方」が「捉え方」へと認識が変わってきたときに
なるほど、と理解をしたのだ。

つまり何でもよいのだ。
「体験」自体はなんでもよい。
「対象」との間で得られるもの、つまり生み出されるエネルギーが大切なのだ。
何をやろうが、結果がどうあろうが、それに取り組んでいる様子がすべてなのだ。


高価なカメラ、高価な楽器、高級車などそれらを手に入れたが
道具に支配され振り回される人が多くいる。結果、何も生み出せない。苦しいだけだ。
思い入れすらもない、安い道具を手にした方がスマートに
「未知」を生み出せたのではないか?

「お金」を使うことで得られる「未知」が大切だ。それはカタチあるものではない。
お金自体に執着をし、ケチった暮らしを送れば間違いなく支配下に置かれる。
この世のすべては、「未知」を生み出すためだけに存在している。
使い経験してなんぼなのだ。

理由や実証、証拠、裏付け、意味‥、
そんなものはあなたの生にとって
足枷以外のなにものでもない。


576:555:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:LAhxNF4r

>>545
>「空の意識」は離人的だよね

今更どうでもいいかもだけどこれは>>521に書かれてる

>概念すら生まれない、それが一元論だ。
「ない」からこそすべてを包括する空間、それが無と言われるもので
概念がないから、我々はそれを捉えることはできない。
感じた、としてもそれはイメージだ。感じるという五感イメージすらも超えてこそ
無がわかる。だが「わかる」ものではない。

つまり、
空とは何も無い空っぽ状態というか
すべてを包括してしまう空間。
したがって、そこには離人感覚も無し。



578:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5

>>576
物事に囚われてはいけない。

あなたの世界では、すべてがあなたにとって「あるがままに」あるのだ。
つまりすべて正しい。

だが正しいも間違いもない。ただそこにポンと「それ」が置かれているだけだ。
「それ」をただ「それ」として感じればよい。

上でも書いたが
大切なのは、あなたの世界に「それ」が現れたときに生じるエネルギーだ。

あなたが2年後にサッカーに興味を持つ。
社会人なので、小学生とは違ってグレードの高いスパイクなどを
そろえることができるだろう。
高い会費のクラブへ入門することもできるだろう。

だが高いスパイクやクラブのスケジュールに囚われてしまっては、
純粋なエネルギーを得られない。

サッカーに興味を持ったあなたは、決してサッカーをしてはいけないのだ。
つまり裸足で、整地されていない空き地で駆けまわっている子ども達の方が
サッカーを通してより「サッカーを離れた楽しさ」を感じ取れるのだ。

少し例え話が遠回りになってしまったが、
「空の意識」を捉えるには、「空の意識」に漬からないことだ。
純粋に、「それ」が生じさせてくれるエネルギーを感じればよい



1 件のコメント:

  1. 何でいつの間にか自分さんとかいう人のまとめに変わっちゃったのか・・・
    マネーゲーム読んでそれについて書かれているものが読んでて面白かったのにな
    やり取りとかも前のマネゲのもののほうが気づきにはよいアクセントだったし
    もうかなり前のものだから仕方ないけどもうあまり読むべきものなくなっちゃったね

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