2020年12月27日日曜日

自分さん39 自分の体とは「世界」を堪能するための装置のようなものだ。

854 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:55:15.59 ID:RpueZhFu

さて少し難解な話をしようか。

自分の体とは、あくまで「世界」を堪能するための装置のようなものだ。
つまり世界を知るために、あなたは生まれてきたのだ。

これは人間も蝶もエビも同じである。

なぜ世界を堪能する必要があるのか。
それは例えれば、あなたが美容室に行ったとしよう。
新しいヘアースタイルにトライしてみたわけだ。
あなたはそれがどれほどの美しさか、かっこよさか、可愛さか、
とても気になるわけだ。

ではどうやって、それを知るのだ?
もちろん他人の評価となる。

「あ、髪変えたんだ、可愛い!」と言われればあなたは大満足だろう。

ただそれだけのためにあなたは生まれ、人生を生かされているのだ。
まずそれを理解しなさい。

では一体「誰が」自らを知りたいのか?
それが「意識」やら「神」などというものだ。
つまりあなただ。そして私だ。
元はひとつなのだ。

自らの「可愛い!」を知りたいがために
他人なるものを作り出し、物質を作り出し、出来事を常に量産している。


ふふふ。このように書けば比較的ライトな受け取り方ができるだろう?


857 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 02:12:51.33 ID:rKYNQxf/

話を続けようか。

「意識」というものがある。ひとつしかない。
そこから様々なものが生み出される。
あなたもそうだし、他の人々、物や日々の出来事もそうだ。

だが、元はひとつだ。
だから我々はコミュニケーションが取れるのだ。
そして思い耽ったり「想像」ができるのだ。
世界とは単に「意識」が作り出した箱庭でしかない。
箱庭の中のすべては、空想や想像で事足りるのだ。

そして「意識」こそがあなたであり、私である。
目の前のテレビですら、プラスティックですら、あなたなのだ。
さらに言えば、あなたが歩けば風景が変わるが
その「変化」すらも、あなたなのだ。

指が動く、それもあなただ。
あなた自身を「見ている」だけなのだ。

だから人生に何も苦しむ必要もないし
たとえそれが「苦」に見えても、それ自体が
あなたであるから、そのまま受け入れればよい。

人間的に何かを「失う」経験をするかもしれないが
実際は何も失っていない。ハズレもアタリなのだ。


858 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 02:19:32.64 ID:rKYNQxf/

次に行動について解釈する。
日々は行動により移り変わっていく。

行動とは何か。
それはあなたの意思ではない。
そう思い込んでいるだけで体が勝手に動いているのだ。

あなたは「動いた後」でしか、それを知ることができない。
以前も書いたが、指よ動け!と頭で念じてみなさい。
動かないだろう。

だが実際に指が動いているとき、あなたはそれを見ているだけなのだ。
つまり、我々は次の行動が一体なんなのか、何も知らないのだよ。

ここで言う「我々」とは思考=エゴのことだ。
幻である。自分自身がすでに幻なのだ。そんなもの、ないのだよ。
ではその幻はなぜ、幻として体感できるのか。
それは「意識」があるからだ。

意識がそれを見ている。幻を生み出し、幻から見た世界を経験している。

最近は秋晴れで雲一つない青空が広がっている。
まるで世界を包み込んでいるかのようだ。
例えるならばそれが「意識」である。


859 :名無しさん:2013/09/22(日) 08:08:35.18 ID:ndMdem2U

想像は完全にマインドのものだよ。
そして幻想そのものだと言える。
想像に捕らわれる限り幻想からの解放はないだろう。
想像する事は偽りを見ることだ。

良いイメージであれ悪いイメージであれ幻想を見ているだけだ。



860 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 09:48:52.20 ID:rKYNQxf/

>>859
上のは少し難解な話だ。
想像力どころか「いまにある」も五感もすべては
脳内の錯覚なのでマインド、いや、単なる事象でしかない。
問題は、その「想像」はどこからやってきたのか、
とうことを私は書いている。

何もないところにそれは浮かんでくるだろう。思考も同じだ。
さらに言及すれば、あなたが右を向いたときに
「右」らしき視界が突如浮かんでくる。
つまり、常に何かを作り出している。

いや、常に何かが作り出されており
我々はそれを受け取るしかできないのだ。

もはや、マインドがなんだとか
そういう話は何の解釈にもならない。
私から見れば、逆にその解釈に囚われているだけにも見える。

般若心経について様々な解釈が古来よりされてきたが
簡単に言えば「人生に特に意味はない」ということなのだ。
意味を求めるから苦しいのだ。

「それはマインドだ!」

そうあなたが唱えたところで、それは一体何かね?
先日も伝えたが言葉に内容はない。
ただ「それはマインドだ」という絵柄があるだけだ。


862 :名無しさん:2013/09/22(日) 10:37:41.14 ID:ndMdem2U

想像はどこからかやってきたものではなく、
脳内で創られたものだ。故に全て幻想だ。

何もないところには浮かんでこない。
既にある記憶を元に創られるのだ。

マインドで創られたものは実体を持たない幻想そのものだ。
しかし「在る」事はマインドを超えている。

マインドが停止した熟睡状態においても間違いなく「在る」のだ。
「気づき」とは主体がマインドの意識ではなく、
存在として「在る」状態に移行した純粋意識の事を指す。



863 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 12:44:58.92 ID:rKYNQxf/

>>862
ほうそうかそうか。あなたがそう思うのならばそうなのだろう。
だがよければ、ひとつテストをしてみないか?
有名なテストだ。

いま、何でも良いから何か頭に浮かべてみなさい。
何でも良い。ラーメンでも海でも猫でも歴史でも。
とにかく一番最初に浮かんだものが、今回のテストでは必要なのだ。

さて思い浮かんだかな。

それはコケシ人形か?
たぶん違うだろう。
では訪ねよう、思い浮かんだのはなぜコケシ人形ではないのだ?

あなたは
>想像はどこからかやってきたものではなく、脳内で創られたものだ。

と言った。その「創られた」とは一体なんだ?
たまたま目に留まったラーメンの袋を見て「ラーメン」かもしれない。
それどころか、私に問われてそれに答えている。
つまりあなたの意思などないのだよ。

あなたの記憶が引き出されるとき、そのトリガーとなる出来事がある。
あなたが自分で作り出し、そのあなたのいうマインドとやら
結局は脳内で創っているのではない。

>何もないところには浮かんでこない。

何もないから浮かんで来るのだ。
例えばあなたの中心に音はない。だから音が聞こえるのだ。
あなたが音そのものであるとき、音は聞こえない。
あなたがマインドなど、その段階の話をするならば
たぶん、もう少し理解が必要かもしれない。


864 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 12:51:44.73 ID:rKYNQxf/

我々が日頃「脳内で想像している」など当たり前と思っていることが、
実はとんでもないメカニズムだったと知るとき、
すべてはひっくり返るだろう。

見るという行為も、そもそも一体なんなのだ?
なぜ見なければならないのか。なぜ聞かなければならないのか。
では、それら以上の行為がないのはなぜか。

ある制限枠があるのは確かだ。
それは人間ゲームとしてのルールみたいなものだろう。
だがそのルールとて、我々がそのように思い込んでいるからそうなのだ。

見る、それがとんでもないメカニズムだったと知るとき

聞く、それがとんでもないメカニズムだっとと知るとき

すべてひっくり返る。


2020年12月20日日曜日

自分さん38 常に「いま」を指している時計は永遠なり。

802 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/21(土) 07:53:57.46 ID:QcUMO5U9

よろしい。
では新しい章に駒を進めようか。

マネーゲームから脱出する法を読んだとき、多くの人が違和感を持つだろう。
それは「この先にとても甘く、美しく、素晴らしい世界があるよ」と
そのために一枚一枚、果実の皮をめくる方法を伝えられる。

だが肝心の「その先」については具体的に書かれていないからだ。

「それらしい」または「著者の場合はこんな感じ」のような表現であり
具体的に、どうやって経済不安が捨て去られるのか、そもそも
「お金」の問題なのだから、シンプルな足し算の話になるんじゃないか、など
憶測が渦巻き、自らの現実と照らし合わせたときにその話を信じられない。

それはそうだろう。以前も書いたが釈迦が説いた話も、
多くの人がそれを「目的」としたから修行や修練がうまれたのだ。
求めると、永遠に「求めるもの」になる。

それは私も同じである。
核心を書けば書くほど、なんと「なにもない」のだ。
なぜならば、すでにその位置に誰もがいるからだ。


だから「目的」とする人はすべての教え(ロバートも含む)に
ある種の空虚感、不安感、不信感を抱くだろう。

ゼロを伝えているからだよ。
核心に迫れば迫るほど、特に何でもない話になっていく。


804 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/21(土) 08:30:34.73 ID:QcUMO5U9

例えばこのスレッドに残っている多くの人々は
まあいわば、まだよくわかっていない人たちである。

スピリチュアルやメソッド本などに現実の突破口を期待している。
間違いではないのだが、それら自体を目的にしてしまいがちなので
私のように「それらには何の意味もない」と書くと
猛烈な不安感、いらだちが生まれるのも無理はない。

小話だが、私は事業を営んでいる。
マネゲ本などを知るずっと以前に、事業は大成功を納め
そしてその後大失敗を経験した。年齢不相応なお金を得て、
同じくあまり大きな損失も得た。
どちらも得たものだ。

成功を収めていたとき、まるで錬金術のような感覚になっていた。
何もしていないのにただお金が湧き出てくるような感じだった。
もちろん「何かをしなくてはならない」という観念に囚われていたので
その上々な状態を維持しようと四苦八苦していた。

だがすればするほど空回り、
いや、当然この業界のキャリアは長いので手応えはあるのだが、
それが先に書いた錬金的なものとはかけ離れたようなものを感じていた。

それでも好景気は何年も続くのだが、
私の努力とは関係なく、突然大きな下降がやってくる。

そしてまた四苦八苦。1秒刻みで悩まされ続け、
海外旅行にいても、常に頭の中は仕事だ。
つまりバリのビーチにいながらにして私は事務所の机に座っているのだ。


805 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/21(土) 08:34:27.01 ID:QcUMO5U9

ではあの錬金状態とはなんだったのか。
いまとなれば、‥いや、ここであえてメソッド的な見解をすれば
そのまま放っておくのが良かったのだろう。

だが大いなる視点で見れば、それすらも必要もない、
なぜならば、私はいまここに存在しているからだ。

つまり成功も失敗も、それを超越していることがわかる。

そして「問題」に対処する努力など必要ない、いや
行動は湧き出るものだからそれでいいが、
それにマインドを振り回され、苦しみ生むのはナンセンスだ。



806 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/21(土) 08:38:05.17 ID:QcUMO5U9

答えはあなたの「いま」にある。
「いまここ」とかそんなものじゃなくて、
いまそこに存在していることが、すべての答えだ。
それは過ぎ去ったものへの超越である。

だが多くのひとがバリ島にいながら、
会社の机に囚われているのだ。


807 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/21(土) 09:18:48.17 ID:QcUMO5U9

メソッドとしてたまねぎの皮をめくる方法を教えられる。
悩める人は、どんどんめくっていく。
そして最後どこまでめくっても「皮」だったことに気付き
それ自体が「たまねぎ」だったことを悟る。

釈迦が菩提樹の下で子供達にミカンを分け与え
みんなで1粒1粒、味わって食べているとき
「ほらミカンを手に持っているでしょ」と伝えたという。
こういうことが大切なのだ。

道を歩いている。だが多くの人はそれに気付いていない。
起こっているすべての「それ」に意識を向けていくとき
皮がたまねぎ自体だったことを知るのだ。

さて、表面的なレベルの人々に「それ」を伝えるのは
今日のいくつかの書き込みのようになる。
だが、もっと深いメカニカルなレベルで「それ」を伝えるのは
先日までの、難解ともとれる書き込みのようになる。

ダクラスハーディングが、人間を1mから見たとき
ミクロまで近づいて見たとき、さらに銀河レベルでその人を見たときについて
どれもが「それ」であると解明した。

「話」も同じである。どの距離感で話すかの違いで
結局は「それ」なのだ。


808 :名無しさん:2013/09/21(土) 09:57:43.69 ID:FmtTpbaV

>>802 >>804 よく解る。本当よく解るし共感する。

だけどそれでも反論したい。
私も若き頃、不動産、建設のような業界にいたころは、
自分の給料は今とそれほど変わらずとも何百万単位で
その土地、家屋の値段が上がっていくのは一つの価値観のぶっ壊しだった。

お金ってなんだ。親、祖父母がいってたように
頑張って働いて汗水垂らすもんじゃないんだな。
運か?決済後、社長が紙袋に一杯の万札を抱えて見せてくれた時も、
まるでお金じゃないみたい。

自分に自由に出来ないお金だから当たり前なのだろうけれど。

でもその頃は、その価値観の変化が楽しみでもあった。
やり直せる若さもあり、一応、役職が貰ってるほど高い給料は望めなくとも
安定した収入はあったし体ももっと健康だった。

たまに営業のヒューマニズムに資本主義に倫理の物差しをおいて
悩む時もあったが、それも若さ特有のものだと良い経験とも受け取れ、
超えて又、毎日の職場、終わった後の友人との遊び、楽しみに
それほど疑問を抱えず戻っていくこともできた。変化を楽しめていたのだ。



844 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:12:07.82 ID:RpueZhFu

さて、今日はちょっと縁があって「エビ」を飼うことになった。
小さなエビだ、名前はなんと言ったかな‥ レッドビー?

さきほどまで、明日やってくるエビたちのため水槽の環境を作っていた。
初めてのことだったがなかなか楽しめたよ。
私の本体はどうやらエビを飼えと言っているようだ。

少しレスをさかのぼるが、>>808さん、
あなたが生きている世界はその通りなのだろう。

だが、街を見渡しなさい。
民家が並び、老人たちが植木に水をやり
スーパーでは夕食の準備に主婦達で溢れている。
学校帰りの学生たちはワイワイ楽しそうで
会社帰りのサラリーマングループは今日の飲み屋へ向かっている。

あなたは不思議に思わないかい?
なぜ経済力のない、赤子や幼児が育つのだろう?
いくら貧困に見舞われた国でもそれなりに人口はある。
人口があるということは、みんな生きているということだ。

あなたは自らの世界がまるで地獄のようで
死と隣り合わせのように見えているかもしれない。

だけど不思議に思わないか?
世界中、なんだかんだでみんな生きているのだ。
それはつまり、結局はなるようになっているだけのことだ。

あなたの力では、どうすることもできないだろう。
だから観念するのだよ。勝手に新しい道が開けていく。


845 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:24:12.18 ID:RpueZhFu

いつも書いていることだが、我々にはなんの力もない。
有名なミュージシャンも画家もスポーツマンも
独自の力でその地位を得ているのではないのだ。

エビが水流に流れていくように
水槽という整えられた環境がエビの「世界」となるように
我々は、水槽の中のエビである。

昔、私が独自に提唱した「置物理論」というものがある。
置物、まあ何でも良いのだが、置物は自ら動くことはできない。

金持ちに買ってもらえれば、豪華な他の置物達とともに
ちゃんと手入れをされ「奇麗な置物」として過ごしていくのだろう。

祖末な主人に買われれば、途端にゴミ置き場だ。
もしくは簡単に捨てられるかもしれない。
いや、売れ残りとして何年も店頭に並んだ末に
店が廃業して捨てられるだけかもしれない。

つまり置物はその「環境」が動くことにより、その価値が与えられるのだ。
この一連の流れになんの「努力」がいるのか。これは我々にも言えることだ。
環境を動かす力はない。環境は勝手に動いているものである。これは「変化」だ。

この話は非常に初歩的というか、人生に悩める人向けに書いている。
多くの人が、自らに「都合の良い環境」を得たいため、いわゆる
引き寄せの法則みたいなメソッドに傾倒していくのだろうが、いずれわかる。

すべてたまねぎの皮だ。皮こそが「たまねぎ」だったのだと。


846 :名無しさん:2013/09/22(日) 01:25:35.08 ID:r9HMriRJ

>>844 ありがとう。
どっちもいるんですよ。弱肉強食も愛に溢れている者達も。
私はかなりの動物好きで、よく肉食獣と人の触れ合いなどの映像もよくみます。
多種族が仲良くやっている映像は微笑ましくて仕方ない。
反対に自然界の摂理の厳しさを嫌程、思い知らされる映像もある。

その時は創造主とは機械的なものだろうな...。と深いとこで実感し
又、シャチなどの生態で、この世界は単なる弱肉強食だけでも終わらないとも疑問が湧く。
人食いワニを助けてプロテクター無しでたわむれるオジサンもいました。

TVにも紹介されてたけど、ワニのポチョ。あるシャチの生態。
ビデオでやるせない摂理と恩情の矛盾のビデオにある方が深いコメント残してました。
俺たちは世界に自分のみたいものを投影してるんだよ。だから俺たちは泣きたいんだ。

愛を感じたく泣きたい投影もあり、どうしようもない機械的な部分もあり、
その中で感じたいものを投影してるんだ。深い言葉でした。

エビですか…。自分さんも生き物とは縁が深いですねw
おやすみなさい。



847 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:32:33.54 ID:RpueZhFu

蝉は地上に出て10日前後でその生涯を終える。
その10日というのは、あくまで客観的にその蝉を見た我々の計測である。
では実際、その蝉はどれぐらい生きているのか。

永遠である。
蝉は思考を持たない。つまり感じたまま、あるがままの世界を生きている。
そして人間の各細胞が知性を持つように蝉自体も、その体が起こす
出来事のままに蝉そのものの世界を生きているのだ。

そこには時間の解釈はない。
常に「今」なのだ。

我々は「死」を見ることでその死を知ることができる。
つまり自分の「死」を知ることはできない。
他人や動物や虫など、自分の世界にある何かの死しか知らないのだ。

そこに答えはある。
つまりすべてあなたの世界の中の出来事なのだと。

そしてあなたは死なない。
蝉のように、永遠の世界を楽しんでいるのだ。
それが「いま」に在るということだ。



849 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:39:35.32 ID:RpueZhFu

蝉の見た世界、それが涅槃である。
最高以外のなにものでもない。
長く土の中で育ち、そして大空へ羽ばたく。
見る聞く感じる、世界のすべてが己であると蝉は悟る。

至福は永遠である。
自らの死は自ら知ることはできないからだ。
常に「いま」を指している時計は永遠なり。
それを知ればなにも困難はなくなる。


848 :名無しさん:2013/09/22(日) 01:38:33.11 ID:GSXQhpye

賛同とか云々で、
わたしは素直に面白いと思う



850 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:41:21.75 ID:RpueZhFu

>>848
それでよい。あなたの世界は面白いことで溢れている。
あなたのおかげで私も世界が面白い。


852 :名無しさん:2013/09/22(日) 01:50:27.65 ID:/5GmB7N0

>>849
意識だけでも蝶になれますか?



855 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:57:44.78 ID:RpueZhFu

>>852
想像力とは一体なにか、あなたは本当のところを知っているかい?
想像の中で蝶になってみなさい。
蝶のように羽ばたき、その視界を想像してみなさい。
簡単にできるだろう?

なぜならば、蝶もあなたも、元は同じものだからだ。


853 :名無しさん:2013/09/22(日) 01:52:47.62 ID:r9HMriRJ

今年は、こっちはツクツクボウシとヒグラシの泣き声が
極端に少なくて少し寂しくなりました。
コオロギはちょっと涼しいときだと聞こえてきますね。

コンクリートだらけの私の近所で、どこで生きてきたんだろと不思議になりますね。



856 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 02:04:47.87 ID:rKYNQxf/

>>853
それはあなたの世界の変化だ。
変化を受け入れたとき、あなたはツクツクボウシやヒグラシの
鳴き声が消えていくことにあなた自身を知るだろう。

常に「世界」は移り行く。
あなたの見ている世界は常に変化を繰り返している。
コンクリートだらけの近所、それを知ってしまえば
その通りの世界が生まれるのだ。

そこに意識を向けなければ‥
つまり、ヒグラシの鳴き声が取るに足らない
当たり前のものであれば今も聞こえているのだろう。


2020年12月12日土曜日

自分さん37 借金、差し押さえ。妄想に流されず、その流れを眺めるに徹しなさい。

774 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 20:40:41.48 ID:Ly0Upety

この幻想世界に苦しんでいる人へ、
ひとつの到達点として目指していただきたいのは
(幻想も目指すもないのだが)

日々起こる出来事、聞こえる音から見える視界、度々浮かび上がる思考まで
すべては何もないその場所にうまれた変化作用だ。
世界は変化の渦だ。

なぜ変化だらけなのか、それは本当のあなたがあなた自身を楽しみたいからである。
その自己中でわがままな大いなる意識の動向に振り回されては行けない。
その意識が飽き足らずに生み出しまくる変化に
あなたは「認識装置」としてそれを見さされているのと同じなのだ。

だがその大いなる意識に焦点をあわせれば(これも大袈裟な話だが)
あなたも人生が「楽しみ」でしかなくなる。単純な話である。


悲痛な事件も、悲劇も、衝撃を伴う別れも、
すべて楽しみになってしまう。なぜならば、あなたしか世界にいないからだ。

だが、他人はいる。いるが、いないのだ。

それは親指と小指の如く、意識が生み出した変化そのそれだけからだ。
つまり本元はひとつなのだ。だから「別れ」もそのように見えているだけで
実際、永遠の別れがあるわけではない。すべて単なる脚本だ。


775 :名無しさん:2013/09/20(金) 20:48:05.91 ID:tERL3YAK

反論出来なくなったら「言葉に意味はない」とかw
今まで長文垂れ流した内容を全否定ですかw


776 :名無しさん:2013/09/20(金) 20:50:56.62 ID:nMfgrVUM

>>774
借金がー裁判所から通告がー差し押さえがー
楽しめず禿げそうです



777 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 21:09:14.36 ID:Ly0Upety

>>775
ちょっとやり方を変えてね。
まあなにを話したところで言っていることはいつも同じなんだがね。
肯定も否定も、我々2人の中の単なるコミュニケーションでの出来事だ。
それが何だというのだ?

ただ起こっている事実、揺れ動く心、そういうものに従う、いや
それを目撃しているだけしかないのだよ。
あなたも私も。

>>776
単に通告が来て、単に差し押さえが来るだけだ。
だから何だというのだ?

その流れを眺めているだけでいい。
だが決して、そこから生まれる妄想に心を持っていかれてはならない。


それが「苦」だ。眺めていなさい。
その話が事実ならば、どうあがいてもあなたはそれを受け入れるしかない。
ならば眺めるに徹しなさい。勝手に「新しい場所」へ流れ着く。


778 :名無しさん:2013/09/20(金) 21:11:11.83 ID:tERL3YAK

>>776
では氏ぬがよい



779 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 21:12:08.83 ID:Ly0Upety

限界、つまりひとつの「終わり」とは
新しい世界の始まりである。

期待も絶望も、わざわざしなくてよい。
ただ眺めていなさい。
あれこれ思索を練れば練るほど苦しむだけだ。
世の植物はなにもせず咲き誇り繁栄している。

近所の民家を見て見なさい。
あなたほど苦労しているように見えるかい?
実はみんなそれほど苦労していない。
なぜならば、流れるがままに身を任せているからだ。

成るように成る。
ただそれだけでいい。それでいいのだ。



780 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 21:13:08.70 ID:Ly0Upety

>>778
あなたにとって、>>776はあなただ。
その言動は必ず返ってくるから気をつけなさい。


781 :名無しさん:2013/09/20(金) 21:21:17.11 ID:tERL3YAK

>>780
幻想に振り回されんなよw


782 :名無しさん:2013/09/20(金) 21:21:50.67 ID:0aflMoyH

あのね、自分さん
あなたの書き込み楽しみにしてる
皮肉じゃないですよ

それから、あなたが何故、そこまで情熱をもって
書き込みを続けているのかが気になる



783 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 21:24:46.99 ID:Ly0Upety

>>781
それでよい。

>>782
私はあなただ。だから楽しみにしているのだろう。
ただそれだけだ。"あなたの知る"私は、私の中では存在しない。

だがあなたがどうであろうが、私は在るだろう。
あなた興味をなくても、私は道ばたに落ちているゴミのように
そこに在るだろう。

だが再びそのゴミに興味を持てば、私はあなたに拾い上げられるだろう。
ただそれだけのものだ。


784 :名無しさん:2013/09/20(金) 21:32:59.66 ID:0aflMoyH

あなたを支持する、あなた以外もね。
いろんな意見があって、それが秩序だね、

テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ、
言葉は、意味は、幻想だけど、
蔦のように絡まって上に伸びている。
補完しあって、すべては等価なんだね。

こんな風に前からずっと眺めてたし、
これはこの一瞬という永遠に溶けてるんだな、
今にぜんぶを映せばいいだけなんだな。

たしかにわたしは停止している。



785 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 21:40:12.42 ID:Ly0Upety

>>784
言葉は表面的である。
蜂蜜という言葉は、実際の「蜂蜜と言われるそれ」ではない。
では「蜂蜜と言われるそれ」を知るには、それ自体に触れるしかない。

古来から、言葉が発達し文字が生まれ、本ができた。
言葉による伝え方が当たり前となった。
さらにインターネットが繁栄し、さらに「言葉」が溢れていく。
だが言葉は何も含んでいない。

>>776のように出来事すらも言葉で理解をするようになる。
言葉は中身がない。言葉で伝えることは100%不可能なのだ。
目の前で起こる出来事も言葉というフィルターを通して
頭で「判断」するから、おかしいことになる。

出来事は単に「出来事」だ。
雨や晴れと同じだ。そこには苦痛もなにもない。
突然100億の借金を背負おうが、家族が病気に苦しもうが
天気と同じだ。だが言葉がストーリーを作り出す。

思い出、記憶、後悔、様々なストーリーを作り出すのだ。
それらが妄想であること、そして言葉は何の力も持っていないことを知れば、
目の前で起こることを「ごく自然に」受け入れられるだろう。



786 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 22:03:07.81 ID:Ly0Upety

私が「青」と言葉で伝えても
人にそれぞれ、私の知る青よりも緑掛かった青だったり
赤みのある青だったりするわけだ。それが言葉だ。
それはあくまで私からみた相対的な話だ。

つまり私の話は完全に伝わらない。それは過去の覚者、
そして哲学者たちと同じなのだろう。

達磨禅師は言葉ではなく、動作で禅を伝えたという。
釈迦は自ら伝えるのではなく、聞かれたことに答えたという。
まさにその通りだ。言葉は受取手に委ねられるからだ。

インターネットや書物で「それ」を伝えるのは不可能である。
だが「それらしい」ことを匂わすことはできるだろうと私は思う。

私自身悩める人間だった。
なぜ生きているのか、なぜ入金支払いを繰り返すのか。
そこに何があるのか、

だが様々な教えにより、そしてそれが何千年も超えた
先からの教えだったと知ることにより、多くの人々が自分と同じように苦しみ、
そして古代宗教があることを理解したのだ。

そして私は自ら理解した。
いかに自分が妄想に囚われていたのかを知ったのだ。

それを伝えるためにここに書いている。
私が何を書こうが、結局は読み手が
それぞれの体験の中で理解しなければ何も伝わらない。
ただ事実として、私のような人間の書き込みがあったことは確かだろう。

釈迦は私のためにそれを残した、
私から見ればそういうことになるのだ。
この「私から見れば」が重要である。
主観と客観を自在に操れるようになれれば気付きは早い。


787 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 22:06:48.90 ID:Ly0Upety

変化に包まれていることを悟りなさい。
そこには苦悩もなにもない。ただ変化の渦がそこにあるだけだ。
世界に「内容」はない。単なる変化の流れがあるだけなのだ。


だからすべて受け入れていけばよい。抵抗する理由もないだろう。


788 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 22:13:41.26 ID:Ly0Upety

あと知っておいたほうが良いのは
肝心なところではそのままの世界であり、
まあ多くの人には期待はずれだ。

逆に余計なところでは、妙な不思議作用がある、
それがこの世界である。


789 :名無しさん:2013/09/20(金) 22:15:07.56 ID:0aflMoyH

>>788
補足してください



790 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 22:37:57.31 ID:G2CY6Bar

>>789
ある程度の「域」を超えたならばどうでも良い話だ。
自分の都合などどうでも良いことだからだ。
だが、これからそこへ向かう人々にとってあえて伝えた。
それを前提に受け入れなさい。

つまり、あなたが「こうなってほしい」と望むこと
それはそのようには決してならない。
だが、どうでも良いこと、それはなぜ知らないうちに
好転しているだろう。

そういうことだ。


791 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 22:49:05.24 ID:G2CY6Bar

つまりは「思考」が現実を作っているのだよ。

あなたがそう思い込んだことが現実なのだ。
それは観念から変えてないと決して変わらない。

だがあなたが対して注意を向けないことに関しては現実がない。


2020年12月5日土曜日

自分さん36 あなたを基準点にして、めまぐるしい変化の渦が起こっている。

736 :名無しさん:2013/09/19(木) 00:27:25.59 ID:hLTE1Dmh

諸行無常は見かけや上辺だけの話だね。
それを幻想という。
真実は何も変わらない。


737 :名無しさん:2013/09/19(木) 00:34:04.29 ID:bJItZCDJ

>>736
真実ってあるのかな。
自分の観念そのものだよね。
1たす1は3でもいいし。
真実ってそんくらいカオスな気がする。


738 :名無しさん:2013/09/19(木) 00:40:21.21 ID:hLTE1Dmh

真実とはいわゆる真我の事だよ。
真我は何者にも依存せず永遠に変わらなく在り続ける。
故に真実だ。
時間に依存するものはしょせん一時の夢であり、故に幻想だ。


741 :名無しさん:2013/09/19(木) 00:58:57.09 ID:/OZz7Y4v

真我を知る事は出来ない。
知る事は対象であるから。


742 :名無しさん:2013/09/19(木) 01:00:53.27 ID:hLTE1Dmh

>>741
だから幻想を知るんだよ。


743 :名無しさん:2013/09/19(木) 01:02:43.95 ID:9qHzSmVm

自分含めて幻想なんだろ。
覚者みたいに実感できなかったら物知りになれるだけで、
日常生活は別に何も変わらない。


744 :名無しさん:2013/09/19(木) 01:05:49.64 ID:hLTE1Dmh

>>743
だから実感する為に幻想を知るんだよw
全ての偽りを捨てた後に残るのが真実だ。


745 :名無しさん:2013/09/19(木) 01:08:46.87 ID:9qHzSmVm

ネットがまず一番解りやすい幻想だ。


752 :名無しさん:2013/09/20(金) 00:16:49.69 ID:tERL3YAK

「自分」が幻想を有り難がってたのを一撃で切り捨てただけだろうw



754 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 01:20:46.46 ID:Ly0Upety

ほお、私は切り捨てられたのか。それは見事だ。

まあ私への批判はまさにその通り、私も同意なのだがね。
というか、その批判と同じことを言っているつもりなのだが、
言葉は自らのエゴを超えることはできない。
信我も真理などという言葉でくくられるものは幻である。

現代風にわかりやすく言えば、
人生というロールプレイング風のゲームがあり、
本元の目的とは別の、やってもやらなくても良いような
イベントのひとつが「悟りイベント」である。

そのイベントに参加すればもれなく、釈迦やらスピリチュアルやら
真我やら真理やらといった、そういう知識を得られたり
ユニークな体感ショーがあるだけだ。

正直そんなイベントに関わらなくても(世間の9割の人はそうだろう)
普通に人生は進んでいく。幸せもあり悲しみもある。

早い話が「その程度のもの」と知れば、
大きな悲しみがあろうが、喜びがあろうが、所詮は、
あなたというゲームの中の単なる出来事であることが
理解できるだろう、ただそれだけだ。

真理がどうとかより、すでに真理にいるわけであり
出来事に対していちいち振り回されるな、ということである。


釈迦もマネゲ本も、あなたがそこに意識を向けているだけだ。
別にそんなものなくてもあなたの人生はある。


756 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 01:28:57.69 ID:Ly0Upety

とまあ、そんな感じである。

さて今夜は昨夜も伝えた「変化」についてだ。
あなたが歩いたり周囲を見渡したりなどの動作は
「まったく動いていないあなた」に対して
周囲が変化しているのだ。

そこになかったものが生まれ、経過し、消えていく。これが変化だ。

そのように物事を見ていくと、目に見えるものから見えないものまで
また心の状態ですら、すべて「変化」に包まれていることがわかる。

地球という基準で考えた場合、まあ天気図のようなものだ。

雲が生まれ、雨が降る。
そういうことが日常生活の細かなところや、
我々を司る記憶、感情なども同様に変化し続けている。

それを錯覚し、自分が動いている、
自分が考えている、などとしてしまうのだ。


757 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 01:40:44.72 ID:Ly0Upety

ではマネーゲームからの脱出とは一体なんなのか。

ロバートは第二段階や脱出ポイントについて触れているが
その形式に沿って書けば、つまりは状況の変化である。
状況とは、周囲のこともだが、あなたの心の状態も含まれる。

金を稼げば稼ぐほど不幸になる人は多い。
なぜならば「減る」からだ。

いいかい、金は減るものだ。あえて言えば、減らしていくものだ。
多くの人はそれが受け入れられない。意味がわからない。
ただ得たものが減っていくという苦しみから逃れるため
さらに増やすことへ全力を注いでいく。

すべては変化であることを意識するようになると
増えるも減るも、単なる状況であると見るようになる。

もちろん数値的には増えたり減ったりしているのだが
ただ状況が動いているだけとしか捉えられなくなる。
自分にとっては何の意味もないことに感じるのだ。


それが超越であり、脱出である。
もっと詳しく書いてもいいが、これはここでやめておく。


758 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 01:49:56.24 ID:Ly0Upety

いまここ、という素晴らしい名言があるが、
つまりはあなたを常に基準点として、
めまぐるしい変化の渦が起こっているということだ。
大切なのは、あなたが基準点だということだ。

これは言い換えれば、世界にはあなたしか存在しないことになる。

これはスピリチュアルの理解のレベルによるが、
ワンネス的な見解でいえば、まさにその通りでもともとはひとつだ。
そのひとつが分離しまくり、自らを見るために、
この世界が生まれている。

あなたはひとつだが、親指と小指が違うもの、心臓と爪は違うもの、
だがあなたというひとつである、語弊はあるが、
まあそれとにたようなものである。

そしてワンネスを理解できない人へ伝えるとするならば、
あなたの人生は、あなたが主役であり、あなた目を向けたものしか
あなたは経験できていない、そういうことがだんだんわかってくるだろう。

あなたがサッカーに興味がなければ
昨日のゲームの結果など脳裏にも浮かばないが
サッカー好きならば、気になって仕方がない。
だが来月、興味は失せているかもしれない。

つまり「あなただけの世界」があるのだ。
あなたのためだけにすべてはある。


これがワンネスをあえて塞いだ見解である。


759 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 01:55:23.27 ID:Ly0Upety

指が動いている。これも変化だ。
グラスを別の場所に置いた。これも変化だ。
いま何か考えている、これも変化だ。

政府が新しい法案を出した、近所のおばちゃんが事故に合った、
スーパーがセールをしている、100円のお菓子を買った、
それらもすべて変化だ。静止している状態などありえない。

常に何かが起こっている。
右を向けば、そういう景色が現れる。

そして唯一静止しているのは、そういった変化を見ているあなただ。
だがそれを静止というのか私にはわからない。
それら変化の世界を受け入れている空間があなたなのである。

金が減った。ただそれだけだ。
減ったことに物語も意味もない。

誰かが何かを言った。
そこに理不尽もない。ただ誰かが何かを言ったという変化が起こっただけだ。


760 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 02:04:48.42 ID:Ly0Upety

よく覚えておきなさい。

すべては「変化」している。
その変化の中で、あなたはただポツンといるだけだ。
変化に「意味」はない。
だが意味を与えることで苦しみが生まれる。

大きな船があり、私は甲板から海の状態を見ているが
あなたは船首から見ているのだ。だが同じ船に乗っている。

世界中の人々、動物や虫たち、植物、鉱物、さらには科学物質まで
みんな同じ船に乗っている。それぞれの場所から
海を見ているのだ。これがワンネスだ。

この例え話なら「船」が大いなる意識である。
波が出来事など、変化するすべてだ。
波が高かったり、低かったり、穏やかだったり
荒れていたり、単なる海の変化でしかない。

覚えておきなさい。
何も不安になる必要もない。
何も求める必要もない。
なぜならば、ただ「変化」を知るためだけに
あなたは生かされているだけなのだから。


その「生かされている」肉体ですら、
単なる変化のイベントとして受け入れられたとき
あなたは船そのものになる。


761 :名無しさん:2013/09/20(金) 02:24:56.70 ID:sY0CUNFx

>>760
これはある種の境地?
エゴとの付き合い方で結局破綻するから
ユートピアニズムにしか聞こえない



762 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 02:50:59.09 ID:Ly0Upety

ユートピアニズム、まさにその通りだ。


764 :名無しさん:2013/09/20(金) 07:48:46.35 ID:tERL3YAK

いい加減突っ込まれて「実はその通りなんです」みたいなのやめなよ。
みっともなさすぎw



771 :自分 ◆3wwHKM8d6k:2013/09/20(金) 19:49:50.01 ID:b5aQW9YM

>>764
わからないのか?起こっていることがすべてなのだよ。
「言葉」に内容などない。


772 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/20(金) 20:33:10.71 ID:Ly0Upety

私が何を言おうと、それを見た人が様々なことを思おうと
それがすべてなのだよ。

起こってることがすべて、ただそれだけだ。
私は何ヶ月も前から同じことを言っているのだが
なかなか「言葉」ゆえに伝わりにくい。

だから私の生み出した「波紋」に
様々な「色」が生み出されるのは素晴らしいことなのだよ。

あなたがピカソの絵を見ても何とも思わないかもしれない。
素晴らしいと数億を出す人もいる。そういう連鎖が「必要」なのだ。

あなたがただ存在しているだけでその「必要」は
全うしているから何も悩むこともない。
誰かが何をあなたに言っても、そこに「内容」はない。

そういう「ゼロ」の空間に「変化」が生まれただけだ。


2020年11月28日土曜日

自分さん35 願望実現的な話 - すべては変化なのだよ。これが世界の秘密だ。

703 :名無しさん:2013/09/18(水) 01:13:40.64 ID:1cM+cBWL

喫煙してたのはラマナマハル師じゃなく、ニサルガダッタマハラ爺の方。
タバコ屋を経営していて性格は怒りっぽかったらしい。

ラマナマハル師は少年時代に覚醒して世捨て人になった人。
温和で口数がとても少なかったらしい。
覚者らしい覚者はラマナマハル師と言えるかもね。

なんせ少年時代に覚醒しているから、
人格も純粋さが失われていなかったんだろう。



704 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 01:36:09.11 ID:nLo7fXQ4

覚者のイメージとは、仏教で伝えられる範囲内での釈迦か
聖書のキリストが元となっているのだろう。無所得あたりの語弊かな。

私としては、他人にどう思われているかなど一切気にせず、
そんなところで自らを形成せず「個なる人」として
オリジナリティな喜びに溢れた人生を生きている人こそ覚者の風格を感じる。

それが世界へ平和を齎す者であろうとも、世界へ恐怖を齎す者であろうとも、
それが大きな視点での「秩序」であるからだ。

せっかく多くの人を不幸におとしめる「大罪」を犯すチャンスがあったのに、
自制心というエゴがそれを許さない。せっかく多くの人へ幸せな影響を与える
舞台へあがるチャンスがあったのに、恐れというエゴがそれを許さない。

それらは、思考を判定にしてしまっているからだ。
秩序には善も悪もない。
悪がなければ善が存在できないからだ。つまり善悪を超越したところにある。

ワンネスだ。

タバコだろうが、風俗だろうが、孤児を救おうが
ハリウッドの舞台に立とうが、趣味に無駄遣いしようが
強盗をしようが、強姦しようが、されようが、殺されようが、復活しようが
生きている世界で「ありのままの事実」を謳歌しておれば最高だろう。


705 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 01:42:21.35 ID:nLo7fXQ4

そもそも覚者などいないのだがね。

さて、今日はめずらしくこのスレッドに合った?
願望実現的な話をしてみようか。

いつも言っている通り、
普段あなたが「自分」と思っているそれ以外のすべてが自分である。
つまり起こる出来事や思考、感情などを「知る」ことで
あなたは世界を知っている。言い換えれば、あなたは「知ったことだけ」の存在だ。
つまりあなたとはその世界である。あなたの見ている世界があなたである。

だから願望とやらを実現するには、ちょっとした逆転の発想が必要だ。
あなたが変わればよい。そうすれば世界は変わる。

簡単なことだ。
神社などに鏡が置かれているのはそういうことだ。


706 :名無しさん:2013/09/18(水) 01:44:15.12 ID:bI0in3Ah

私みたいに元もと、あまり知らない人にとっちゃ、
直観と直感も違いもよく解らないし、神と仏の違いもよく解らないし、
哲学と仏教とが物事は意味をなさないという共通点があるくらいしか解らない。

正直、大金持ちや大恋愛を目指したわけじゃなく、
家族共々、病気せず普通に給料もらって
家族と死別するのもそれなりの年齢でと願ったくらい。

それに癌の痛みに覚者が耐えられなかった現実がショックなだけ。
やはり痛みの緩和はモルヒネと麻酔なのだな、癌保険今更入れるかな、
病院代どうなるかなくらいです。

実際にかなりの痛みを感じていてそれすら、
ありのまま受け入れられるのかを聞きたかっただけ。



707 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 01:44:53.92 ID:nLo7fXQ4

先にも書いたように、髪から爪の先まで100%悪!な人生を突っ走っても
その自分に罪悪感を感じているようでは不幸である。
そんな迷える殺戮者に私は「自分自身を変えれば世界は変わる」と伝える。
何の躊躇もなく悪に染まれたとき、彼は至福の世界を生きるだろう。


708 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 01:49:11.01 ID:nLo7fXQ4

>>706
あなたの書き込みは上から読んでいる。
だがあなたは自分でわかっているのに、なにを問おうとしているのか
私はそれがわからない。

痛みは痛みだ。病気は病気だ。単なる出来事だ。
癌の痛みに耐えられなかった覚者、痛みに耐えられないのは肉体であり、
それは細胞たちの話である。

その覚者はあなたであり、私でもあるが、
そんな痛みは覚えてすらいない。どうでもよいことだ。

あなたの家族が病に苦しみとき、あなたは辛いだろう。
だがそれは肉体が苦しんでいるだけであり、ただそれがあるだけだ。

そういうものを超えたところに存在はある。
釈迦も腹痛に苦しんだというが、苦しんでいるのは肉体であり
釈迦そのものではない。なぜなら釈迦の腹痛をあなたはいまも苦しんでいるかい?
それが本当のところなのだよ。


709 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 01:50:31.16 ID:nLo7fXQ4

ひとつヒントを捧げるならば、
ハートを偽らないことだ。それですべては開ける。


710 :名無しさん:2013/09/18(水) 01:52:59.64 ID:bI0in3Ah

ハートを偽らないことだ 痛いの嫌。それだけですが。
元からマネゲ買ったのも、もうしんどいのゴメン。
生まれ変わりがあるなら、それもごめん。

そのシンプルな理由だけで、覚者は後から知ったようなもので、
いまだにそこまでこだわりはもってません。



712 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 01:56:59.82 ID:nLo7fXQ4

>>710
「しんどいのゴメン。」
あなたは自分の人生の何を躊躇っているのか。
やりたいことをやれば良いだろう。

支払いか?家庭か?進路か?
ハートに従いなさい。

少なくともあなたがマネーゲーム本を見つけたとき、
あなたは純粋だったのだろう。そのハートをもう一度浮かび上がらせなさい。

好きなように生きなさい。
それも用意されているものだ。自由意志はない。

だが抵抗すれば苦しいだろう。
それが「秩序」だ。その為にあなたは生まれてきたのだ。


711 :名無しさん:2013/09/18(水) 01:56:49.61 ID:bI0in3Ah

FX証券やデイトレの誘いばかりじゃなく安全に定期預金でお金増やそうよ。
もっとゆっくりしようよの哲学本だとおもってマネーゲームからの脱出。
それに内容も、病気もしんどいし、じゃ脱出したら楽なるわけだなと
プロセス頑張ったって感じ。



713 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 01:58:57.19 ID:nLo7fXQ4

>>711
重なるが、そのあるがままの状態、それがハートだ。
思考で汚してはいけない。見えなくなる。

あなたは「ゆっくり」すればよい。
手段を探すから苦しいのだよ。手段を探そうとせず、ゆっくり生きなさい。


716 :名無しさん:2013/09/18(水) 02:01:19.65 ID:bI0in3Ah

やりたいことをやろうとして失敗やら挫折もしてきたし、
努力も疲れるばかりで実らなかったのでもうお金の作り方も
スロースタイルで生きれるような感じかな。それだけ。

運命がまるで敵のようにタイミングに協力もしてくれなかったら、
それが解消できるんならです。
好きなようにもなにも...。



717 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 02:03:25.72 ID:lOk7Oc78

>>716
手段に溺れるからだ。
手段を求めず、そのようにありなさい。


718 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 02:08:39.40 ID:lOk7Oc78

マネーゲーム本を書店で手に取り、わざわざレジに運び金を支払ったわけだろう。
ネット購入でも同じことだ。「いやいやこういう目的があって‥」など
どうでも良いことだ。

その本を買ったという事実、それに賭けてみた小さな心の動きが
あなたのやりたいことなのだ。多くの人はそれが見えない。
通過点として捉える。目的までの手段として捉える。
だが、それがすべてなのだ。


719 :名無しさん:2013/09/18(水) 02:10:15.28 ID:bI0in3Ah

いや、だからそれが導きといわれるようなもんでしょ。
自我では全く予想外。予想外の展開をもたらす。
おそらく、それが真我ってやつの望みなんでしょ。

だから凡人は真我の胸ぐら掴んでひっぱたいてやりたくなる気になるってことです。



720 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 02:11:59.89 ID:lOk7Oc78

>>719
ふふふ。それでよい。愉快だ。

予想外こそ、あなたである。
考えて見なさい。これまでも、これからも
あなたには予想外しかないのだ。

いずれ予想外は友となる。
そのとき、すべて理解できるだろう。


721 :名無しさん:2013/09/18(水) 02:15:31.14 ID:bI0in3Ah

>>720
その予想外に今まで、勘弁してよ~~と嘆いてきて
やっとある程度予測できるのが脱出かなと思っていたのに
それなら、尚更、真我って奴に腹が立つ。

それに観念からのトラブルだって大人になってからだったらもっと素直に
信じられて悩まなかった。純粋で幸せな子供の時の不幸事連鎖だったからこそ
観念による不幸事が信じきれない。そしたら結局、輪廻に辿りつく。
そういうのも真我のプログラム通りとしたら余りにも酷い。



722 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 02:17:44.62 ID:lOk7Oc78

>>721
だからあなたはいまそこに存在しているのだろう。
なにが不幸なのか。私からすれば幸福に見える。

つまり幸も不幸もないのだ。ただ、生きてきたあなたがそこに在る、
それだけだ。

だがあなたは思考を見ているから問題はなにもない。


723 :名無しさん:2013/09/18(水) 02:26:14.09 ID:bI0in3Ah

とりあえず存在してるからですか?
胸の痛みやなんやは痛いと感じてるけど。
で、いつかそのうち存在してるだけが幸福な事と価値観が変わるという意味ですか



725 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 02:31:19.48 ID:lOk7Oc78

>>723
例えば私は、あなたにレスを返信している。
私は一般的には非常に忙しいと分類される日常を送る者だ。
だがあなたへ返信をしている。

あなたはまず、自分が多くの「個なるものたち」に
生かされていることをもう一度悟るべきだ。

以前、鳥の話をここで書いた。
鳥は風や太陽などすべてを信頼して飛行している。
思考がざわめいて疑惑をもてば、飛行が恐怖でしかなくなるからだ。
鳥たちはすべてへの感謝、受け入れがある。

あなたはそれを度々忘れてしまうだけなので、思い出すだけで良いだろう。
歩いているとき、地面がある。自分の重みがある。
重力がある。

それらがあなたに生を表現してくれているのだ。


733 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 23:49:07.51 ID:lOk7Oc78

すべてを疑いなさい。
地面に立っている。地面ってなんだ?立つってなんなのだ?
だいたいなぜそのような動作をするのだ?
動作ってなんだ? 歩くってなんだ?
なんだ?ってなんだ?

すべての「ごく当たり前のこと」として
日常にかけられている魔法を解きなさい。
あなたの全動作、全感覚、生活で起こるすべて
見えるすべて、思うすべてを疑いなさい。

覚者ってなんだ?釈迦ってなんだ?
結局はそういう設定を与えていただけのことが見えてくる。

「すべてを徹底的に疑う」
以上、これがステップ1だ。


734 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/18(水) 23:59:07.55 ID:lOk7Oc78

諸行無常などといわれるように、すべては移り変わっていく。
つまり変化だ。

なにもなかったところに種が落ちてくる。
種は芽を出し成長する。そして木になる。
木は生い茂るが、いずれ枯れていく。そして土に帰る。
これが変化だ。

人間の成長も、機械の経年劣化もすべて変化だ。
天候も人の心も、流行も、生態分布も歴史もすべて変化だ。

あなたが外を歩くとき、風景の中を歩いているのではない。
あなたを基準として、視界が変化を起こしているのだ。
空間に生まれた波長、それが音だ。生まれ消えていく。

あなたは「変化」の中にある。
すべては変化なのだよ。これが世界の秘密だ。


あるひとつの意識が、自らを知る為に
その「主体」となるものを生んだ。
例えば美しさを知りたくて、美しいものを生んだのだ。

単にそれを生みだすだけでは、自らそれを知ることはできない。
だから「あなた」が生まれた。
つまりすべて、なにもかも、あるひとつの意識から生まれた変化なのだよ。

あなたの生活の瞬間を切り取ってみても
様々な変化の連続だろう。まるで光の中を歩んでいるかのように。

「変化、ただそれだけがあるだけだ。」

以上、これがステップ2だ。


735 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/19(木) 00:00:51.88 ID:vS1U3ehb

この2つを深く理解できれば、あなたを最高の人生に導くだろう。


2020年11月22日日曜日

自分さん34 ワンネスが前提にあり、体感できているすべては変化によるものだ

621 :名無しさん:2013/09/15(日) 14:26:54.18 ID:I7X7Rzc1
あのさあ。
「自分」は自分自身がマインドで知識として理解しているだけだから、
他人にも「理解しなさい」とか「気づきなさい」とか言うけど、
実際の覚者はそういうもんじゃないから。

彼らは状態が真我なの。
その状態ではマインドや身体は道具でしかないわけ。
だから彼らは「理解しなさい」なんて言わないよ。
マインドでの知識として理解しても何にもならないから。
その状態に近づく為に「瞑想しなさい」と言うだけ。



627 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 22:03:40.00 ID:4EEyM/yd

>>621
ふふふ。それでよろしい。
あなたも結局人生のすべてが「瞑想」だったことがわかるときがくる。
それに気付くかどうかは、あなたの観念の崩し具合による。
基本的に間違った観念でスタートするから、どこかで気付かなければならない。
だからあなたも気付きなさい。


623 :名無しさん:2013/09/15(日) 15:31:50.84 ID:y7s55aGg

620の言ってる事はよくわかる
自分は今から出掛けるって自分で自分の体動かしてるよね。
自分では指も動かせないってのは何かの例えかい?
レスしてるのは誰?

>理解出来ない責任を周りに押しつけ被害者面し、

こういう事話して周りは理解してくれる人ばかりですか?

マネーゲームから脱出しようと理解したいとは思ってるよ。
お金の使い道に困る程稼いでた事もあった。

毎月200万位手取りがあると物欲もなくなってくるのもわかった。
無いから欲しがるんだよね。
今は無いから欲しいやw



627 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 22:03:40.00 ID:4EEyM/yd

>>623
いくつか答えられるところを返しておこう。
まず、出かけているのは私だが、実際は私ではない。

これはまさにその通りだが、たぶんあなたにはまだ理解できないだろう。
私の書き込みにあなたは反応しているのだ。

私の書き込みがなければその「反応」をする出来事はない。
そしてあなたは私に対して思考に浮かんだものを文章として書く訳だが
その思考が浮かんだ原因は、私の書き込みである。

つまり、あなたは「私がいつ現れ、どんな内容の書き込みをするのか」
見当もつかないのだ。その見当もつかない事柄に対し、あなたは反応している。

そこで浮かぶ思考、それは一体なにだ?
あなたの思考すらも私は手中に収めている。
なぜならばあなたは私の反応でしかないからだ。
つまり私とは、あなたなのだよ。

これは生活すべてに言えることだ。我々は「反応」でしかない。
風が肌に当たれば「風が吹いている」と感じ
風景を見れば「風景が見える」と感じる。
つまり、主体は自分の肉体以外にあるのだ。

その主体を経験する為に、肉体がある。これが>>601で書いた話だ。
この世のすべての元はひとつだ。ダイヤモンドは自らの輝きを知ることはできない。
だから分離した視点が必要なのだよ。

さらに言えば肉体の動き思考の浮かびも
我々がそれが「起こった」ことを「後で知る」しかない。
観照するしかないのだ。大まかに言えば、
観照以外の選択はすべて「苦」となる。


629 :名無しさん:2013/09/15(日) 23:17:01.13 ID:I7X7Rzc1

だから気付くのはマインドなんだってw
マインドは超えなきゃならないんだよ。
マインドにこだわる限り普通の人と変わらない。



630 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 23:37:05.43 ID:4EEyM/yd

>>629
あなたがそう思うのならばそうなのだろう。
だがあなたが必死に提唱するマインドというものなど、そもそもないのだがね。
方便としてエゴや自我、マインドなどと説明されるが
そんなことどうでも良いものなのだよ。

そういった方面に気付きなさい。
そして常に進化し続けなさい。


631 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 23:43:38.43 ID:4EEyM/yd

ちょうど良い。
「方便」を検索してみなさい。wikiに良い解説がある。
覚者と言われる存在たち、スピリチュアルと呼ばれる書物、
それらが伝えている内容、すべては方便である。月を指差す指である。


632 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/16(月) 00:13:35.16 ID:bQwNUEmI

仏教の最初の分裂になるのかな、大乗と小乗だ。
本来の釈迦の教えは、何も目指す必要もない、何も変える必要もない、
ただあなたが生きて、そこにいることが素晴らしいことなのだよ、
そういう内容だ。

だが多くの人は「なぜ食べ物がないのだ」「なぜ苦しむのだ」と
釈迦の教えを理解できない。しかし「学べば釈迦の言う、幸せの境地に行けるのだ」
と勘違いをしだす。仏教が「目的」となってしまったのだ。
これが大乗と小乗の分裂である。

我々はスピリチュアルを学ぼうとする。そもそもそれが間違っている。
だから、本来のあるべき状態に気付きなさい、そのように言われる。
だが「なんで苦しいのか」が多くの人が抜けきれない。

じゃあそのための手段として瞑想という技法を提案される。
方便も技法も、単に、ただ単純に「生きていることが素晴らしい」に気付くためのものだ。

悲しみも苦しみも、あなたがそこにいるから経験できることなのだ。
釈迦は修行をやめたのだ。それに気付いたからだ。
得られるものではない。最初から得ているのだからね。


633 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/16(月) 00:14:55.86 ID:0vd+i08r

この世界は優しさしかないのだよ。


634 :名無しさん:2013/09/16(月) 00:16:42.80 ID:4AHYymbB

あのさ、マインドがなければ君の言う「気付きなさい」や
「理解しなさい」も「進化し続けなさい」も全て無意味だよw
それらもマインドの仕事だからね。
自分の言ってる事がわかっていないのだろうか?



636 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/16(月) 00:40:43.89 ID:0vd+i08r

>>634
よろしい。その通りなのだろう。
そろそろ眠ることにするよ。今日もありがとう。おやすみなさい。


642 :名無しさん:2013/09/16(月) 09:51:28.21 ID:4AHYymbB

「生きている事が素晴らしい」も
「気付く」も「真意」も全てマインドのものだ。
マインドを超えなければ真我には届かない。

真理を知識としてしか理解していない人は、マインドのレベルと
真我のレベルを混同しているからわかりやすいねw



643 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/16(月) 10:04:49.38 ID:0vd+i08r

ふふふ。
まず前提として私は実体がないことを認識し受け入れなさい。
ただ私の文脈が漂っているだけだ。私に「人格」を与えているのはあなたである。
たまたま前を通った車のナンバープレートの数字程度のものだ。

そしてそれに「意味付け」をしているのは、あなたであるということ知りなさい。
本来意味はない。すべてに意味などないのだ。
だがすべてに意味がなくなったことを知ったとき、すべてがひとつとなる。

矛盾もない、マインドもない。矛盾やマインドと枠を与えているのは
非常に個人的な範疇であり、これは生死の境界と似ている。

我々はいつ産まれたのだろうか?
声をあげて母胎から出てきたときか?
受精したときか?それとも男性の精液の時点からか?
いくらでも遡れる。

つまり始まりもなければ終わりもない。
植物の繁栄のように肉体ですらそもそも永遠の中にあるのだ。
だが「言葉」で認識するゆえに、我々は永遠を破壊する。

宇宙から見れば地球の朝や夜などなく、
自らが起点であること一度知れば、時間など存在していないことを理解する。

正しいも誤りもないのだ。
ただ単にナンバープレートの文字列がそこにあるだけだ。
もちろんこの書き込みだけではない。
キーボードを打つ指先の感触、目の前のPCディスプレイ、
それらをも意味付けを後付けしている。「認識」だ。

では、あなたの人生で一体どういう苦しみを、
あなたはわざわざ作り出しているのだろう?


644 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/16(月) 10:10:46.35 ID:0vd+i08r

この手の話は、聞き手によって様々に変化する。
当然である。そういう性質で世界は成り立っているからである。
釈迦の教えに理解できない人も半数。

なんでそんな簡単なことが理解できないのか、そういう人も半数。
つまり釈迦の教えなどなく、それをどう解釈したか、
それがあるだけである。つまり無限だ。

多くの人は確固たる「宝」があると考え
それを目指して「真理」を求めるだろう。

だが一連の私の書き込みのように、
確固たる実体のないものが「それ」だ。
だから求める人は、不安を覚えるのだ。

求めれば求めるほど、苦しむだろう。なぜならそんなものないからだ。
だがそういう"システム"に理解をするために「教え」がある。
それはあくまで道しるべであり、決して真理ではない。
最初からそこにあり、ごく当たり前のものだ。


645 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/16(月) 10:16:33.26 ID:0vd+i08r

そういう"システム"に気付くために、
自我や執着を捨てるだの、瞑想だの、三昧だの、
思考を停止させる手段を提案される。
当然それらは「目的地」ではない。
目的地などないからだ。

以前も書いたがラジニーシの教えを借りるならば
常に予測不能でありなさい。常に死に続けなさい。

クリシュナの教えを借りるならば
常に知らないという状態でありなさい。

それが燃え上がるような「生」を浮き上がらせる。
燃え上がるような、強烈な「生」の感覚。
それは本当に素晴らしい。


676 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:00:25.75 ID:QKovjQfN

いつも書いていることだが
青は、青以外の色があるから青が存在できる。
この世界が青一色ならば、色という概念すらない。

だが机も人も、怒りも、温度も、すべて「青」と同様に
その存在を与え認識するならば、それ以外への認識が必要なのだ。
だがこれはよくある「二元論」ではない。ここを間違えていけない。
高いと低い。

一体どこまでが高く、どこまで低いのだ?
暑いと寒い。一体どこまで暑く、どこまで寒いのだ。
このように、それを捉える意識によりいくらでも
変幻自在な物事に対し、別に視点が必要なのである。
金持ちと貧乏も同じだ。

つまり、そんなものないのだよ。
それが「高い・低い」を超越した視点だ。
高くもあり低くもある、だがどちらでもない。

願望系と言われる追求派グループは、
当然ながら何も得ることはできない。

世界は永遠であり、願望系の場合は追い求める状態が永遠だからだ。
どこまで西へ進んでも「西」が続き、だが同時に東にも進んでいることに
気がついたとき、すべての概念は崩壊し、超越する。


677 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:03:25.31 ID:QKovjQfN

「高い・低い」や「男・女」「昼・夜」などは二元性ではない。
ある性質の「変化」なのだ。

ワンネスが前提にあり、この体感できているすべては
変化によるものだ。だから境界がない。
だから移ろいやすく、だから生まれ消えていく。
すべては「変化」の賜物である。


678 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:11:08.72 ID:QKovjQfN

マネーゲームから脱出すれば、当然のことに気付く。
「脱出」とはロバートの方便だが、まあ脱出といえば確かにそうなのだろう。
お金とは何なのかと考える以前に、その実感を忘れてしまう。

収入や支出という区別もなくなりただお金という「感覚」が
波のように押しては引くだけだ。

それは得るも失うでもなく、単に流れているだけになる。
眺めているだけだったということを知ることにある。
金銭もそれ以外も何もかも。


679 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:18:39.14 ID:QKovjQfN

動きとは変化である。
つまり収入・支出とは、そのように概念として区切っているだけであり
因果関係はない。レジで支払うことと、商品を手にすることはまったく別のものだ。

あなたが部屋の中で周囲を見渡すことも、視界の動きがあるわけではなく
視界と思い込んでいるそれが変化しているだけだ。

幼児の頃の写真を見なさい。いまとまったく違うだろう。
どこで幼児と少年、青年、大人という線引きができるのか。

それは高い・低いと同じように、境界は不可能である。
ただその写真を自らと証明できるのは「記憶」だけである。
記憶が世界だ。

記憶が時間という曖昧な概念を作り出している。
そして肉体外面という無意味なカタチを超越したときに気付くことがある。

唯一、幼児の頃と今と変わらないもの、それは「見ていること」だ。
視力のさらに内側から、幼児でも大人でも関係もなく、
ただ見ているのは一体誰か?


680 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:22:54.11 ID:QKovjQfN

その見ているものが、意識だ。
それはいつも変わらない。
先日も書いたが、生も死も、高い・低いと同様に線引きはない。
つまり生まれてもないし死んでもいない我々はずっと見てきたのだよ。

死はかならず他者である。
あなたの世界にいる人や動物だ。
あなたに死はない。

意識はあなたの肉体の中にあるのではない。
あなたが感じ取る空間全体こそが意識だ。
意識が変化を生みだし、それを見ている。
ダイヤモンドが自らの輝きを知るために
自らを見るように。


681 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:32:28.48 ID:QKovjQfN

自らを知るために変化を生む。それが意識の性質だ。
二元的でも相対性でもない。それらは方便だ。

可愛い子も不細工な子も変化だが、
それを認識する思考ですら変化である。
すべては変化だ。これを覚えておきなさい。

レジで支払うとき、財布から金が消える、釣り銭をもらう、
それらに何の関係性もない。それぞれが独立した変化なのだ。

去年までは興味のなかったサッカーに今興味がある、それも変化だ。
この書き込みをしているとき、文字がどんどん打ち込まれているのも変化だ。
変化は動きを錯覚させる。時間とよばれる概念を生みだす。
だがそれらは錯覚だ。つねに今があるだけである。
今に対して、様々な変化が流れるように起こっているだけである。


682 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:40:31.55 ID:QKovjQfN

変化をコントロールすることはできない。
ただ眺めるだけなのだ。浮かぶ思考も感情も、
ある「それ」が変化作用しているに過ぎない。内容などないのだ。

それをあたかも内容があるように我々は苦しむだろう。
その苦しみは変化が生んでいるように見える「動作」にまつわる錯覚だ。

あるのは見ること。つまり目撃だけだ。
何の為にあなたは存在しているのか。
目撃である。それ以外にない。

指の動きから思考や感情の出現、お金や人の流れを眺めているのだ。
生も死もない。永遠に目撃しているのだ。

前世も今の家族や友達と別の関係があった、などと
よく言われるが、元は一つだから当たり前だ。

前世という区切りすらない。
人間とプラスティックのコップの違いすらもない。
すべては意識が生みだし続けている変化であり、
それを目撃しているだけなのだ。


683 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:46:47.46 ID:QKovjQfN

この幻の世界で、相田みつをのように「それ」を伝えるのか。
それともクリシュナムルティのように「それ」を伝えるのか。
受け取り方は大きく違うだろう。

だが同じことを言っている。
違うように感じるのはあなたの状態だ。

状態とは変化の状態のことだ。
あなたが「求める人」ならば、得ることのできない泡のような
「それ」に聞こえるだろうし、あなたが「求めない人」ならば、
この話などどうでも良いはずだ。

だが、本来のあなたは同じものだ。
我々が他人と見なしているものは、変化したそれの状態の他ならない。
バリエーションに富んだ、この無限の可能性に満ちた世界を楽しみなさい。


2020年11月15日日曜日

たくさん重さを捨てると、波動が軽やかになり スピリットに近くなる= 悟りに近くなる

654 :名無しさん:2013/09/16(月) 13:40:08.11 ID:UTQS9Tdd

結局プロセス続けてればどんな出来事にも感謝出来て、
本来の自分とやらは顔を出してくれるの?
この世は幻想だと思い込むのが先な訳?
それとも自然と幻想だったと解るようになる訳?


655 :名無しさん:2013/09/16(月) 19:40:14.22 ID:FdarA4L8

角材でぶたれたような事が起こるって本には書いてたね。
思い込もうとしても多分無理。現実はそんな都合よく
動いてくれないから思い込みにすぐ気付かせる。

角材にぶたれたような経験あっても、頭の病気を疑うから神仏
(それまで信じてなくても)のような核たるものがなければ険しい。
著者は他人から見て不幸という出来事は続いてるようだが、
真我には出会えたらしい。


657 :名無しさん:2013/09/16(月) 20:32:49.37 ID:UTQS9Tdd

>>655
でもプロセスって幻想だと洗脳していくような感じだよね?
もし第二段階に進んだ人が見てたらどんな経験だか教えて欲しい。
自分には何度本読んでプロセスしても全く感覚がわからない。



659 :名無しさん:2013/09/16(月) 21:02:00.99 ID:Uzlx3plw

>でもプロセスって幻想だと洗脳していくような感じだよね?

逆。
現実だと信じ込まされていたことこそ、洗脳だもの。


660 :名無しさん:2013/09/16(月) 21:54:15.92 ID:gsOrt8Xm

わざと離人症になろうとする訓練みたいだなーとは
本を読みながら思った。


661 :名無しさん:2013/09/16(月) 22:02:05.50 ID:FdarA4L8

逆に幻想ほど奇抜でなくとも、洗脳の方がいいかもね。
自分は頭が良くなった。美人になった程度で。



662 :名無しさん:2013/09/16(月) 22:37:31.27 ID:Uzlx3plw

肉体もマインドも自分ではない、って境地だから、確かに離人症的かもね。


663 :名無しさん:2013/09/16(月) 22:52:42.36 ID:Uzlx3plw

「今」にいろんなものが映るだけだよ。
肉体、マインド、感覚、過去、未来 自他分離の幻想のすべて。
ただそれが続くだけ。

すべてありのままで満たされているし、等価だし、本来ひとつのもの。
でも、文章で書くと、たしかにマインドの理解になっちゃうね。


664 :名無しさん:2013/09/16(月) 22:59:45.11 ID:FdarA4L8

満たされてるってのは救いだな。

ただ若い人にはキツイなとも思う。
恋愛という幻想から目覚めるのは生半可じゃないし…。
途中、後悔もあるだろう。


665 :名無しさん:2013/09/16(月) 23:01:12.77 ID:UTQS9Tdd

>>663
プロセスやってたらそういう視点になったの?



666 :名無しさん:2013/09/16(月) 23:14:09.12 ID:Uzlx3plw

プロセスも、したよ。
やはり一時的に不安定な時期をすごした。

いまは幸せだよ。
精神的にもいわゆる物理的にも。
自分さんみたいに完全に達観してはないけどね。

マネゲは、願望実現とリリースメソッドと不二一元論がどっちつかずに混じってる。
それが良いところでもあるし、やはり混乱させるよね、すこし。


667 :名無しさん:2013/09/16(月) 23:19:26.12 ID:FdarA4L8

一時的に不安定な時期、どれぐらいで抜けれました?
で、やっぱりピン、ピンやってきます?


668 :名無しさん:2013/09/16(月) 23:29:30.41 ID:Uzlx3plw

マネゲのプロセスの経験として、

第一段階で、
きちんと自己肯定、他者肯定ができない人が
「これは幻想だ」とやると、虚無感になりがちで不安定になるかも。

とくに願望実現系を通ってる人。
意識的にポジティブになろうとして、保っていた環境が崩れるからね。

幻想に力を加えない、解釈しない、=
無意識にネガティブになる場合が多い。


669 :名無しさん:2013/09/16(月) 23:38:28.26 ID:FdarA4L8

>とくに願望実現系を通ってる人

ああ...これだわ。別に願望実現系の本とか興味なくとも
根性、根性とか普段前向きになろうとしてるのも一緒ですよね。



670 :名無しさん:2013/09/16(月) 23:38:45.24 ID:Uzlx3plw

一年半くらいかな
結局はラメッシとかラマナマハルシ、ニサルガダッタマハラジなんかに救われた。

すべてはひとつである。
起こることはすべて神の意思である。
人間には自由意思がない。
分離された個別の行為者は存在しない。


~このあたりを受け入れることができた。
たぶん自分さんもだけど、不二一元論を言っているに過ぎないんだよ。


671 :名無しさん:2013/09/16(月) 23:44:00.62 ID:Uzlx3plw

>>669
でもあきらめないで。もうすぐかもよ。
あなたが楽しく解釈したいなら、ぜひそうして欲しい。
終わってみればたいした違いはないから。
幻想だと気がつきながら、楽しくゲームして欲しいな。


672 :名無しさん:2013/09/16(月) 23:44:14.29 ID:FdarA4L8

>>670
ありがとう。1年半お疲れ様でした。よう耐えたな...。
やっぱラメッシ、マハルシあたりと神なのか…。
自分はマネゲで第2段階の角材みたいな経験で、一時的によくて
上がったり下がったりを2年近くです。最近はドーン。



673 :名無しさん:2013/09/17(火) 00:03:34.21 ID:7/3UTa9t

私が環境的にも精神的にも楽になったメソッドを紹介するね。

あなたに特定の信仰はなくていいから、すべてを創っている存在
「あなたの世界の人、ものの全て、もちろんあなたの肉体も精神も、とにかくすべて」
を想定して、

無心に祈る
委ねる
愛する
感謝する


わたしという幻想も含め、全てはそれに、在る。
ことを知る。

恍惚とするまでやるといいよw

~私はあまりにつらくてこういったことをしていた。
正気じゃなかったと思う。

でも、気付けたのはこの瞬間だった。
あくまでも私の場合だけど。


674 :名無しさん:2013/09/17(火) 00:08:26.15 ID:bd6MWw/2

>>573
ありがとう。メモ帳保存した。
耐え抜いた貴方を尊敬します。おやすみなさい。


686 :名無しさん:2013/09/17(火) 08:25:31.59 ID:ViNo7NL0

>>673
教えてくれてありがとう!



693 :名無しさん:2013/09/17(火) 12:56:49.49 ID:7/3UTa9t

673だけど、いま昼休み中!
あのね、私の中では、私の言ってるのと自分さんが言っていることは同じだよ。

知恵も深まれば、帰依に行き着くし、
帰依もいずれ知恵に行き着く。

この限定された幻想を、すべてに明け渡す、てことだから。

帰依する注意点は、最低限きちんとした理解のもと、
また帰依する対象を間違いないこと じゃないと
「危険な宗教みたいになっちゃう」

でも、この本を読んだ人なら
「すべてを創造しているすべて」をイメージしやすいんじゃないかな。
すべて、というのはもちろん、あなたの肉体も、マインドも、
好きな人も嫌いな人も、認識できるすべてだよ。

それに対して、敬虔な気持ちで祈る、
胸の前で手を会わせたり組んだりしてもいいと思う。

恋人を愛するような気持ちでも、
子を愛する親のような気持ちでもいい、深く深くね。
私たちは「すべて」を愛することができるから、
限定された幻想の個を愛せるのだと思います。



694 :名無しさん:2013/09/17(火) 17:52:23.34 ID:7/3UTa9t

聖人は必ずしも人格者ではないよ。
真我実現のあとも、肉体、マインドの癖は続くかもだけど、
それに対して同一化しないから少なくとも葛藤はないだろうね。
巻き込まれない、というか。

ラマナマハルシなんかも喫煙の習慣は残ったしね。
他にも、怒ったと思ったら、次の瞬間、大笑いしたりね。

彼らにとっては真我がすべてだから、肉体の痛みもマインドの怒りも、
窓の外で鳥が鳴くのも変わらないんだと思うな。
ただただ観照され、消える。

ラーマクリシュナの自伝なんか読むとわかるけど、西洋医学の臨床からの分析でいえば、
カテゴリーとしては、それは病気に分類されてしまうでしょう。

社会生活を送る上でエゴが正常に機能して健全、という物差しに、
エゴがない人を当て嵌めるんだもんね、仕方ないよ。

もちろん悟った人は、明確に精神疾患とは違いますけどね。

しかしご存じのとおり、
修行の段階でおかしくなる人がいるのも事実です。

~あなたは、これをおそれているんでしょうね。


695 :名無しさん:2013/09/17(火) 18:03:44.15 ID:bd6MWw/2

>>694
ありがとうございます。
はい。修行の段階でおかしくなる人をおそれているのも確かです。

だけど本当に恐れているのは、正直にいってしまいますね。
身内は癌で苦しみました。私も経度で済みましたが癌の判定を受けたことがあります。

そして未来は予測できなくとも自由意思はない。
覚者でさえ癌の苦しみは避けられなかった。
今に在れない弱さですが、もしも人生を選べなく最初から決まっているのなら...。

父のように癌で苦しみ経済的にも精神的にも肉体的にも家族が負担かかる将来が怖いのです。
又、自分も父のようになるのも怖い。腎臓癌でした。

小学生の時、はじめは私のピアノの進行状況を手紙でくれていて元気だったのですが、
末期は頭にボコボコと腫瘍が現れて、母は父に私を会わせてくれなくなりました。
自ら命を絶つと書けば、自殺を、ほのめかしているようで気を使って言えなかったのですが、
もし未来がそうであり選択できないなら今のうちの方が救いではなかろうかと...。
一番、心につかえる部分はここです。



696 :名無しさん:2013/09/17(火) 18:27:40.08 ID:7/3UTa9t

思うに、私があなたの文面を拝見する限り、
知識でそれらを乗り超えるのは今は難しいでしょう。
今は考えても、どこまでも矛盾した概念は矛盾したままでしょう。

さて、

あなたは癌になる!

と言われたときの恐怖、そのフィーリングはどんなでしょうか。
ただただ感じてください。(酷なことを言っているでしょうが ごめんなさい

おそらく胸をえぐられるようなフィーリングがありますよね。


697 :名無しさん:2013/09/17(火) 18:36:52.14 ID:7/3UTa9t

癌への恐怖が、
そのフィーリングを造っているわけではなく、

逆です。

その重い重いフィーリングが、
たとえば癌への恐怖という幻想、を造っているのです。

あなた、これは受け入れて頂けますか?
恐怖する、ということはそのフィーリングにパワーを与えること、
これはわかりますよね。

プロセスの基礎ですが、
ただただそのフィーリングを感じてください。

解釈せずに、とてもとても辛いでしょうが
(私も別の恐怖があったのでわかります


698 :名無しさん:2013/09/17(火) 18:43:03.72 ID:7/3UTa9t

解釈せずにただただフィーリングを感じ続ければ、
そのフィーリングはいずれ弱まります。

すると必ず外的か内的に変化が起きるでしょう。


699 :名無しさん:2013/09/17(火) 19:31:28.70 ID:7/3UTa9t

これで最後、しつこいようですが、
物語があなたのフィーリングを作る訳ではなく、
あなたのもともと持っていたフィーリングが、
それにあった物語をこさえる。


あなたは物語を信じてしまうことで重いフィーリングを
より強化し、物語もいよいよ現実的になる。

あなたが探究者だとして、あえていいますが、
いつ、これをやめるのですか?

~まず、これを受け入れることができるかどうかが分岐点です。

受け入れることができたら、解釈せずにただただ感じること。
怖くありません、ただのフィーリングです、エネルギーです。

プロセスみたいなリリースメソッドを上手く続ければ、
いつかすべての幻想に気がつきますよ。

ちょっと別方面から語ってスレ違いだけれど、
オカルトだと思って聞いてください。

人が輪廻している原因、執着の重い重いエネルギー、
この惑星の地場に縛り付けるエネルギーがこれです。

カルマのエネルギー的解釈

たくさん重さを捨てると、波動が軽やかになってスピリットに近くなる= 悟りに近くなる。

まあでも別次元でいえば、これも幻想ですけどね

最後に、あなたの悩み、苦しみがなくなるよう私は祈っています。
すべてにおいて無理はしないでくださいね。
そのうち絶対に上手くいきますから。

それから、なんか上から目線のレスになっていたらごめんなさいね。


2020年11月8日日曜日

自分さん33 何かを得たいとするならば、それを諦めることだ。そうすればすでに手にしている。

560 :名無しさん:2013/09/13(金) 17:22:16.61 ID:xkpwr2yF

スピリチュアルなんて元から関心ありません。
この本自体、スピリチュアルとも思ってなかったのですから。
実際、スピリチュアル系の本は一冊もありません。
病院で勧められたアドラーの心理学とか心理学系の本ならありますが。
こういうのが好きでないのは子供の時からです。



564 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 22:14:09.20 ID:1lkBCI55

スピリチュアルとはなにか。
そんなものはない。
つまり暮らしもなければお金も存在しない。
我々が概念として作り上げた単なる設定要素である。

人間の姿ですら、わかりやすく言えば
勝手に思い込んでいる形状であり実際はその通りではない。
社会のルールといわれるものも、そのように思い込んでいるだけである。

あなたが破天荒な銀行荒らしならば、
刑法なんてどうでもよいものだ。
つまりすべては相対的な位置関係にある。
だが「相対」ですら、思い込みの概念である。

ただそれらが在るだけだ。これに尽きる。
あなたの見ている世界が殺伐としているならば
それはあなたがそのように見ているだけなのだ。


565 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 22:20:47.78 ID:1lkBCI55

珍しくメソッド的なものを伝えようか。

あなたが何かを得たいとするならば,、それを諦めることだ。
そうすればすでに手にしている状態になる。


お金が欲しければ諦めなさい。
すればお金を得すぎて"どうでも良い境地"と同じ場所に立てるだろう。
恋人が欲しければ諦めなさい。
すれば恋人が"いるから欲しない"と同じ場所に立てるだろう。

我々の生きている世界とはシンプルなのである。

想像力だけで幸福感を生み出せる。
それは、実際に幸福らしき出来事と出会ったときに
湧いて出るものと、まったく同じものである。


566 :名無しさん:2013/09/13(金) 22:24:27.13 ID:nZ6bVqi6

>>564
でも、諦めるフリじゃだめなんでしょ?



567 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 22:28:54.45 ID:1lkBCI55

>>566
完全に諦めなさい。
つまりあなたにとってそれが「どうでも良い」という感覚になればよい。

すべては逆説的なのだよ。
求めるからいつまでたっても得られない。



568 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 22:31:11.88 ID:1lkBCI55

「得る」というのは心の感覚である。
例えば、車を実際に購入し契約して「得た」とする人もおれば
通勤途中に見かける「あのかっこいい車!」で満足する人もいる。

後者は自らの世界にそれがあることに「得た」を知るのだ。
そしていずれ気付くだろう。
世界そのものが、自分だけの箱庭だったということに。


569 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 22:36:16.10 ID:1lkBCI55

最後にもうひとつ。
我々が日頃抱く「願い」や「思考」、そして「行動」すらも
ある秩序に従って湧き出ている。

日本でも海外でもよいか、歴史年表を見なさい。
日本ならば縄文時代から現在まで記されている。
トータルとして観たとき、秩序を覚えるだろう。

だが歴史の、さらに個別の地域の個別の一日の、
さらに個別の個人レベルではその秩序は理解できない。
これが宇宙的な視点だ。

その証明は「現在」である。
現在はそれらの秩序の答えであり、そして単なる通過点だ。
我々の日々の出来事もすべて大きな秩序のための単なるイベントなのである。

苦しむ必要はない。


570 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 22:43:45.10 ID:1lkBCI55

これを読んでいるすべての人へ伝えるが
あなたは太古から存在している意識だ。

すべての歴史を見てきた。
歴史、つまりそのドラマを感じるために
ひとつの意識は個別に分離し、自ら生み出した「出来事」を体験してきた。

なぜそんなことをする必要があるのか。
いや、そのような捉え方ですら意識の生み出した策略なのだろう。
つまり我々の理解できる次元では何もわからないのだ。
ただ感覚だけがある。

ならばそのことを知識として理解した上で
日々起こる出来事を楽しもうではないか。
何があっても守られているのだよ。


573 :名無しさん:2013/09/14(土) 00:26:33.21 ID:iAY58JnF

「自分」の話は知識としての真理だから実現不可能だよ。
マインドは本質的に不安定なものだから。
知識や観念なんてそれこそコロコロ入れ替わるし、体調などの環境によって大きく左右される。
マインドの奴隷である限り、平穏を得てもそれは一時的なものでしかない。


588 :名無しさん:2013/09/14(土) 21:38:49.55 ID:g9Ye3rqA

社会ルール、法律だけがストッパーなら
幼い子供は平気で我が通らなかったら人殺ししてる。



589 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 00:02:18.98 ID:4EEyM/yd

>g9Ye3rqA
ふふふ。普段は眺めているだけだが伝えておこうか。
私は>>573氏のレスの通り、言葉で文章を伝える時点で知識を伝えるしかできない。
だから私の言葉を超えなさいと書いた。
だがあなたはその意味すら理解できないだろう。

これはあなたが苦しんでるという前提で伝えることだから
(なぜなら対面して話しているわけじゃないから)
それを踏まえた上で受け取りなさい。

まず、あなたが制限と感じている世界はあなたが生んでいるものだ。
その答えはあなたの書き込みに現れている。

あえて例えて書くが、体は食べ物で出来ている。
単なる肉だ。肉体がそこにあるだけだ。

「今に在る」ことが日常化してくると、様々な視点で「世界」を観ることができる。
肉体視点や、世界視点など、言葉で表現できるのはその程度だが限界はない。
で、今に在るときに「肉体視点」でそれを観たとき、
私は自分の肉体を、単なる肉の塊と感じる。

どう表現した良いか‥
ゾンビというか、狼男が満月の日に獣になったというか、
ただ、野性的な肉体が勝手に動いている、そして臭いもきつく感じる。
(これは主観イメージだろう)つまり自分と思っているものは、単なる獣なのだろう。

だがこれはあくまで肉体に視点を置いた場合の話だ。いずれ意味はわかる。
そして、あなたに起こる出来事のすべて(聞こえる音や視界、感じる肌の感触、
その都度思う思考など)そちらに視点を置けば、途端に「自分」と思っていたものが消える。

つまりゼロになる。

理屈で言えば、体験こそが自分であり、それを知るためにあなたは生まれてきたのだ。
だから、出来事があり、それを経験する自分があり、プラマイ=ゼロという感覚が訪れる。

以前のレスで書いたが、視界だけを「それを見ている自分」と「自分に見られているそれ」を
同時に察知すれば「見ること」だけが残る。これは簡単な理解だろう。

だが、同時に起こっているすべてをそのように捉えれば、
自分が消えるということがわかるはずだ。


590 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 00:07:28.38 ID:4EEyM/yd

つまり、あなたはそもそも存在していない。その「体験」があるだけなのだ。
これは般若心経の通り、経験をする為にそれが在る、
だが経験の元は存在しないに通ずる。

現代的に言えば、あなたの見ている世界は
あなたが体験したいことがそこに在るだけなのだよ。
つまり、スピリチュアルも私の書き込みも、あなたの上司も
あなたの見えている社会も、そんなものはない。

言い換えれば、私の見ている世界では明らかに
あなたの社会は存在していない。ということだ。

あなたが幸せになりたければ、まず「今に在りなさい」。
今に在ることが大前提だ。あなたはそれを理解していないか、
誤った理解でそれを知っているから、不満なのだ、不安なのだ。
もしくは、理解できないのだ。

今に在れば、すべてが楽しい。そして嬉しい。そして悲しい。
だがそれが何だというのか。
ハズレも当たりなのだよ。
この意味が伝わるかどうかわからないが、
あなたの経験することは、すべて素晴らしいことなのだ。


591 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 00:11:31.12 ID:4EEyM/yd

やりたければ銀行強盗でもすればよい。
そして捕まるにしろ、逃げ回るにしろ、どうでも良いことだ。
あなたが「生きている」という実感をできることが、
生まれてきた理由なのだからね。

あなたが中東の紛争に意識を向ければそれがあなたの人生だ。
だが「遠くでそういう出来事ある」程度の話であればその程度の話だ。

あなたにとって、人生は真剣に捉えない方が良いだろう。
「考える」ということ自体が実在しないものなのだから。


592 :名無しさん:2013/09/15(日) 00:53:41.12 ID:hO5ERjGo

>>589
私の言葉を超えなさい。

勘違いかもしれないけど、なんとなくは解りますよ。
何故なら貴方は御自身のことを「流れ」と仰った。
だから私も流れに乗りました。貴方のRESがあり私のRESが生まれる。

私の中にあるものを貴方が引き出した。
別に同調することだけが流れに乗るということでもないでしょう。

自分さんほど達観できたら解らないけど、そこまでは普通の人はなかなかなれないですよね。
真実を視るには陳腐で、つまらない質問だけど、
そして肉体は幻想と自覚できたとして、お腹すきませんか?
制限はないと思って空を飛べますか?

イマジネーションの中では自由でしょう。
また、よい知恵がふってわいてくるかもしれない。
しかし5感として感じられるものを無いと言われましても...。

6感的なもので、その状況、その状況で
人の意見もころころ変わるし、姿もころっと変わるから、
思い込んでるものって本当か??と疑う時はあるけれど、
実感できないのに無いですと言われても…。

真我レベルでは私の経験することは全て素晴らしいかもしれなけれど...
マゾにはなれないし、真我の胸ぐら掴んでやりたい気になりますけど…。

ちなみに自分さんの世界と私の世界は干渉しあえないかもしれないけど
自分さんのとこにもモモクロもAKBもいるでしょ?



598 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 08:53:20.22 ID:4EEyM/yd

>>592
おはよう。今日は用事が多いのでそちらを楽しんでくるよ。

さて >>お腹すきませんか?

もちろん。
だがお腹がすくのは、肉体だ。あなたではない。

>> 空を飛べますか?

もちろん。飛行機に乗ればよい。
その時空を飛んでいるのはあなたではない。肉体だ。

簡単なテストで、あなたが肉体ではないことがわかる。

息を止めてみなさい。
苦しんでいるのは肉体であり、あなたはそれを見ているだけだ。
肉体とは60兆の細胞のことだ。さらに言えば、肉体は死んでも髪や爪は伸びる。
音も聞こえている。

誰かがそこで死んでいるとき、音は聞いているのだ。反応はできない。
だが「誰が聞いているのか」。
つまり細胞それらも我々の認識する「死」というポイントは曖昧なのだよ。

単に「肉体」という、あなたとは全く関係のない物体が
あなたの人生と思い込んでいる中心に存在しているだけであり
昨日も書いたようにそこから視点を持とうが、外側から視点を持とうが、自由なのだ。

>>モモクロやAKB、についても書いておく。

他人という絶対的なものは存在しない。
あなたが他人という見方をしているだけだ。

モモクロはモモクロという枠をあなたが与えて見ている。
彼女のメンバーの親からすれば、モモクロよりも「1人の娘」という見方だろう。

あなたの家族にもいえることだ。
あなたが思い込んでいる親との記憶を捨てたとき、または失ったとき
彼らは本当にあなたの親なのだろうか?

逆にその思い込んでいる記憶を世界すべての人に与えたとき
すべてがあなたの親になるだろう。つまり、人間というものは
単なる「人間」であり定義はあなたの「認識」によるものだ。

あなたは、店で可愛い机を見て「私の」部屋に欲しいと思い購入する。
あなたはその経過を経て「私の机」にするのだろうが、
机自体は机であり、何も変わっていない。
あなたが単に「見方」を変えただけのことだ。


593 :名無しさん:2013/09/15(日) 01:06:46.76 ID:hO5ERjGo

>>591 やりたければ銀行強盗でもすればよい。
そして捕まるにしろ、逃げ回るにしろ…。

これももうひとつ、解らない。自分のリスクのみですよね。考える事。
逃げ回る覚悟や捕まる覚悟があればやってもいい。善悪なんてないんだから。
世は本当に自分一人で幻想と思えた人がいえる言葉ですよね。

しかし私はまだ、そこまで思えない。
量子論だって仮説だし、世界は自分一人で幻想も
自分の脳の思い込みか証明しえない。もしいたらどうすんの?

で、幻想だとしても、された側は泣いて苦しむのに。
それを何とも思わずと言われても...。



599 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 09:02:37.51 ID:4EEyM/yd

>>593
あなたの疑問的な書き込みからわかるのは、
「どうすれば自分の都合の良いように世界は変わるのか」ということだ。

歴史年表の話を先日も書いたが、あなたが最期を迎えるとき、
あなたの人生が一片の無駄もなく、秩序通りだったことが
トータルした目線で理解できるだろう。
あなたはそれを受け入れたくないだけなのだ。

できることはすればよいだろう。
そしてできないことはできない。
会社が嫌ならやめればいい。
空を飛びたければ飛行機に乗ればよい。

それらもある視点から見れば、単なるそういう「感覚」を得ているだけのことだ。

どんなに瞑想の修行を積もうが
肉体のみで浮遊することは不可能だ。
なぜならば以前も書いた通り、どれだけ念じても指は動かない。
だが指が実際に動いているとき、我々はそれを見ているだけ。
つまり動作を「知ること」しかできないのだよ。

あなたこのスレッドの書き込みを通じて
あなた的に善し悪しな何かを得たとしよう。
それがあなたの考え方に作用する。

つまり、この起こっている書き込みが
あなたの指の動きなのだ。つまり、あなただ。
ゆえに私は「自分」というハンドルネームをつけている。

だからあなたがすべてに疑問を持とうとも疑惑を持とうとも
それがあなたの人生だ。疑問は単に疑問であり、それだけだ。
答えを導くためのものではない。

「色とはなにか」この問いにあれこれ答えを求めるから苦なのだ。
「色とはなにか」とは単に「色とはなにか」が在るだけである。


600 :名無しさん:2013/09/15(日) 09:19:09.79 ID:Y6JsrRUZ

>>599
おまえの言葉には真理がない



601 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 09:45:04.25 ID:4EEyM/yd

>>600
「真理」すらもその言葉があるだけだ。
言葉の内にあると思っているもの、それは妄想だ。
親もなければ犬もない、温度もなければ自分もない。

般若心経も紙らしき物質に、文字と呼ばれる黒い模様があるだけだ。
そこに「有り難い」や「真実」を定義しているのは、そういう捉え方をしているからだ。
つまり、これらの話に全く興味のないひとは、単にどうでも良いことだ。
それは見抜いている。

さてそろそろ出かけるが
どのような教えにも「私たち私たち自身を知るために生まれてきました」や
アダムとイブ、二元論など、そういった分離の話が出てくる。

つまりモモクロに憧れる少女がいたとして、少女自体がモモクロなのだ。
モモクロが出現しそれに何らかを感じること、それがすべてなのだよ。

だがモモクロの出現とは、指の動きの話の如く、
自らコントロールしたものではない。
発生したものを我々は「ただ知るだけ」なのだ。

少女がモモクロになろうとすればするほど、苦しみを生むだろう。
それはすでにモモクロだからである。(私はモモクロはあまり知らないが)

すでにモモクロだった、そういうことをいずれ気付けば
すべてが、つまり自分の置かれていると思っていた世界が自らであると
簡単に理解できるであろう。アディオス。


2020年11月1日日曜日

自分さん32 悟りとは、あなたが「いた」ことに気付くことである。

508 :名無しさん:2013/09/08(日) 09:39:42.63 ID:7QTsqnza


http://ameblo.jp/that-silence/entry-11271995184.html

自分さん、これどうなんでしょう!?


509 :名無しさん:2013/09/08(日) 09:57:50.71 ID:7QTsqnza

ここまで簡略化されると、逆に疑ってしまいます。



518 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 22:29:09.20 ID:AmAnKm9H

>>508
あなたの本質は愛である。
そのブログに書かれていることが
あなたにとって受け入れられることであれば、そういうことである。

いつも書いているが、仏陀も目の前の蚊すらも
あなたの中の単なる登場キャラクターである。
あなたという空間があるから、それらが存在できるのだ。

偉人もなければ、偉大な発明も
あなたが観ている世界があるから、存在できるのだ。


519 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 22:38:28.85 ID:AmAnKm9H

すべてを信頼して飛行している鳥たちのようになりなさい。
いまあなたがそこにいる。温度や音、視界、そして思考ですらにも包まれているだろう。

それらを信頼しなさい。
それらを信頼するということ、それはそれらが「自ら」であるということだ。

「鳥」だ。
彼らは墜落しない。なぜならば彼らはを自らを包んでいる「世界」を信頼しているからだ。
だが信頼しなくなれば、疑いを思考するようになれば彼らは墜落するだろう。
恐怖に怯えながら飛行を続けざるを得ないだろう。それが多くの人々の現状である。

あなたは常に包まれている。いまも。
そこに気付きなさい。
それを忘れないようにしなさい。


520 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 22:46:48.95 ID:AmAnKm9H

いまに在るということが理解できない人が多いようだ。
理解する必要はない、すでにあなたはいまに在るのだから。
そう伝えてもやはり「理解できない」のだろう。

歩いているとき、歩いている自分を観察しなさい。
すると、次第に「勝手に歩いている自分」を感じるだろう。
足を見下ろせば、勝手に動いていることに気付くだろう。

そして周囲を見渡せば、自分が進んでいるのではなく
周囲が動いていることに気付くだろう。


ある一瞬、そういったことに気付くはずだ。
だが思考が「いや、それはない。そう思い込んでいるだけだ」と否定を突きつける。

一瞬でいいのだ。
その一瞬が大きく開きだす。そしてあなたは
「ああ、そうか。自分は見ているだけあり、すべては出来事が単に起こっているだけなのだ」
とわかるときが来る。

それ以降はいまは書かないが、段階としてその気付きは大切なことだ。
そのとき、あなたは「今に在り」「ここに在る」。


521 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 22:51:17.22 ID:AmAnKm9H

花は花である。机は机である。
それらは「別のなにか」になろうとしない。
だが我々は「いまよりもっと」良い状況になろうと目論む。

だが花は花である。机は机である。
強烈な存在感がある。
そこには至福がある。不足がないからだ。

あなたは何になりたいのか。
そのまま朽ち果ててもあなたはあなたである。

あなた自身を表現しなさい。
そうすれば世界は至福に変わる。不足がないからだ。



522 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 22:52:48.12 ID:AmAnKm9H

悟りとは、あなたが「いた」ことに気付くことである。


523 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 22:59:07.77 ID:AmAnKm9H

いわゆる「メソッド」と言われる気付きに導く手段が多く考案され
そして伝われているが、それらは何の力もない。

なぜならば、それらがあるという出来事自体が、
あなたのすべてだからだ。

何もないのだよ。
いずれそこに行き着く。
何もないからそれでいいんだとあなたは安心する。

だがそれはスピリチュアルに携わろうがなかろうが
誰もがいずれ気付くことだ。


524 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 23:08:08.09 ID:AmAnKm9H

何もない。
だから起こる出来事をすべてOKと受け入れる。

それで良い。
いや、それしかできない。
大きな流れに身を委ねることしかできないのだよ。

頭の中で起こる問答は多くの人は「想像力」としてしまう。

それは違う。
その思考が起こる自体が我々のコントロール範囲を超えている。
つまり未知なるものなのだ。

以前も書いたが、すべては未知なる状態に我々(自我)は置かれている。
それを受け入れなさい。

我々は"自分"が数分後に腹痛を起こすことを「知らない」。
何も知らないのだ。数秒後に何を思考しているのかも知らない。
それを受け入れなさい。

あなたは、あなたではない。
鏡を見たとき、写るあなたと、誰かと対面して会話しているとき、
あなたの視界に入るその誰かもすべて、あなたではない。
あなたはもっと別のものだ。


526 :名無しさん:2013/09/11(水) 06:49:41.14 ID:N/jOVXYc

花は花である。机は机である。
それらは「別のなにか」になろうとしない。
だが我々は「いまよりもっと」良い状況になろうと目論む。

花は花で机は机なら人間は人間だと思います。
花はつぼみから花へ。受粉の為、虫を誘うよう一層、輝き
そして枯れていきます。

机は生物じゃありません。今よりもっとよくなりたいなど望みません。
その理屈ならば人間も犬や猫になろうとは思いません。

あなたは何になりたいのか

人間だから恋愛したり仕事したりスポーツしたり
したいわけです。家族を作りたいわけです。
美味しいものだって食べたい心地よい所に住みたいわけです。

生き物として当然の望みがかなわないから苦しむわけです。



532 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/11(水) 20:11:23.41 ID:+xf+SpkV

>>526
>生き物として当然の望み

それはなにか?
苦しいのならば望まなければよい。
人間は人間であり犬は犬だ。机は机であり、石は石だ。
ちなみに書いておくが生物も無生物もない。

有機物と無機物に境界はない。
集合体をどの地点から眺めているかだけのことだ。


プラスティックで形成された「モノ」もあなたも同じものだ。
哲学的な範疇ではなく「あなた」に生えている爪と髪が別のものに感じるように
ただそれだけのことだ。

人間、犬、机、石。
それらは名称を与えただけの概念であり
人間も犬も机も石も、そういうものは実在していない。

あなたが虫ならば山道を走ろうが、一億円の豪華なテーブルを
よじ上ろうが何の違いもないだろう。

そしてあなたは「恋愛」「仕事」「スポーツ」「家族」
「おいしい」「心地よい」と分離概念を作り続けている。
そういう概念を持ち続ける限りあなたの言う通り、苦しい生涯となるだろう。

虫になりなさい。ただ在るのだよ。


533 :名無しさん:2013/09/11(水) 20:57:14.47 ID:K250NDjt

いや、虫じゃないし
自分さんが言ってるのって正しいのかもしれないけど実践できないよね。
なんというか寝たきりの人間にフルマラソンさせるみたいな・・・


534 :名無しさん:2013/09/11(水) 21:16:11.44 ID:N/jOVXYc

ありがとうございました。

私は独断と偏見ですが自分に
も他者にもある弱者である自分を認められた時、
悟りの道に一歩近づけると思っております。

弱いこと=損と損得勘定に結びつけない事。

だからといってお腹が満たされるわけでもなく、
激走すれば息切れも起こし眩暈も起こす。

ただ損得勘定と切り離して考えられれば
しんどい、辛いは、肉体的感覚として在るものですが
気持ちはそこに囚われずすむので多少の自由は感じられるかと...。


535 :名無しさん:2013/09/11(水) 21:28:30.92 ID:N/jOVXYc

苦しいのならば望まなければよい

これは皆、頭で一度は考える事だと思います。
覚醒された方はある意味、生き延びた方。
望まない状態を造りたければ死ねばよい。

何故、死を考えるか。
望みたくなくとも生命に組み込まれた情報の所為かどうかは
解らなくとも望んでしまうからです。

マインドで、安定した働き口、年齢、容姿と条件づけをしたとしても
好きになる人は好きになってしまう。栄養学を学び、これは身体によい
食べ物、これはよくない食べ物とわけても美味しい物は美味しく感じ、
まずい物は不味いと感じる。

それを無理に頭で捻じ曲げようとしても
精神は健全でいられなくなる。間違えれば自由、解放でなく
認識論の奴隷になってしまうかもしれません。

生物である以上、生存欲求も承認欲求もあって当たり前。
感情は生物にとって素晴らしく合理的なシステムであるという
科学者の意見もあります。

より進歩したい向上したい欲というのはあって当たり前。
それを潰さない方向での覚醒というものを目指しております。



538 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/11(水) 23:23:04.58 ID:+xf+SpkV

ふふふ。

>>533
なぜ実践できないのだろうか。実践するもしないもあなたの自由だ。
この意味がわかるかね?

>>534
>弱いこと=損と損得勘定に結びつけない事。
それは単なる理論だ。そういうことすら考えなくなるとき、あなたは超越する。
超越と書けばあなたは大袈裟に感じるかもしれないがすべては「常に超越」なのだ。
そして超越すらも、単なる二元論、つまり単なるイベントであることにいずれ気付く。

>>535
あなたがその書き込みを述べていることがすべてである。
このように伝えれば、いまのあなたは混乱するかもしれない。
結局のところ、あなたが見聞きし、感じたことが、「すべて」なのだ。
それを"そのまま"受け入れなさい。


545 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/12(木) 20:09:21.20 ID:/637ZWbV

「人生とは何か」を表現するならば、それは
「過ぎ去ったものがすべて」である、そういうふうにしか言いようがない。

だがここに素晴らしい秘密がある。
つまり我々は指の動きを経験した後、それを「知る」しかないのだ。

心臓も胃腸の動きも、体を維持するために動き続けている。我々の意思とは関係なく。
我々は努力をして、やっと生まれたわけではない。
そして、社会も自然も自分が作ったものではない。ただそこに完成していた。
その中で生きている。つまり生かされているのだ。

では私とは何か。
人生は思い通りにならない、いや、ある流れに沿ってすべては動いているのだ。
私はそれを「見る」だけなのだよ。


547 :名無しさん:2013/09/12(木) 21:08:23.06 ID:gYSvFS6w

>>545
>では私とは何か。
>人生は思い通りにならない、いや、ある流れに沿ってすべては動いているのだ。
>私はそれを「見る」だけなのだよ。

つまり敢えて言葉で例えるなら、「私」とは全体(ワンネス)ゆえに、
求めるモノは、既に全体の中に有るモノであり、
そしてまた、全体として在るのなら動くこともない。

だから、本来の「私」とは、ただ見ているだけの者であると。
けれど、活動体験(つまり、求めるということ)をしたかった故、
この世を創りだした。

このように思ってみたりして(汗)



548 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/12(木) 21:16:38.18 ID:/637ZWbV

>>547
あなたがいまその場所に佇んでいるとき
触れる空気、温度、聞こえる音、視界などがあるだろう。

あなたがそれらと関わって「生ずるもの」それがすべてである。
「聞こえていること」「感じていること」が大切なのだ。
それを知るために、我々は肉体を持ち生まれてきた。
だから何が起こっても良いのだ。常に何かを得ているのだから。


549 :名無しさん:2013/09/12(木) 21:17:27.20 ID:QWJRVA6a

しかし…。これ悩みます。深く追求するほど社会生活と遠ざかる。
利潤追求とは矛盾してくるから営業職や経理職は辛くなってくる。
大抵は自営されたり脱サラされて、よく解らない民間資格とって開業してる。

よく見る情報商材貼り付けたブログの方々とか...。
もしくはスピリチュアルを売りにして本を出すとか...。
私は逆にそういうのにものすごく抵抗があるのです。



559 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 16:26:22.25 ID:1lkBCI55

>>549
>私は逆にそういうのにものすごく抵抗があるのです。

たぶんあなたは知識として多くの真理を得ているのだろう。
だから抵抗を生んでいる。

ならばスピリチュアルから離れなさい。
あなたがこういったことに興味を持たなくなったとき
商材販売や、よくわからない民間資格で開業している人たち、
精神世界を売りにした本を書店で見かけても何とも思わないだろう。

そしてあなたは彼らと同じ商いをしているかもしれない。
すべては超越してるのだよ。

「知ってしまえば後戻りはできない」

戻ればよい。
あなたは言葉でも知識でもない。
枠にはまってはいけない。枠を設置している空間があり
その空間があなただ。


2020年10月25日日曜日

自分さん31 世界に出来事があることに対する感謝、愛を感じられればあなたは「脱出」である。

407 :名無しさん:2013/09/02(月) 23:23:09.34 ID:sIHnrV/I

うーん。君はわかっているのかそうでないのか曖昧だな。
どうも頭で知識として知っているだけに見える。
他人に知識としての理解を求めているようだし、
「個人」と「全て」の表現が混ざっている。



416 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/03(火) 00:32:00.42 ID:HfB+UuUe

>>407
私へのレスかな?そうであるとして返答するならば、
「それは言葉で伝えているからだ。」
私自身では、「私の中」で、私らしき人間が書き込みをし
それに返答をするあなた方がいる。私はそれを見ているだけだ。

まああなたにとっては、こんなこと伝えるまでもなく理解されているようだ。
だが、私のように「自分」などというハンドルネームを持ち
自説を書き連ねる「立場」になれば、あなたのいう「個人」と「すべて」の入り混じりが
体感できるであろう。この行為は完全に分離であるが、
私は、その分離をしている私という人間を見ている。
ゆえに、私の真実なる状態はあなたへは伝えることができないだろう。

私もいろいろあってね、ちょっと人間的な用事が多いのだ。
その行為をしている私を「私」は常に微笑ましく見ている。

あなたの現段階に必要なのは、
自分で苦しみを作っていることに気づくことだ。
これは夢物語でもなく、あなたの人間生涯にとってまず克服すべき課題である。

わかりやすく書けば、
自分の日頃の行動、思想は、全部「勝手に起こっていること」だと悟ることである。
あなたの中で、あなたらしき人間体が勝手にあれこれ悩んで生きているのを眺める視点に立つのだ。



421 :名無しさん:2013/09/03(火) 00:58:21.50 ID:1MfdigMR

>>416
いや、そっちより他人への対応が問題でね。
本当にわかっている人は他人に「気づきなさい」とか「理解しなさい」とは言わないはず。
単なる知識としての理解は何の意味もないという事がわかってるからね。
真実は理屈じゃないんだよ。



422 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/03(火) 01:12:31.89 ID:HfB+UuUe

>>421
>本当にわかっている人は他人に「気づきなさい」とか「理解しなさい」とは言わないはず。

これはあなたの過去の記憶においての常識なのだろう。
では私がラジニーシならば、マハラジならば、
あなたは「その通りです」と感じるのだろうか。
幻想とは実にくだらない。


423 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/03(火) 01:26:49.11 ID:HfB+UuUe

>>421
私もあなたも、クリシュナであり釈迦である。
それに意義はないだろう。
だが「教え」と言われる概念に対し、そんなもの重要であるかい?
なぜなら、私もあなたもクリシュナであり釈迦であるからだ。

だが、世間といわれる幻想に飲み込まれた人々はどのような様態をしている?

懸命に生きて一筋の希望を見て、必死に生きている。
だがそれは救いではない。必ず裏切られる。

そんな人々をあなたの知識は救おうとしないのだろうか。
なぜ釈迦はそもそも幻想の世界に身を落としたのか。
自己満足、そう捉えればそうだろう。

だが自己満足も自己犠牲もない超越した状態こそが
あなたのまだ知らないエリアなのだよ。私はそこにいる。
だから決して、いまのあなたには私が理解できないだろう。

このようなことを書いている私は、いわゆる「エゴ」である。
エゴこそが世界である。

だがその世界を見ているのが「私」である。

私の中に「あなた」があるように
あなたの中にも「私」があるだろう。

だがそれが一体なんだと言うのだ?
釈迦の見いだした真実が何だというのだ?

私は、私らしき「人間」を見ているだけである。


426 :名無しさん:2013/09/03(火) 08:05:39.35 ID:cozz+Hh8

自分さん
正直いうと最初はあなたのこと聖人ぶったやつだと、気に入らなかった、ごめんなさい。

しかしやはりあなたは真我を実現してるようだ。
このレス、マハラジの問答みたいだね、美しい。
これは知識だけで書ける内容ではないよ。
(そんなふうに言われるのはあなたの本意ではないでしょうが)

ありがとう。
あなたを認めたことで気付いたことが沢山あるよ。

言葉で知識で、何度追っても入らなかったことを経験できた。


450 :名無しさん:2013/09/04(水) 17:31:58.75 ID:WETS5mXw

>>280
>勝手に起こる思考に対して「過去のデータ」を付与するかしないかは
>自由だ。

ここが今ひとつ分からないのでお願いします。
「過去のデータ」を付与すること自体が思考なんで、
勝手に起こるのが思考なら「過去のデータ」を付与するかしないかも、
勝手に起きているのでは無いか知らん?



459 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/04(水) 23:35:05.44 ID:wzYskkHc

>>450
それは「反応」について書いている。
反応はあなたの自由‥なのだが後述するが本当の意味での自由はない。

あなたの人生を変容させる唯一の要素である。
つまり物事に対する概念が変わることで、世界が変わる。
多くの人の人生のすべては反応で成り立っている。先日も書いたが、
我々は自らの身体の動きですらその動作を見ているだけしかない。
つまり「見ていること」しかない。

だがその「見ていること」に対して、マインドが「反応」する。

エゴの発生である。
ある「出来事」が単に起こり、それに腹立たしさを感じたとき
それは過去にその出来事=腹立たしいが成立したから、今回もそれが反応している。

つまり単なる出来事に対して「大問題」や「ハッピー」などにするのは反応の賜物である。
反応とはエゴの典型的な動作パターン「過去」というデータベースからの参照だ。


あなたは空が晴れても雨が降っても、何かしら個人的な思いを与えるだろう。
そこに天候はまるで関係がない。また「今日は良いことがあった、さえない一日だった、
なんだいまの!?腹が立つ!うわー幸せー!」
これらは出来事に対する、あなたの過去の体験を基にした反応(幻影)だ。
つまり生起する出来事の「影」である。

出来事に対する「印象」を第一の判断条件とするから決して満たされない。
肉に対して「肉」という言語イメージを持つが、それは「肉」ではない。
名称を超えた「それ」こそが「肉(言葉は無視しなさい)」なのだ。

だがエゴは「あるがままの事象」を「印象」としてしか捉えることができない。
そうしなければ、それを「判断」できないからだ。だから同じ世界に生きながら、
人それぞれ幸福度が違う。
(続く)


460 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/04(水) 23:37:53.73 ID:wzYskkHc

続き
あなたは周囲の友人に対して、それぞれにイメージを持っているだろう。
あいつは優しい、あいつは気難しい、など。
それらは友人そのものの本質を指し示してはいない。

だが、ここで重要なのはそのあなたの「オリジナル」であるはずの過去のデータですら
実はあなた発祥ではないのだ。

例えばおいしい食べ物、それはなぜ「おいしい」のだ?
一体いつ「おいしい」と感じたのだろうか。
当然、昔それを「おいしい」と感じたから、今もおいしいのだろう。
だがその起源はいつなのだ?なぜ初回時にそれがおいしいと「知った」のだろうか。

起こった出来事を「苦」と捉え、苦しみの世界に変容させ
それが原因で病気になったり他者へ痛みを与えるようになるのか、
それとも、出来事をあるがままに捉え、そこから苦を生みださないかはあなたの自由だ。
だが、その概念の持ち方はあなたに「その概念を変えようとする」出来事があることで成立する。

つまりスピリチュアルとの出会いであったり、
自己認識の変更をする切っ掛けが与えられることがあるかどうかだ。
それは自分の意思ではない。起こる出来事のひとつだからである。

だから結局のところ、"反応している自ら"すらも「見ている」状態こそ
目覚めているあなたである。



461 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/04(水) 23:44:32.86 ID:wzYskkHc

人生を変える方法は、概念を変えることだ。
いま目の前にある暮らしが「とても幸せだ」そう思えればあなたの人生は輝き出す。
しかし多くの人がそれをできない。理屈ではわかっていても無理を感じだしてしまう。
そこが分岐点なのだ。つまり「それができるかできないか」だ。

お金が足りなくて支払いができない。不安がよぎるだろう。どうしたらいいか困るだろう。
だが「お金が足りなくて支払いができない」が起こっていることの向こう側に、
それが存在している喜びがある。至福があるのだ。

つまり「お金が足りなくて支払いができない」の内容などどうでも良いのだ。
あなたの世界にそのような出来事があることに対する感謝、愛を感じられれば
あなたは「脱出」である。


すべて愛で包まれていることが理解できるだろう。


462 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/04(水) 23:51:34.45 ID:wzYskkHc

この3レスで書いている通り、我々は出来事を素直に受け取らず
その内容や印象で捉えてしまう。

その「出来事」が「あなたの人生(つまり世界)」に存在しているという「奇跡」を
まず感じ取ることである。

あなたの為だけに用意されたスペシャルイベントなのだよ。
内容や過去のデータからの印象に惑わされてはいけない。

ただ「それが起こっている」ことへの感謝を感じなさい。
あなたが「在る」から、それらが在るのだ。

そういうことに気づいたとき、涙が溢れるだろう。
どれだけの愛があなたを包んでいたかがわかるだろう。
もはや感謝しかない。

あなたが在るから、それらが在るのだ。
それらが在るから、あなたが在るのだ。


463 :名無しさん:2013/09/05(木) 00:20:59.54 ID:wFzqBVJD

自分さん
ありがとう、おやすみなさい



2020年10月18日日曜日

自分さん30 あるのは、関係性が生みだす「それ」のみだ。

383 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 21:46:42.97 ID:ihX853si

さて、今夜は(実は朝も書いているが)目の前の物を消し去る魔法を伝えよう。
まず目の前のグラスを見なさい(ここではグラスにしておく)
次にグラス側から、あなたに"見られている"ということを知りなさい。
このとき、グラスは消えている。そしてあなたも消えている。
あるのは「見ること」という状態のみだ。

これは「グラス」という言語化した識別的な概念が抹消されていることを意味する。
つまり思考の枠外へ出たということだ。
意味や理由を求めれば、すぐにグラスが出現するだろう。

ここで大切なのは、グラス側から見たときの「あなた」だ。
非常に奇妙な透明のスペースが広がっているだろう。

それが本当のあなたの姿である。

こうして簡単に本当の自らを垣間みることができる。


384 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 21:52:16.07 ID:ihX853si

同様に音についても実験してみなさい。

こうしていろいろな概念を消去していけば言語を超えた本当の世界が見えてくる。
つまり、すべてはひとつしかないということだ。

そして今朝も書いた通り、
ひとつの「それ」を様々な解釈で「風景」や「騒音」「気温」などに言語化、
分類して認識する。それが人間である。

人間(つまり人間性)を超えたとき、ワンネスがそこにあることを知る。
そこにあるので超える必要もない。

逆に言えば、そこにあるから、様々なことを体験できるのだ。


386 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:14:09.90 ID:dX/aukDo

ニュースが隣の部屋から聞こえてくる。だけど私はそこに意識を向けてないから
ただ、がちゃがちゃとした音が聞こえてる。意味などなさない。

目の前のパソコンに私は見られている。
おそらくPCは、ただ生きている存在としか視えていないだろう。
美醜もない若いも年寄も男か女かも...。

それはなんとなく解るけれど、それって母親が、
その子の為を思って口酸っぱく説教しても、本人には馬の耳に念仏。
左から右へ単に音が通り抜けていくこととどう違うのでしょう。

また、ニュースの音声だから聞き流せるが、チャンネルを換え、
ドラマにし、そのドラマの赤ん坊が泣き叫ぶシーンが聞こえるとする。
TVドラマから流れてくる音だから感情はいれずに流せるけど、
やはり耳につんざく泣き声は不快と認識されてしまいます。



387 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 22:21:52.11 ID:ihX853si

>>386
意味を求めない。理由を求めない。
ただ、それをあるがままに見るのだ。
だができないだろう。それが概念であり人間性というものだ。

実際にはあなたの目の前には「パソコン」と呼ばれるものはないし
隣の部屋というものもない。そこから聞こえるニュースというものもない。

あなたがそれらにそういう名称を与え、そういう意味を与えているだけである。
その幻想がどのようにして脱するか、それを私は書いている。

あなたは幻想にどっぷりと浸かっており、
私やマネゲ本ですら幻想の産物となっているだろう。
そういうことから「目覚め」という道が与えられているのだ。

不快な鳴き声もない。あなたがそのように意味を与えているだけだ。
そこから脱し、本当のありのままを知る。
そうすれば、それらがあなたへ不快や愉快などといった力など
持っていないことが明白となるだろう。


390 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:34:56.58 ID:dX/aukDo

む...むずかしい。
意味を求めるというよりは、もうそうだと思い込んでるから。

例えば電話がなる。電話は遠い人の音声を届けてくれる機械。
これは解ってるから安心してとれます。

だけど今まで電話を見たことも聞いたこともない人ならば
受話器をとって声が聞こえたら、びっくりして魔法かお化けだと思うでしょう。
あるがまま...て何???



391 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 22:43:52.37 ID:ihX853si

>>390
わかりやすく書くと語弊が生まれるが、あえてあなたの為にわかりやすく書けば、

あなたが例え話に用いている「電話」や「声」「機械」だが、
そもそも電話も声も機械というものなど、ない。

あるのは、関係性が生みだす「それ」のみだ。
深く知れば関係性も「それ」すらもない。つまり何もないところで
我々は日常を経験しているのだよ。

じゃあなんで、日頃の日常があるのかというと
すべて空想の産物、つまりあなたの基準で見ているだけのことだ。実際はなにもない。

ある禅の師匠が言っていたが、両手で拍手をすれば音が聞こえると皆は思う。
だが「片手」でも音は鳴るのだ。

なぜならば、そもそも音などなく「聞こえること」だけがあり
そこから空想の産物として、おのおの常識といわれる基準を元に
音の発生源を関連付けているだけである。


392 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:44:43.72 ID:beaSTTNM

>>388
人間が行為する(生きて行く)とは、まさに幻想に生きる事では?
行為しなければ、我々は生きて生けないのでは?


393 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:46:50.90 ID:ixDs8Ls2

行為もないし、行きてもいないってことだよ。


394 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:48:18.38 ID:ixDs8Ls2

実際には行為は行われているのだけど、
定義しなければ、何物でもなくなる。



395 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 22:50:18.40 ID:ihX853si

>>394
私は、行為は見ているだけだと知っている。

指を動かそうと念じても、指は動かない。
では実際に指が動いているとき、我々は何をしているのか。
指が動いたのを、ただ見ているだけである。


396 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:52:50.20 ID:dX/aukDo

機械と思ってるのは思い込み。ネジやらなんやらの集合体。
ネジはまた、鉄やアルミとされ細かく細かくしていくと、
それは空間になっていく。それは頭では解るけど。

文字として皆さんの意思表示は目で視えるし、隣のニュースの音は耳で聞こえてる。
これを無いと体感、実感できるのですか?



397 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 22:57:26.17 ID:ihX853si

>>396
いや、あなたが「皆さん」と思っているのは、あなたなのだよ。
あなた自体がここ、つまりこの掲示板に描かれているだけだ。

あなたの為にもっとわかりやすく書くが(真理とは離れていくが)、
あと10分で死ぬと思い込みなさい。
ならば、あなたの見てきたすべてが「あなたの人生そのもの」
つまり、すべてが「あなただった」と理解できるだろう。

そこに理屈があろうとも、難解な疑問があろうとも、
それ自体が「ただ在った」だけであり、意味などどうでも良いのだと気づくだろう。


385 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 22:00:42.43 ID:ihX853si

ついでに書いておくが、怒りや不安、喜びなども実験してみなさい。
この行為はマネゲ本でいうところのプロセスに値する。

つまり、それ自体を「その存在」と見なすことで
それから連想し、想像により誇大化する感情に結ばれないことを意味する。

上で書いた、問いとは存在であり、答えを導くものではない、と同義である。

さらに「怒り」ならば、怒りを感じるあなたと
あなたに感じさせている「怒り」そのものから「あなた」を見れば
「怒り」は力を失う。つまり怒りは消去されるのだ。
ただ、感じる「何か」があるだけであり、それすらも消去されるだろう。

多くのスピリチュアル本で書かれている通り、感情に浸かるとは
こういうことである。そのものから己を見るのだ。


398 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:59:41.14 ID:dX/aukDo

>385
それは解る。頭で念じて走れ、勉強しろ、体操してみろと
念じたところで身体は実際動かない。

朝、この時間に起きるとは自我でなく習慣による体内時計、
又は潜在的なものから。自我の想いに力はないのは解るけど、
体がお腹すいたと訴えれば冷蔵庫あけにいこうという意志がうまれて
面倒くさいけれど体を動かす。

だからといってお腹が空いてるけど
面倒くさいと感じるものが勝ってたら立ち上がらない。

5感なんて感じるものだし…。



401 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 23:01:47.99 ID:ihX853si

>>398
よろしい。

>念じたところで身体は実際動かない。

思考には何の力もないことがわかったかな。
では、実際に身体が動いているとき。
身体を動かしているのは誰だい?


402 :名無しさん:2013/09/02(月) 23:04:31.19 ID:dX/aukDo

>>401
はて。誰なのでしょうね。
それはよく思いますよ。変な意味でなく私は何者?とか
自分て、本当に生きてるの?実はとおの昔に死んでいて
生きてると思い込んでるだけじゃないの?
私っていつ生まれたの?とか。



403 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 23:08:41.79 ID:ihX853si

>>402
あなたが外を歩いているときや
たくさんの人で賑わう店にいるとき。
当然あなたの周囲で、多くの人が動いたり
出来事が起こっているだろう。

それと、あなたの身体が動いているのは同じなのだよ。
つまり自由な意思などなく、我々はそれをただ見るだけしかできない。

あなたが退屈だと感じるとき、
あなたが何かを思っているとき、
それらもすべて、単なる出来事である。
身体の動きですら、単なる出来事なのだ。

我々はその単なる出来事を見ることしかできない。
つまり何も知らないのだ。

それを理解しなさい。


404 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 23:10:31.14 ID:ihX853si

つまり、あなたは「あなたという出来事」を見ているのだ。
では、誰があなたを見ているのか?

そういう話である。