277 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 10:19:20.91 ID:sd38kFYd
今日も気持ちのよい朝だね。
さて、昨日のおさらいだが、
なぜ禅問答も古代の教典もスピ本もその多くが対話形式なのか。
それは探求者と覚者との「やり取り」に神髄があるからだ。
神髄とは質問内容のことではない。まして覚者の回答でもない。
「ガチョウは外だ!」の禅問答のように
そこにただ、それが在る、それを悟ることが
「悟りから離れる」第一歩だよ。
1+1とは2ではなく。
1+1だ。
我々は「言葉」や「意味」に反射的に飲まれてしまう。
そして私がわざわざ「自分」と名乗っているのもそういうことだ。
あなたの世界の住人はあなただからね。
あなたがあなたを経験することで、その世界は光満ちていく。
278 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 10:20:24.20 ID:sd38kFYd
観念という言葉をよく使うのだが
「表現」でも「投影」でも「考え方」でもなんでもよい。
つまり、あなたが表現した世界(あなたの考え方)がそこにあるのだ。
毎日見たり聞いたり感じたり、それはあなたが表現したものだよ。
例えば環境問題が気になりだしたら
あなたの世界は環境問題のテーマが満載となる。
環境について考える。人間のエゴに憤りを感じだす。
真剣に考えれば考えるほど(つまり表現すればするほど)
その世界になっていく。
昨日までファミレス三昧だったのが、いまはベジタリアンだ。
車ばかりを使っていたのが、いまは自転車通勤だ。
苦しみが生活にあるのならば、それはあなたが自ら表現しているものだ。
苦しみを表現しなければ、苦しみはない。
ただその世界がそこにあるだけだ。
人生は、いかに真剣に考えないか、がありのままに見る秘訣だ。
279 :名無しさん:2013/11/24(日) 10:33:31.23 ID:pFucfglV
怠け心と直感の区別がつかない
285 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 11:01:33.67 ID:sd38kFYd
>>279
>怠け心と直感の区別がつかない
怠け心とは思考によるものだ。
直感とは思考を捨てたものだよ。
直感、つまり思考よりも世界に委ねる方を選びなさい。
281 :名無しさん:2013/11/24(日) 10:41:42.72 ID:azGKrhh9
>>278
だけど…先生、それ決められてるのでしょう?
例えば動物問題に関心がいくとする。
その最初のきっかけは、虐待された動物の映像などみて
頭じゃ偽善者や、こんなもん日常茶飯事、世の中弱肉強食なんだよとか
偽悪めいたこと叫んでも、無意識に涙がダーーーーーと、
もう胸しめつけられるし、悔しいやら哀しいやら、
やるせないやら、それ勝手に湧き出るから。
そうすると、そういう方面に目が行く。
愛護運動とか大がかりのものじゃなく動物病院いくと
必ず寄付、少額でも入れるようになるとかね。
その時は、損得感情からの矛盾や抵抗ない。
見栄も張らず困らない程度の打倒な金額を入れられる。
納得してる金額だから、その日によって100円だろうと
5000円だろうと、自分の事をケチだとか、あげすぎたとか後悔しない。
頭でコントロールできるんでしょうか。
284 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 10:59:18.06 ID:sd38kFYd
>>281
>悔しいやら哀しいやら、やるせないやら、それ勝手に湧き出るから。
そうすると、そういう方面に目が行く。
それはあなたの世界がそうなのだろう。
そういう方面に目がいかない人の世界もある。
だからといって非情なわけではない。
あなたの世界ではそうだとしてもね。
>例えば動物問題に関心がいくとする。
この時点で世界は決定している。
あなたがマインドから観念を積み重ねれれば、
それだけ可哀想な動物の姿がバンバン世界に現れるだろう。
いいかい。
それらはあくまで風景だ。
そこで遊ぶ(ゲームする)のはあなたの自由だが
それに囚われていては本末転倒だよ。
あなたしか、そこにはいない。
あなたの見たいものが出てくるだけだ。
286 :名無しさん:2013/11/24(日) 11:05:03.43 ID:azGKrhh9
>>284
はい。それは仰る通りなんですが...。
そう思って、可哀想な動物がでたら嫌だから
そういうの目にしないようハートフル映像とかしか
見ないようにしてるけど…。
保健所の映像とか見ないようにしても偶然、
TVでやってて目に入ったり
無関心よそおうのも抵抗ものすごいし…。
別に動物嫌いの人が非情とはまったく思ってないのだけど…。
感じるものって頭より先だから。
別に自分が善人ってわけじゃなくてね。
ほとんどの人がそう感じる事を素直に感じてるだけかなとか。
287 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 11:07:11.59 ID:sd38kFYd
>>286
>そういうの目にしないようハートフル映像とかしか
見ないようにしてるけど…
ふふふ。
世界はあなたが作っているのだよ。
私の話を熟考してみなさい。
288 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 11:14:07.58 ID:sd38kFYd
>>286
あなたが牛をペットとして飼っていたら
ステーキや焼き肉は食べる気がしないのだろう。
私も犬や猫に囲まれて生活しているから
それを食材とした料理があってもあえて選ばないだろう。
だがね、あなたは(たぶん)牛や豚をペットとして飼っていない。
だから料理を食べるのだよ。何の意識もなく。
あなたが動物が好きだから、酷い光景には目を塞ぐ。
だが道ばたでアスファルトの欠片が割れていても
目は塞がないだろう。
その世界を意識すれば必ず、喜びと悲しみのセットが用意される。
いわゆる二元性というやつだよ。
あなたの場合、動物を可愛いがる、とは
常に「可哀想な姿」という影から逃れ続けなければならない。
だけどもアスファルトには関心がない。
だから二元性が生まれない。
ただ「在る」だけだ。
280 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 10:33:56.65 ID:sd38kFYd
昨日も書いたが
会社なり学校なりで誰かに良い出来事が起こったとする。
もの凄くラッキーでハッピーでラブリー!彼はとても大喜びだ。
だが、それはあなたの世界で起こったことだ。
つまりあなたに良い出来事が起こったのだよ。
そんなときあなたのマインドは妬むのかい?
劣等感を感じるのかい?
あなたに起こったことなのに、あなたはネガティブになる。
ここが分岐点である。
歩いてたら可愛い子とすれ違った。
それはあなたの世界の住人である。つまりあなただ。
あなたの世界に「可愛い子」が在るのだよ。
あなたの世界で思考を持つのはあなただけだ。
他者は、そこでそのようにそれをする、それしかできない。
あなたの表現(観念、考え方etc..)ひとつで世界は天国にも地獄にもなる。
あなたは光だ。
あなたの見ている「それ」しかない。
世界を愛しなさい。その世界ではあなたが神で
メシアですべてなのだからね。
267 :名無しさん:2013/11/23(土) 23:02:30.62 ID:MhgIT/O4
サーフィンしろ。
そうすれば瞬間的に決断する力が養われる。
やってきたのが乗れる波かそうでない波かを
一瞬で判断して選ばなければならない。
そして決断したなら波との相対速度を合わせるための
パドルを開始しなければならない。
しかし、その結果がいつも正しいとは限らず、
乗れる波だと思ったのが波に置いて行かれたり、
乗れたと思ったら崩れるのが早すぎたりするものなのだ。
もちろんうまく乗れる波だったということもあるだろう。
つまり、自由意志があるかのように、決断して選択はしろ。
しかしその結果はあなたの望んだ通りになるとは限らないから、
自由意志は存在しない。
最悪なのは、なんで俺が望むような波がこないのだと
文句を垂れて気分を悪くすることだ。これは全く意味が無い。
なぜなら、あなたは結果をコントロールできないのだから。
まず選択、次に行動。
要点は結果をきにせず行い、うまく行ったら感謝し、
うまくいかなくてもまぁ仕方ないかで済ますか、
結果を気にして行って、うまくいけば俺の実力と思いあがり、
思い通りにならなかったらぐだぐた文句を言うかである。
283 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 10:52:04.94 ID:sd38kFYd
>>267
私もサーフィンに凝っていた時期がある。
まっすぐ乗れるかどうかの程度だがね。
海は遠いから回数も行けないが
もう体が付いていかないからご無沙汰だ。
波に初めて乗れたとき、
まったく自分の意図しない「力」に圧倒されたものだ。
波に立った時、広大なシーツのような、
そして太陽の反射でキラキラしたそれは
顔を出してプカプカ泳いでいるときには
想像も付かなかった景色だった。
立つまでは何度も向かってくる波にモミクチャにされ、
海水を飲み、ゲロを吐き、怖い兄ちゃんに野次を飛ばされ
「なんでこんなことをやってるのか」と知らないから
想像することもできない「波の上」に何の希望もなかった。
ただ「自分の力でコントロールしようと」
躍起になっていたのだ。
「苦」だ。
立ったとき、すべての自尊心や思考が崩壊する。
そうか、波になれば良いのだと。
波という大前提の中で喜怒哀楽がある。
コントロールが出来るのは波の流れの中だけだ。
まさに鳥が大空を舞うとき、人間が世界に委ねるとき、
それと同じものだ。
ただ、>>267あなたの後半部分には異論がある。
行動しなければならない。それは力で波を制しようとしている状態だ。
いずれ空打ちになり、限界、制限、という苦しみがやってくる。
流れに委ねたとき「行為」は勝手に起こるものだ。
眺めているだけでよい。