598:576:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:LAhxNF4r
>>579
>サッカーが好きでサッカーをしつつも、サッカー自体に囚われてはいけない。
つまり、サッカーを通して生み出された「それ」がお宝だ。
その意味よく分かります。
「それ」を味わいたいから、サッカーをするわけで、
すべての行為(体験)は、その為にあるのだと。
我々に「それ」への欲求があるから、行為も生じるということでしょう。
無の体験(究極のアホ体験^^;)もいいのですが、
そこで終わっては、何も生み出さない(創造しない)と言う事でしょうか!?
ビックバンは創造のために起こったのなら、無の体験は始まりに過ぎないのでしょう。
599:おめ子◆ypT6qYukQ.:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:dxeT88Xp
代わりにおめ子さんがお答えいたします(*^-^*)
>無の体験(究極のアホ体験^^;)もいいのですが、
>そこで終わっては、何も生み出さない(創造しない)と言う事でしょうか!?
答えは
「無の体験(究極のアホ体験^^;)もいいのですが、
そこで終わっては、何も生み出さない(創造しない)と言う事でしょうか!?」
でした。
ただ単に、文字のようなものが(`ハ´)アルだけで、
そんなものどう解釈しようと意味などありません(*^-^*)
609:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5
>>599
>ただ単に、文字のようなものが(`ハ´)アルだけで、
>そんなものどう解釈しようと意味などありません(*^-^*)
あなたは知っているようだ。概ねその通りである。
迷える人を突き放すのもあなたの自由だ。
だが私は違う路線である。
いまいち理解が浅い方に記しておく。
すべてはあなたの世界である。
これをわかりやすく書こう。
わかりやすく書いている時点で本当の答えではない。
だが、先日も書いたように理解には段階が必要なのだ。
すべてはあなたの記憶なのだ。
例えば、今日の昼に腹の立つ人に出会ったとする。
それは過去にあなたが、同じ行為を受けて腹が立ったからだ。
その記憶があるから、今日の昼に出会った人に腹が立ったのだ。
つまりその人自体には何の罪もない。罪があるのは、あなたの方だ。
あなたが罪を持っているから、その人を罪人として見るのだ。
これはオホポノポノなどに代表される、「手放し」の根源的理由である。
誰かに腹が立つのは、その同じものをあなたが持っているからである。
つまりあなたのエゴがそれに反応しているだけであり
結果、あなたの見たり聞いたりしている世界は「あなた」ということだ。
喜びも、悲しみも、単に過去の記憶というフィルターを通じるから
いま、そのように反応するのだ。
では記憶を消せばどうなるのか。
それがポノポノであり、執着を捨てるという「空」の境地である。
あるがままに、出来事や人、モノを見ることができるようになる。
610:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5
ちなみに「記憶」が「カルマ」だ。
積み重ねられたカルマを解消することで
何のフィルターもなく、「それ」を観ることができる。
それは素晴らしい世界である。
あなたは自由に生きており、そしてすべてがあなたのためだけに
存在していることが髄から理解できるようになる。
先日も書いたが森に棲む虫たちを見なさい。
土があり、水があり、空気がある。
それらの中で、存在を許されて生きている。ただ生きている。
我々は虫を小さな世界と観るが、我々も何の変わりもなく同じなのだ。
だが「記憶」=「カルマ」が邪魔をしている。
理性を持った虫が幸福に見えるだろうか?
ただ恐怖におびえ、存在の消滅に恐れるだけの
よくわからない生命体になるだろう。
611:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5
さてここからが本題だ。
過去に腹が立ったから記憶があるから、今日の人にも腹が立ったと書いた。
では、そもそもの起因はいつなのだろうか。
過去に腹が立っているということは、それも記憶である。
辿っていくと生まれる以前となってしまう。
そうなのだ。考えずとも呼吸をし細胞が分裂し、髪は伸びる。
それぞれが「知性」を持っているのだ。
それら知性の統合体が我々であり、知性はDNAによる情報の開示である。
そこには「記憶」があるのだ。
前世がどうとか、そういう話は私はよくわからないが
DNAに記憶があり知性が刻まれている。
なぜ赤子は恐怖を覚える前に、蛇を怖がるのか。
なぜ動物は親がいなくても、習性を持っているのか。
さあカルマを手放そう。
我々がはるか過去から背負ってきた負の遺産を消化するのだ。
すべてあなたの中にある。
世界とは記憶のことである。
「なぜ「A」が起これば「B」という反応をするのか」
「なぜワンパターンなのか」
こういうことを悟りの入り口として考えてみれば良いだろう。
612:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5
我々を「カタチ」として成り立たせている細胞は60兆だ。
それぞれに数億の知性、記憶が刻まれている。途方もない数だ。
何度も生まれ変わり、歴史を繰り返すことで情報は肥大化していく。
悲痛な歴史を通り過ぎるたびに、苦しい生まれ変わりを経験する。
誰かが記憶を手放すことで、人類はひとつ苦しみから解放される。
集団的なシンクロニシティも、予知能力も、運命的とか言われる事象も
なんら不思議な出来事ではない。基本的にワンネス、
つまり地球やら宇宙やらすべてが、ひとつの生命体だからだ。
あなた自体が60兆の細胞でできているようにだ。
因縁生起。
まずはあなたから解消していこう。
すべてあなたの中の記憶が幸も不幸も作り出している。
これはマネゲのプロセスもポノポノも同じ手法だ。
ムカつく人も、悲痛な現実も、すべてあなたが作り出している。
だからその責任を全うしなさい。
責任を全うするとは、それらに「色」を与えないことだ。
つまりそれに染まらない、あなたはあなたであることを思い出すということだ。
613:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/12(金)NY:AN:NY.ANID:rsMIlEE5
輪廻転生もカルマも、上で書いた内容から理解ができるだろう。
トンデモ話でもなんでもない、当たり前の話だ。
呼吸もするし心臓も動いている。だがそれは勝手に動いている、
あなたの身体なのにあなたの意思とは関係なく動いている。
それが証明となる。
さて、この苦しみの堂々巡りから脱するには
物事を「記憶」のフィルターを通して見ないこと、それしかない。
もの凄く嫌な体験をした、だがそれはなぜ「嫌な体験」なのか。
それは過去に同様の体験へネガティブをくっつけたからだ。
つまり「体験」自体はネガティブでも嫌でもないということだ。
この辺の話は毎日している通りだな。
山道など歩く機会があれば、虫たちを観察しなさい。
植物もいいが、たぶん理解に壁を感じるだろう。まだ虫の方が理解を得やすいはずだ。
彼らには土も木も水もある。あるからこそ、存在しているのだ。
計画性も将来の夢も、挫折も苦しみもない。
なのに繁栄している。
それが「存在」である。
驚愕の事実かもしれないが
実はあなたも同じである。
614:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/13(土)NY:AN:NY.ANID:hwoSmGfu
自由になりなさい。
記憶から解放されなさい。
宗教やスピリチュアルなどは単なる手段のひとつだ。
どうでもよいものだ。囚われてはいけない。
何が起ころうが、記憶を通して捉えない。
そうすれば未来への予測も生まれないし過去の経験も抹消される。
純粋な、「いまそれを体験している」があるだけになる。
そこには、あなたがいる。
あなたはあなたであることを思い出したあなたがいる。
生をダイナミックに表現し続けなさい。
私はそれを待っている。
ありがとう。
これで役目を終えることにする。
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