802 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/21(土) 07:53:57.46 ID:QcUMO5U9
よろしい。
では新しい章に駒を進めようか。
マネーゲームから脱出する法を読んだとき、多くの人が違和感を持つだろう。
それは「この先にとても甘く、美しく、素晴らしい世界があるよ」と
そのために一枚一枚、果実の皮をめくる方法を伝えられる。
だが肝心の「その先」については具体的に書かれていないからだ。
「それらしい」または「著者の場合はこんな感じ」のような表現であり
具体的に、どうやって経済不安が捨て去られるのか、そもそも
「お金」の問題なのだから、シンプルな足し算の話になるんじゃないか、など
憶測が渦巻き、自らの現実と照らし合わせたときにその話を信じられない。
それはそうだろう。以前も書いたが釈迦が説いた話も、
多くの人がそれを「目的」としたから修行や修練がうまれたのだ。
求めると、永遠に「求めるもの」になる。
それは私も同じである。
核心を書けば書くほど、なんと「なにもない」のだ。
なぜならば、すでにその位置に誰もがいるからだ。
だから「目的」とする人はすべての教え(ロバートも含む)に
ある種の空虚感、不安感、不信感を抱くだろう。
ゼロを伝えているからだよ。
核心に迫れば迫るほど、特に何でもない話になっていく。
804 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/21(土) 08:30:34.73 ID:QcUMO5U9
例えばこのスレッドに残っている多くの人々は
まあいわば、まだよくわかっていない人たちである。
スピリチュアルやメソッド本などに現実の突破口を期待している。
間違いではないのだが、それら自体を目的にしてしまいがちなので
私のように「それらには何の意味もない」と書くと
猛烈な不安感、いらだちが生まれるのも無理はない。
小話だが、私は事業を営んでいる。
マネゲ本などを知るずっと以前に、事業は大成功を納め
そしてその後大失敗を経験した。年齢不相応なお金を得て、
同じくあまり大きな損失も得た。
どちらも得たものだ。
成功を収めていたとき、まるで錬金術のような感覚になっていた。
何もしていないのにただお金が湧き出てくるような感じだった。
もちろん「何かをしなくてはならない」という観念に囚われていたので
その上々な状態を維持しようと四苦八苦していた。
だがすればするほど空回り、
いや、当然この業界のキャリアは長いので手応えはあるのだが、
それが先に書いた錬金的なものとはかけ離れたようなものを感じていた。
それでも好景気は何年も続くのだが、
私の努力とは関係なく、突然大きな下降がやってくる。
そしてまた四苦八苦。1秒刻みで悩まされ続け、
海外旅行にいても、常に頭の中は仕事だ。
つまりバリのビーチにいながらにして私は事務所の机に座っているのだ。
805 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/21(土) 08:34:27.01 ID:QcUMO5U9
ではあの錬金状態とはなんだったのか。
いまとなれば、‥いや、ここであえてメソッド的な見解をすれば
そのまま放っておくのが良かったのだろう。
だが大いなる視点で見れば、それすらも必要もない、
なぜならば、私はいまここに存在しているからだ。
つまり成功も失敗も、それを超越していることがわかる。
そして「問題」に対処する努力など必要ない、いや
行動は湧き出るものだからそれでいいが、
それにマインドを振り回され、苦しみ生むのはナンセンスだ。
806 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/21(土) 08:38:05.17 ID:QcUMO5U9
答えはあなたの「いま」にある。
「いまここ」とかそんなものじゃなくて、
いまそこに存在していることが、すべての答えだ。
それは過ぎ去ったものへの超越である。
だが多くのひとがバリ島にいながら、
会社の机に囚われているのだ。
807 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/21(土) 09:18:48.17 ID:QcUMO5U9
メソッドとしてたまねぎの皮をめくる方法を教えられる。
悩める人は、どんどんめくっていく。
そして最後どこまでめくっても「皮」だったことに気付き
それ自体が「たまねぎ」だったことを悟る。
釈迦が菩提樹の下で子供達にミカンを分け与え
みんなで1粒1粒、味わって食べているとき
「ほらミカンを手に持っているでしょ」と伝えたという。
こういうことが大切なのだ。
道を歩いている。だが多くの人はそれに気付いていない。
起こっているすべての「それ」に意識を向けていくとき
皮がたまねぎ自体だったことを知るのだ。
さて、表面的なレベルの人々に「それ」を伝えるのは
今日のいくつかの書き込みのようになる。
だが、もっと深いメカニカルなレベルで「それ」を伝えるのは
先日までの、難解ともとれる書き込みのようになる。
ダクラスハーディングが、人間を1mから見たとき
ミクロまで近づいて見たとき、さらに銀河レベルでその人を見たときについて
どれもが「それ」であると解明した。
「話」も同じである。どの距離感で話すかの違いで
結局は「それ」なのだ。
808 :名無しさん:2013/09/21(土) 09:57:43.69 ID:FmtTpbaV
>>802 >>804 よく解る。本当よく解るし共感する。
だけどそれでも反論したい。
私も若き頃、不動産、建設のような業界にいたころは、
自分の給料は今とそれほど変わらずとも何百万単位で
その土地、家屋の値段が上がっていくのは一つの価値観のぶっ壊しだった。
お金ってなんだ。親、祖父母がいってたように
頑張って働いて汗水垂らすもんじゃないんだな。
運か?決済後、社長が紙袋に一杯の万札を抱えて見せてくれた時も、
まるでお金じゃないみたい。
自分に自由に出来ないお金だから当たり前なのだろうけれど。
でもその頃は、その価値観の変化が楽しみでもあった。
やり直せる若さもあり、一応、役職が貰ってるほど高い給料は望めなくとも
安定した収入はあったし体ももっと健康だった。
たまに営業のヒューマニズムに資本主義に倫理の物差しをおいて
悩む時もあったが、それも若さ特有のものだと良い経験とも受け取れ、
超えて又、毎日の職場、終わった後の友人との遊び、楽しみに
それほど疑問を抱えず戻っていくこともできた。変化を楽しめていたのだ。
844 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:12:07.82 ID:RpueZhFu
さて、今日はちょっと縁があって「エビ」を飼うことになった。
小さなエビだ、名前はなんと言ったかな‥ レッドビー?
さきほどまで、明日やってくるエビたちのため水槽の環境を作っていた。
初めてのことだったがなかなか楽しめたよ。
私の本体はどうやらエビを飼えと言っているようだ。
少しレスをさかのぼるが、>>808さん、
あなたが生きている世界はその通りなのだろう。
だが、街を見渡しなさい。
民家が並び、老人たちが植木に水をやり
スーパーでは夕食の準備に主婦達で溢れている。
学校帰りの学生たちはワイワイ楽しそうで
会社帰りのサラリーマングループは今日の飲み屋へ向かっている。
あなたは不思議に思わないかい?
なぜ経済力のない、赤子や幼児が育つのだろう?
いくら貧困に見舞われた国でもそれなりに人口はある。
人口があるということは、みんな生きているということだ。
あなたは自らの世界がまるで地獄のようで
死と隣り合わせのように見えているかもしれない。
だけど不思議に思わないか?
世界中、なんだかんだでみんな生きているのだ。
それはつまり、結局はなるようになっているだけのことだ。
あなたの力では、どうすることもできないだろう。
だから観念するのだよ。勝手に新しい道が開けていく。
845 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:24:12.18 ID:RpueZhFu
いつも書いていることだが、我々にはなんの力もない。
有名なミュージシャンも画家もスポーツマンも
独自の力でその地位を得ているのではないのだ。
エビが水流に流れていくように
水槽という整えられた環境がエビの「世界」となるように
我々は、水槽の中のエビである。
昔、私が独自に提唱した「置物理論」というものがある。
置物、まあ何でも良いのだが、置物は自ら動くことはできない。
金持ちに買ってもらえれば、豪華な他の置物達とともに
ちゃんと手入れをされ「奇麗な置物」として過ごしていくのだろう。
祖末な主人に買われれば、途端にゴミ置き場だ。
もしくは簡単に捨てられるかもしれない。
いや、売れ残りとして何年も店頭に並んだ末に
店が廃業して捨てられるだけかもしれない。
つまり置物はその「環境」が動くことにより、その価値が与えられるのだ。
この一連の流れになんの「努力」がいるのか。これは我々にも言えることだ。
環境を動かす力はない。環境は勝手に動いているものである。これは「変化」だ。
この話は非常に初歩的というか、人生に悩める人向けに書いている。
多くの人が、自らに「都合の良い環境」を得たいため、いわゆる
引き寄せの法則みたいなメソッドに傾倒していくのだろうが、いずれわかる。
すべてたまねぎの皮だ。皮こそが「たまねぎ」だったのだと。
846 :名無しさん:2013/09/22(日) 01:25:35.08 ID:r9HMriRJ
>>844 ありがとう。
どっちもいるんですよ。弱肉強食も愛に溢れている者達も。
私はかなりの動物好きで、よく肉食獣と人の触れ合いなどの映像もよくみます。
多種族が仲良くやっている映像は微笑ましくて仕方ない。
反対に自然界の摂理の厳しさを嫌程、思い知らされる映像もある。
その時は創造主とは機械的なものだろうな...。と深いとこで実感し
又、シャチなどの生態で、この世界は単なる弱肉強食だけでも終わらないとも疑問が湧く。
人食いワニを助けてプロテクター無しでたわむれるオジサンもいました。
TVにも紹介されてたけど、ワニのポチョ。あるシャチの生態。
ビデオでやるせない摂理と恩情の矛盾のビデオにある方が深いコメント残してました。
俺たちは世界に自分のみたいものを投影してるんだよ。だから俺たちは泣きたいんだ。
愛を感じたく泣きたい投影もあり、どうしようもない機械的な部分もあり、
その中で感じたいものを投影してるんだ。深い言葉でした。
エビですか…。自分さんも生き物とは縁が深いですねw
おやすみなさい。
847 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:32:33.54 ID:RpueZhFu
蝉は地上に出て10日前後でその生涯を終える。
その10日というのは、あくまで客観的にその蝉を見た我々の計測である。
では実際、その蝉はどれぐらい生きているのか。
永遠である。
蝉は思考を持たない。つまり感じたまま、あるがままの世界を生きている。
そして人間の各細胞が知性を持つように蝉自体も、その体が起こす
出来事のままに蝉そのものの世界を生きているのだ。
そこには時間の解釈はない。
常に「今」なのだ。
我々は「死」を見ることでその死を知ることができる。
つまり自分の「死」を知ることはできない。
他人や動物や虫など、自分の世界にある何かの死しか知らないのだ。
そこに答えはある。
つまりすべてあなたの世界の中の出来事なのだと。
そしてあなたは死なない。
蝉のように、永遠の世界を楽しんでいるのだ。
それが「いま」に在るということだ。
849 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:39:35.32 ID:RpueZhFu
蝉の見た世界、それが涅槃である。
最高以外のなにものでもない。
長く土の中で育ち、そして大空へ羽ばたく。
見る聞く感じる、世界のすべてが己であると蝉は悟る。
至福は永遠である。
自らの死は自ら知ることはできないからだ。
常に「いま」を指している時計は永遠なり。
それを知ればなにも困難はなくなる。
848 :名無しさん:2013/09/22(日) 01:38:33.11 ID:GSXQhpye
賛同とか云々で、
わたしは素直に面白いと思う
850 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:41:21.75 ID:RpueZhFu
>>848
それでよい。あなたの世界は面白いことで溢れている。
あなたのおかげで私も世界が面白い。
852 :名無しさん:2013/09/22(日) 01:50:27.65 ID:/5GmB7N0
>>849
意識だけでも蝶になれますか?
855 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 01:57:44.78 ID:RpueZhFu
>>852
想像力とは一体なにか、あなたは本当のところを知っているかい?
想像の中で蝶になってみなさい。
蝶のように羽ばたき、その視界を想像してみなさい。
簡単にできるだろう?
なぜならば、蝶もあなたも、元は同じものだからだ。
853 :名無しさん:2013/09/22(日) 01:52:47.62 ID:r9HMriRJ
今年は、こっちはツクツクボウシとヒグラシの泣き声が
極端に少なくて少し寂しくなりました。
コオロギはちょっと涼しいときだと聞こえてきますね。
コンクリートだらけの私の近所で、どこで生きてきたんだろと不思議になりますね。
856 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/22(日) 02:04:47.87 ID:rKYNQxf/
>>853
それはあなたの世界の変化だ。
変化を受け入れたとき、あなたはツクツクボウシやヒグラシの
鳴き声が消えていくことにあなた自身を知るだろう。
常に「世界」は移り行く。
あなたの見ている世界は常に変化を繰り返している。
コンクリートだらけの近所、それを知ってしまえば
その通りの世界が生まれるのだ。
そこに意識を向けなければ‥
つまり、ヒグラシの鳴き声が取るに足らない
当たり前のものであれば今も聞こえているのだろう。
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