573 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/28(木) 09:28:37.98 ID:H08CWO9k
おはよう。
熟睡しているとき、よくいわれる
「今に在る」という中でも特に純度の高い状態である。
つまり起きているときに熟睡を覚えているとき、
肉体も目の前の出来事もすべて風景であることがわかるだろう。
そしてなにより、その風景を眺めている「それ」は時間が止まっている。
永遠であり無限であり静寂である。まさに「今に在る」だ。
起きているときの「熟睡」に耳を澄ませてみなさい。
風景がある。
それは「見たこと」を考えているからだ。
つまりプラスマイナスゼロ、体験を消化することでゼロになる。
ゼロとはなにか。それが真我だ。
体験と消化、これは同時に発生している。
外を歩いてみなさい。
無数の「見たこと」「聞こえたこと」
「感じたこと」などを考えているだろう。
つまり物体もなく肉体もない。ただ「考えたこと」
それが対象としてあるように錯覚しているだけなのだよ。
それが真理だ。そこには何もない。ゼロだ。
では就寝中の熟睡から「朝」「目が覚めて」「活動する」
この「」で括ったそれらとは実際には何が起こっているのか。
熟睡が生み出した「考えていること」のカラフルな世界、
もはやずっと夢の中なのである。現実とは熟睡の中にあるのだよ。
577 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/28(木) 14:21:50.46 ID:H08CWO9k
「記憶」すら「そのように考えていること」という事実を知れば
すべてが変わるだろう。
本当にそれはそこにあったのかね?
苦しみなんて本当にあるのかね?
593 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/28(木) 21:55:13.34 ID:H08CWO9k
死とは熟睡なのだよ。
そして現実とは夢なのだよ。
もう何も恐れることはないだろう。
すべてはただ夢の中だ。
真我が夢をみたいだけなのだよ。
だから思考に囚われず「ただ生きてればいい。」
勝手に幸福に運んでくれる。
594 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/28(木) 21:57:07.00 ID:H08CWO9k
ただ生きてればいい。
605 :名無しさん:2013/11/29(金) 03:24:30.00 ID:JnaDPxH7
このスレみるようになって最初読んだ時に意味がわからなかった。
ロバートやエックハルトトールの本がすんなり入ってくるようになった。
言ってることはみんな同じような事になるんだろうな。
そしてそれは言葉に出来ないんだろう。
人によって感覚も違うんだろうし。
自転車乗れる人が、乗れない人に乗れるように
コツ教えるようなもんなんだろう。すべて観念って事はわかるが、
それを手放すってホントに出来るんだろうか?
あるラインを超えないと無理だよね。
ただ生きているだけで素晴らしいなんて言われても、
消えて無くなりたいっていつも思うよ。
すべてから逃げ出したくなる。
インスピレーションと思考の違いも全くわからん。
608 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 07:57:43.03 ID:fzdmv+5B
>>605
「生きている」というのは思考で、
あれこれ計画、目標などを持って「進めていく」ことではない。
何が正しくて誤りか、どっちが得で損か
価値を求めたり判断することでもない。
「運命」に任せて「何もしない」ということだ。
ここで運命と書けば、また疑問のトラップに
陥るだろうけども言葉を超えなさい。
思考回路に入る前の「スッと感じるそれ」だけを受け取りなさい。
それは太陽の輝きであり、食べ物の栄養であり、
循環する自然現象そのものだ。
植物は知性を持つ。だが思考は持たない。
植物にがんじがらめの「運命」を感じるかね?
確かにその場所からは移動できないし、
世界に対して決まった連動パターンしか行為しない。
だけどもそこに「自由」を見いだすときあなたはひとつ理解を超えられる。
あらゆるものを「認識」する側の我々の正体は「漂う思考」である。
そう、漂っているのだよ。どこに漂っているのか。
思考に力はない。ただ漂いなさい。
609 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 08:11:34.61 ID:fzdmv+5B
あなたがどんな熾烈な環境で暮らしていようとも、
自らの考え方や判断を捨てて世界に委ねたときすべては変わる。
変わるのはあなたであり世界の別の一面が見えるようになる。
このスレッドの人たちはひたすら脱出を思索しようとする。
もうその時点で輪廻なのだよ。脱出を探すだけの毎日がそこにあるだろう。
いいかい「何もするな」だ。
ただその現実を自らの体内のことのように、
ごく当たり前に過ごしていなさい。
私は足りない知識を与えることができるが、
同時に、私を信じてはいけないよ。
それはどの本も同じことだ。
あなたの「体内」に、ただあるがままに点在しているに過ぎない。
信じる必要など、つまり思考を駆使することなど
何の力もないのだよ。
610 :名無しさん:2013/11/29(金) 09:22:51.00 ID:fERYV1Be
「何もするな」って、家でゴロゴロしてろって意味じゃないんだろ?
外に出ればエゴに巻き込まれる。
「何もしない」ができなくなる。
611 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 09:32:05.14 ID:EHaJTdb5
なぜ起こる出来事に抵抗するのかね?
そんなに自分を崇めたいのかい?
613 :名無しさん:2013/11/29(金) 09:39:34.64 ID:fERYV1Be
わからない。
自分を崇めてるつもりはないが恐怖が襲ってきて
それから上手く距離が取れない。
614 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 09:40:47.54 ID:EHaJTdb5
言葉に囚われているから「言葉遊び」に見えるのだよ。
言葉に印象や意味を与えてはならない。
615 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 09:45:42.99 ID:EHaJTdb5
>>613
なぜ恐怖があるのか。
理由は何であれ根源は自分を守りたいからだろう。
全部捨て去れば恐怖など微塵もなく消え去る。
だが捨て去ることに対し「現実」から
猛烈な不安や恐怖が迫ってくるが、超えなさい。
616 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 10:41:29.76 ID:fzdmv+5B
自己の判断で能動的に行動すれば必ず苦が訪れる。
それがどんなに好奇心に溢れワクワクしていることに見えてもだ。
脱出を自ら探すのではない。脱出に自らを探させるのだよ。
日々、自分のエゴを殺して世界を過ごしなさい。
起こる出来事に順応し、個人的な判断を一切持ち込まない。
それが何もしないということだ。
事実、あなたの肉体が反応しているだけであって
あなたは何もしていないことを徐々に理解し始める。
あなたが個人的な判断を持たずとも
世界があなたに「あなたで在ること」を必ず提示してくる。
その時点ですでに世界のワンピースだ。
あなたが入るコンビニの陳列棚や店員、
レジの数字ボタンと同じく世界を循環させるのに
不可欠な要素のひとつとなる。
これまでもそうだったし、いまもそうだ。
世界は「あなたで在ること」を必ず提示してくる。
その通りに在ればよい。
人伝だったり何らかの支払いや仕事だったり様々だ。
それが何もしないということだ。
あなたは都度「いまそれやると損だ、あとにしよう」とか
判断を持ち込んで流れを止めてきたのだよ。
「いまここで動かないと家族が苦しむ!」も同じだ。
いまそれが起こっているわけでもなく
予測の恐怖から思考で逃れようとする。
予測の恐怖すらも思考が生み出しているのだよ。
脱出に自らを探させるのだよ。
617 :名無しさん:2013/11/29(金) 10:46:02.98 ID:RSlV90ES
何かを得るための努力は必要ない。
そういう意味では何もすることはない。
ただ、今に在り続ける努力は必要。
今に在り続ける=何もしない。
エックハルト・トールの言葉です。
でも、得るために今にあり続けたり、
何もしないようにするのでは全く意味がない。
だから、今に在り続けるために、
思考(自分)にできることなど何もない。
何もせずに生きることは正解でもある一方、
思考(自分)で解釈してしまえば間違いにもなる。
思考(自分)から離れ、流れに身を任すことで、
ひょっとしたら現象は好転するかもしれないが、
だからといって、それを思考(自分)で解釈し
「何もしなかった」結果だと錯覚すると、
また苦しみのループは続く。
619 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 11:01:06.81 ID:X+1v7wwy
>>617
その通りである。
618 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 10:58:59.50 ID:X+1v7wwy
つまり「面倒くさい」と思考して、順応すらしないのは世界、
つまり神(本当の自分)に対する冒涜なのだよ。流れなさい。
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