もうひとつ書くが、「わかる」も「わからない」も「ない」のだ。
それらも、脳の勝手な認識が生んだイベントである。
早く超越しなさい。すればあなた方の「望む」ゴールだ。
それもないんだがね。
59:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/23(火)NY:AN:NY.ANID:c5C5C/iI
執着という作用がなければ書き込みはできない。
あなたもそうだろう。
面白い話をしてやろう。
私が執着を手放したらどうなるか。
答えは
「私はこのスレに現れなくなる」
ふふふ。
まあ普段は執着を手放すことが日課になっているから
執着をしている時間があるからこそ「手放しているとき」を知れるんだがね。
61:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/23(火)NY:AN:NY.ANID:c5C5C/iI
釈迦は悟りを開いたが、なぜそれを彼は知っているのか。
それは悟りを開いていないときがあるからだ。
つまり、「いまに在る」という状態は
「いまにない」状態があるからこそ認識できる。つまり思考だ。
いわゆる二元論だが、これは深い意味がある。
つまり、悟りを開くも開かないも、同じことなのだよ。
今に在るもないも同じことなのだよ。
一旦、それらの境地を知ることは大切だ。
それらは何の意味もないことを知るためだ。
だからすべてのスピリチュアルは最終的に忘れる必要がある。
意味などないからだ。
ただあなたの存在があり、その存在とは、あなたが生きている世界である。
まあ死ぬときにすべてわかるよ。「ああ、見てきたものが自分だったんだな」ってね。
63:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/23(火)NY:AN:NY.ANID:c5C5C/iI
良いことを教えてやろう。
これは「やまがみてるお」氏の著書に書いてあった内容だが
重油が海に流れ出た時に、それを喰らい消化するバクテリアが海にいるらしい。
彼らは「単に空腹の欲求を満たしただけ」だが、
世間的には、環境保護に捉えられる。
つまり、欲求を満たすことは存在の意義なのである。
このようにも考えられる。
我々の起こす行動のすべて、指を動かすから、食事睡眠、性欲まで
すべて欲求である。
つまり我々は欲求のために存在しているのだ。
すべての行動が欲求を満たすために出来ているからだ。
64:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/23(火)NY:AN:NY.ANID:c5C5C/iI
では「欲求」とはなにか。
そんなものは「ない」のだ。
我々が勝手に「欲求」という分類を与えカラーを与えているだけだ。
66:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/24(水)NY:AN:NY.ANID:4U905GqN
世界は自分であると私は説いた。
つまり、あなたが望んでいるから、いくらでも私が生まれるのだ。
望むとは、何かしら否定をしたい欲望だ。
そして、あなたがいるから、私が「伝える」という行為が生まれるのだ。
67:名無しさん:2013/07/24(水)NY:AN:NY.ANID:rC0T3obk
病気で2回ほど死にかけた人だが
死ぬときに悟るはどうだろか。
意識が遠のいてそのまま麻酔だったが
お花畑も見えなかったし幽体離脱も
しなかったし、この世界に対し気付いたこともなかった。
運よく難を逃れたが。気付く人は気づく。
気付かない人は気づかない。
なんで死にこだわるのか。
幻想を楽しみたくてマネゲ購入したんだから
幻想を適当に楽しめばいいじゃないか。
68:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/24(水)NY:AN:NY.ANID:4U905GqN
>>67
あなたにとっての「悟り」が何かわからないが
つまり「ゴール」やら「終わり」やらが見えた時点で
「それまで」が浮かび上がるのだ。
つまり、目標が重要ではなく、過程が大切だったんだな、ということだ。
69:名無しさん:2013/07/24(水)NY:AN:NY.ANID:rC0T3obk
よく知らないけど釈迦とか悟った人とからは
知る必要があるものと、知らず追究せずとも
いいというものがあるというのが解ってたらしい。
一番、危険を伴うところに真理は潜む。
だから一番、危険を伴わないよう真理を捨てる。
気楽にやろう。闇が光の輝きを増す為にあるのなら
闇すらにも感謝できる。その程度の認識でいいじゃん。
72:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/24(水)NY:AN:NY.ANID:hIuA9PfL
>>69
いいねえ!その軽さで良い。
すべてどうでも良いことだ。
それに気付かせるために、教えがある。
死にしろ、教えだ。
喜びも教えだ。
いまも教えだ。
では何を教えているのか。
我々の生きている世界、つまり自分自身は
何を自分に伝えているのか。
ただ在りなさい、そういうことだ。
虫を観察しなさい。ただ彼らは生きている。
精神世界を学ぶ我々は、正直言うと、
近所の「ただ生きているおばあちゃん達」に比べて
求めすぎているのだ。
求めすぎているから、ここにいるのだ。
ただ在れば良い。
近所のおばあちゃんたち、みんなただ存在を感じている。
求める必要はない。ただ、在りなさい。
73:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/24(水)NY:AN:NY.ANID:hIuA9PfL
さて、何度も書いてるが「好きなように生きなさい」
他人への迷惑など考える必要もない。
考えたければ考えれば良いが、あなたに制限を与える。
マゾヒズムな性質ならばそれも良いだろう。
答えなどないのだ。
あなたは、ただそこにいる。
本当にそれだけなのだよ。
唯一のメソッドとしては
執着しない。
そうすれば、日々起こる出来事に飲まれるように流されていくだろう。
それに乗ればよいのだ。それが本来ある姿だ。植物をみなさい。
本来ある姿になれば、自然とすべて好転(と感じられる)状況になっていくだろう。
我々は自ら勝手に制限を作り上げていることに気付きなさい。
すべてどうでも良いことだ。
77:71:2013/07/24(水)NY:AN:NY.ANID:zT59Gvbe
ずっと読んでて理解は出来てるつもりです。
でも、それ以上のことが起きないのですが・・・。
それはつまり、実感が伴っていないからではないでしょうか!?
79:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/24(水)NY:AN:NY.ANID:hIuA9PfL
>>77
何も実感できない、何も起きてこないこそが、正しいのだ。
だがそれが正しいと理解できないから、一旦「悟り」や「ワンネス」を
経験した「ほうが良い」
その程度の話だ。
あなたはそこに実在している。
その実在をもっと優しく感じてあげればどうだろうか。
82:71:2013/07/24(水)NY:AN:NY.ANID:zT59Gvbe
>>79
それを考え出すと、頭の回転が鈍るような感じになります。
おそらくエゴの仕業のような気がします。
これを正せば、気づくと思ってたのですが・・・。
思い違いと言う事ですか。
ありがとう。
84:自分◆3wwHKM8d6k:2013/07/24(水)NY:AN:NY.ANID:hIuA9PfL
>>82
すべてが答えだ。つまり「答え」などないのだ。
あなたが知り得たすべて、人生で感じたすべてが、「すべて」なのだ。
あまり深く考えないよう、配慮をしている。
気付きも大したものではない。先にも書いたがあくまで「知る」ための過程だ。
我々が認識できる範囲では、あなたの人生こそがすべてである。
だから思う存分、わがままに生きなさい。それだけで良い。
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