コップが自らコップであることを知らない、同じように
あなたがあなたであることを知らないとき、それは世界に溶けている。
夫婦、持ち物、自分と他者のような限定的な関係性ではなく
すべてが関連している一体性であること、それが「溶ける」だ。
溶けているとき当然アイデンティティはない。
だが溶けながら「肉体」の現象を眺めている。これは思考だ。
つまり「思考」と「それ」が水と油ではなく
「思考」は「それ」の側面なのだよ。思考がなければ
「それ」は立証できない。
赤と赤以外の話と同じだ。
コップが自らコップを知らないのと同じだよ。
自らの手をスケッチするとき、手を描くのではなく手の周囲から描いていく。
つまり「手」以外だ。すると手を描いていないのに「手」が浮かび上がる。
それが本当の「手」だ。
その認識を持たないとき、あるがままの姿がある。
最初から手を描いていけば必ず印象の世界に陥るだろう。
132 :名無しさん:2013/12/10(火) 21:48:43.33 ID:xldSAaWT
「悟りなどないことを悟る」ってことはメソッドなんてやっても無駄だから
今までどおりに生きればいいってことなのかな。
134 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/10(火) 21:58:42.52 ID:FmP3CWuO
>>132
それは理解不足だ。そういうことではない。
すべては関連性であり、もとはひとつなのだよ。
「言葉」が分離をさせており、我々は言葉に囚われているだけだよ。
木とはなにかね? 木ではない。そんなものはない。
言葉が「木」と個別化しているだけでそういうものではない。
親指も小指もあなただろう。だが言葉で区切ると指になる。
あなたすらも区切られている。あなたとは地球かい?宇宙かい?
区切ることをやめたとき、あなたはひとりだったことを知るのだよ。
139 :名無しさん:2013/12/10(火) 22:37:55.10 ID:/m+hAlD5
素朴な疑問ですが、どこに向かってるんですか?
スピリチュアルな観点からでなく東大准教授が書かれた
脳科学の本からでも同じような事は書かれている。
世界があるのではなく目が出来たから世界が出来た。
きちんと理論だてて解りやすく説明してくれている。
進化しすぎた脳。持ってます。
知的好奇心は刺激されて面白い。賢くなれた気にもなる。
そんな東大の権威でも脳の事は結局全ては解らないと
書いてるのが興味深かった。
だけど読み物として非常に面白くても、
読んで体の痛みが無くなるわけでも楽になれるわけでもない。
5感や感情から少し距離を置いて、少し冷静に
物事を受け取められるようになってもそれが実感できて
痛みに恐怖もせず何ともないと本当になってたら今、
ニュースに映ってるか病院に入ってますよ。
身体を無視しては駄目です。
140 :名無しさん:2013/12/10(火) 22:38:56.25 ID:hSdpMegs
他人の事を自分だとは思えないな。
141 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/10(火) 22:40:21.28 ID:FmP3CWuO
>>139
ヒントをあげよう。これだけで気付く人もいる。
あなたが近くの温泉に行こうとも繁華街に遊びに行こうとも
時代が進化して宇宙旅行で銀河の果てに行こうともね、
どこに行こうがその風景に必ず「あるもの」が含まれている。
それは何かわかるかい?あなたのよく知っているものだよ。
>>140
では「死」とはなにかね?
142 :名無しさん:2013/12/10(火) 22:42:07.92 ID:hSdpMegs
死は肉体が二度と動かなくなること。
146 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/10(火) 23:24:31.62 ID:FmP3CWuO
>>142
>肉体が二度と動かなくなること
だがあなたはそれを知ることができると思うかね?
できないのだよ。
あなたは自分の死を知ることは決してできない。
肉体が滅んだときに「それ」が残る。
つまり観念が消え去ったときに純粋な「あなた」を知るのだよ。
あなたの世界の中にいる他者の死は目撃できるだろう。
だが彼らも死んでいない。つまり死はないのだ。
いいかい。
この意識世界はすべて循環しているのだよ。
あなたが果物を食べたとき、それは果物を食べているのではない。
死体が火葬され蒸気が雨になり土の養分になる。
そこから果物が生まれる。つまり人間を食べているのだ。
全部繋がっているのだよ。人間も果物もない、そういうことだ。
自分も他者もないのだよ。
物質と思っているすべては「ひとつ」である。
物質レベルですら「ひとつ」だ。さらに「それ」はひとつだ。
世界に歴史に秩序があることがその証明だ。
145 :名無しさん:2013/12/10(火) 23:22:17.21 ID:/m+hAlD5
だからそっちの方向へ進むから。
おとぎ話だけど仮に転生があったとしても、大気や土に分解されて
別に肉体をもって何世代も続いてきたとしても、次のあなたはあなたじゃない。
もし覚えていたとしても、なんとなく程度でしょ。
温泉行っても宇宙の果てに行っても、この体も目も持った私が共にいないと。
生まれ変わった男か女か解らない違う私は私じゃない。
時代が変わっても、この私を視ているものは
言葉にできないものを直感として感じ取るだけ。
真我は変わらなくとも私は「生」物です。
ちゃんと私と私の身体の氏はある。
146 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/10(火) 23:24:31.62 ID:FmP3CWuO
>>145
先に書いた質問の答えは「あなた」だよ。
不思議に思わないかい?
つまりどこに行こうが「あなた」が常にある。
銀河の果てですら「あなた」がいるのだよ。
あなたは知らないことは想像すらできない。
だから「あなた」の範囲内で物事を受け取る。
あなたの解釈も書き込みもそれはあなたなのだ。
あなたはあなたを超えられない。あなたがすべてだからだよ。
「あなた」という枠の中で人生が展開するからだ。
では「あなた」とは何か。それは体験である。
あなたはあなたを体験しているのだよ。
真理を知ったところで「あなた」は「あなた」を決して超えない。
真理すらも「あなた」が内包するからだよ。
147 :名無しさん:2013/12/10(火) 23:31:15.85 ID:/m+hAlD5
>>146
ですから体は大事にしましょうです。
5感を鈍らせることや距離を置いて痛みを和らげることは可能。
もともと痛みとか苦しみは生の為あるんじゃなくて
生きるのに支障があるものを知らせるものなんだから。
だから身体に痛みがないのに囚われるのはよろしくない。
だけど痛みそのものに無頓着になってしまうのもよろしくない。
意識が薄れても5感はちゃんとあります。
日本語がほとんど頭に湧いて出ず歌などと一つになって
無意識に歌ってて心地よい時も5感はあります。
148 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/10(火) 23:34:17.47 ID:FmP3CWuO
>>147
あなたがそうなら、そうなのだろう。あなたの認識だ。
だが私は「認識」を捨てている。
だからあなたの世界と私の見る風景は異なる。
これはあなたが関わるすべての人も同じだ。
だが「異なる」のは認識世界だよ。根底はひとつだ。
認識を超えることが「悟り」だよ。
181 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/13(金) 21:13:32.17 ID:023hcry7
いつも書いていることだが、すべてはイマジネーションである。
イマジネーション、印象、幻、なんでもよい。あなただけが真実である。
あなたはどういう時に騙されるのかね?
何の疑いもない、それが最初からそれであると思い込んでいるときだろう。
空気がある、それ本当かね?
歩く。持つ。そういう行動は本当に起こっているのかね?
疑問すら持たないとき、あなたはすっかり騙される。
騙しているのは自分自身だ。
印象やイマジネーションにてあなたは体験する。
183 :名無しさん:2013/12/13(金) 22:48:45.04 ID:pDtxUH2R
>>181
今日のように冷えれば寒いし殴られれば痛い。
これからの季節、青かん者は冬超せなくて凍死する人多いな。
災害が起きれば被害もあるし住まいも無事で済まない。
事象はイマジネーションでなく常に現実でゴリゴリ起こってるよ。
私はいつまでこの風変わりな思想を容認できるか自信が無い。
184 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/13(金) 22:51:55.67 ID:023hcry7
>>183
では聞くが、寒いとき、凍死する人を知るとき、災害が起きているとき
それらを感知するときに絶対にそこにあるものが、ある。あなただ。
以前も書いたが、時代が進んで銀河の果てに行っても
そこには「あなた」が常にいる。これを知りなさい。
あなたがいつもどこでもいるのだよ。
これがどういうことか知るのだよ。
186 :名無しさん:2013/12/13(金) 23:00:08.90 ID:YmefyKyq
確かに今日時間が分からなくて困った時に
「これは風景だ」とは思えなかった。
幸いすぐに解決したから良かったが、仮にエゴが作った虚だとしても
大事にしたほうがいいんじゃないのかと思ったよ。
187 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/13(金) 23:12:48.56 ID:023hcry7
>>186
横レスですまないが
>困った時に「これは風景だ」とは思えなかった
それ自体が風景だよ。
「風景」は風景ではない。思えなかったという意思が風景なのだよ。
すべてイマジネーションなのだよ。そこに自我が生まれる。
考えみなさい、街を歩いていて奇麗なイルミネーション、可愛い女の子、
心惹かれる音楽、欲しいと思わせる雑貨、車、明日の予定にあれこれ、など。
すべてあなたの感想→印象→イマジネーションだ。
ではあなたを省いたらそれらは一体なんなのだ?
あるがままにあるのだろう。だがね、あなたがいない。
つまりあなたの見ている風景はすべてあなた色なのだよ。
189 :名無しさん:2013/12/13(金) 23:30:14.80 ID:YmefyKyq
>>187
横ではないよ、ありがとう。
「風景」とは今までの認識を無視したりすることではないんだね。
「存在する」とは何かということをずっと考えていたよ。
やはりそれは観るものと観られるものがいて初めて成り立つ。
つまりどこまで行っても
自分の世界が広がっているんだという事に気が付いたよ。
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