自我から見た「楽しさ」は印象を抜けていない。
そうではなく「世界」という至福を知ることだ。
犬の散歩を全身全霊で楽しんでいる、その自らの姿を眺めなさい。
自我の喜びは変容するが意識の喜びは変容しない。
ただ在るだけだ。
「ボーナスでカメラを買ったぞ!よし撮りにいこう!」
これはエゴだ。いずれ苦に変わる。
「カメラを買った」と知っている時点で苦なのだよ。
「カメラ」が主体となっている。
カメラを手に入れてもいいし撮りに出かけてもいいのだ。
だがね世界に「カメラを手にしている自分がいること」
その意識が大切なのだよ。それは変容しない。
誰か目上の人と食事をする。
あなたは愛想笑いをしたり話を合わせたり、
意味もない相槌を打ったりするだろう。
まさに苦の典型だ。いいかい。
そこに座る椅子の感触、手に持つ食器の重さ、
周囲を取り巻く環境音、目の前に人がいる、何か音を発している。
そういう「いま」に意識を置いているとき「あなたは愛想笑いをしない」。
ただ「その場の嬉しさ」が込み上げてくるだけだ。
最初から誰もが悟っているが、誰もが愛想笑いを続ける。
つまり主体を外側にしているということだね。
自分のもっと内側から眺めるのだよ。
肉体こそ風景だから。
209 :名無しさん:2013/12/14(土) 12:31:32.30 ID:ukrWR7Wz
>>208
常にそうあれることは私の憧れでもあります。
ですが私はまだエゴは消せません。
何十年も一緒に付き合ってきたからそう簡単に意識的に消せないものだと思ってます。
反論じゃなく一意見として受け取っていただければ幸いです。
あなたの仰る事はとても染み透ってるから。
エゴの立場としたら、別にいいんじゃないですか?
カメラ買ったぞ!よし撮りに行こう!も。
裸の王様は自分が裸だと気付かされるまでは幸せだった。
エゴは自分も皆ももってるから、必ずエゴ相応の反応をかえして気付かせる。
誰かの不幸を願ったり故意に傷つけるのではないのなら、折角、
色んな経験をしたくてエゴをもたされたんだから、最初のきっかけは
エゴでもいいんじゃないでしょうか。
エゴにうんざりしたら自動的に、おかしい、
努力して手に入れたのに、それほど幸せじゃない。
なんでだ。。。と勝手に自ら考えるでしょうから。
痩せたら幸せになれる。とダイエット過剰な人も
よく「経験後」に疑問をもち反省して行動を自然に変えていきますね。
切っ掛けはエゴでも満ち足りて居続けることができれば、それでいいし。
数学や論理的に考える事が好きなのに悟りには向かないと
無理にやめさせるのも抑圧なようなもので。
社会が理数系を求めていて、それに合わそうと無理に理数系を頑張るなら別だけど。
好きな物に巡り会えて、楽しいと感じられたらそれはそれで。
手に入れた時の満足は、ずっとは続かないから
手に入れた物を大事にしようと忘れた時に思い出せば。
上司と食事するなら緊張も気づかれも当たり前。
あんまり緊張しすぎるなら深呼吸。
でも基本的には、その人の話を聞いてあげないと。
そこから緊張が解け周囲との空気に段々と溶け込める。
212 :名無しさん:2013/12/14(土) 15:19:11.50 ID:4jY9glhD
自分が被害者の場合は幻想でもよいかも知れない。
だが殺害してしまった加害者も幻想と自分に言い聞かせれば
罪の意識から簡単に逃げられる。
殺してからこれは現実ではない、幻想だってやっても良いのかい?
213 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/14(土) 18:17:31.18 ID:qD5s4jZ8
>>209
遅くなってすまないねえ。
新しいカメラを手に入れたので早速撮りまくっていたよ。
さてあなたの言っていることは当然よくわかるが、
それは単なる自己啓発だ。私が伝えているのは超越だ。
それらはまったく違うものなのだよ。
私はどこぞの大企業の会長や暴力団の組長などと
会席しても何も影響されない。ただその風景があるだけだ。
緊張や深呼吸で「対処」したり「反省」したり、
自然に「変えていく」などそれはあなたの言う通りエゴの範疇である。
そういう次元は私には理解できない。
ただ喜びがあるだけだよ。このような討論も素晴らしき風景だ。
>>212
あなたはエゴから動こうとしているね。
世界という「自然」に自らが溶けたとき、あなたは調和するだろう。
まずは理解できるよう観念を崩していきなさい。
215 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/14(土) 18:19:51.44 ID:qD5s4jZ8
寒くなってきたのでチャンスだ。
寒いだろう?身も染みるような寒さだろう。
だが「今」の次元に入ったとき、確かに寒いがまったく寒くない。
こういう季節的な刺激は「今」を得やすいからトライしてみなさい。
寒さすら風景となる。今に在る方法はいくらでもあるから
適当に探して自分に合うやつを見つけなさい。
220 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/14(土) 20:46:21.11 ID:qD5s4jZ8
世界は幻想というのは
「受信者が受け取ることがすべて」ということだ。
去年嫌いだった音楽が今は好きだ。
その音楽自体は何も変化していない。
だが「受け取らなければ」世界は見えない。
つまり実体には感知することもできず、
ただただ自分の「印象」だけが世界なのだよ。
だから世界=幻想なのだ。変容する。
221 :名無しさん:2013/12/14(土) 22:32:39.01 ID:0USpKt8Q
思考を排除した「無」の状態にあっても
音楽を聴くことはできるし良し悪しは判断できる
これは完全に「無」になれてないってこと?
223 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/14(土) 22:48:36.14 ID:qD5s4jZ8
>>221
そうじゃない。あなたの印象でそれを色づけしないということだ。
だがね本当の無になれば、まあ熟睡を思い出せば
わかりやすいだろうが聴くも見るもないのだよ。
224 :名無しさん:2013/12/14(土) 22:53:11.36 ID:UCI/2mpW
熟睡を思い出せるのだろうか。
225 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/14(土) 22:59:30.80 ID:qD5s4jZ8
それは理屈だよ。
あなたは毎晩熟睡しているだろう。
なぜ熟睡していたと知っているのかね?
226 :名無しさん:2013/12/14(土) 23:03:59.88 ID:UCI/2mpW
知っていないが
227 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/14(土) 23:18:28.54 ID:qD5s4jZ8
良いことに気付いたね。その通りだ。
知っていないからそれを知るのだよ。
以前も書いたが自分の手を描くとき、
手以外の周囲の風景から描けば自然と「手」が浮かび上がる。
熟睡はそれ自体を知ることはできない。
だからそれ以外から知るのだよ。物があるから空間を知る。
だが最初から空間だけしかないなら、空間を知ることはできない。
228 :名無しさん:2013/12/14(土) 23:25:14.84 ID:UCI/2mpW
ならば『それは理屈だよ。』と言い放ったのはなんなのか。
言い返そう。それは理屈だよ。
229 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/14(土) 23:41:20.35 ID:qD5s4jZ8
そうではないよ。
あなたと私のやりとりすらバケツの中なのだよ。
理屈もなにもそれらは印象の域を超えることはできない。
230 :名無しさん:2013/12/14(土) 23:44:59.90 ID:XEmC+/Um
自分さんは解脱なの?
その先はないと思ってる?
教えて
悟りすら幻想だ、とかいう回答は抜きにして
232 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/14(土) 23:47:22.82 ID:qD5s4jZ8
>>230
いや悟りなどないことを悟るのだよ。
いいかい。あなたの見る世界がすべてなのだよ。
まだ理解できないだろうが覚えておきなさい。
233 :名無しさん:2013/12/15(日) 09:41:23.76 ID:WrzwbRtK
ただ在る現象を、色付けして苦楽を感じているのが思考であり幻想なんだな。
でもただ在る現象(風景)がどこから来たんだろう。
コーヒーが飲みたい(自我)→100円ある(現象)
→買って飲む(行動)→うまい(感じる、幻想)
自我が意図して幻想を生み出したと考えられるが、
なぜコーヒー飲みたいと意図したのだろうか。
プログラムしか考えられんし「それ」のせい?、
234 :名無しさん:2013/12/15(日) 10:31:11.10 ID:sXmynfkF
同じくプログラムされてるとしか思えないが、
自我ってどういう位置づけになるの?
コーヒーが飲みたいは自我なの?
自然に欲求わくから今日はコーヒー、のど乾いてるから今日はアクエリアスって。
朝からスケジュールたてて献立たててないなら今日はコーヒー、
明日はアクエリアスって決めてないと思うのだけど。
飲みたいの感じるが先にあって後で頭が
コーヒーが飲みたいという言葉を浮かべると思うけど。
自我と思考と感覚とごっちゃになってややこしくなってきた。
大抵、感じるものに逆らったら苦しいだけになる。
236 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/15(日) 10:45:54.07 ID:GStNVcG+
>>233
ランナーズハイみたいなものだ。
ある地点を超えると体が勝手に走っていることを知る。
自分はただ眺めているだけだ。
肉体が息を切らせている、脚が跳ねるように動いている。それを眺めている。
「コーヒーが飲みたい」と思考している肉体を眺めるのだ。
すべてに意識的でありなさい。
>>234
自我も思考も肉体だよ。
目の前で犬が走り回っているのを眺めているのと同じ。
味も寒さもすべて風景だ。ただ眺めるだけである。
勝手にコトは進んでいく。
235 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/15(日) 10:37:22.65 ID:GStNVcG+
あなたが宇宙旅行で銀河の果てに辿り着いたとき、
そこにも「あなた」がいるだろう。
驚くべきことだと思わないかね?
想像すらできない場所へ行ってもあなたがいる。
人生の100%はあなたなのだよ。
つまりあなたが見るもの聞くものすべて「あなた」なのだよ。
この「空」は常に在るものだ。
自我とはあなたのことだ。
そのあなたが体験するものすべてもあなただ。境界はない。
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