自由な意志はあるのか、ないのか?
そういう問いをよく聞くが、勝手に起こる思考に対して
「過去のデータ」を付与するかしないかは自由だ。
よって自由な意志はある。
だがその自由な意思のことを「エゴ」と呼ぶ。
すべてに委ねなさい。
身を任せるのだよ。
私の書き込みも勝手に起こっているだろう。
あなたの手足を動かそうする意図ですら
あなたが行っているのではないのだ。
起因とする出来事があり、それに思考する。
だから人は自らが自由に思考していると考える。
だが起因とする出来事はあなたが自在に起こしたのか?
すべてはリンクしている。因縁生起。
関連が関連を呼び、関連の連鎖が始まる。
だが起こった出来事も思考も、
エゴとして受け取らなければ、単なる流れ行く波動である。
流れ行く波動にエゴを与えず、同一化しなければ
川に流れる落ち葉を眺めているのと同じとなる。
つまり、それが
281 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:nAsyZmHP
脱出だ。
282 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:nAsyZmHP
エゴとは連鎖だ。
連なる鎖と書いて連鎖という。
鎖に縛られたくなければ連鎖に加わらなければよい。
つまり、落ち葉を眺めるがごとく
生まれ行く出来事、思考に、囚われない。
意識を与えない。エゴを生みださない。
いずれ、生まれゆく思考を眺めていることですら
レコードの記録内容だと理解できる日が来るだろう。
そのときに、すべての教えを捨てるだろう。
なぜならば、すべて仕組まれた単なる小さな出来事だからだ。
「あなた」はそれを楽しんでいる。
ただ眺めている。
「あなた」の思いついた通りに
「あなた」の意図した通りに
流れ行く様を眺めているだけだ。
すべては単なる設定である。
悟りも気付きも何もかも
「あなた」が遊んでるゲーム内の設定項目でしかない。
スーパーマリオで緑のキノコを取ったら1UP。
そういう単なる決めごとである。
いずれわかる。
283 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:nAsyZmHP
すべてに意味はなく
すべてに理由はない。
そしてすべては勝手に起こり、勝手に消えていく。
では一体「何なのか?」
それを眺めているだけだ。
肉体も植物も天候も星の動きもすべて「知性」が宿っている。
心臓の動きも呼吸も肉体の知性が単に活動をしているだけだ。
あなたの意思とは関係なく勝手に動いているのだ。
思考もなにもかも、日々起こる出来事もなにもかも勝手に動いている。
つまりあなたは何もしていない。
あなたは何もしていない。
衝撃を受けるかもしれないが、
あなたはこれまでもこれから先も何もしていないのだ。
284 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:xxeZ5vrj
何もしていない。
言い換えれば、何もできないのだよ。
言い換えれば、何もする必要すらないのだ。
あなたは何もしていない。
同じ場所におり、ただ眺めているだけだ。
風景が生まれ消えていく。
あなたは自らが歩き進んでいると勘違いをする。
思考が生まれ消えていく。
あなたはアイデンティティを持っていると勘違いをする。
あなたは何もしていない。
そこから動いてもいないし、なにもしていない。
あなたの感じている世界が、
あなたの肉体を含め、勝手に動いているのだ。
それを眺めているだけである。
あなたは何もしていない。
あなたはターンテーブルの針だ。
動いているのはレコードの側である。
285 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:xxeZ5vrj
これまで書いたことに対し
いずれ理解があなたを溶かす日がくるだろう。
日も理解も存在していないことがわかるだろう。
私は勝手にこれらを書いている自分を眺めている。
正直なところ、私は何の知識もないが
勝手にタイプされる文章にただ驚くだけだ。
だが驚いているという行為すらも、勝手に起こっている出来事だ。
つまり私は存在しない。
驚いている者などいないし、
これを書いている者もいないのだ。
286 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:xxeZ5vrj
悩む必要はない。
目の前で起こっている出来事を眺めているだけでよい。
眺めている側へ意識を持っていきなさい。
そうすればいずれ超越する。
つまり涅槃と言われる境地に入る。
そこでは「眺める」だけだ。
肉体の動作のようなものが勝手に生まれ消えゆき、
風景が勝手に生まれ消えゆき、
思いや心のようなものが勝手に生まれ消え行く。
そして「言葉」も超越する。
言葉に縛られたすべてが解放されるのだ。
その時、すべてはひとつだったと容易に察知できるだろう。
言葉は史上最大の制限である。
あなたはレコードを読み取っている針だと自覚しなさい。
動いているのはあなたではなく、それ以外だ。
時間の中であなたが動いているのではなく
あなたを出来事が生まれ消えていくだけだ。
流れているのではない。
あなたを流れているのだ。
川の流れがあり、その中にある石があなただ。
石が流れているのではない。
石に川の流れがあるのだ。
石はそこを動かないし、何もしていない。
ただ川が通過しているのだ。
今の視点からすれば「川の流れ」が生まれ消え行くのだ。
287 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:xxeZ5vrj
いつも未知にありなさい。
ラジニーシの伝えを借りれば、常に予測不能でありなさい。
常に「何も知らない」状態にあるということだ。
そうであればあなたに起こる出来事は常に新鮮であるだろう。
あなたは何も知らなければ
過去もないだろう。
過去がなければエゴも生まれない。
常に「今」に在るだろう。
事実、あなたは何も知らないし
すべては勝手に起こっている。
レコードの針のように。
あなたは何もしていない。
288 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:xxeZ5vrj
最後に書いておこう。
誰も何も存在しない。
存在という概念があるだけだ。
つまり、すべては
である。
0 件のコメント:
コメントを投稿