2017年6月30日金曜日

自分さん11 「絵の中」だけの世界は、時間が存在しない、純粋な瞬間である。

160:名無しさん:2013/06/22(土)09:24:41.96ID:m2mK8czy

次は絵画の中、である。
絵画や写真とは、その瞬間を描いているように感じる。
つまり時間の止まった状態=時間の存在していない世界である。
だがそれは絵が「無」であるからだ。

しかしその「絵」が例えば、部屋というさらに大きな「無」に飾られておれば
たちまち「絵」は概念と化し、部屋の中の人から見れば
絵は時とともに、風化し、紙自体も劣化していく。
壁に飾っておれば、落として破損しているかもしれない。

だが、純粋に「絵の中」だけの世界は、無である。
どこに意識をフォーカスするかで、物事の捉え方は変わる。

よくスピリチュアル系の教えで言われることが、
仮にあなたが、そこで死体になってみよう。
脳が働かず、ただ「物体」として置いてある感じだ。イメージしてほしい。
すると、その周りの景色を含めた「絵」の中にいることに気付く。
つまり時間が存在しない、純粋な瞬間である。


170:自分◆3wwHKM8d6k:2013/06/22(土)09:58:19.20ID:m2mK8czy

さっきの「絵」の話だが、それ自体が空間=無であることは、時間も存在していない。
だからその「無」自体を客観的に観れば、その時点でそれは無ではなくなるが
つまり「絵」のようなものだ。

絵とは不思議である。
そこに描かれている中身にレッテルを貼らずに
それそのものを感じることができる。

瞑想中に度々訪れる、見ているが見ていない状態を表現するならば
「絵」が近いかもしれないな。


247:自分◆3wwHKM8d6k:2013/06/26(水)23:52:43.29ID:5JsfCnNB

私といえば、スレッドはたまに目を通しているがちょっと忙しい。
自分をなくすと書いて、忙しい。まさに無意識状態。
意識的に生きなさい。つねに体を感じながら、意識しながら生活しなさい。

また私は有り難い言葉とともに訪れる。


250:名無しさん:2013/06/27(木)03:12:30.56ID:bmoAiCkG

>>自分
意識的とは、自己観照のことではなくて、
単に物事を意識して行なう。ということでしょうか?



251:自分◆3wwHKM8d6k:2013/06/27(木)09:06:05.88ID:F0ATLRq2

>>250
常に体の動作を意識していると、いわゆる「今に在る」ことが容易にできる。
その状態であれば、それら体の動作を「観ている意識」に気付くことができる。

それは観照者である。

観照者の意識にあれば、行っている動作のすべてが超客観状態である。
つまり足が勝手に動き、そして歩いている。
足を動かしている実感を伴わないから、風景がこちらに迫ってきている
(このあたりの表現は何とでも言い表せる)、つまり「行為」をしているのは、
「出来事」が起こっているだけであり、自分はただ「観ている」だけなのだ。


254:名無しさん:2013/06/27(木)12:49:47.37ID:bmoAiCkG

>>251
理論的なことは良く解かりました。
自分思うに、人は普段、無自覚に明け暮れているわけですが、
これを単に、自覚を持って過ごせば良いだけではないかと思うのですが。
その方が、生活しやすい気がするわけです。

行為(動作、思考、感情、感覚など)の観照に専念すると、
どうしても全力で事に当たれない気がします。
車を運転してて方向を間違えるとか、仕事をミスってしまうとか・・・・・。
肝心な事がおろそかに成るんではと思われます。

ではそれよりも、
行為に専念しながらも、そうしている事に気づいているなら、
これもまた、「今に在る」ことではないのでしょうか?
こちらの方が現実生活に即していると思うので、自然と実行出来ると、
この様に思ったりもしているわけですが!?



263:自分◆3wwHKM8d6k:2013/06/27(木)21:10:20.23ID:F0ATLRq2

>>254
>どうしても全力で事に当たれない気がします。
>肝心な事がおろそかに成るんではと思われます。

よろしい。
あなたはひとつ理解を超える必要がある。
それは、あなたが全力で当たろうと(そう感じてようと)なかろうと、
単に「出来事」が起こっているだけだということだ。

どれだけ意識的にあろうが交通事故は起こる時は起こる。
仕事のミスにしても起こるときは起こる。
つまり寝ぼけてようが冴えていようが、どちらでも良いのだ。
勝手に起こり続ける物事の中で、あなたは流れているだけなのだから。

全力で当たるというのは、あなたの言うとおり自我の単なる納得である。
少し話は変わるが、あなたに人生のヒントを送ろう。

あなたがどれだけ精魂込めた努力をしようが、すべては単に流れていく。
つまり悩みや不安などの問題は、別に解決する必要もない。
なにもしない、これに限る。

「なにもしない」とは「起こった出来事」に対して、
必死に、命懸けにならなくてもよいということだ。
ただ呼吸のように何も考えず、身を任せているだけでよい。

もちろん出来事に自らを同一化し、執着に溺れた取り組みをしても構わない。
あなたの自由だ。その行いを古くから「苦行」と呼ぶ。

苦行をしてもしなくても、必ず「結果」にたどり着く。
我々は努力や苦労をしたから、良い結果になった、と思い込んでいるが
別にそんなことをする必要もないことは、あなたが「苦行」を捨てたときに理解できるだろう。


264:自分◆3wwHKM8d6k:2013/06/27(木)21:41:20.75ID:F0ATLRq2

追記しておく。

>>254
あなたが観照者の視点で物事を観ているとき、
そして仕事や運転などの行為を行っているとき、
「全力で当たれない」そう感じている。

それこそが、なにもしていない、
つまり苦行を脱した行為者である。

釈迦は「歩かず、歩きなさい」と伝えたが
まさにその通りである。

ただ自我の視点では「事故が起こるんじゃないか」
「仕事でミスをするんじゃないか」と騒ぎ立てるだろう。
だが前述した通り、起こるものは起こるだけであり
あなたがどのような意識状態であろうが、それは無関係だ。
むしろ、余計な心労を抱えないので事態は好転していく。

心労を抱えない人は、他者にとって好意的に写るからね。
そういう意味では、良い世界になっていく。


265:名無しさん:2013/06/27(木)21:55:31.40ID:bmoAiCkG

>>263
悩みは不安は、時と共に流れて行くのは分かります。
そしてまた、考えるから発生するのも分かります。
連想しなければ、そこで感情的な問題は終了します。
でも、今このことは横に置いときまして。

>どれだけ意識的にあろうが交通事故は起こる時は起こる。
>仕事のミスにしても起こるときは起こる。
>つまり寝ぼけてようが冴えていようが、どちらでも良いのだ。
>勝手に起こり続ける物事の中で、あなたは流れているだけなのだから。

スイカ割りは目隠しして行ないます。
だから、なかなか当たりません。
これと同じて、もし目をつむって運転すれば事故ると思うんですが。
でもこれもまた、「目をつむって運転して事故る」という流れになっていた。
こういうことでしょうか!?

つまり、意識して事故らないも、意識しないで事故るも、
それは単に無意識が選んだことであり、どちらを選ぶかは初めから決まっていた。
こう言う事になるんでしょうか!?


266:名無しさん:2013/06/27(木)22:04:46.37ID:bmoAiCkG

>>264
人の行為の根源には、快と不快があり、
人は運命的に?、快の方角へしか進めないようです。
目をつむって運転するのには、恐怖という不快が伴うので、
だからそれは、有り得ないことに成るんだと思われます。



267:自分◆3wwHKM8d6k:2013/06/27(木)22:08:41.72ID:F0ATLRq2

>>265
あなたが起こす行動は、起こっている出来事である。
つまりあなたが目を瞑って運転すれば、そういう結果になるだろう。
ただそれだけのことである。

ひとつ言っておく。
自我にとってベストな結果を導く「スピリチュアル」などない。
つまり日々生まれ起こる出来事に「いかに苦悩しないか」、
そういう消去法的なスタンスこそが苦しみのない道である。
だが、幸福の道ではない。あくまで苦しみのない道なのだ。

般若心境がなぜ「あれはない。これもない」という無い尽くしなのか。
それは出来事は「起こる」からである。

マネーゲーム本もそうだが、貧乏は貧乏だ。
勝手に起こる出来事の中で富を得られるときもあるのかもしれない。
一生貧乏かもしれない。

だが貧乏とはどういう定義なのだろうか。
そこに幻があり、その幻(概念)を破壊するのが
釈迦の示した「苦しみのない世界」である。

だがそこでは終わらず、その境地に立てば
あなたを取り巻くすべてが、あなたのためだけに用意されていることに気付く。

結果は必ず訪れる。だから結果から観るのだよ。


268:自分◆3wwHKM8d6k:2013/06/27(木)22:12:46.50ID:F0ATLRq2

>>266
あなたが目を瞑って運転することをしないのであれば(恐怖かどうかは別として)
そうしないのだろう。つまりそういう出来事は起こらなかっただけのことだ。

あなたは、あなたではない。まずはそれを自覚してはどうだろう。
あなたがいま書き込みをしている。返信に思案している。
それらも生まれ起こった出来事だ。

遠くのコンビニで万引きがあった、株価が変動した、誰かが告白をした。
それらと同じく、単なる出来事である。

だれがあなたの思考を「起こらせた」のか。
それは、私である。
つまり私はあなたを起こしている。
つまりあなた自身が起こしているのではない。
あなたは単に反応でしかない。私も同じだ。あなたへの反応で私は在る。


269:名無しさん:2013/06/27(木)22:17:16.86ID:UMs6HlkF

>>267
横ですが、御教授ください。
では意識せず、どうしてもなりたいや、やりたいには従うべきなのですか?
なにがエゴだか解らなくなってきました。

例えば恋愛などは、意識が、止めとけ、止めとけと言っても体などが勝手に反応する。
又、食欲などもそうですよね。意識は多くは食べる必要などないと言っても勝手に食事を求める。

苦しみの無い世界、全てを諦めること。
無に徹する事とすれば、もうそれすらが苦行のような気がしてしまって。
貧乏でもいいやと思い込んでも意味がなく、本当に貧乏でも構わないと
自然に思えることこそ、手放すということですよね?

その手放すことが、ものすごく苦行に感じた時は、
結果が決まってるならば、もう求めるままでいいのですか?



270:自分◆3wwHKM8d6k:2013/06/27(木)22:22:29.74ID:F0ATLRq2

>>269
あなたは何に疑問を持っているのか。
何かを行おうとして、単に失敗を恐れている?

具体的な部分はわからないが、やりたいならばやればいいだけだ。
ただ、「これをやって、こうなったらどうしよう」とかいうのは愚問である。

とりあえず、野良猫のように生きてみなさい。
腹がへれば飯を探し喰らい、理想も希望などの概念もなく、ただ生きる。
ただ在るのみ。


271:自分◆3wwHKM8d6k:2013/06/27(木)22:25:37.52ID:F0ATLRq2

>>269
追記しておく。
「なりたい」というのは、あなたではない。
あなたは最初から完璧な存在なので、別の存在に変容したいとなれば苦行となるだろう。

ただ欲求を満たすだけ、それは野良猫が飯を漁る、その意味である。
それだけで、あなたは価値がある。


272:名無しさん:2013/06/27(木)22:30:29.73ID:UMs6HlkF

いえ、すみません。解りにくくて。
マネゲとか悟りの目的って、結局、厳しい人生をいかに楽に生きるかにつきると思うのです。
執着が駄目だと言われるのは、失敗を犯しやすいこともありますが願いを叶えるというよりは
執着による苦しみを発生させないことが目的だと憶測するんです。

お金持ちでもお金に執着しまくって不安であれば、幸せでもないし楽でもない。
貧乏でもお金に執着せず沖縄などで自給自足を楽しめる人なら苦痛でもない。

そう考えても、やはりどうやっても貧乏が嫌だし、お金が頭に浮かぶ時って
無理に金持ちなんて...と酸っぱいブドウをしたとしても腹の底から貧乏を受け入れられてる
わけじゃないので我慢、我慢で苦しいと思うのですね。

じゃあ、結果、お金持ちになれなくとも素直に貧乏は嫌だ!お金もちになりたい!
とエゴと呼ばれる声に従ったほうが、まだ苦行に感じないかなと...。

執着なくすって、言葉では、すごく簡単そうだけれど
自我意識や努力でなんとかできる領域じゃないだけに
その状態にと意識することこそが、もう苦行に思えて。

じゃあ、無駄な理想でも持っててそれに向かったほうが却って大きな意味じゃ
楽なのじゃ?と思ってしまっただけです。すみません。



273:自分◆3wwHKM8d6k:2013/06/27(木)22:43:51.54ID:F0ATLRq2

>>272
野良猫になりなさい。
常に今に在り、等身大の自分で生きなさい。
腐った死体でも良い。そのようになりなさい。

幸せ?ラク?苦痛?金持ち?そんなもの捨て去りなさい。

すべてどうでも良いことだ。
なぜならば、あなたの為に世界があるからだ。

この意味を理解するとき、あなたは自由になるだろう。
明日出社せずに、今月の支払いも気にせずに
突然アフリカなどへ飛び立って「生」を満喫するだろう。

何が怖い?そうしたら後がどうなるかって?
そんなもの、どうでもいいのだよ。なぜなら成るように成っていくからだ。<
あなたがいまの人生に苦しみを覚えているならば
それは自らの変容を求めているからだ。

そういう変容は苦行である。
だが、あなたの世界(概念)は自由に崩すことが出来る。
あなたが一生を終えるときに、必ずこの意味はわかる。
今日のあなたは昨日までのあなたの最後の自分であるからその意味は理解に容易い。

だから思う存分欲求を満たし続ければ良い。
だけども自分を忘れないようにしなさい。
つまり今の自分を変えたいとか、環境を変えたいとか
ああなりたいとか、そういうのをしないことだ。

蝶は10日程度しか羽ばたけないが
彼らにとって、「今」が永遠ゆえに、寿命はない。


274:名無しさん:2013/06/27(木)22:51:33.53ID:UMs6HlkF

>>273
ありがとうございました。
正直な所、難しいなぁ...。もし自分の世界があり、自分中心に実は世界は廻っていたとしても
その状態の時は、なろうとせずに、今に在れて、執着無くそうとせず執着がなくて
何も必要ない、大丈夫だと思い込まなくとも、勝手に思って自己中世界でも
エゴが無いから自己中でない状態の時ですよね?

何かの偶然で一瞬、そうなれたとしても、その状態の維持は並大抵のことじゃなさそう…。
だけど、なるだけ、今を意識して生きるよう意識してみます。
ありがとうございました。



275:自分◆3wwHKM8d6k:2013/06/27(木)22:59:25.29ID:F0ATLRq2

>>274
あなたが明日極端な行動に出ても良いのだよ。
覚えておきなさい。

あと、人の「死」と出会う切っ掛けをなるべく多く作りなさい。
葬式でも良いし、海外のニュース記事でも良い。大きな病院に出入りするのも良いかもしれない。
なるべく直接、遺体や「死」と遭遇できる機会を設けるとよいだろう。

欲求の赴くままに生きなさい。


2017年6月24日土曜日

自分さん10 あなたをとりまく「人生」こそが、あなたなのだよ。

88:名無しさん:2013/06/21(金)00:15:38.32ID:1++pF4K2

オレは世界でいろいろなできごとが起こるたびに傷つくし、苦しむよ。
でもそれが、「無限の豊かさ」へ続く道への入り口だと思っている。

まず、傷ついた気持ちや苦しむ気持ちが、
世界をよりよい方向へ動かすためのきっかけになる。
事故が起きたら、二度と起きないようにどうすればいいか考えるだろ。
感情が、適切な対応をすることが必要だということを教えてくれるんだよ。

次に、適切な対応をしたあとに、
その気持ちを今この瞬間のなかで受け止めてあげることが必要だ。

そうすることでまさにあなたがいうように、
その出来事が自分のために起こってくれたということがわかるようになる。
どんなことの中にも、手放すことと得ることの二つの面がある。
それに気づくことで、結局失うものは何もなかったということがわかるんだよ。



90:82:2013/06/21(金)00:22:16.37ID:BEbk1Usz

>>88
「無限の豊かさ」とは、視界をはみ出すほどの財宝のことではない。
財宝などないのだ、と理解することである。
あるのは「あなたの人生」だ。
それはあなたではない。だが、あなたである。

あなたは、あなたの赴くままに従えば良い。
それだけで良い。

明日自殺をしても、それはそのような心境になったからだ。
明日事業を起こしても、それはそのような心境になったからだ。
明日アフリカに向かってても、それはそのような心境になったからだ。
なぜそのような心境になった?

それが大いなる意識である。でもこの表現は持ち上げすぎている。
単に、あなたの人生が、いつも通り、あなたにそう仕向けているだけのことである。


91:名無しさん:2013/06/21(金)00:22:24.89ID:fgY0IOom

そうですね。状況や時代でいかようにもかわる。
ただ、男性から女性が生まれるという観念を今や、
女性性から男性性へと変化すると科学が神話を壊した。

科学が素晴らしいのではなく本来の自分が創った幻想が
神話を壊したのだからそれに従ってもよいでしょう。
被害者に強烈なトラウマという観念を植え込むことを
善悪がないからといって肯定はできません。



92:82:2013/06/21(金)00:26:55.57ID:BEbk1Usz

>>91
あなたが正義を持つように、他者も正義を持つ。
だが、どちらも「正義」に変わりはない。
ナポレオンは自国民からすれば英雄だが、敵国からすれば悪魔だ。

あなたの肯定は、正しい。
私の肯定は、正しい。

これが常にあり、そういう世界に生きていることを理解しなさい。
あなたにとっての幸せは、誰かの不幸である。
では幸せになれないのか?

それは間違い。
幸せなんてものは存在しない、そういう視点になれば
幸も不幸もないのである。


93:82:2013/06/21(金)00:29:56.80ID:BEbk1Usz

カレーを食べるから、今日は最後にする。
私のどうでも良い話につきあってくれてありがとう。
心から嬉しかった。ありがとう。


94:名無しさん:2013/06/21(金)00:32:43.35ID:fgY0IOom

>>92
私はあなたが自分の我儘ほうだいを通すような人間には思えない。
二人のチャットなら納得したかもしれません。

私は正義や悪にこだわってません。
もともと私の意見も単なる幻想で、偽物のようなものなのですから。
私は悪だから言い切れます。駄目なものは駄目なのです。
フェミニストではないですけどね。



96:93:2013/06/21(金)00:36:09.28ID:BEbk1Usz

>>94
>私は何の躊躇もなく悪に回ります。

カレー食べながら、ちょっと感動させられました。人間も捨てたもんじゃないな。
おやすみなさい。


99:名無しさん:2013/06/21(金)00:44:04.60ID:cykPCxzP

私が君を中途半端だと思うのは、
「どうでもいい」と言いながらも「やりたい事」といった欲求には執着する点だ。
全ての執着を手放すという事が徹底されていないように見える。



101:93:2013/06/21(金)01:06:57.09ID:BEbk1Usz

>>99
食べ終わりました。

あなたの言う通りである。
私が学ぶために、あなた方がいる。
私の視点はそうである。

ただ、私が学ぶにつれて同様に理解が広がる人もいるかもしれない。傲慢ではない。
なぜ釈迦やキリストが教えを伝えたのか。
それは自らが、まだ足りない何かを学ぶためだったかもしれない、
2大覚者に対して、それは妄想と言われるかもしれないが、確証はないだろう。

では「足りない何か」とは何だ?
すべて知っているのになぜ人に伝えたのか?
覚者であれば、世界すべてが己、という境地に達する。
だから伝える必要はない。
つまり、本来の「ワンネス」の境地に溶け込んでいなかったのだ。
溶け込んでいれば、名を残さない。

しかしなぜ、仏陀やキリストは「人に伝えた」のだ?
全部つながっているんじゃないのか?

「悟りを開いた者」と言われながら、
実は修行を続けていたのではないだろうか?
修行を続けていたということは、欲していた、ということである。
それはワンネスとはかけ離れた分離の世界である。
なぜ分離を生きていたのか、それは本来の宇宙の原理の目的を果たしたかったからだ。

人の優しさは「出来事」を通じてしか体験できない。
それはつまり「人生」が運んでくることであり、自ら「発生」できないからだ。
つまり「分離」があるゆえに、優しさを感じることができる。

釈迦もキリストもそれを当然理解していた。
意外なことに、彼にも我々と同様に「人生」に生きていたのだ。
だから観ていたのだ。多くの人の人生=自分にもたらされる愛を。

だから私は学ぶ。
あなた方も何かしら、学んでいる。

だから感謝しかないのだろう。ありがとう。
どれだけ言葉で話ても、伝えきれない。
ありがとう。本当にありがとう。
みんながいるから私は学ぶことができる。
私は存在を与えられている。

皿を洗いながら、そんなことを考えてました。


102:名無しさん:2013/06/21(金)01:15:20.13ID:cykPCxzP

>>101
ワンネスは肉体とは別の事だと思うよ。
彼らが教えを説いたのは大衆が苦しみの中にいることを知っていたから。
自分と同じ境地に来て欲しかったんだろう。



103:名無しさん:2013/06/21(金)01:21:37.02ID:BEbk1Usz

同じ境地にきて欲しい。
それはあえて分離をしていることだ。
それは>>94の方と書き込みと同じ匂いを持つ。


104:名無しさん:2013/06/21(金)01:25:14.75ID:cykPCxzP

>>103
仏陀やキリストはワンネスの中にいる。
でも大衆は分離された自我の中にいるんだよ。
分離されているという思い込みの自我から解放されなければならない。



106:名無しさん:2013/06/21(金)01:30:30.59ID:BEbk1Usz

>>104
なぜ仏陀やキリストがわざわざ分離を経てまでして伝えたのか?
ワンネスにあるならば、伝える必要はないはずだ。
つまり、あなたの言うように他者を導きたかったのだろう。
だがそれは欲望である。

だが、それは優しさである。
なぜこんな美しい世界を捨ててまで、解脱したいのだろう?
苦しみや、ささやかな幸せを享受できる、こんな美しい世界が見えていないのかもしれない。それは私も同じである。


107:名無しさん:2013/06/21(金)01:50:56.45ID:BEbk1Usz

誰かが書いていたように、悟る者は語らない。
だが、我々が「悟り」というものがある、それを知っている時点で
悟りを得たものが、語っている歴史があるということだ。

だが伝えるということは、自我の納得のことである。
つまり欲望を満たしているということだ。
仏陀もキリストも、これをみんなわかってくれたらいいな。
という欲求を満たしたかったということになる。
つまり自我に囚われている、という見解になる。

だが彼らには優しさがあった。優しさもエゴである。
だが、エゴこそ、人生であり、
エゴこそ、苦しみであり、
エゴこそ、嬉しさであり、
エゴこそ、悟りを認識するシステムであり、

つまりは、
悟っていたのだ。

だから大いに苦しみ、大いに喜べばいいのだ。それが人生だ。


146:名無しさん:2013/06/22(土)09:00:49.38ID:m2mK8czy

>>144
人生のせいにしているのではない。
あなたをとりまく「人生」こそが、あなたなのだよ。

あなたは人生というの中でしか、意思を持つことはできない。
つまりは「サッカー」という枠の中では、基本的に手を使うことは許されない。
これは前提である。

あなたが貧しい家庭に生まれたならば、富豪の暮らしはできない。
ただそれだけである。

人生のせい、ではない。人生がそもそもの、あなたという「箱」である。


147:名無しさん:2013/06/22(土)09:04:45.66ID:ceFsEnYY

>>146
話をすり替えてる。
記憶が今の自我に影響を与えてる部分はあるがそれだけではない。
何事も人生のせいにする事はできない。
君は狭い見方しかできないようだ。



149:名無しさん:2013/06/22(土)09:12:56.43ID:m2mK8czy

>>147
あなたがそう思うならばそうなのだろう。
そして、あなたは私と同じことを書いている。

そのようにレスをしているということは、
「概念」で私を観ているからだろう。

何事も人生のせいにすることはできない。
なぜならば、人生という背景こそが
あなたを形成しているからだ。つまり人生こそ、あなたなのである。

それをもっと深い視点で感じなさい。


2017年6月19日月曜日

自分さん09 心から「すべてがどうでも良い」となれば、すべてと一体化する。

37:名無しさん:2013/06/20(木)22:45:04.10ID:FXtkL6Yi

反論、異論はないけれど…。
神経、「神気の経脈」を忘れておられませんか?

そして脳とは抹消神経までを指しているようです。
身体を単なる幻想と思えない理由でもあります。



40:33:2013/06/20(木)22:48:53.64ID:0HHF92Ac

>>37
すべては脳内であると、私は思っている。
ただあくまで、この小さな脳内だけの認識であるから
事実(事実は私の生涯の中で私が認識した範囲内のことであるから適切な言葉ではないが)は
わからない。

五感もなにもかも、脳内。
つまり自分の脳が認識した世界であり、視界が捉えた世界も
聴覚が捉えた世界も、全部、真実はわからない。
脳内がデコードした結果、それしか我々は認識できない。


42:名無しさん:2013/06/20(木)22:52:44.65ID:FXtkL6Yi

>40随分、昔の事ですが祖母は心筋梗塞から半身不随になり無くなりました。
心臓の血管から脳に血流がいかず酸素が脳に供給されないので手足が麻痺してしまうという病気です。

全ては一つ。脳だけが特別ではない。
誰かに温かくしてもらった時、じ~~ん...ときますね。感受性の高いか低いかだけでしょうけれど。
それも全てで感じ取っている。



44:36:2013/06/20(木)22:58:42.82ID:0HHF92Ac

>>42
>>誰かに温かくしてもらった時、じ~~ん...ときますね。
では、その状況で誰にも温かくしてもらわなければ、つまりあなたに誰も関心を示さなければ
あなたは、辛い気持ちになるのではないか?

私は悟りなんて「どうも良いもの」であると知っている。
なぜならば、辛い思いができないからだ。


47:名無しさん:2013/06/20(木)23:03:23.18ID:FXtkL6Yi

>>44
では、どうでも良いものなら、覚者と言われる方々は何も語らなかったでしょうね。
他人の苦しみなどどうでもよいことであるし、言葉にできないものを、わざわざ無理して
解れるように語ることもなし。誤解を生み出すだけだということも解っていただろうに。
彼らは自己顕示欲の為、語ったのでしょうか。



50:36:2013/06/20(木)23:05:23.59ID:0HHF92Ac

>>47
あなたの言う通りである。
だが、あなたの人生はあなたのためにある。
だからあなたは常に正しい。

あなたが悲しんだのは、あなたのためだったはずだ。
あなたが喜んだのは、あなたのためだったはずだ。


46:名無しさん:2013/06/20(木)23:00:16.24ID:/hSjlXV1

「どうでもいい」と「書き込みが楽しい」は相入れない。
「書き込み楽しいよどうでもいいけど」ってオカシイよね。

本当に全てに関心を無くしたなら、ただ「存在」しているという状態になるので、
「存在する事の幸福」だけなのではないかな。



54:36:2013/06/20(木)23:09:44.96ID:0HHF92Ac

>>46
釈迦は語った。キリストも語った。
あなたの言う、本当に悟った人間は「語らない」とするならば
彼らは悟っておらず、歴史に名を残さない多くの人々が賞賛されるべきだ。
だが、釈迦やキリストを始祖としている。
なぜ彼らは語ったのか。

答えはひとつしかない。
「悟り」など、どうも良いからだ。

その境地に立つことで、自我があろうがなかろうが
煩悩があろうがなかろうが、欲望があろうがなかろうが、どうも良い。
だから、あなた方の苦しみは解放できる。
私自体、どうでも良いからだ、彼らはそのように伝えていると感じている。

つまりは、あなたの生涯の中だけの「お話」である。
あなたがどう生きようがあなたの自由である。


63:名無しさん:2013/06/20(木)23:28:39.85ID:FXtkL6Yi

一つだけ...。全てはどうでもいいけれど、生きたいのなら痛みを感じがほうがいいです。
痛みや不快は出来れば感じたくないものだけれど、祖母の麻痺した体で床ずれの傷は酷かった。
痛みは感じていないので、それは救いでもあった事柄だけれども。

不快を感じるからこそ体にも注意を向けることができる。当たり前の事がありがたい。
そう思えば痛み、不快感にネガティブなレッテルを貼り付けて、そこに囚われることもせずすむでしょう。



66:名無しさん:2013/06/20(木)23:32:53.34ID:0HHF92Ac

>>63
あなたがその「痛み」を感じたかったから感じたのだろう。
私もそうしたければ、そうする。
あなたがおばあさんの痛みを受け止めたかったからそうしたのだろう。
私も、きっとそうしている。

これは「すべて、どうでも良い」ということなのだ。
どうでも良いから、あなたは他者の痛みを感じ取れる。
だが、本当にそれに囚われていたら
あなたはいま、ここで書き込みをしていない。


58:56:2013/06/20(木)23:18:54.47ID:0HHF92Ac

彼らのレスや悩み、疑問に対する返答はひとつしかない。
私にとって、非常にどうでも良いことだ。

なぜ彼らはそんなに執着するのだろうか。
まさに宇宙から見た、地球がぐるぐる回ってるだけ。
そして人間は「朝が来て夜が来る、これは真理だ!」という
よくわからない世界に到達する。


59:名無しさん:2013/06/20(木)23:19:51.86ID:4DLF2g0z

>>58
ありがとう。やはりシンプルなんですよね。



60:名無しさん:2013/06/20(木)23:21:18.07ID:0HHF92Ac

>>59
よく覚えておきなさい。
私が書店の精神世界のコーナーに著書を置くならば、その本は1ページしかない。

「すべてはどうでも良い」


61:名無しさん:2013/06/20(木)23:24:43.04ID:4DLF2g0z

>>60
すばらしいです。
なかには「すべてはどうでもよい」を思考で捻じ曲げて解釈してしまうというか、
「どうでもいいんなら何したっていいだろ!」という人も出てくる。

マネゲスレでかつてあったことですが、
「俺の書き込みは幻想なんだ。俺の書き込みを見てイライラしているお前はだめだ」
てな感じで罵倒し合うレスがありました。
まあそれも宇宙の視点から見たら確かにどうでもいいことなのでしょうが。

だからシンプルな法則であるはずの精神世界の本は分厚くなるのではないかと。



64:名無しさん:2013/06/20(木)23:30:24.27ID:0HHF92Ac

ただひとつ。
すべてが「どうでも良い」という境地に立たなくては
いずれすべてが「苦しみ」に転化する。

「苦しみ」と言われているものが「幻想」なのである。
捨て去る基本動作が「どうでも良い」‥つまり執着をしない、である。


68:名無しさん:2013/06/20(木)23:35:53.24ID:4DLF2g0z

>>64
つまり>>61で言いたかったのは、
「何したっていいだろ」と言いながら実は苦しんでるっていうパターン。

>すべてが「どうでも良い」という境地に立たなくては
>いずれすべてが「苦しみ」に転化する。
↑そう、これですね。

いろんなメソッドを実践している人でこういうケースって少なくないと思うんですね。
苦しんでいながら「どうでもいいんだ」と無理に言い聞かせようとしている人が。
スレッドを見ているとそう見受けられる書き込みによく出くわします。



73:名無しさん:2013/06/20(木)23:43:32.11ID:Az6MGxPd

>>68
心から「すべてがどうでも良い」となればどうしても愛に満ちあふれてしまう。
それすらもどうでも良いとしてしまえば、すべてと一体化する感覚に襲われる。
そうなれば、「どうでも良い」すらも行使できなくなる。

対象がないからだ。


77:名無しさん:2013/06/20(木)23:49:47.46ID:Az6MGxPd

>>74
前も書いたが、あなたが今日食べた料理は多くの動物が犠牲になっている。
それらの秩序は我々人間界が勝手に制定したものだ。

また、今日何らかの悲しい事件がニュースを騒がせただろう。
あなたはそれを防ぐことができたか?

また、あなたはそこでそのような暮らしをしている。
それは偶然の重なりでそうなったのではないか?
つまり、あなたの意思はどこにも反映されていないということだ。

あなたの自由、それはつまり、あなたが意識して起こせることじゃないのだ。

上でも書いたが、行動とは、単に起こっている出来事である。
あなたに罪はあるのだろうか?
だが、あなたは今日も料理を食べている。


81:名無しさん:2013/06/20(木)23:57:50.43ID:vYqWZHiR

>>77
確かにおれらは動物を犠牲にしないと生きていけない生き物だ。
でもそれは、命がつながっているということなんだよ。
農家の人たちがどういう気持ちで動物を育てるか、想像してみたらどうだ?
殺人をして命が意味もなく消えていくのと、
俺らが食事をするために命を受け取るのはまったく異なる行為だろ。



82:名無しさん:2013/06/21(金)00:01:08.09ID:Sbiw16IW

>>81
あなたの望む世界なのだろう。
だがあなたは世界で様々な出来事起こるたびに苦しむのではないか?

それらは単に起こっているだけだ。
あなたが苦しむ必要もない。

私の書き込みも、単に料理の時間の暇つぶしだ。
あなたが問題視する必要もない。

すべてを手放しなさい。


83:名無しさん:2013/06/21(金)00:01:51.64ID:fgY0IOom

>>77
81さんに同感。そこだけは注意を...。
モラルが育っていないなら、都合のいい解釈をする人もいるわけです。
罪を憎んで人を憎まず。それは建て前としてはよいけれど
傷つけられた人には憎悪が生まれます。因果応報で裁かれればすむという話ではありません。

論だけで勝負すると矛盾の解消のみの話になり、本当に大事なところが置いて行かれる。
また本当に大事なところは言葉にできないし、出来た時点で偽善となる。



84:名無しさん:2013/06/21(金)00:07:26.78ID:Sbiw16IW

>>83
モラルとは、あなたの人生のものなのだろう。
私の人生にあなたのモラルは認識すらない。

>また本当に大事なところは言葉にできないし、出来た時点で偽善となる。

あなたがそう思うならそうなのだろう。
ただ、あなたへのレスも、私にとっては単なる暇つぶしだ。
これは私にとって、完璧に揺るぎない「事実」である。


85:名無しさん:2013/06/21(金)00:10:42.50ID:Sbiw16IW

あなたの人生があなたを形成している。
それはあなたの意思が全くといって反映されていない。
しかもあなたの性格や意思は、その人生、つまり出来事の集大成により作られている。
よって、あなたが自分と思っている自分はあなたではない。

出来事に身を任せなさい。これまがそうだったように。
この先も、すべて出来事に身を任せない。必ず「答え」に導いてくれる。


86:名無しさん:2013/06/21(金)00:12:44.12ID:fgY0IOom

ええ。私との会話が暇つぶしでも、それは全くかまいません。
ですので私も私の感じたまま、私の暇つぶしで語るまでです。



89:名無しさん:2013/06/21(金)00:16:09.04ID:Sbiw16IW

>>86
あなたがそこにいること、それは、あなたが自らの力量でそこにいるのではない。
たまたま偶然の重なり合いでそこに至ったのだ。

すべては本人の意思に関係なく、ただ「出来事」に翻弄されているだけだ。
そこに執着を持つということは、どれだけ馬鹿げているか容易に理解できるだろう。

どうでも良い、つまり、流れのままに従う。


2017年6月11日日曜日

自分さん08 思考があろうがなかろうが「発生~消失」のプロセスがあるだけだ。

962:名無しさん投稿日:2013/06/19(水)00:18:12.79ID:nk97HXeQ[2/7回]

思い込むとか、目指す、とかを忘れてしまってはどうか。
つまり、精神世界を意識しない暮らしを送ってはどうか?

たぶんあなたの求めているものは、ここにもなければ、どこにもない。
ただ、あなたの人生、それがあるだけだ。


965:名無しさん投稿日:2013/06/19(水)00:20:43.63ID:p5yPOxpl[2/9回]

思い込む???
だから今がそうです。精神世界を意識していない。元々、この世界に詳しくは無いですし。
求めてるんじゃなくて、コントロール不可能を完全に受け入れたら、あとは世間で
いわれるネガティブな現象をどう捉えるかだけでしょう?残るのは。



966:名無しさん投稿日:2013/06/19(水)00:26:51.40ID:nk97HXeQ[4/7回]

>>965
理解できるかわからないが、
あなたのその質問や持っている疑問こそが、答えである。
1+1=という問題はの答えは、ただ1+1=があるだけなのだ。

あなたの人生をもっと大きな視点から観てみればよい。
例えば、人生最後の日から、いまを観てみれば
答えは重要ではないことがわかる。ただ、それが「あった」だけのことなんだと。

つまり答えとは、問いのことである。
問いこそ、あなたがそこで生きているから発生しているのだ。

それは外を歩いていて、どこからともなく感じる風と同じものだ。
風が吹いてきたから、あなたは風を感じている。
疑問が湧いてきたから、あなたは疑問を感じている。
それがすべてだ。


967:名無しさん投稿日:2013/06/19(水)00:30:28.02ID:p5yPOxpl[3/9回]

ちゃいますやん。今は別に痛みもなんも感じなく貴方とネットで会話を楽しんでる
ほがらかさんだけれど、しんどい時に「単にそれはあったのだ」と
感じられるようになるためには、覚者目指さざるえないのじゃないのか?
と思っただけで。ずーと今の状態が続かないのが人生なのでしょう?


969:名無しさん投稿日:2013/06/19(水)00:36:48.96ID:nk97HXeQ[5/7回]

>>967
>しんどい時に「単にそれはあったのだ」と感じられるようになるためには、
>覚者目指さざるえないのじゃないのか?と思っただけで。

あなたは、なっているのではないか?
あなたの人生はあなただけのものだ。誰のものでもない。
人生がどのような変容を見せても、決定的にわかるのは、あなたの人生の中の単なる出来事だ。
つまり、あなたこそ、最大の「無」というバックボーンなのである。

あなたが、エベレストに行こうが、宇宙旅行に行こうが、
猫を飼った生活を歩もうが、常に「あなたの中の出来事だ」

だから、いまから進化しようとか、何かを目指そうとかする必要も無い。
ただ、目指そうとしているのは、あなたの中の単なる出来事だ。

しかし、それらに執着すると苦しいだけだ。
なぜなら、求めている答えはないからである。
それ自体が答えだからね。


972:名無しさん投稿日:2013/06/19(水)00:46:28.74ID:p5yPOxpl[4/9回]

なってはないです。煩悩いっぱいだから、なれないなれない。覚者なんて。
小物だからネガティブ嫌なのですよ。

けど、まあ、いやだいやだと言ってても起こってしまう出来事は仕方ないのなら、
で、又、コントロールもむやみに大海の波に逆らって泳ぐようなもんなら、
後、残るのはネガティブに逆らわない、というかネガテブな側面に必ずひそむ
ポジティブで中和させるしかない。それはなかなか凡人じゃ難しそうだから…。

でも、わかったような解らないようなですが、そのうち解れるのかもしれない。
ありがとう。おやすみなさい。



974:名無しさん投稿日:2013/06/19(水)00:52:24.13ID:nk97HXeQ[6/7回]

>>972
人生はすべて「あなた」という「枠」の中で展開する。
それを概念化すれば、あなたこそが神であり、大いなる意識であり、本来の自分である。

どこへ行っても、何をしてても、常に「あなた」がそこにいるだろう。
ひとりになっても、絶対に「あなた」がそこにいることに気付くべきだ。

疑問を持っても、充実していても、面倒な現実に悩まされても
それは「あなた」という枠の中の出来事だ。
つまり、それらすべてが「あなた」なのである。
なぜならば、あなたしか、それらを体験できないからだ。

すべては観察者、体験者がいることで存在される。
しかし、それらも「あなた」という枠の中の単なる出来事である。

スピリチュアルが何か人生に変容をもたらせるのではない。
ただ単にスピリチュアルという知識が、あなたの枠に登場しただけだ。
それ自体は何の力もない。
喫茶店に入ったら珍しいジュースがメニューにあったのと同じことだ。

それがあなたの人生を優位に変容するのか?
そもそも良い状態も悪い状態もない。
ネガティブもポジティブもない、すべてあなたの中の出来事だからだ。
あなたが「終わり」を宣言すれば、良いも悪いも、絶世の美女も、
何兆円という大金も消える。

おやすみなさい。
あなたは、あなたに守られている。だから何も案を練る必要はないよ。
ただ素直に生きていくだけで良いです。


◆◆「ザ・マネーゲーム」から脱出する法13◆◆

23:名無しさん:2013/06/20(木)21:31:13.06ID:w+F/5cc/

今日も盛り上がっていますね。

あなたがたがそうして議論していること、
いろいろと考えたりしていると思いますが
それはあなたという基盤があるから行えているわけです。

それがどんな不可思議なことでも、当たり前に感じることでも、
それらは、単なるあなたの体験ということに変わりはない。
つまりすべてが「みんなの求めているもの」なんですよ。
あなたがいなければ、あなたは体験できないから。多いも少ないも得も損も。

つまり、宇宙から見れば単に地球がぐるぐる回ってるだけのごとく、
朝も夜もないんですよ。地球視点から見れば、あるんだけど
その上の視点から見ればない。宇宙から見れば朝も夜もない。

どちらも包括してる状態だけがあるんだが
それはあくまで地球視点であって、宇宙からは
「朝?夜?なにそれ。おまえが回ってるだけじゃん」となる。

これが知りたいのだろう。
日頃、金がない、もっとあればいいのに!
やった、金が入った最高だ!あれ!もう全部つかっちまった!

そういう話も、ひとつ上の視点から見れば「どっちも包括したもの」があるだけだ。
つまり「ない」のだ。

ではどうすればひとつ上の視点にたてるかということが、
たぶんあなた方の「悟り」といわれるものだろう。

今日はそのあたりについて書いてみる


26:名無しさん:2013/06/20(木)22:03:17.41ID:w+F/5cc/

いまあなたの身体の中で60兆以上の生命が熾烈な生死を繰り返している。
少し歩くだけであらゆる筋肉細胞は傷付き、そして新しい細胞に代謝されていく。
免疫システムも、消化システムも、いまこの瞬間ですら全力で自らの役割を全うし
各細菌類も含め、あたなの体内は常に戦争状態である。

もし彼らに思考能力があれば、自らの行動や役割を効率化する為に言葉を持つだろう。
動作や処理対象に言葉を与え続けることで、どんどん分離を生み出していく。
いずれ自らの思考内部にも分離を与える癖がついてしまい「感情」という思考作用を感じるようになる。

そしてその「感情」といわれるもの(最初は単なる"名称"だったのだろう)に飲み込まれていくようになる。
「つぎに消滅するのはわたしなのか」つまり恐怖である。

恐怖から逃れるため、自らの存在を守るため「知恵」が生まれる。思考上の知恵だ。
知恵は仲間意識を作り、犠牲を作り、どうにか「恐怖」から逃れる方法を見つけようと躍起になる。

だが彼らの世界では「容赦なく出来事が起こり続ける」
仲の良かった「隣の細胞」が突然傷つきはじめ、苦しみだし、そして消失する。

「我々が何をしたというのだ!?」
彼はすべてを呪う。ただ生きていたいだけなのに、なぜこんな辛い思いをしなければならないのか。

だが、とても心地よい瞬間もあった。
それは何の予告もなく突然訪れる。
そんな時、彼は自分の認識できない大きな力を感じていた。
彼はその力に「神」と名をつける。

恐怖と希望が繰り返される壮絶な日々。
苦しみから抜け出せる知恵を求め続けるが、確実な方法は見いだせない。
極めて過酷な光景、常に鳴り響く気が狂いそうな雑音、
しかしそれらが一体何なのか、彼は知る由もない。
彼が生まれたときからずっとそこにあるものだ。

逃げて逃げて逃げ続け、どこまで逃げても苦しみは彼の中から生まれ続ける。
ぼろぼろになっていく身体。ごく稀に心地よい気持ちにさせてくれる「神」だけを希望に
彼は戦い続けた。唯一の疑問は「なぜわたしは生まれたのか?」である。
そして彼は壮絶なその一生を終える。まるでそこに何もなかったかのように、フッと消えた。
誰も彼を覚えていない。

あなたがガリガリ君をかじりながら、ボケっと2ちゃんねるをしている数秒の出来事である。

まず細胞が「思考」持つという出来事が起因となっているが、思考を持っていなければ当然苦しみはない。
重要なのは、思考を持っていようが、持っていまいが、同様の「発生~消失」のプロセスがあっただけだ。
つまり、あなたがいまの現状にどんな悩みに打ちのめされていようが、
別に悩まなくても悩んでも、なんらかの状態になっている。


ここで「いや、ちゃんと考えれば、ちゃんと行動すれば、良い結果を掴むはずだ」と思うだろうが、果たしてそうして得られた「結果」は本当に良いものだろうか?確証はないはずだ。


28:名無しさん:2013/06/20(木)22:08:15.66ID:w+F/5cc/

確証がわからないのだったら、別に悩む必要もない。成り行き任せでいいだろう。
言葉で表せばこれだけのことであり、上でもみんな書いてるように「単に当たり前のこと」なのである。

じゃあなぜ苦しむのか。
それはセコいことを考えているからである。
あわよくば、自分は成功したい。幸せになりたい。
そんなこと考えなければ良いのだ。考えなければ「どうでも良いこと」になる。

「どうでも良い」ほど強力な生き方はない。
なぜなら、干渉も執着もないからだ。
日本の政治が荒れてようとも、どうでも良いとあなたが感じていれば
あなたはそれに囚われることはない。

つまり、宇宙から見た「おまえ単にぐるぐる回ってるだけじゃん」の視点にたてるわけである。


29:名無しさん:2013/06/20(木)22:16:28.96ID:w+F/5cc/

さて「どうでも良い」とは一体何なのか?

いわゆる「手放し」や「本来の自分の創造物だ!嘘っぱちだ!」や
「ほお、そうか」や「これもまた過ぎ去る」や「般若心経」や「野の百合を見なさい」などである。

あなたが、お金、そしてお金に付随する執着的なもの(「将来」とか「見栄」とか「安心感」とか)
そういうものに「もうどうでもいいや」と心から思えたときに、あなたはお金から解放される。

ふふふ、でもここで終わらない。
ただこれを書くと、解放されなくなる人が多い。
だから深いんだけどね。

解放されるとは何か。
あなたの人生から「それ」が認識されなくなるということだ。
つまり個別のそれを生みださない。だから常に一体化するということになる。

先に書いた「細胞の一生」である。彼は自らを分離させたから苦しみを生んだ。
だが自分を包括する大きな力(つまりあなた)と同化し、その流れの中を感じているだけならば、細胞は「流れそのもの」となる。

人間体のあなたが、歩いたり、無謀な耳かきをしたり、豪快な水浴びをしたりなど
細胞界で容赦なく起こる「出来事」が、細胞の彼、そのものになるのだ。
つまり彼が「心地良い」と感じていた神の瞬間が、すべての瞬間であると悟る。
思考はないから、そう感じるしかないだろう。


30:名無しさん:2013/06/20(木)22:19:30.71ID:w+F/5cc/

つまり、あなたの意識がすべてを生み出している元凶なのだよ。
意識しなければ、まさに「目を奪われる」こともない。

金持ちになる、ならない、そんなことも浮かばなくなる。
だからあなたは金持ちを超越するのだ。

だからお金のために「労働」をしなくなる。
ただ、充実とか楽しみとか、愛とか、そういう為に
「勝手に働いているという行動」が起こっている境地に立っている。


31:名無しさん:2013/06/20(木)22:24:21.92ID:w+F/5cc/

マネゲ本の奥義とは、最終的にすべてが「どうでも良い」という境地に立てることである。
愛する人が病に倒れても、それは「そういうもの」だ、という認識なることだ。
ただ眺めているだけ、という意識になる。

それを「そんな非情な心になれない」とか思うならば
あなたは「執着」の中で生きている。

ただ眺めているだけという意識なれば、
あなたのすべての行動すらも「出来事が起こっている」という感覚になる。
身体が勝手に行動を起こし、様々光景を見せてくれて、様々な音を聞かせてくれて
そして、あなたのためだけに、すべてが存在しているのだ、ということに気づく。


33:名無しさん:2013/06/20(木)22:36:23.35ID:w+F/5cc/

「どうでもいい」

このスレッドを人生のヒントとして真剣に捉えている人も多いだろう。
だが、私は非常にテキトーな気持ちで毎夜長文を書いている。
なぜか。楽しいからだ。

別に反論があろうが、私自体が特に意識せずに
文章を書いているだけだから何の反発心も生まれない。
つまり私にとって、排便と同じである。
スッキリしているだけだ。

私から見れば、私の排便の中で、「ああでもない、こうでもない」と
小さな文字がごにょごにょと蠢いているように見えている。

なぜなら、私は楽しい日々を送っているからだ。
そんな中のひとつ‥いや、このスレッドの書き込みも大きな「楽しい」の中身なのだ。

排便たちよ、ありがとう。
とりあえず、私は楽しい。


35:名無しさん:2013/06/20(木)22:38:45.55ID:vYqWZHiR

「どうでも良い」が奥義ってのはいただけないな。<
執着の反対は無関心・あきらめだけど、それは結局同じものじゃん。

愛する人が病に倒れたら、心配して気にかけるのは当然だし、
あたたかく看病をしてあげようよ。それが人間の自然な姿だし、
マネゲの「無限の豊かさ」はそういうことも指してると思うけど。



36:名無しさん:2013/06/20(木)22:42:16.59ID:0HHF92Ac

>>35
あなたがそのように思うのならば、そうなのだろう。
ただそれだけだよ。

でも逆に、あなたにとって愛していないもの(蚊とか?)にも
「どうでも良い」と思えば、結果的に殺生となるでしょう。
それは、死にゆく、も眺めるけども
生まれくる、も眺めるとことなる。

物質だけではなく、出来事などもすべてにおいて
生まれ来るも去り行くもオーライ、
そういうことがあなたにとっての無関心、あきらめ、となる。


39:名無しさん:2013/06/20(木)22:48:30.24ID:vYqWZHiR

>>36
はあああ?
いらっとくるわあああああwww
なんでそんな上から目線??

誰かオレの味方になってほしい!!



41:36:2013/06/20(木)22:50:04.79ID:0HHF92Ac

>>39
そのレス、わかっていて書いてくれている。
あなたには感動させられました。ありがとう。

でもたぶん、私が>>29を書いても「じゃあそうすれば金持ちになれるの?」とか
「金持ちになった気分になれってこと」とか、理解の範囲が違えば
そう捉えるひとも多いだろう。

つまり「それ」に囚われてるのだ。
まずはすべての「執着」から抜けよう。
そうして生きていれば、すべてが「あなたの為に用意されていた」ということに気づく。

大半の人は、先に「あなたのために用意されていた」を「求める」からたどり着けないのだ。

まずは「どうでもいい」その心構えで、いまの暮らしを維持しなさい。
放棄するのではない。維持しながら、すべてに「どうでも良い」だ。


45:名無しさん:2013/06/20(木)22:59:24.48ID:vYqWZHiR

>>41
え?どういうこと??
よくわからないけどそう言われたらこれ以上怒れないわww

たしかに、もともと関係のなかった動物に名前をつけることから分離の世界が始まる。
ペットみたいに名前がついてなかったら、特別視することがないというのももっともだ。

でもそれは、愛情を感じる強さが対象によって異なるだけで、
オレたちはどんなものにも、いつだって愛情を感じていると思う。
それが人間の本来の姿であって、無関心とかあきらめとはまったく質のことなるものだと思うよ。



48:36:2013/06/20(木)23:03:27.28ID:0HHF92Ac

>>45
あなたが私に対する認識が少し変わったならば、
心が常に「状況により」変容するということだ。
諸行無常とはこのことである。

私が書いていることも
あなたがポリシーとしていることも刻々と変わっていく。

釈迦の教えや悟り、それらの「受け取り方」も
時とともに、変わっていく。

だからすべては素晴らしい。
すべての瞬間、そして私自身、そのすべてが素晴らしい。

すべてが素晴らしいと知るためには、
あなたの批判的だった書き込みすら「どうでも良いもの」と感じていた必要がある。
だから私にとって、あなたは素晴らしいのだ。本当に心からありがとう、そう言える。


2017年6月5日月曜日

自分さん07 結果から物事を観れば、それまでいかにすべてが完璧だったかがわかる。

904:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)20:41:25.99ID:RRnWO0uS[3/3回] 

全て(物質も精神も)の元が、分けの分からない伝波のような波動なら、
これに波長を合わす事が、物理次元と精神次元の接点の様な気がする。


906:名無しさん投稿日:2013/06/17(月)21:25:19.98ID:3o6PdO9J[3/3回] 


>>904
なかなか悪くないよ。
マハラジが言うには五感の反応や思考は粗いので目立ってしまい、
意識の中で気づきを独占してしまうらしい。
だから心を静めて思考に邪魔されないように、
繊細な実在を感じようとするのが真我実現の肝なんだってよ。


918:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)00:55:22.15ID:kW3r93Ri[1/7回]


>>906
ということは、引き寄せはある、と言う事になるのかもデス!?



920:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)00:59:10.66ID:CL8fXihbs[2/4回]

>>918
横レスですまないが、あなたが引き寄せたと思えば引き寄せ完了である。
これまでの人生を振り返ってみれば、完璧だったとわかるだろう。

すべて、結果側から観なさい。
そうすれば原因を操作できる。
そして原因も結果もひとつであることが理解でき、
あなたは時間や結果の法則から超越できる。


919:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)00:56:13.82ID:kW3r93Ri[2/7回]

我々の外にあるモノのが単なるラベルだと認識していくと、
最後は身体もラベルで、内臓もラベルで、
そしてついに魂までもラベルだと知り、自分は消えてしまうわけでしょうか!?



921:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)01:01:03.47ID:CL8fXihbs[3/4回]

>>919
その通り。
あなたの言う通り「我々の外にあるラベル」と、我々は誤解しているが
外も内もなく、ただ「ラベルが在る」それだけである。

中身はない。


922:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)01:06:44.08ID:CL8fXihbs[4/4回]

すべては至ってシンプルだ。

すべての物事は「箱」だと思えばいい。中身はカラだ。
そこに「ケーキが入ってるのかな」「オモチャかな」と
人それぞれポジティブからネガティブまで概念をくっつけるわけだ。
でも中身はカラだ。

箱ということは空間である。その空間に概念を生み出している。
だがその箱も、テーブルに置いてあれば「概念」そのものになる。

同じ話になって恐縮だが、つまりはすべて「箱」のようなものと思えばいい。
あなたが勝手に箱の中身を妄想して、喜んだり恐れたりしているだけだ。
そして瞑想すれば、喜びや恐れをなく、純粋に箱の中身を感じられると勘違いするが
実際は、テーブルから観た「箱」を知るだけである。

つまりすべては「無」である。どこまでいってもなにもない。


948:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)22:23:25.56ID:sSjm3Hkv[1/6回]

私が>>914や>>922までに伝えようたように、
ひとつ上の抽象レベルから観れば「無」ですら概念である。
概念ということは思考の対象である。

つまり、我々が語りあっているこのすべては「ただそれだけのこと」である。

そして我々が生きていく世界、人生、スピリチュアル、今日の昼ごはん、知り合いのトラブル、今月の支払い、思ったより多かったボーナス、嫁の浮気、損した買い物、行楽地での大雨、結局ビジネスじゃないの?という疑問、コンビニでの傘の置き忘れ、通勤電車でいつも気になる異性、
将来の不安、明日の楽しい予定、

それらは、あなたの人生に在る。
だが、あなたの予測しない出現方法で登場し、予測できない動きを見せる。
すべては「そういうもの」なのである。

昨日も書いたが、結果から物事を観れば、それまでいかにすべてが完璧だったかがわかる。
だから、いま現在のあなたの置かれている状況も完璧な進行なのだ。

人生の本番がいつ始まるんだろう、と待ち続けている男がいた。
何が始まってもいいように、徹底した準備をしていた。精神面も、あらゆるスキルも。
そして彼が最期の床で悟ったのは、
「そうか、いつ始まるんだろうと待ち続けていたことが、私の本番だったのだ」

ある島の浜辺で仕事もせず、のんびり暮らしている男がいた。
その浜辺に、大きな漁船に乗って恰幅の良い男が訪れた。
恰幅の良い男は大会社のオーナーであるという。彼は言った。

「君は仕事をしていないのか、ならば漁船をひとつやろう。これで漁をしなさい。
そして儲かったら人を雇ってさらに漁船を増やしなさい。
さらに儲かったらどんどん大きくしていきなさい」

浜辺の男は聞いた。
「わかりました。でも、そうして儲かったら、その先に何があるんです?」

オーナーは言った。
「そりゃそれだけ儲かったら、のんびり暮らせるに決まってるだろう」


924:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)01:30:07.33ID:kW3r93Ri[4/7回]

>>922
記号論と良く似ています。
記号論の語るところでは、そもそも、ものに名前を付けるのは、
他と区別する事によってそれを認識するためとか。

二次的には、名前はそのものの本質を表すためかも知れないけど、
でも、知りたいという欲求が起きなければ、認識はしなくてよいわけで、
その時は、他と区別する必要も無いので、名前を付けることはしないようです。

例えばここに、無数の石コロがあったとして、
その中から、宝石の原石を探している場合は、一つひとつ区別する必要があるので、
普通の石、エメラルドの原石、ルビーの原石、ヒスイの原石・・・・・
というように、名前(ラベル)を付けて、一つひとつ認識していきます。

でも、宝石などを探していなければ、石の一つひとつには興味がないので、
我々の脳は、全てどれも「石」という、一括した名前の認識で、
済ませてしまうようです。

そしてまた、この無数の石に対して、他の木や水、又は土などと
区別する必要性を感じなければ、石ではなくて、単なるものとして
認識してしまうようです。
そして又、この石が目に映っても、まったく何の関心も無ければ
「無」として認識する!?のかもデス。


950:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)22:42:31.63ID:sSjm3Hkv[2/6回]

>>924
例えば、あなたも、すべての生物も、公園の砂も、ガラスのコップも、
プラスティックのおもちゃも全部地球の派生物である。
派生物としたのは、分離である。つまりは「地球」である。
あなたの髪の毛や細胞、爪切りで落とした爪、耳あか、それらもすべて
「あなた」の構成部品だった。

つまり「あなた」だ。
で、あなたは「地球」であり、地球は宇宙の内包物である。

そのように考えればワンネスは理解しやすい。

言葉はあえて区分するためのもの、つまり分離である。私が>>621あたりで書いた通りだ。
キリストも仏陀も、コケも、あなたも、全部、単なる地球、宇宙から湧いて出た物質である。
ちなみに、音も光も、単なる波形でありそれらも同様に湧いて出た物質である。

逆にミクロ視点で進めていけば、あなたは60兆の細胞から成り立っており
それら細胞も分子やら粒子やら、細かく刻んでいけばキリがない。

ダグラスハーディングは、自分を「距離を置いた視点」で観れば
宇宙の一部分であり、「距離を縮めた視点」で観れば、原子である、
つまり適度な距離感こそが、我々の世界の大前提である、と述べている。

じゃあ適度な距離感ってなんだ?
あなたを観るとき、もしかすると誰かは、
あなたが細胞に見えてる人もいるかもしれない。
逆に非常に大きな距離感で捉える人から観れば、
あなたは自分を含めた宇宙に見えているかもしれない。

そしてそれらすべては「無」というバックボーンに成り立っており、
行き着く先には、なにもない。
あなたのレスの答えは、「その通り」である。


951:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)23:08:32.55ID:X+L3gyPz[1/1回]

∞=無ですかね?



953:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)23:17:58.45ID:sSjm3Hkv[3/6回]

>>951
無とは有のことである。概念であり、思考であり、エゴのことである。
無を無として指し示すことはできない。
できないが、その正体はすべてのものである。

何度も書いているが、あなたは常にゴールにいる。
それはそれまでの人生が、あなたがいまそこでそうしているために
完璧に調和された出来事の集大成なのだ。

そのように観れば、無が一段上の視野から観れば
「無と成り得ない」ことが容易に理解できる。

つまり、すべてはその通り、ただあるがままなのだ。
曲解されないように言及しておくが、

無無明、
うまく生きていくコツなんてものはない。
あなたの人生で起こるすべての出来事は、完璧なのだ。
だから苦しむ必要もないし、未来に期待や不安を持つ必要も無い。

これを「言葉」という表現で置き換えるならば、無限と呼べるのだろう。
だが、単に、あなたはあなたの人生を生きているだけなのだ。
だけども、あなたはあなたの人生の本質をコントロールできない。

つまり、受け身でしかないのだ。
なぜならば、すべてが記憶というフィルターを通じてあなたは認識するからである。

最初に戻るが、結果という視点から観ればすべては完璧なのだ。
だから恐れる必要は無い。ただ発生した出来事を楽しめば良い。


954:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)23:34:07.01ID:tXMs0VUE[3/5回]

>>953
ものすごく納得はしてる。反論もなし。
だけど最終的にどこ目指してるの?覚者??
気付き方はそれぞれ違うけれど気付いてる人はとても多い。

苦しむ必要は無いといっても覚者でも肉体の苦しみをなんとかできたわけではない。
常に受け身でしかない。全く無痛になるところを目指すの?
苦しみや痛みや恐れはネガティブな側面だけではない。

予防、検知、危機回避。
気付いた人達が増えることによる社会の変化を楽しみに待ってるの?
引き寄せが魔法じゃなくて、気付く途中で起こってしまう単なる現象で、
それが目的でなくなれば落ち込みまくった状態以外、この気付きって何に役立つの?
否定したいのではなく、本当にたまに湧く素朴な疑問。



955:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)23:53:01.63ID:sSjm3Hkv[4/6回]

>>954
>だけど最終的にどこ目指してるの?

最終的にどこを目指してるの?それはなんだ?
私はすでに、いまここにいる。
あなたも、そこにいるのではないか?

そういう問いがでているということは
あなたは、人生をコントロールしようとしているから苦しいのだ。

人生とは、そんな小さなものではない。
ただ流れの中、すなわち「流れ」があるのだ。
流れこそが己であり、単に流れているだけである。


956:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)23:56:14.82ID:tXMs0VUE[4/5回]

苦しいとかじゃなく疑問なだけ。
だから完璧に100%受け身であることを気付くって事でしょう?
だから完全に諦めがきき苦しむ必要ないってことでしょう?

コントロール手放すなら、痛みも苦しみも
組み込まれたものだから、あるがままじゃない。
もちろん疑問も。



957:名無しさん投稿日:2013/06/18(火)23:57:37.31ID:sSjm3Hkv[5/6回]

受け身とは、あなたの書く意味とは全く違う。

いま、何かしらの風景が視界に飛び込んでいるだろう。
何かしらの「音」が聞こえているだろう。
それらは、発生した根源を、あなたの五感が処理して
初めて認識している。つまりすべての出来事は受け身でしかない。
では誰がそれを発生してるのだ?

流れだ。

つまり、その発生する根源であなたは「作られている」
あなたの性格も人格も、趣味も、好みも、
それまで生きてきたあなたの周りを蠢いてきた「根源」により
それを受け身として認識してきたからこそ、あなたという概念がそこにある。

つまりあなたは、あなた以外のそれらである。
これから起こる出来事も、なにもかも、あなたはただ傍観するしかない。
それは、あなた自身を体験していることに他ならない。


959:名無しさん投稿日:2013/06/19(水)00:05:55.59ID:sSjm3Hkv[6/6回]

>>958
あなたのいう「余裕」「目指す」とはなにか?
それもあなたの過去人生の知識などから「知った」ものだろう。

もしかすると、あなたは自分の意思で生きていると錯覚しているのではないか?
私はあなたの言っている意味がいまいち理解できない。

あなたがいまここで書き込んでいるのは、スピリチュアルなり
マネゲ本なりとの出会う切っ掛けがあったからだろう。
では、スピリチュアルもマネゲ本もなければ、あなたはここで私と話をしていない。
あなたの行動は、それら「きっかけ」が発生したことによる、結果でしかないのだ。

では、きっかけをあなたが生んだのか?
私がいつも言っている統合的な意味では、あなた以外のすべてであるあなたが生んだのだが、あなたの言う「自覚」は、それがなんなのか、証明できないはずだ。


ICUに入ることになったいきさつは、そういう出来事があったからだ。
そういう出来事がなければICUとは無縁である。
つまりICUに縁があったということは、そういう出来事や、ICUがあなた自身である。
あなたとは、それら根源が生み出す単なる「影」でしかない。


961:名無しさん投稿日:2013/06/19(水)00:15:51.97ID:nk97HXeQ[1/7回]

>>960
あなたの話す「欲求」や「目指す」とはなにか。

単に朝が来るから、あなたは朝を感じているだけだ。
つまり、あなたは朝である。理屈で言えば、宇宙から観れば朝も夜もない‥は置いておいて。

以前も書いたが‥念のため付け加えておくが、
朝にしろ、スピリチュアルにしろ、時計にしても、
服も食べ物も味も感情もすべて概念である。

つまりそれらは実在していない。
ただあなたが、それをそう感じているから体験しているのだ。

そしてあなたも、単なる概念である。
そして日々起こる出来事も概念である。
この世界はすべて概念で構成されている。
だから幻や空と言われている。中身はどれだけ探しても見つからないからね。

だから、あなたが日頃感じているだろう、
「どうすれば100%受け入れられるのか」「どうすれば痛みを感じない領域か?」に付随する様々な疑問は、あなたが目指した?その先には、ない。断言できる。

なぜならすべては、空っぽだからだ。
それをそのように観ているだけだ。

962:名無しさん投稿日:2013/06/19(水)00:18:12.79ID:nk97HXeQ[2/7回]

思い込むとか、目指す、とかを忘れてしまってはどうか。
つまり、精神世界を意識しない暮らしを送ってはどうか?

たぶんあなたの求めているものは、ここにもなければ、どこにもない。
ただ、あなたの人生、それがあるだけだ。