2020年10月25日日曜日

自分さん31 世界に出来事があることに対する感謝、愛を感じられればあなたは「脱出」である。

407 :名無しさん:2013/09/02(月) 23:23:09.34 ID:sIHnrV/I

うーん。君はわかっているのかそうでないのか曖昧だな。
どうも頭で知識として知っているだけに見える。
他人に知識としての理解を求めているようだし、
「個人」と「全て」の表現が混ざっている。



416 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/03(火) 00:32:00.42 ID:HfB+UuUe

>>407
私へのレスかな?そうであるとして返答するならば、
「それは言葉で伝えているからだ。」
私自身では、「私の中」で、私らしき人間が書き込みをし
それに返答をするあなた方がいる。私はそれを見ているだけだ。

まああなたにとっては、こんなこと伝えるまでもなく理解されているようだ。
だが、私のように「自分」などというハンドルネームを持ち
自説を書き連ねる「立場」になれば、あなたのいう「個人」と「すべて」の入り混じりが
体感できるであろう。この行為は完全に分離であるが、
私は、その分離をしている私という人間を見ている。
ゆえに、私の真実なる状態はあなたへは伝えることができないだろう。

私もいろいろあってね、ちょっと人間的な用事が多いのだ。
その行為をしている私を「私」は常に微笑ましく見ている。

あなたの現段階に必要なのは、
自分で苦しみを作っていることに気づくことだ。
これは夢物語でもなく、あなたの人間生涯にとってまず克服すべき課題である。

わかりやすく書けば、
自分の日頃の行動、思想は、全部「勝手に起こっていること」だと悟ることである。
あなたの中で、あなたらしき人間体が勝手にあれこれ悩んで生きているのを眺める視点に立つのだ。



421 :名無しさん:2013/09/03(火) 00:58:21.50 ID:1MfdigMR

>>416
いや、そっちより他人への対応が問題でね。
本当にわかっている人は他人に「気づきなさい」とか「理解しなさい」とは言わないはず。
単なる知識としての理解は何の意味もないという事がわかってるからね。
真実は理屈じゃないんだよ。



422 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/03(火) 01:12:31.89 ID:HfB+UuUe

>>421
>本当にわかっている人は他人に「気づきなさい」とか「理解しなさい」とは言わないはず。

これはあなたの過去の記憶においての常識なのだろう。
では私がラジニーシならば、マハラジならば、
あなたは「その通りです」と感じるのだろうか。
幻想とは実にくだらない。


423 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/03(火) 01:26:49.11 ID:HfB+UuUe

>>421
私もあなたも、クリシュナであり釈迦である。
それに意義はないだろう。
だが「教え」と言われる概念に対し、そんなもの重要であるかい?
なぜなら、私もあなたもクリシュナであり釈迦であるからだ。

だが、世間といわれる幻想に飲み込まれた人々はどのような様態をしている?

懸命に生きて一筋の希望を見て、必死に生きている。
だがそれは救いではない。必ず裏切られる。

そんな人々をあなたの知識は救おうとしないのだろうか。
なぜ釈迦はそもそも幻想の世界に身を落としたのか。
自己満足、そう捉えればそうだろう。

だが自己満足も自己犠牲もない超越した状態こそが
あなたのまだ知らないエリアなのだよ。私はそこにいる。
だから決して、いまのあなたには私が理解できないだろう。

このようなことを書いている私は、いわゆる「エゴ」である。
エゴこそが世界である。

だがその世界を見ているのが「私」である。

私の中に「あなた」があるように
あなたの中にも「私」があるだろう。

だがそれが一体なんだと言うのだ?
釈迦の見いだした真実が何だというのだ?

私は、私らしき「人間」を見ているだけである。


426 :名無しさん:2013/09/03(火) 08:05:39.35 ID:cozz+Hh8

自分さん
正直いうと最初はあなたのこと聖人ぶったやつだと、気に入らなかった、ごめんなさい。

しかしやはりあなたは真我を実現してるようだ。
このレス、マハラジの問答みたいだね、美しい。
これは知識だけで書ける内容ではないよ。
(そんなふうに言われるのはあなたの本意ではないでしょうが)

ありがとう。
あなたを認めたことで気付いたことが沢山あるよ。

言葉で知識で、何度追っても入らなかったことを経験できた。


450 :名無しさん:2013/09/04(水) 17:31:58.75 ID:WETS5mXw

>>280
>勝手に起こる思考に対して「過去のデータ」を付与するかしないかは
>自由だ。

ここが今ひとつ分からないのでお願いします。
「過去のデータ」を付与すること自体が思考なんで、
勝手に起こるのが思考なら「過去のデータ」を付与するかしないかも、
勝手に起きているのでは無いか知らん?



459 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/04(水) 23:35:05.44 ID:wzYskkHc

>>450
それは「反応」について書いている。
反応はあなたの自由‥なのだが後述するが本当の意味での自由はない。

あなたの人生を変容させる唯一の要素である。
つまり物事に対する概念が変わることで、世界が変わる。
多くの人の人生のすべては反応で成り立っている。先日も書いたが、
我々は自らの身体の動きですらその動作を見ているだけしかない。
つまり「見ていること」しかない。

だがその「見ていること」に対して、マインドが「反応」する。

エゴの発生である。
ある「出来事」が単に起こり、それに腹立たしさを感じたとき
それは過去にその出来事=腹立たしいが成立したから、今回もそれが反応している。

つまり単なる出来事に対して「大問題」や「ハッピー」などにするのは反応の賜物である。
反応とはエゴの典型的な動作パターン「過去」というデータベースからの参照だ。


あなたは空が晴れても雨が降っても、何かしら個人的な思いを与えるだろう。
そこに天候はまるで関係がない。また「今日は良いことがあった、さえない一日だった、
なんだいまの!?腹が立つ!うわー幸せー!」
これらは出来事に対する、あなたの過去の体験を基にした反応(幻影)だ。
つまり生起する出来事の「影」である。

出来事に対する「印象」を第一の判断条件とするから決して満たされない。
肉に対して「肉」という言語イメージを持つが、それは「肉」ではない。
名称を超えた「それ」こそが「肉(言葉は無視しなさい)」なのだ。

だがエゴは「あるがままの事象」を「印象」としてしか捉えることができない。
そうしなければ、それを「判断」できないからだ。だから同じ世界に生きながら、
人それぞれ幸福度が違う。
(続く)


460 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/04(水) 23:37:53.73 ID:wzYskkHc

続き
あなたは周囲の友人に対して、それぞれにイメージを持っているだろう。
あいつは優しい、あいつは気難しい、など。
それらは友人そのものの本質を指し示してはいない。

だが、ここで重要なのはそのあなたの「オリジナル」であるはずの過去のデータですら
実はあなた発祥ではないのだ。

例えばおいしい食べ物、それはなぜ「おいしい」のだ?
一体いつ「おいしい」と感じたのだろうか。
当然、昔それを「おいしい」と感じたから、今もおいしいのだろう。
だがその起源はいつなのだ?なぜ初回時にそれがおいしいと「知った」のだろうか。

起こった出来事を「苦」と捉え、苦しみの世界に変容させ
それが原因で病気になったり他者へ痛みを与えるようになるのか、
それとも、出来事をあるがままに捉え、そこから苦を生みださないかはあなたの自由だ。
だが、その概念の持ち方はあなたに「その概念を変えようとする」出来事があることで成立する。

つまりスピリチュアルとの出会いであったり、
自己認識の変更をする切っ掛けが与えられることがあるかどうかだ。
それは自分の意思ではない。起こる出来事のひとつだからである。

だから結局のところ、"反応している自ら"すらも「見ている」状態こそ
目覚めているあなたである。



461 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/04(水) 23:44:32.86 ID:wzYskkHc

人生を変える方法は、概念を変えることだ。
いま目の前にある暮らしが「とても幸せだ」そう思えればあなたの人生は輝き出す。
しかし多くの人がそれをできない。理屈ではわかっていても無理を感じだしてしまう。
そこが分岐点なのだ。つまり「それができるかできないか」だ。

お金が足りなくて支払いができない。不安がよぎるだろう。どうしたらいいか困るだろう。
だが「お金が足りなくて支払いができない」が起こっていることの向こう側に、
それが存在している喜びがある。至福があるのだ。

つまり「お金が足りなくて支払いができない」の内容などどうでも良いのだ。
あなたの世界にそのような出来事があることに対する感謝、愛を感じられれば
あなたは「脱出」である。


すべて愛で包まれていることが理解できるだろう。


462 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/04(水) 23:51:34.45 ID:wzYskkHc

この3レスで書いている通り、我々は出来事を素直に受け取らず
その内容や印象で捉えてしまう。

その「出来事」が「あなたの人生(つまり世界)」に存在しているという「奇跡」を
まず感じ取ることである。

あなたの為だけに用意されたスペシャルイベントなのだよ。
内容や過去のデータからの印象に惑わされてはいけない。

ただ「それが起こっている」ことへの感謝を感じなさい。
あなたが「在る」から、それらが在るのだ。

そういうことに気づいたとき、涙が溢れるだろう。
どれだけの愛があなたを包んでいたかがわかるだろう。
もはや感謝しかない。

あなたが在るから、それらが在るのだ。
それらが在るから、あなたが在るのだ。


463 :名無しさん:2013/09/05(木) 00:20:59.54 ID:wFzqBVJD

自分さん
ありがとう、おやすみなさい



2020年10月18日日曜日

自分さん30 あるのは、関係性が生みだす「それ」のみだ。

383 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 21:46:42.97 ID:ihX853si

さて、今夜は(実は朝も書いているが)目の前の物を消し去る魔法を伝えよう。
まず目の前のグラスを見なさい(ここではグラスにしておく)
次にグラス側から、あなたに"見られている"ということを知りなさい。
このとき、グラスは消えている。そしてあなたも消えている。
あるのは「見ること」という状態のみだ。

これは「グラス」という言語化した識別的な概念が抹消されていることを意味する。
つまり思考の枠外へ出たということだ。
意味や理由を求めれば、すぐにグラスが出現するだろう。

ここで大切なのは、グラス側から見たときの「あなた」だ。
非常に奇妙な透明のスペースが広がっているだろう。

それが本当のあなたの姿である。

こうして簡単に本当の自らを垣間みることができる。


384 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 21:52:16.07 ID:ihX853si

同様に音についても実験してみなさい。

こうしていろいろな概念を消去していけば言語を超えた本当の世界が見えてくる。
つまり、すべてはひとつしかないということだ。

そして今朝も書いた通り、
ひとつの「それ」を様々な解釈で「風景」や「騒音」「気温」などに言語化、
分類して認識する。それが人間である。

人間(つまり人間性)を超えたとき、ワンネスがそこにあることを知る。
そこにあるので超える必要もない。

逆に言えば、そこにあるから、様々なことを体験できるのだ。


386 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:14:09.90 ID:dX/aukDo

ニュースが隣の部屋から聞こえてくる。だけど私はそこに意識を向けてないから
ただ、がちゃがちゃとした音が聞こえてる。意味などなさない。

目の前のパソコンに私は見られている。
おそらくPCは、ただ生きている存在としか視えていないだろう。
美醜もない若いも年寄も男か女かも...。

それはなんとなく解るけれど、それって母親が、
その子の為を思って口酸っぱく説教しても、本人には馬の耳に念仏。
左から右へ単に音が通り抜けていくこととどう違うのでしょう。

また、ニュースの音声だから聞き流せるが、チャンネルを換え、
ドラマにし、そのドラマの赤ん坊が泣き叫ぶシーンが聞こえるとする。
TVドラマから流れてくる音だから感情はいれずに流せるけど、
やはり耳につんざく泣き声は不快と認識されてしまいます。



387 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 22:21:52.11 ID:ihX853si

>>386
意味を求めない。理由を求めない。
ただ、それをあるがままに見るのだ。
だができないだろう。それが概念であり人間性というものだ。

実際にはあなたの目の前には「パソコン」と呼ばれるものはないし
隣の部屋というものもない。そこから聞こえるニュースというものもない。

あなたがそれらにそういう名称を与え、そういう意味を与えているだけである。
その幻想がどのようにして脱するか、それを私は書いている。

あなたは幻想にどっぷりと浸かっており、
私やマネゲ本ですら幻想の産物となっているだろう。
そういうことから「目覚め」という道が与えられているのだ。

不快な鳴き声もない。あなたがそのように意味を与えているだけだ。
そこから脱し、本当のありのままを知る。
そうすれば、それらがあなたへ不快や愉快などといった力など
持っていないことが明白となるだろう。


390 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:34:56.58 ID:dX/aukDo

む...むずかしい。
意味を求めるというよりは、もうそうだと思い込んでるから。

例えば電話がなる。電話は遠い人の音声を届けてくれる機械。
これは解ってるから安心してとれます。

だけど今まで電話を見たことも聞いたこともない人ならば
受話器をとって声が聞こえたら、びっくりして魔法かお化けだと思うでしょう。
あるがまま...て何???



391 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 22:43:52.37 ID:ihX853si

>>390
わかりやすく書くと語弊が生まれるが、あえてあなたの為にわかりやすく書けば、

あなたが例え話に用いている「電話」や「声」「機械」だが、
そもそも電話も声も機械というものなど、ない。

あるのは、関係性が生みだす「それ」のみだ。
深く知れば関係性も「それ」すらもない。つまり何もないところで
我々は日常を経験しているのだよ。

じゃあなんで、日頃の日常があるのかというと
すべて空想の産物、つまりあなたの基準で見ているだけのことだ。実際はなにもない。

ある禅の師匠が言っていたが、両手で拍手をすれば音が聞こえると皆は思う。
だが「片手」でも音は鳴るのだ。

なぜならば、そもそも音などなく「聞こえること」だけがあり
そこから空想の産物として、おのおの常識といわれる基準を元に
音の発生源を関連付けているだけである。


392 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:44:43.72 ID:beaSTTNM

>>388
人間が行為する(生きて行く)とは、まさに幻想に生きる事では?
行為しなければ、我々は生きて生けないのでは?


393 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:46:50.90 ID:ixDs8Ls2

行為もないし、行きてもいないってことだよ。


394 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:48:18.38 ID:ixDs8Ls2

実際には行為は行われているのだけど、
定義しなければ、何物でもなくなる。



395 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 22:50:18.40 ID:ihX853si

>>394
私は、行為は見ているだけだと知っている。

指を動かそうと念じても、指は動かない。
では実際に指が動いているとき、我々は何をしているのか。
指が動いたのを、ただ見ているだけである。


396 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:52:50.20 ID:dX/aukDo

機械と思ってるのは思い込み。ネジやらなんやらの集合体。
ネジはまた、鉄やアルミとされ細かく細かくしていくと、
それは空間になっていく。それは頭では解るけど。

文字として皆さんの意思表示は目で視えるし、隣のニュースの音は耳で聞こえてる。
これを無いと体感、実感できるのですか?



397 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 22:57:26.17 ID:ihX853si

>>396
いや、あなたが「皆さん」と思っているのは、あなたなのだよ。
あなた自体がここ、つまりこの掲示板に描かれているだけだ。

あなたの為にもっとわかりやすく書くが(真理とは離れていくが)、
あと10分で死ぬと思い込みなさい。
ならば、あなたの見てきたすべてが「あなたの人生そのもの」
つまり、すべてが「あなただった」と理解できるだろう。

そこに理屈があろうとも、難解な疑問があろうとも、
それ自体が「ただ在った」だけであり、意味などどうでも良いのだと気づくだろう。


385 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 22:00:42.43 ID:ihX853si

ついでに書いておくが、怒りや不安、喜びなども実験してみなさい。
この行為はマネゲ本でいうところのプロセスに値する。

つまり、それ自体を「その存在」と見なすことで
それから連想し、想像により誇大化する感情に結ばれないことを意味する。

上で書いた、問いとは存在であり、答えを導くものではない、と同義である。

さらに「怒り」ならば、怒りを感じるあなたと
あなたに感じさせている「怒り」そのものから「あなた」を見れば
「怒り」は力を失う。つまり怒りは消去されるのだ。
ただ、感じる「何か」があるだけであり、それすらも消去されるだろう。

多くのスピリチュアル本で書かれている通り、感情に浸かるとは
こういうことである。そのものから己を見るのだ。


398 :名無しさん:2013/09/02(月) 22:59:41.14 ID:dX/aukDo

>385
それは解る。頭で念じて走れ、勉強しろ、体操してみろと
念じたところで身体は実際動かない。

朝、この時間に起きるとは自我でなく習慣による体内時計、
又は潜在的なものから。自我の想いに力はないのは解るけど、
体がお腹すいたと訴えれば冷蔵庫あけにいこうという意志がうまれて
面倒くさいけれど体を動かす。

だからといってお腹が空いてるけど
面倒くさいと感じるものが勝ってたら立ち上がらない。

5感なんて感じるものだし…。



401 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 23:01:47.99 ID:ihX853si

>>398
よろしい。

>念じたところで身体は実際動かない。

思考には何の力もないことがわかったかな。
では、実際に身体が動いているとき。
身体を動かしているのは誰だい?


402 :名無しさん:2013/09/02(月) 23:04:31.19 ID:dX/aukDo

>>401
はて。誰なのでしょうね。
それはよく思いますよ。変な意味でなく私は何者?とか
自分て、本当に生きてるの?実はとおの昔に死んでいて
生きてると思い込んでるだけじゃないの?
私っていつ生まれたの?とか。



403 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 23:08:41.79 ID:ihX853si

>>402
あなたが外を歩いているときや
たくさんの人で賑わう店にいるとき。
当然あなたの周囲で、多くの人が動いたり
出来事が起こっているだろう。

それと、あなたの身体が動いているのは同じなのだよ。
つまり自由な意思などなく、我々はそれをただ見るだけしかできない。

あなたが退屈だと感じるとき、
あなたが何かを思っているとき、
それらもすべて、単なる出来事である。
身体の動きですら、単なる出来事なのだ。

我々はその単なる出来事を見ることしかできない。
つまり何も知らないのだ。

それを理解しなさい。


404 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 23:10:31.14 ID:ihX853si

つまり、あなたは「あなたという出来事」を見ているのだ。
では、誰があなたを見ているのか?

そういう話である。


2020年10月12日月曜日

自分さん29 自我を捨て去るとは、常に我々を包んでいる「何か」を捉えることだ。

327 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:CMfnhK/x

あなた方のすべてが正しい。
なぜならば、各々が死を迎えたとき
自ら主張が人生のすべてであったと悟るからだ。
それはあなた方にとってそれぞれが大正解なのだろう。

つまり自らの思考、執着が人生という幻を形成している。


348 :名無しさん:2013/09/01(日) 11:19:04.61 ID:sXbio5cZ

自分さんへ
あなたの言うことや、不二一元論については、知識としては解った。
ただ、直接経験として【在る】を経験できていない。

すべてが制御できない、それはわかったのです。
それは最初、驚きと同時に虚無感がありましたが、
今は、自由な心持と、そして、ほのかな喜びがあります。
(もちろんマインドは幻想ですし、それは制御できるものではありませんが)

同時にこの現実と呼ばれる幻想も急速に落ち着きを見せました。
やはりすべては恩寵なのですか。
なにか、言葉をください。



349 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/01(日) 23:06:43.13 ID:leRbJ12+

>>348
何を望んでいるのか?
あなたはすでにすべて得ているだろう。
それに気付きなさい。


350 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/01(日) 23:10:33.88 ID:leRbJ12+

一枚の紙に、あなた、家族のそれぞれの名前、
学校なり会社なりの知り合い、あなたの好きなこと嫌いなこと、
そういったことを書き連ねなさい。なんでもあなたに関することを書き連ねなさい。
そこで私が質問をしよう。

「あなたはどれだ?」


351 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/01(日) 23:38:39.61 ID:leRbJ12+

>>348
答えは「紙」だ。
紙そのものが、あなただ。

家族も、好き嫌いも、知り合いも、自分自身ですらも
すべてあなたは含んでいるのだよ。
すべて「あなた」の中に在る。


352 :名無しさん:2013/09/01(日) 23:45:48.79 ID:oZJugGbA

>>351
横ですが、どうか私にも御教授ください。
どうして自我をもたされたのですか?
ただ抵抗にしかならないのなら、最初から自我など
もたせなければよかったと思ってしまうのも
その紙の存在を強く実感できないからですか。



355 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 09:16:38.18 ID:bs0G26vG

>>352
日頃聞こえてくる音(人の声や環境音、動物の鳴き声、車の通る音などすべて)
肌に伝わる感触(気温や湿度、触ったときの感じなどすべて)
目に見えるもの(色や形、そこから発想する印象、かっこいい、柔らかそうなど)

そういった、常に感じているもの、それらは「すべて同じもの」だ。

つまり、音でもなければ湿度でもない。色もなければ形もない。
ただそのように「言葉」でカテゴライズさせ、
「それはxxというものである」という記憶から
認識を与えているだけのことである。
実際は表現不可能な何かである
(SF的な意味ではなく、単に言葉を与えないから表現できないだけだ)

上のほうの書き込みでスピリチュアルはSF的だ、という内容を見たが
そのように認識すればそうなのだろう。だがすべての「実際」は
「言葉を与える前の何か」があるだけである。

身体にまとわりついている(ことにしている)「これ」を「湿度」としよう、
そして「じめじめ」という印象を発想を持つ(これが自我だ)
耳を澄ませば、おっと部屋の換気扇の音が聞こえていることに気がついた(ことにしている)。
これはもともとの「何か」を音として認識を与えている。与える前は「音」ではない。
言語化により音としてカテゴライズされる。(続く)


356 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 09:19:03.16 ID:bs0G26vG

>>352
さて、自我がなければ真我は存在しない。これの意味はわかるね。簡単な二元論だ。
だが自我も真我も言葉でカテゴライズされた単なる「経過後の変化したもの」である。
自我を捨て去れば、真我も存在しなくなるだろう。
つまりすべてどうでも良いことに気づくのだ。

執着を捨てよと覚者は伝えるが、すべてが「何か」の変化であることが見えれば
執着をすること自体ができなくなる。

自我なあなたに聞こえる「音」も、
音そのものがあなたであるということを知れば
二方向から「音(らしきもの)」を捉えることができる。

つまり「聞こえる」という「状態」自体を捉えるのだ。
音の発生源など存在していないことがわかるだろう。

そしてその「聞こえるらしき何か」は消滅する。
目の前からすべてを消し去ることがなど他愛もなくなるだろう。

また思想も感情も、音や気温、モノと同じように「それらしき何か」である。
つまり全部同じものだ。それ自体そのものが、自分であり
そのものである自分を、自分が感じているだけのことだ。

そうすればそのものの「存在は理由を失う」のだ。


357 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 09:33:24.74 ID:bs0G26vG

以前にも書いたが、時間はあなたの見ている世界の中には
存在しているように見えるが、あなたには存在しない。
時間がないということは、距離など空間も認識ができない。
だからあなたが歩くという行為は、あなたが動いているのではく
周囲の風景(のように見える何か)が、動いている(ようにみえる)のだ。

先にも書いたが、風景もモノや気温などと同じく、もとは同じものだ。
あなたは存在している。ただ在るだけだ。
生まれてもいないし、死ぬこともない。在るも生死も、それらは言葉だ。
実際はそういうことではないが、言語化しなければ伝えられないから矛盾が起こるだけのことだ。

ダグラスハーディングの著書で最も素晴らしい一文を書いておく。
「驚くべきなのは、私がまったく何の理由もなく存在しているということである」

理由を求めるから理由が生まれるのだ。当然見つからない。
彼は生きながらの死を提唱している。生きながらの死とは自我の死だ。
ロバートも同じことを伝えている。

自我を捨て去るとは、常に我々を包んでいる「何か」を捉えることだ。
その何かこそが、私である。

これはSFではない。
単にそれが何であるか知らない赤子に戻った世界がそれに近い。


358 :名無しさん:2013/09/02(月) 10:21:54.51 ID:HkPwOlee

>>355
ありがとうございます。
ですが実感となると日常で仕事しながら可能なのでしょうか。

今は、学校と就職活動でフリーな時間が与えられてますが、
フルタイムといけば今のようにはいかない。

説明会行った時につくづく実感したけれど足が痛い、
このように痛いとかではなく、言葉にしなくとも
強烈な不快感を足に感じてました。それを言葉で痛くない、
痛くないと頭でいっても痛みはなくならなかったし
深呼吸で冷静さを取り戻し、説明会担当者の話は聞く事は出来たけれど
頭の中は痛い痛い、ガンガンガン、不快不快ばかり。

どうでもいいと思うのでなく感じるのは果てしなく遠い作業に思えました。

仕事となると見積書も請求書も領収書も作成しなければならない。
納期もあるし今の事だけに集中できない。
他人を他人と意識してコミニケーションもはからねばならないし、
ただ一つの与えられた仕事だけに専念してたら今の時代すぐに役立たずと首になる。
出家するならともかく普通の生活送ろうと思えば無理なんじゃないかなあ…
と思ってしまって。


359 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 10:29:07.23 ID:bs0G26vG

>>358
あなたの書いていることは、すべて想像の世界である。
先にも書いたが時間、つまり未来は存在しない。

あなたのように未来について(実際に起こっていない状態にたいして)
想像を膨らませれば必ず苦しい状態が訪れる。
そして説明会の話は過去の記憶だろう。それも妄想の産物だ。

いまやっていることだけを見なさい。
未来などやってこない。過去らしきものも勝手に書き換えられているだけだ。



360 :名無しさん:2013/09/02(月) 10:30:56.89 ID:HkPwOlee

なんだかSFだと感じるのは...変にSF映画などが妄想でなく繋がる時代になってきたから。
最初は漫画の影響かと思ってたけど、最近は漫画なんぞ見ていない。

科学の発展と共にネタが豊富になって、
SF的発想のアニメや漫画がちまたに多くなってるから
そうなってるのかもしれなけれど、なんだかここ数年、
量子論やコンピュータの影響か漫画にしてもそういう発想が巷に溢れてるような。

私が学生時代の時は漫画にしても、もっと日常的でしたよ。
SFや霊の話は稀で殆どがヤンキー漫画や恋愛やサクセスストーリー。

それと...たとえ病気や妄想の類にしてもどうして皆、同じような妄想を抱くの?
ここが超能力板だから?

病気の妄想ならもっと恋愛や妖精などのファンタジー発想でもいいと思う。
なのに必ず黙示録、ワンネス、霊的次元、戦争 量子コンピュータ、こういう類にいく。

妄想なら、もっと色んなバラつきがあってもおかしくないのに…
と思うと気持ち悪いからホラーよりはせめてSFで...と思ってしまう。
考えたらアニメの発想だって脳内妄想を2次元表現しただけなんだな。



361 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 10:40:05.60 ID:bs0G26vG

私が>>356で書いたとおり、音はなく「聞こえる」という「何か」があるだけだ。
未来への妄想も、過去の記憶も、実際にはそういうものはなく
あなたがそのものである。そのもののあなたが、それを見るときに、それは消失する。

あなたの選択はどちらかだ。
私や多くのスピリチュアルの著書に書いてあることを知識として理解し
実際には深いところまで行き着かなくても「そうだ、こういうときは
「いま」だけに専念しよう」とそういう心持ちで生きていくのがひとつ。
(多くの人はこの通り)

もしくは、聞こえるも見えるも、感じるも、
すべて同じものであると気づいた上で生きていく。
他人も性別もすべての生物もモノも天気も、
すべて単なる「変化したそれ」をあることを見抜き
すべての幻想を消去しながら日常を生きていく。
これがもうひとつだ。

だがどちらもあなたの表面上の生活は同じだ。
なぜならば身体の新陳代謝のごとく流れの中ですべては定められているからだ。

>>360
漫画の話、それはあなたがそう見えているだけだ。
例えば、巷で流れている恋愛ソングの歌詞を見なさい。
どれも「あなたに会いたい」など恋愛相手に向けての内容に見えるが
スピリチュアルな観点で読めば、これがすべて「大いなる意識」に向けた内容に
変換される。

つまりすべて我々の捉えた「捉え方」、それが幻想である。


362 :名無しさん:2013/09/02(月) 10:48:49.00 ID:HkPwOlee

>>361
マネーゲームから脱出する方法のP264 
映画館に座って、ホラー、悲劇、あるいは感動的なドラマを見ているとします。
自分さんは、ロバートがどうしてホラーとわざわざ表現したと思う。
日常に近いドラマなら、せめてサスペンス、SFでしょう。
原書読んでないから翻訳の違いかもしれないけれど…。

どうして非日常的な恐怖。ホラーと表現したのだろう…。



363 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 10:55:18.17 ID:bs0G26vG

>>362
あなたには強い言い方に聞こえるかもしれないが
そこに論点はない。どうでも良いことだ。

ただ、平穏な日々を「もし明日強盗が来たらどうしよう」などと恐れておれば、
平穏ではなくなるし、あなたが末期の病気であっても、差し込む朝日の
ありがたみを感じれて幸せと思えば、病気にまつわるダークネス
(それを感じておれば)は緩和される。

今日は同じことを書いているが、すべて「何か」があるだけだ。
それをあらゆる方面で解釈を行い、あなただけの世界が完成している。


364 :名無しさん:2013/09/02(月) 11:00:29.87 ID:HkPwOlee

先生、何故、輪廻転生を繰り返し次元をまたがって
魂が救世主のレベルまでいく映画にフォーカスしたの?
自分はそんな発想なかった。

というか広大すぎて所詮、映画の枠でしか捉えられなかった。
先生もその切っ掛けを下さったんですよ?



365 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 11:09:56.46 ID:bs0G26vG

>>364
あなたにとって、その広大な超次元に感じられたことが
私や多くの人々にとって、ごく平凡な日常の出来事である。

以前のあなたがそうであったように。


366 :名無しさん:2013/09/02(月) 13:03:27.81 ID:HkPwOlee

>>365
御無礼承知で...頭おかしくなりませんか?
苦行は駄目、信念など捨て去れと先生方はいうけれど
信念もたないと狂いますよ。

目の前にPCがある。これは何なのか。
演算、記憶、入力装置、出力装置。いや、プラスチックの塊。電気を通すもの。
0と1との翻訳機。今、何故、これが目の前にある?
こんな認識の仕方してたらおかしくなる。

数学一つとくのにも問題の意味、問われている答えは一つしかない。
これは2進数で考えるべき、それとも10進数?
そもそも数字なんて頭で計算しやすいよいにした数の概念にすぎず
実質世界に4*0=0なんてありえない。4つのものを0回かけたら4でしかない。
リンゴ2つで2個。だけど重量も大きさも違うリンゴを2個と表してなんになる?

しかし問われているのはリンゴの個数。
答えは例え重量、大きさ、古さ、新しさが違っても
答えは2個。

こんなもん余程、常識と認識論の区別をつけなくちゃ、
あっというまに、おかしくなる。
信念もって挑まないと深淵に飲まれますよ。



378 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 21:23:25.51 ID:ihX853si

>>366
そして以降のあなたのレスに対して答えよう

あなたの理論は、あなたの「生きてきた卓上」のものである。
その卓上では、あなたの認識の変化により今後も様々な解釈をもたらせていくだろう。
発展もすれば、衰退もする。そもそも興味の対象も変わっていく。

つまり変化変動をする"確固足らない"オブジェクトだ。いわゆる無常のものだ。
あなたのいうPCに対する解釈もそのひとつであるし、
あなたのいう常識も、あなたにとっての現在の解釈なのだろう。変動するゆえに、
あなたは自らの問いに安定感を得られない、つまり満たされないのだ。

そしてあなたが考えるように、すべての人々がそれぞれの考え方を持っている。
解釈も人それぞれ無限にあり、ひとつの物事へのフォーカス箇所も違う。

あなたはそこへ"無限"を見いだすかもしれないが、それは迷路の中だ。
なぜならば卓上を脱していないからである。

卓上そのもの、さらにその卓すら配置してある空間に意識を向ける必要がある。
そうすれば、答えなど必要ないことに気づくだろう。これが無限であり永遠の座標だ。
その座標では完璧ゆえに強烈な納得と安堵がある。

問いは、その問いそのものが「存在」であることに気づくだろう。
問いとは答えを導くためのものではないのだ。
上でも書いたが「聞こえる」が在るだけであり、音も音の発生源なども
空想の産物である。

あなたは答えを求めている。だからまだ見えていない。


375 :名無しさん:2013/09/02(月) 20:10:22.95 ID:sIHnrV/I

お前らもっと「自分」とかいうヤツに突っ込め。
気づきなさいとか言われて引き下がるな。
気づけと言われて気づくようなものじゃないんだからさw



379 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 21:28:57.20 ID:ihX853si

>>375
>お前らもっと「自分」とかいうヤツに突っ込め。

惜しい。できれば以下のように書いてくれれば
パラドックス、つまり永遠への入り口になろう。

>お前らもっと「自分」に突っ込め。


380 :名無しさん:2013/09/02(月) 21:37:03.55 ID:sIHnrV/I

>>379
いやそれはありえない。
マインド内の対話自体が幻想なのだ。
そんな事をいくら続けても目覚めから遠ざかるばかりだろう。



381 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 21:37:44.39 ID:ihX853si

良いかね。
「見る」とは「見られる」とワンセットだ。
「聞く」とは「聞かれる」とワンセットだ。

そのようにワンセットを意識して生活をしなさい。
すれば「見ること」も「聞くこと」も超越する。
そこに「大いなる意識」が観えるだろう。

あなたが猫を見ている。
猫があなたに見られている。
この関係性にワンネスがあるのだ。



2020年10月4日日曜日

自分さん28 あなたはレコードを読み取っている針だ。動いているのはあなたではなく、それ以外だ。

280 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:nAsyZmHP

自由な意志はあるのか、ないのか?
そういう問いをよく聞くが、勝手に起こる思考に対して
「過去のデータ」を付与するかしないかは自由だ。

よって自由な意志はある。
だがその自由な意思のことを「エゴ」と呼ぶ。

すべてに委ねなさい。
身を任せるのだよ。
私の書き込みも勝手に起こっているだろう。

あなたの手足を動かそうする意図ですら
あなたが行っているのではないのだ。
起因とする出来事があり、それに思考する。

だから人は自らが自由に思考していると考える。
だが起因とする出来事はあなたが自在に起こしたのか?

すべてはリンクしている。因縁生起。
関連が関連を呼び、関連の連鎖が始まる。

だが起こった出来事も思考も、
エゴとして受け取らなければ、単なる流れ行く波動である。
流れ行く波動にエゴを与えず、同一化しなければ
川に流れる落ち葉を眺めているのと同じとなる。

つまり、それが


281 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:nAsyZmHP

脱出だ。


282 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:nAsyZmHP

エゴとは連鎖だ。
連なる鎖と書いて連鎖という。
鎖に縛られたくなければ連鎖に加わらなければよい。

つまり、落ち葉を眺めるがごとく
生まれ行く出来事、思考に、囚われない。
意識を与えない。エゴを生みださない。

いずれ、生まれゆく思考を眺めていることですら
レコードの記録内容だと理解できる日が来るだろう。

そのときに、すべての教えを捨てるだろう。
なぜならば、すべて仕組まれた単なる小さな出来事だからだ。

「あなた」はそれを楽しんでいる。
ただ眺めている。

「あなた」の思いついた通りに
「あなた」の意図した通りに
流れ行く様を眺めているだけだ。

すべては単なる設定である。
悟りも気付きも何もかも
「あなた」が遊んでるゲーム内の設定項目でしかない。

スーパーマリオで緑のキノコを取ったら1UP。
そういう単なる決めごとである。

いずれわかる。


283 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:nAsyZmHP

すべてに意味はなく
すべてに理由はない。

そしてすべては勝手に起こり、勝手に消えていく。

では一体「何なのか?」

それを眺めているだけだ。
肉体も植物も天候も星の動きもすべて「知性」が宿っている。
心臓の動きも呼吸も肉体の知性が単に活動をしているだけだ。
あなたの意思とは関係なく勝手に動いているのだ。

思考もなにもかも、日々起こる出来事もなにもかも勝手に動いている。
つまりあなたは何もしていない。

あなたは何もしていない。

衝撃を受けるかもしれないが、
あなたはこれまでもこれから先も何もしていないのだ。



284 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:xxeZ5vrj

何もしていない。

言い換えれば、何もできないのだよ。
言い換えれば、何もする必要すらないのだ。

あなたは何もしていない。
同じ場所におり、ただ眺めているだけだ。

風景が生まれ消えていく。
あなたは自らが歩き進んでいると勘違いをする。
思考が生まれ消えていく。
あなたはアイデンティティを持っていると勘違いをする。

あなたは何もしていない。
そこから動いてもいないし、なにもしていない。

あなたの感じている世界が、
あなたの肉体を含め、勝手に動いているのだ。
それを眺めているだけである。

あなたは何もしていない。
あなたはターンテーブルの針だ。
動いているのはレコードの側である。


285 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:xxeZ5vrj

これまで書いたことに対し
いずれ理解があなたを溶かす日がくるだろう。

日も理解も存在していないことがわかるだろう。
私は勝手にこれらを書いている自分を眺めている。

正直なところ、私は何の知識もないが
勝手にタイプされる文章にただ驚くだけだ。
だが驚いているという行為すらも、勝手に起こっている出来事だ。

つまり私は存在しない。
驚いている者などいないし、
これを書いている者もいないのだ。


286 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:xxeZ5vrj

悩む必要はない。
目の前で起こっている出来事を眺めているだけでよい。
眺めている側へ意識を持っていきなさい。
そうすればいずれ超越する。

つまり涅槃と言われる境地に入る。
そこでは「眺める」だけだ。

肉体の動作のようなものが勝手に生まれ消えゆき、
風景が勝手に生まれ消えゆき、
思いや心のようなものが勝手に生まれ消え行く。

そして「言葉」も超越する。
言葉に縛られたすべてが解放されるのだ。
その時、すべてはひとつだったと容易に察知できるだろう。
言葉は史上最大の制限である。

あなたはレコードを読み取っている針だと自覚しなさい。
動いているのはあなたではなく、それ以外だ。

時間の中であなたが動いているのではなく
あなたを出来事が生まれ消えていくだけだ。

流れているのではない。
あなたを流れているのだ。

川の流れがあり、その中にある石があなただ。
石が流れているのではない。
石に川の流れがあるのだ。

石はそこを動かないし、何もしていない。
ただ川が通過しているのだ。
今の視点からすれば「川の流れ」が生まれ消え行くのだ。


287 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:xxeZ5vrj

いつも未知にありなさい。
ラジニーシの伝えを借りれば、常に予測不能でありなさい。
常に「何も知らない」状態にあるということだ。
そうであればあなたに起こる出来事は常に新鮮であるだろう。

あなたは何も知らなければ
過去もないだろう。
過去がなければエゴも生まれない。
常に「今」に在るだろう。

事実、あなたは何も知らないし
すべては勝手に起こっている。
レコードの針のように。

あなたは何もしていない。


288 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:xxeZ5vrj

最後に書いておこう。

誰も何も存在しない。
存在という概念があるだけだ。
つまり、すべては





である。