2022年2月27日日曜日

自分さん74 脱出を自ら探すのではない。脱出に自らを探させるのだよ。

573 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/28(木) 09:28:37.98 ID:H08CWO9k

おはよう。
熟睡しているとき、よくいわれる
「今に在る」という中でも特に純度の高い状態である。

つまり起きているときに熟睡を覚えているとき、
肉体も目の前の出来事もすべて風景であることがわかるだろう。

そしてなにより、その風景を眺めている「それ」は時間が止まっている。
永遠であり無限であり静寂である。まさに「今に在る」だ。
起きているときの「熟睡」に耳を澄ませてみなさい。

風景がある。
それは「見たこと」を考えているからだ。
つまりプラスマイナスゼロ、体験を消化することでゼロになる。

ゼロとはなにか。それが真我だ。
体験と消化、これは同時に発生している。

外を歩いてみなさい。
無数の「見たこと」「聞こえたこと」
「感じたこと」などを考えているだろう。

つまり物体もなく肉体もない。ただ「考えたこと」
それが対象としてあるように錯覚しているだけなのだよ。
それが真理だ。そこには何もない。ゼロだ。

では就寝中の熟睡から「朝」「目が覚めて」「活動する」
この「」で括ったそれらとは実際には何が起こっているのか。

熟睡が生み出した「考えていること」のカラフルな世界、
もはやずっと夢の中なのである。現実とは熟睡の中にあるのだよ。


577 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/28(木) 14:21:50.46 ID:H08CWO9k

「記憶」すら「そのように考えていること」という事実を知れば
すべてが変わるだろう。

本当にそれはそこにあったのかね?
苦しみなんて本当にあるのかね?



593 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/28(木) 21:55:13.34 ID:H08CWO9k

死とは熟睡なのだよ。
そして現実とは夢なのだよ。

もう何も恐れることはないだろう。
すべてはただ夢の中だ。

真我が夢をみたいだけなのだよ。
だから思考に囚われず「ただ生きてればいい。」
勝手に幸福に運んでくれる。


594 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/28(木) 21:57:07.00 ID:H08CWO9k

ただ生きてればいい。


605 :名無しさん:2013/11/29(金) 03:24:30.00 ID:JnaDPxH7

このスレみるようになって最初読んだ時に意味がわからなかった。
ロバートやエックハルトトールの本がすんなり入ってくるようになった。

言ってることはみんな同じような事になるんだろうな。
そしてそれは言葉に出来ないんだろう。
人によって感覚も違うんだろうし。

自転車乗れる人が、乗れない人に乗れるように
コツ教えるようなもんなんだろう。すべて観念って事はわかるが、
それを手放すってホントに出来るんだろうか?
あるラインを超えないと無理だよね。

ただ生きているだけで素晴らしいなんて言われても、
消えて無くなりたいっていつも思うよ。
すべてから逃げ出したくなる。
インスピレーションと思考の違いも全くわからん。



608 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 07:57:43.03 ID:fzdmv+5B

>>605
「生きている」というのは思考で、
あれこれ計画、目標などを持って「進めていく」ことではない。

何が正しくて誤りか、どっちが得で損か
価値を求めたり判断することでもない。
「運命」に任せて「何もしない」ということだ。

ここで運命と書けば、また疑問のトラップに
陥るだろうけども言葉を超えなさい。

思考回路に入る前の「スッと感じるそれ」だけを受け取りなさい。
それは太陽の輝きであり、食べ物の栄養であり、
循環する自然現象そのものだ。

植物は知性を持つ。だが思考は持たない。
植物にがんじがらめの「運命」を感じるかね?

確かにその場所からは移動できないし、
世界に対して決まった連動パターンしか行為しない。
だけどもそこに「自由」を見いだすときあなたはひとつ理解を超えられる。

あらゆるものを「認識」する側の我々の正体は「漂う思考」である。
そう、漂っているのだよ。どこに漂っているのか。
思考に力はない。ただ漂いなさい。


609 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 08:11:34.61 ID:fzdmv+5B

あなたがどんな熾烈な環境で暮らしていようとも、
自らの考え方や判断を捨てて世界に委ねたときすべては変わる。
変わるのはあなたであり世界の別の一面が見えるようになる。

このスレッドの人たちはひたすら脱出を思索しようとする。
もうその時点で輪廻なのだよ。脱出を探すだけの毎日がそこにあるだろう。

いいかい「何もするな」だ。
ただその現実を自らの体内のことのように、
ごく当たり前に過ごしていなさい。


私は足りない知識を与えることができるが、
同時に、私を信じてはいけないよ。
それはどの本も同じことだ。

あなたの「体内」に、ただあるがままに点在しているに過ぎない。
信じる必要など、つまり思考を駆使することなど
何の力もないのだよ。


610 :名無しさん:2013/11/29(金) 09:22:51.00 ID:fERYV1Be

「何もするな」って、家でゴロゴロしてろって意味じゃないんだろ?
外に出ればエゴに巻き込まれる。
「何もしない」ができなくなる。



611 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 09:32:05.14 ID:EHaJTdb5

なぜ起こる出来事に抵抗するのかね?
そんなに自分を崇めたいのかい?


613 :名無しさん:2013/11/29(金) 09:39:34.64 ID:fERYV1Be

わからない。
自分を崇めてるつもりはないが恐怖が襲ってきて
それから上手く距離が取れない。



614 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 09:40:47.54 ID:EHaJTdb5

言葉に囚われているから「言葉遊び」に見えるのだよ。
言葉に印象や意味を与えてはならない。


615 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 09:45:42.99 ID:EHaJTdb5

>>613
なぜ恐怖があるのか。
理由は何であれ根源は自分を守りたいからだろう。
全部捨て去れば恐怖など微塵もなく消え去る。

だが捨て去ることに対し「現実」から
猛烈な不安や恐怖が迫ってくるが、超えなさい。


616 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 10:41:29.76 ID:fzdmv+5B

自己の判断で能動的に行動すれば必ず苦が訪れる。
それがどんなに好奇心に溢れワクワクしていることに見えてもだ。


脱出を自ら探すのではない。脱出に自らを探させるのだよ。

日々、自分のエゴを殺して世界を過ごしなさい。
起こる出来事に順応し、個人的な判断を一切持ち込まない。
それが何もしないということだ。

事実、あなたの肉体が反応しているだけであって
あなたは何もしていないことを徐々に理解し始める。

あなたが個人的な判断を持たずとも
世界があなたに「あなたで在ること」を必ず提示してくる。
その時点ですでに世界のワンピースだ。

あなたが入るコンビニの陳列棚や店員、
レジの数字ボタンと同じく世界を循環させるのに
不可欠な要素のひとつとなる。

これまでもそうだったし、いまもそうだ。
世界は「あなたで在ること」を必ず提示してくる。
その通りに在ればよい。

人伝だったり何らかの支払いや仕事だったり様々だ。
それが何もしないということだ。

あなたは都度「いまそれやると損だ、あとにしよう」とか
判断を持ち込んで流れを止めてきたのだよ。
「いまここで動かないと家族が苦しむ!」も同じだ。

いまそれが起こっているわけでもなく
予測の恐怖から思考で逃れようとする。
予測の恐怖すらも思考が生み出しているのだよ。

脱出に自らを探させるのだよ。


617 :名無しさん:2013/11/29(金) 10:46:02.98 ID:RSlV90ES

何かを得るための努力は必要ない。
そういう意味では何もすることはない。

ただ、今に在り続ける努力は必要。
今に在り続ける=何もしない。
エックハルト・トールの言葉です。

でも、得るために今にあり続けたり、
何もしないようにするのでは全く意味がない。

だから、今に在り続けるために、
思考(自分)にできることなど何もない。
何もせずに生きることは正解でもある一方、
思考(自分)で解釈してしまえば間違いにもなる。

思考(自分)から離れ、流れに身を任すことで、
ひょっとしたら現象は好転するかもしれないが、
だからといって、それを思考(自分)で解釈し
「何もしなかった」結果だと錯覚すると、
また苦しみのループは続く。



619 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 11:01:06.81 ID:X+1v7wwy

>>617
その通りである。


618 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 10:58:59.50 ID:X+1v7wwy

つまり「面倒くさい」と思考して、順応すらしないのは世界、
つまり神(本当の自分)に対する冒涜なのだよ。流れなさい。


2022年2月18日金曜日

自分さん73 自我の範疇を脱したいのならば、認識を超えるのだよ。そこはまさに無だ。

523 :名無しさん:2013/11/27(水) 17:22:07.75 ID:5dBoBVnQ

自分さんの言ってることって、
泥だらけの顔に化粧するような話じゃないと思うんだけどなあ。
言うなればパラダイムシフトのような話だと思う。

これは別に持ち上げてるわけではないよ。
俺もこの分野で結構認識が変わったからさ。
悟りには程遠いけどね。


524 :名無しさん:2013/11/27(水) 17:47:53.41 ID:t9AstzHz

だからパラダイムシフトも幻想の入れ替えだろ。


525 :名無しさん:2013/11/27(水) 18:49:43.21 ID:UtXTo332

この手のスレで毎回思うのはだったら
>>524さんあなたのような何でも知ってる風な人が、
私たちにそのとっても素敵な真実を説いてくれないんですかねえ、
ということですな。

私にとってはそれもそれで面白いかもしれないので、
誰かの論理を否定をするということは、それに足り得るだけの
体系をお持ちになっているということだと思うので。


526 :名無しさん:2013/11/27(水) 18:52:50.72 ID:n6LjQS0D

何かを持ち出したらアウトと知ってるから否定で止まるんだよ。


527 :名無しさん:2013/11/27(水) 19:01:46.58 ID:UtXTo332

つまり否定されると決めつけちゃってるからってことかなぁ?



533 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 19:39:25.03 ID:T+jDq+3V

否定で止まる、笑
もう少しだ。視点はもっと上だ。

「パラダイムシフト」にしろ「否定」にしろ
すべて「あなたの生」という卓上のものだ。
それはわかるね?

日々起こる出来事も小さな花も何から何まで
あなたの「生」という空間の中のものだよ。

まあ今日は「あなたの生」という比喩を用いてるだけだがね。

あなたという空間は絶対のものだ。
なぜならそれがなければ喜怒哀楽、ネガやポジ、
正しいや間違い、そういうものなどが存在できない。

正しいとは何かね?間違いとは何かね?
そんなもの本当にあるのかい?

そこにあるものを、わざわざ意味付けて
自分なりの解釈にしているだけなのだよ。

あなたが庭の石を持ち上げたとき、
そこに隠れていた沢山の虫たちが走り回る。
そこに正しいも間違いもあるかね?
ただ虫が走っている、それだけだよ。

だが虫たちがあなた方と同じように意思を持っていたとすれば、

「だからこの石に隠れたのは間違いだったんだ!」
「あっちににしておけば!!」「やばいやばい!」
そうして否定やら正誤を追求するのだろう。

いいかい。
ただ、虫が走っているだけだ。
あなたの目の前で虫が走っているだけだ。

「否定で止まる」そこはまだ低い。
なぜなら否定という観念があるからだ。

もっと上に「それ」のエリアはあるのだよ。


534 :名無しさん:2013/11/27(水) 19:46:28.20 ID:tBkDKcz+

>>533
だけど、どこまでも自我の範疇ならば
やはり脱出はないのではないでしょうか?



535 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 20:28:40.63 ID:T+jDq+3V

今日はカレー鍋を突いていたよ。

>>534
では自我を離れてみればどうだい?
熟睡したり、以前誰かが体験談を書いていたように
麻酔でサヨウナラとかね。それが自我のないエリアだよ。

果たしてそれが「脱出」なのかね?
「脱出」は自我の範疇にあるのだよ。
大悟した賢者も大悟を認識している時点で自我の範疇だ。

例のマハラジ君などが言っているのは観念での見解なのだよ。
彼は「それはマインドだ!」と言うが、当然彼の思考もマインドだ。
我々は「漂う思考」であるゆえ何をしてもマインドが伴う。
だから彼が一体何を言いたいのかがわからない笑

あなたは赤色が赤色でないよう努力をして
赤色以外になれると思うかね?
あなた方が話しているのはそのレベルだ。

私が言うのはそこじゃない。
なぜ「赤があるのだ?」ということだ。
赤色とはそもそも何なのか。

いつも言うように赤色以外の色があるから赤色があるのだよ。
つまり赤色とは、赤色以外がある故に存在できる。
ということは赤色とは「その他の色も含んだすべて」なのだよ。

逆に赤一色ならば、色という考え方すらないだろう。
考え方がないとは「その存在を認識できない」ということだ。

つまり観念は存在を生み出している。
この世界がなぜあるのか、それは各々のマインドが
生み出しているに他ならない。

生の卓上に議論がある。言葉がある。マインドがある。
どれだけ聖なる光を持つ偉人だろうが、
それもマインドが認識して初めて存在を与えられるのだ。
釈迦ですら、あなたが認識して初めて存在できる。

どちらでも良い。
あなたが自我の範疇を脱したいのならば、そうすればよい。
つまり認識を超えるのだよ。そこはまさに無だ。

自ら目を刺し潰す熱心な修行僧もいる。
耳に硫酸を流し込む熱心な僧もいる。

もしくは「生」を生きるかだ。
仏陀は6年続けた肉体への自我消失活動をピタリとやめた。

私はすべての根源を知っているが、
それを知ったから人生を楽しめている。
もちろん私のいる場所はマインドであり自我だよ。
(ほらみろそれはマインドだ!と聞こえる笑)

生まれくることができたから私は毎日遊んでいるのだ。
私の認識するもの、全部が私だよ。

私は私を見る。
だから肉体や思考に同一化してはダメなのだよ。
なぜなら肝心の私が見えないからね。



537 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 20:45:09.38 ID:T+jDq+3V

繰り返すが
>逆に赤一色ならば、色という考え方すらないだろう。

考え方がないとは「その存在を認識できない」ということだ。

いいかい。
真我とはまさに赤一色。
つまりそれしかないからそれを識別できないのだ。
識別するためには他の色、つまり「思考」が必要なのだよ。

マインドは真我を識別するためのものだ。
毎日起こる出来事や感情、それは真我をしるためのものだよ。

さらに言えば、マインドこそが真我なのだよ。それらは対だ。
赤がその他の色であるようにね。

もっと言えば、最初から我々はそこにいるのだよ。
あなたの生そのものが真我なのだよ。
だから、すべてあなたのためだけに用意されているし、
最初から至福にいるのだよ。


538 :名無しさん:2013/11/27(水) 20:46:55.13 ID:tBkDKcz+

>>535
どこまでもマインドから逃れられないなら
脱出はないのかと思ってましたが、それなら脱出=死
ということになってしまいますよね。

生きながら脱出が可能ならば私はもちろんそちらを選びますよ。
ありがとうございます。



539 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 21:00:15.82 ID:T+jDq+3V

>>538
釈迦も現代の覚者も必ず言う。

「私はあなたと何の違いもないのだよ」

書いていいか迷ったが、まあいいだろう。
「マインド」も実は方便だ。そんなものない。


540 :名無しさん:2013/11/27(水) 21:18:53.23 ID:n6LjQS0D

上の赤色を「自分」に置き換えてさ。
そこまでは行ってるんだよ。

「自分」は「自分以外」ではない部分。
向き合った顔とカップのだまし絵のような関係。
そこまでは行ってるんだよ。

その先に行きたいんだ。

↑ でもこれアウトでしょ?
聞きたいのはそこさね。



541 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 21:20:47.23 ID:T+jDq+3V

>>540
見える、聞こえる、すべて「思考」なのだよ。
思考とは認識だ。

認識がその対象を生む。
つまり存在を与えるのは思考なのだよ。
あなたが可愛い猫を生んだ。
あなたが酷い犯罪者を生んだ。

以前も書いたように、それらがあってあなたが知ったのではなく
それらを認識したからそれらが生まれたのだ。

「あなたの世界」つまり「あなたの生」が
何よりも前提にあることを理解しなさい。

受信側がすべてを作っている。発信側などいないのだ。
これが何を指し示すのか。

何もないのだよ。
何もないところに私という「思考」が
ただ漂っているだけである。

思考が生み出したカラフルな世界。
つまりあなたに関係のあるものしか存在しない。
それは、すべてあなただけに用意されたものなのだよ。
なぜならばあなたの認識がすべてだからだ。


この意識の置き方は、多くの観念を捨てなければ理解できない。
だけども苦しみという輪廻から抜けたいのならば、
この真実を得なさい。


547 :名無しさん:2013/11/27(水) 21:53:58.93 ID:UtXTo332

つまり物質とは思考なのでしょうか?


549 :名無しさん:2013/11/27(水) 21:57:53.65 ID:t9AstzHz

あのさ、いい加減くだらない言葉遊びは止めにしたらどうだ?
相手を見下して上に立ちたがるのもみっともないぞw



550 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 21:58:49.32 ID:T+jDq+3V

>>548
物質はね、そもそもそんなものないのだよ。
ただあなたが物質を見たり触ったりと「そう考えている」だけでね。

だからあなたの見解はその通りだよ。
物質は思考なのだ。

>>549
アドバイスとして伝えておくが、
あなたのその素晴らしい世界を自ら汚すのはやめておきなさい。

何が現れようが起ころうがそれでいいのだよ。
恋人と別れようが、私が出現しようがね。

すべてあなたの世界に起こった事実だ。
起こった事実に抵抗する必要などない。

あるがままに見なさい。
すべては「その通り」なのだよ。



2022年2月13日日曜日

自分さん72 幸福感とは「のんびり」が秘訣なのだよ。起こる出来事ではない。

496 :名無しさん:2013/11/27(水) 00:02:09.91 ID:UtXTo332

つまり言葉、思考という区切りが神(全て)からの分離を生み、
それが己を指に見せてしまうのでしょうね。
なるほど、全ては私だ 私は一続きのすべてだ。



497 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 00:02:59.52 ID:T+jDq+3V

言葉を超えなさい。
神ですら、あなたの人生の中の「言葉」なのだから。
本当にくだらないこんなことに
なぜ多くの人が気付かないのだろうかね。

あなたが「一生」とは何なのかを知るとき
結局全部が自分自身だったことを知る。

それを死期間近に知るか、
いま知るか、ただそれだけだよ。


498 :名無しさん:2013/11/27(水) 00:11:41.17 ID:UtXTo332

>>497
ありがとうございます。あなたの言葉、力強くて素敵です。
神すら言葉ですか。確かにww盲点。でした。

死期間近に知るのは、やですねw。
私も早く言葉を超えたいなぁ。
一生が自分自身。なるほど。つまり一生は全て自分の姿…

一生を終えて「いろんなことが起こった」、
それは全て「思考」という「言葉」であった…
ということでしょうか。



500 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 00:14:25.29 ID:T+jDq+3V

>>498
もっと「近く」に考えなさい。

釈迦は王国の王子だった。
そこらの金持ちや権力者じゃないよ、国王の王子だ。
戦乱の世であり、当然男は偉い時代であり
それは酒池肉林、豪遊の日々だったわけだ。

だが彼は「飽きた」。30歳を前にしてね。

彼は「もっと何かあるだろう」と求めまくったわけだ。
何をやってもつまらん。ひたすら瞑想のレベル上げに興じても、
簡単すぎて何をやっても満たされない。

飽きて飽きて飽きまくった。
退屈と飽きの繰り返し。もううんざりだった。
私は何のために生まれてきたのか。
彼は「意味」を求め続けたのだよ。

でやっと気付いた。
「あ、そうか。私は「飽きる」を得ていたのだ。」
こんな素晴らしい体験はない。
私は飽きている!生きているのだ!

まあこんな程度のことだよ。
すべてあなたの体験なのだからそれを楽しみなさい。


499 :名無しさん:2013/11/27(水) 00:13:02.30 ID:stvGJk3g

新しい方法がどんどん出てきて迷う。
世界に委ねつつ、熟睡しながら、
世界を受け入れるというのを同時に行ってもいいですか?



501 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 00:21:00.23 ID:T+jDq+3V

>>499
全部同じことだよ。メソッドとしては別になるかもしれないね。
これはマハルシの弁だが伝えておこう。

真我を知る方法は2つだ。
ひとつは「私は誰か」を徹底的に追求すること。
だが「私は誰か」という「目的」を得ないように注意しなさい。


わりと簡単だ。
そして自分を捨てて世界に委ねることだ。
これは私もよく言っているのと同じ。
こちらはもっと簡単だ。

要は、自分のプライドとか興味とか好き嫌いとか
考え方とかを全部放棄することなのだよ。

そうしたときに何が残っている?
ただ「世界に順応する"だけ"」のあなたがいるだろう。
いや、もはや「あなた」という識別すらないだろう。

でも「生」はある。
さあどうなるのだろうね笑


502 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 00:36:52.95 ID:T+jDq+3V

何がどうあろうとも、
あなたのためにすべて用意されているのは紛れもない事実だ。

それを楽しまないでどうするのだ?
笑う人も怒る人も、あなたのためだけにあるのだ。
たった今からそれを知りなさい。

布団も蛍光灯も冷気も予定も時計も
あなたのためだけに用意されているのだよ。

用意されているものを抵抗・拒絶すれば
そりゃ楽しめないだろう。

上司が怒る。
「怒る」とは何か?

ただの風景だ。
あなたが「とんでもないことだ!!」と
意味を付けているだけのことだったのだよ。

楽しみなさい。あなたが死ねば全部リセットされる。
あなたのためだけに用意されているのだよ。


503 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 00:49:49.71 ID:T+jDq+3V

最後にもうひとつ。焦るのをやめなさい。
イメージは何でも良いが、例えば南国の楽園で過ごしてる
光景を浮かべたとき、そこであなたは、のんびりしていないかね?

つまり幸福感とは「のんびり」が秘訣なのだよ。
起こる出来事などどうでも良いことだ。

なるようになるだろう、まあいいか。そのノリで良い。
それを一生続けなさい。のんびりするからそうなるのだ。


常にのんびりしていなさい。
それだけで満たされていくだろう。

いやいや!「のんびり」なんてしていたら
周りの人はきっとこう思うに違いない!
‥とか思うだろうが、いいかい。

世界にはあなたしかいないのだよ。
向こうには誰もいない。ただ風景があるだけだ。

あなたがそれを見たらそれがある。
それがあるからそれを見たのではないのだよ。

受信側がすべてを作る。つまりあなたが世界なのだよ。


507 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 01:06:20.10 ID:T+jDq+3V

ここまで書けばロバートがなぜ
「アトラクション」に例えたのか。
その理由がわかるだろう。

全部「遊び」なのだよ。人生を楽しみなさい。


508 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 01:09:06.15 ID:T+jDq+3V

成功も失敗もない。
「ゲームオーバー」はないのだよ。


509 :名無しさん:2013/11/27(水) 01:11:51.26 ID:UtXTo332

色々気付かせてくれてありがとうございます。
よ~し、楽しんじゃうぞ~、v わくわく


516 :名無しさん:2013/11/27(水) 09:53:36.31 ID:yVmNZ1I0

そんな簡単なものか?
釈迦が誘惑されたように
あらゆるえげつない手段でマインドをかき乱すよ。


517 :名無しさん:2013/11/27(水) 10:03:48.57 ID:t9AstzHz

それは逃避だからな。
新たな夢の中に逃げ込んでも何にもならない。
ここの連中は上手い言葉で丸め込まれるのに慣れきっている。
どうしようもない。



518 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 10:19:51.01 ID:T+jDq+3V

>>516
>あらゆるえげつない手段でマインドをかき乱すよ。
さっそく>>517で登場したね。

まあ簡単かどうかはあなたのお話だ。
努力するものでもなく、求めるものでもない。
ただ、自己を保つことをやめるのだよ。

「のんびり」とは委ねのことだ。
委ねるから平安があるのだ。
「まあいっか!」とね。

言葉は制限を生むが使い方ひとつでニュアンスが変わる。
まさに「指」だ。指が月をさす。


513 :名無しさん:2013/11/27(水) 06:57:48.51 ID:v8lYUbkC

たとえば忘年会みたいな行事などは
思考の転換などでスルーできたとしても、
自分にとって強烈な災難や不幸のはさすがに難しいだろ?


514 :名無しさん:2013/11/27(水) 07:56:56.36 ID:VAeKaCxN

>>513
気づきをありがとう。
嫌なものも風景とみてのんびりしてみるよ。
不幸も風景としてみるよ、死ねばリセット。

あと自分さんに聞くけど。
やりたいことっていうのは思考からくるものなの?




518 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 10:19:51.01 ID:T+jDq+3V

>>514
やりたいこととは、
あなたが何の期待も焦りもなく自然に行為していることだ。

つまり「あれ欲しい!」「これやってみたかったんだ!」と
好奇心や興味から「求めて」する行動のことではない。
それはまた苦行と化し輪廻に巻き込まれる。

あくまであなたの視点がどれぐらい「後ろ」にあるか
その距離を感じておれば「すべてがやりたいこと」だ。

>>513
ただあなたの観念に起こっていることだ。
災難や不幸は観念、つまりその観念を捨て去るときが
猛烈な恐怖と不安をもたらすだろう。
それを超えればもう恐怖も不安も二度と起こらない。


519 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/27(水) 10:29:55.78 ID:T+jDq+3V

>>487を引用しておくよ。

丸一日「すべては自分のためだけに用意されている」
そう思い過ごしてみなさい。


それは事実なのだが、最初は思い込みでもよい。
何事も始めることが肝心だ。

可愛い子も素敵な服も車も、気持ちいい風も、うるさい音も
怒ってる人も、テレビも、映し出されるニュースもね。

人生で見るすべてが
「あなたのためだけに用意されている」
それを知るとき、世界は変わる。


それも凄まじい勢いで変わりだすから
やってみなさい。


2022年2月6日日曜日

自分さん71 凄まじい勢いで世界が変わり出す「すべては自分のためだけに用意されている」メソッド

463 :名無しさん:2013/11/26(火) 13:03:48.17 ID:+eUsxVPX

自分さんの言っていることを整理するためにも本で読んでみたい。
最初からここに居るわけではないのでわからないけど、
自分さんが言ってたのはOSHOとエックハルト・トール?
ロバートのメンター、アーノルド・パテントは?

っていうか引きよせの法則って何だったんだろう。
エメラルドタブレットとか好きだったけどな。



474 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/26(火) 21:11:55.02 ID:LNmgaFHr

>>463
私の話にしてもスピリチュアル本にしても
いずれそれらが何の意味もないことを悟らなければならない。
だからあまり知識だけを詰め込まないほうがよい。

前にも書いたが、悟りを求める(すべてを崩す)ことは
人生最大の猛烈な恐怖と戦うことになるから、
観念をできる限り作らない方がよいのだ。
求める限り、魑魅魍魎と怨念と暴風のオンパレードが続くからね。

なぜ古来より「教え」が具体的なことを言わないのか。
それはそもそも具体性などないからに他ならないが
イメージを与えたくないのだよ。余計に抜けられなくなるからだ。

まあ私は文章が下手だから、
伝わってほしいという気持ちからならOSHOがお勧めかな。
彼は無駄なイメージを与えずに教えてくれる。本はどれでもよい。

ロバートはどうしても「金銭」にイメージが行きがちな芸風だから
ある程度わかっている人でないと泥沼に陥る感じはする。

エックハルトトールもいいね。
彼は決して読者に希望を与えない。それがよい。その通りだ。

観念の崩壊の度合いや理解力によりレベルがある。
現実社会の目線から理解を深めたければ
「相田みつを」も重要な禅師だ。

もっとコアな真理、メカニカルな分野から
「それ」に触れたければマハルシやマハラジ、
クリシュナムルティが良いだろう。

だけど師はあなた自身なのだよ。
すべてあなたの内側のお話だからね。


475 :名無しさん:2013/11/26(火) 21:14:43.11 ID:2Gvo5A1V

根本的にわかっていないな。
イメージとはそもそも脳が創り出した幻想そのものだ。

熟睡をイメージするとは熟睡しているという幻想の中にいる事を意味する。
新たな夢に没頭する事が目覚めなわけがない。
覚醒とは逆に夢見ているんだよ。



476 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/26(火) 21:22:20.81 ID:LNmgaFHr

>>475
前も同じことを言われて同じことを返したが、
熟睡をイメージするのではない。
熟睡を覚えるのだよ。

あなたの知る輝かしい「真理」も「真我」も
すべて思考による「ただそのように考えてみた」だけだよ。

思考の及ばないその領域を表現するとき、
空やら無やら大いなる意識などと使われるがそれらもイメージだ。

我々がそもそも「イメージ」である以上、
イメージがなければ思考の外なのだよ。

ならば熟睡だよ。ふふふ。


477 :名無しさん:2013/11/26(火) 21:28:52.68 ID:oy20CcWo

>>476
あれ、じゃあやり方間違ってたってこと?
「自分が何もしていない」っていうのも錯覚で
自分さんのレスをたまたま思い出しただけなのかなあ。



479 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/26(火) 21:31:17.13 ID:LNmgaFHr

>>477
あなたも私も何もしていない。
思考がイメージをする。
「物を手に取る」これも物や手があるわけなどなく
そのように考えているだけなのだよ。

ただ考えているだけだ。


480 :名無しさん:2013/11/26(火) 21:36:03.22 ID:oy20CcWo

>>479
よくわからないけどとりあえず熟睡をイメージしてみたら
「空」とか「静寂」とかも何となくわかったよ。

全て自分が用意した風景なら、
それは受け入れたほうがいいんだろうなって思ったよ。



481 :名無しさん:2013/11/26(火) 21:37:20.80 ID:2Gvo5A1V

>>476
そうだね。
それがマインドに囚われた人の考えだ。
マインドから離れて在る事ができなければ君には理解できないだろう。



482 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/26(火) 21:39:52.66 ID:LNmgaFHr

>>480
それでよい。言葉など何の意味もないことが
これからもっとよくわかるようになる。


>>481
そう、その通りだ。それでよい。


484 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/26(火) 21:42:10.97 ID:LNmgaFHr

すべてはあなたのためだけにある。


485 :名無しさん:2013/11/26(火) 21:48:01.12 ID:+eUsxVPX

「教えや言葉は月を指す指」ってね。
そろそろ指ばっかりじゃなくて月見ないとなあ。

とは思います。

JOYは今読んでる。
頭でっかちなってるからなんかお行でもしてみたい。



486 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/26(火) 21:59:44.32 ID:LNmgaFHr

>>485
そうだね。
まあ結局はみんな「それ」について語っているだけであり、
単に表現の仕方にカラーの違いがあるだけの話で
釈迦もイエスもマハルシもみんな同じ人だよ。

もちろんあなたも同じ人である。
「表現方法をまだ見つけていないだけ」
ただそれだけなのだよ。

あなたなりの「指」を見つけなさい。
そうすれば自ずと「月」は見えてくる。


487 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/26(火) 22:05:26.94 ID:LNmgaFHr

丸一日「すべては自分のためだけに用意されている」
そう思い過ごしてみなさい。


それは事実なのだが、最初は思い込みでもよい。
何事も始めることが肝心だ。

可愛い子も素敵な服も車も、気持ちいい風も、うるさい音も
怒ってる人も、テレビも、映し出されるニュースもね。

人生で見るすべてが
「あなたのためだけに用意されている」
それを知るとき、世界は変わる。


それも凄まじい勢いで変わりだすから
やってみなさい。


488 :名無しさん:2013/11/26(火) 22:09:06.37 ID:G62ZERrc

>>487
それ面白そう



489 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/26(火) 22:23:49.07 ID:LNmgaFHr

>>488
一日の間に何度もこれを忘れるだろう。
でもね、そのときは「ああ、こうやって観念に騙されてたんだ」と
気付けるのだよ。

そのうち忘れなくなる。楽しみなさい。


490 :名無しさん:2013/11/26(火) 22:49:30.38 ID:2Gvo5A1V

それは違う観念にすり替えてるだけだ。
君の言っている事は自分が神だと思い込むのと変わらない。



491 :名無しさん:2013/11/26(火) 23:25:18.44 ID:0jcm7239

474
>悟りを求める(すべてを崩す)ことは
人生最大の猛烈な恐怖と戦うことになるから
観念をできる限り作らない方がよいのだ。
求める限り、魑魅魍魎と怨念と暴風のオンパレードが続くからね。

ここはむっちゃ納得、泣きたくなるほど納得。

けれど>>490さんの仰る事も納得。
もし仮に神と呼ぶならそれは万物全てに宿る。
それを感じるのは繊細で細いから傲慢では感じられない。
謙虚でいながら思い込めるという難題が突破できるなら
構わないとは思います。



492 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/26(火) 23:32:23.76 ID:LNmgaFHr

言葉を超えるだけだよ。
490さんは言葉を発しているだけ。
彼が言葉に囚われているかどうかは私は知らない。
ただ彼の影が私の世界にあるだけだよ。

私の言葉も何の力もない。なぜならば言葉だからだよ。

この世界の我々は「漂う思考」である。
それはつまり、我々は「言葉」なのだよ。
思考とは言葉だ。よく覚えておきなさい。


木も石も風も人もね、
言葉で区切っているだけであり
全部同じものなのだよ。