2020年10月12日月曜日

自分さん29 自我を捨て去るとは、常に我々を包んでいる「何か」を捉えることだ。

327 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:CMfnhK/x

あなた方のすべてが正しい。
なぜならば、各々が死を迎えたとき
自ら主張が人生のすべてであったと悟るからだ。
それはあなた方にとってそれぞれが大正解なのだろう。

つまり自らの思考、執着が人生という幻を形成している。


348 :名無しさん:2013/09/01(日) 11:19:04.61 ID:sXbio5cZ

自分さんへ
あなたの言うことや、不二一元論については、知識としては解った。
ただ、直接経験として【在る】を経験できていない。

すべてが制御できない、それはわかったのです。
それは最初、驚きと同時に虚無感がありましたが、
今は、自由な心持と、そして、ほのかな喜びがあります。
(もちろんマインドは幻想ですし、それは制御できるものではありませんが)

同時にこの現実と呼ばれる幻想も急速に落ち着きを見せました。
やはりすべては恩寵なのですか。
なにか、言葉をください。



349 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/01(日) 23:06:43.13 ID:leRbJ12+

>>348
何を望んでいるのか?
あなたはすでにすべて得ているだろう。
それに気付きなさい。


350 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/01(日) 23:10:33.88 ID:leRbJ12+

一枚の紙に、あなた、家族のそれぞれの名前、
学校なり会社なりの知り合い、あなたの好きなこと嫌いなこと、
そういったことを書き連ねなさい。なんでもあなたに関することを書き連ねなさい。
そこで私が質問をしよう。

「あなたはどれだ?」


351 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/01(日) 23:38:39.61 ID:leRbJ12+

>>348
答えは「紙」だ。
紙そのものが、あなただ。

家族も、好き嫌いも、知り合いも、自分自身ですらも
すべてあなたは含んでいるのだよ。
すべて「あなた」の中に在る。


352 :名無しさん:2013/09/01(日) 23:45:48.79 ID:oZJugGbA

>>351
横ですが、どうか私にも御教授ください。
どうして自我をもたされたのですか?
ただ抵抗にしかならないのなら、最初から自我など
もたせなければよかったと思ってしまうのも
その紙の存在を強く実感できないからですか。



355 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 09:16:38.18 ID:bs0G26vG

>>352
日頃聞こえてくる音(人の声や環境音、動物の鳴き声、車の通る音などすべて)
肌に伝わる感触(気温や湿度、触ったときの感じなどすべて)
目に見えるもの(色や形、そこから発想する印象、かっこいい、柔らかそうなど)

そういった、常に感じているもの、それらは「すべて同じもの」だ。

つまり、音でもなければ湿度でもない。色もなければ形もない。
ただそのように「言葉」でカテゴライズさせ、
「それはxxというものである」という記憶から
認識を与えているだけのことである。
実際は表現不可能な何かである
(SF的な意味ではなく、単に言葉を与えないから表現できないだけだ)

上のほうの書き込みでスピリチュアルはSF的だ、という内容を見たが
そのように認識すればそうなのだろう。だがすべての「実際」は
「言葉を与える前の何か」があるだけである。

身体にまとわりついている(ことにしている)「これ」を「湿度」としよう、
そして「じめじめ」という印象を発想を持つ(これが自我だ)
耳を澄ませば、おっと部屋の換気扇の音が聞こえていることに気がついた(ことにしている)。
これはもともとの「何か」を音として認識を与えている。与える前は「音」ではない。
言語化により音としてカテゴライズされる。(続く)


356 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 09:19:03.16 ID:bs0G26vG

>>352
さて、自我がなければ真我は存在しない。これの意味はわかるね。簡単な二元論だ。
だが自我も真我も言葉でカテゴライズされた単なる「経過後の変化したもの」である。
自我を捨て去れば、真我も存在しなくなるだろう。
つまりすべてどうでも良いことに気づくのだ。

執着を捨てよと覚者は伝えるが、すべてが「何か」の変化であることが見えれば
執着をすること自体ができなくなる。

自我なあなたに聞こえる「音」も、
音そのものがあなたであるということを知れば
二方向から「音(らしきもの)」を捉えることができる。

つまり「聞こえる」という「状態」自体を捉えるのだ。
音の発生源など存在していないことがわかるだろう。

そしてその「聞こえるらしき何か」は消滅する。
目の前からすべてを消し去ることがなど他愛もなくなるだろう。

また思想も感情も、音や気温、モノと同じように「それらしき何か」である。
つまり全部同じものだ。それ自体そのものが、自分であり
そのものである自分を、自分が感じているだけのことだ。

そうすればそのものの「存在は理由を失う」のだ。


357 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 09:33:24.74 ID:bs0G26vG

以前にも書いたが、時間はあなたの見ている世界の中には
存在しているように見えるが、あなたには存在しない。
時間がないということは、距離など空間も認識ができない。
だからあなたが歩くという行為は、あなたが動いているのではく
周囲の風景(のように見える何か)が、動いている(ようにみえる)のだ。

先にも書いたが、風景もモノや気温などと同じく、もとは同じものだ。
あなたは存在している。ただ在るだけだ。
生まれてもいないし、死ぬこともない。在るも生死も、それらは言葉だ。
実際はそういうことではないが、言語化しなければ伝えられないから矛盾が起こるだけのことだ。

ダグラスハーディングの著書で最も素晴らしい一文を書いておく。
「驚くべきなのは、私がまったく何の理由もなく存在しているということである」

理由を求めるから理由が生まれるのだ。当然見つからない。
彼は生きながらの死を提唱している。生きながらの死とは自我の死だ。
ロバートも同じことを伝えている。

自我を捨て去るとは、常に我々を包んでいる「何か」を捉えることだ。
その何かこそが、私である。

これはSFではない。
単にそれが何であるか知らない赤子に戻った世界がそれに近い。


358 :名無しさん:2013/09/02(月) 10:21:54.51 ID:HkPwOlee

>>355
ありがとうございます。
ですが実感となると日常で仕事しながら可能なのでしょうか。

今は、学校と就職活動でフリーな時間が与えられてますが、
フルタイムといけば今のようにはいかない。

説明会行った時につくづく実感したけれど足が痛い、
このように痛いとかではなく、言葉にしなくとも
強烈な不快感を足に感じてました。それを言葉で痛くない、
痛くないと頭でいっても痛みはなくならなかったし
深呼吸で冷静さを取り戻し、説明会担当者の話は聞く事は出来たけれど
頭の中は痛い痛い、ガンガンガン、不快不快ばかり。

どうでもいいと思うのでなく感じるのは果てしなく遠い作業に思えました。

仕事となると見積書も請求書も領収書も作成しなければならない。
納期もあるし今の事だけに集中できない。
他人を他人と意識してコミニケーションもはからねばならないし、
ただ一つの与えられた仕事だけに専念してたら今の時代すぐに役立たずと首になる。
出家するならともかく普通の生活送ろうと思えば無理なんじゃないかなあ…
と思ってしまって。


359 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 10:29:07.23 ID:bs0G26vG

>>358
あなたの書いていることは、すべて想像の世界である。
先にも書いたが時間、つまり未来は存在しない。

あなたのように未来について(実際に起こっていない状態にたいして)
想像を膨らませれば必ず苦しい状態が訪れる。
そして説明会の話は過去の記憶だろう。それも妄想の産物だ。

いまやっていることだけを見なさい。
未来などやってこない。過去らしきものも勝手に書き換えられているだけだ。



360 :名無しさん:2013/09/02(月) 10:30:56.89 ID:HkPwOlee

なんだかSFだと感じるのは...変にSF映画などが妄想でなく繋がる時代になってきたから。
最初は漫画の影響かと思ってたけど、最近は漫画なんぞ見ていない。

科学の発展と共にネタが豊富になって、
SF的発想のアニメや漫画がちまたに多くなってるから
そうなってるのかもしれなけれど、なんだかここ数年、
量子論やコンピュータの影響か漫画にしてもそういう発想が巷に溢れてるような。

私が学生時代の時は漫画にしても、もっと日常的でしたよ。
SFや霊の話は稀で殆どがヤンキー漫画や恋愛やサクセスストーリー。

それと...たとえ病気や妄想の類にしてもどうして皆、同じような妄想を抱くの?
ここが超能力板だから?

病気の妄想ならもっと恋愛や妖精などのファンタジー発想でもいいと思う。
なのに必ず黙示録、ワンネス、霊的次元、戦争 量子コンピュータ、こういう類にいく。

妄想なら、もっと色んなバラつきがあってもおかしくないのに…
と思うと気持ち悪いからホラーよりはせめてSFで...と思ってしまう。
考えたらアニメの発想だって脳内妄想を2次元表現しただけなんだな。



361 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 10:40:05.60 ID:bs0G26vG

私が>>356で書いたとおり、音はなく「聞こえる」という「何か」があるだけだ。
未来への妄想も、過去の記憶も、実際にはそういうものはなく
あなたがそのものである。そのもののあなたが、それを見るときに、それは消失する。

あなたの選択はどちらかだ。
私や多くのスピリチュアルの著書に書いてあることを知識として理解し
実際には深いところまで行き着かなくても「そうだ、こういうときは
「いま」だけに専念しよう」とそういう心持ちで生きていくのがひとつ。
(多くの人はこの通り)

もしくは、聞こえるも見えるも、感じるも、
すべて同じものであると気づいた上で生きていく。
他人も性別もすべての生物もモノも天気も、
すべて単なる「変化したそれ」をあることを見抜き
すべての幻想を消去しながら日常を生きていく。
これがもうひとつだ。

だがどちらもあなたの表面上の生活は同じだ。
なぜならば身体の新陳代謝のごとく流れの中ですべては定められているからだ。

>>360
漫画の話、それはあなたがそう見えているだけだ。
例えば、巷で流れている恋愛ソングの歌詞を見なさい。
どれも「あなたに会いたい」など恋愛相手に向けての内容に見えるが
スピリチュアルな観点で読めば、これがすべて「大いなる意識」に向けた内容に
変換される。

つまりすべて我々の捉えた「捉え方」、それが幻想である。


362 :名無しさん:2013/09/02(月) 10:48:49.00 ID:HkPwOlee

>>361
マネーゲームから脱出する方法のP264 
映画館に座って、ホラー、悲劇、あるいは感動的なドラマを見ているとします。
自分さんは、ロバートがどうしてホラーとわざわざ表現したと思う。
日常に近いドラマなら、せめてサスペンス、SFでしょう。
原書読んでないから翻訳の違いかもしれないけれど…。

どうして非日常的な恐怖。ホラーと表現したのだろう…。



363 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 10:55:18.17 ID:bs0G26vG

>>362
あなたには強い言い方に聞こえるかもしれないが
そこに論点はない。どうでも良いことだ。

ただ、平穏な日々を「もし明日強盗が来たらどうしよう」などと恐れておれば、
平穏ではなくなるし、あなたが末期の病気であっても、差し込む朝日の
ありがたみを感じれて幸せと思えば、病気にまつわるダークネス
(それを感じておれば)は緩和される。

今日は同じことを書いているが、すべて「何か」があるだけだ。
それをあらゆる方面で解釈を行い、あなただけの世界が完成している。


364 :名無しさん:2013/09/02(月) 11:00:29.87 ID:HkPwOlee

先生、何故、輪廻転生を繰り返し次元をまたがって
魂が救世主のレベルまでいく映画にフォーカスしたの?
自分はそんな発想なかった。

というか広大すぎて所詮、映画の枠でしか捉えられなかった。
先生もその切っ掛けを下さったんですよ?



365 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 11:09:56.46 ID:bs0G26vG

>>364
あなたにとって、その広大な超次元に感じられたことが
私や多くの人々にとって、ごく平凡な日常の出来事である。

以前のあなたがそうであったように。


366 :名無しさん:2013/09/02(月) 13:03:27.81 ID:HkPwOlee

>>365
御無礼承知で...頭おかしくなりませんか?
苦行は駄目、信念など捨て去れと先生方はいうけれど
信念もたないと狂いますよ。

目の前にPCがある。これは何なのか。
演算、記憶、入力装置、出力装置。いや、プラスチックの塊。電気を通すもの。
0と1との翻訳機。今、何故、これが目の前にある?
こんな認識の仕方してたらおかしくなる。

数学一つとくのにも問題の意味、問われている答えは一つしかない。
これは2進数で考えるべき、それとも10進数?
そもそも数字なんて頭で計算しやすいよいにした数の概念にすぎず
実質世界に4*0=0なんてありえない。4つのものを0回かけたら4でしかない。
リンゴ2つで2個。だけど重量も大きさも違うリンゴを2個と表してなんになる?

しかし問われているのはリンゴの個数。
答えは例え重量、大きさ、古さ、新しさが違っても
答えは2個。

こんなもん余程、常識と認識論の区別をつけなくちゃ、
あっというまに、おかしくなる。
信念もって挑まないと深淵に飲まれますよ。



378 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 21:23:25.51 ID:ihX853si

>>366
そして以降のあなたのレスに対して答えよう

あなたの理論は、あなたの「生きてきた卓上」のものである。
その卓上では、あなたの認識の変化により今後も様々な解釈をもたらせていくだろう。
発展もすれば、衰退もする。そもそも興味の対象も変わっていく。

つまり変化変動をする"確固足らない"オブジェクトだ。いわゆる無常のものだ。
あなたのいうPCに対する解釈もそのひとつであるし、
あなたのいう常識も、あなたにとっての現在の解釈なのだろう。変動するゆえに、
あなたは自らの問いに安定感を得られない、つまり満たされないのだ。

そしてあなたが考えるように、すべての人々がそれぞれの考え方を持っている。
解釈も人それぞれ無限にあり、ひとつの物事へのフォーカス箇所も違う。

あなたはそこへ"無限"を見いだすかもしれないが、それは迷路の中だ。
なぜならば卓上を脱していないからである。

卓上そのもの、さらにその卓すら配置してある空間に意識を向ける必要がある。
そうすれば、答えなど必要ないことに気づくだろう。これが無限であり永遠の座標だ。
その座標では完璧ゆえに強烈な納得と安堵がある。

問いは、その問いそのものが「存在」であることに気づくだろう。
問いとは答えを導くためのものではないのだ。
上でも書いたが「聞こえる」が在るだけであり、音も音の発生源なども
空想の産物である。

あなたは答えを求めている。だからまだ見えていない。


375 :名無しさん:2013/09/02(月) 20:10:22.95 ID:sIHnrV/I

お前らもっと「自分」とかいうヤツに突っ込め。
気づきなさいとか言われて引き下がるな。
気づけと言われて気づくようなものじゃないんだからさw



379 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 21:28:57.20 ID:ihX853si

>>375
>お前らもっと「自分」とかいうヤツに突っ込め。

惜しい。できれば以下のように書いてくれれば
パラドックス、つまり永遠への入り口になろう。

>お前らもっと「自分」に突っ込め。


380 :名無しさん:2013/09/02(月) 21:37:03.55 ID:sIHnrV/I

>>379
いやそれはありえない。
マインド内の対話自体が幻想なのだ。
そんな事をいくら続けても目覚めから遠ざかるばかりだろう。



381 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/02(月) 21:37:44.39 ID:ihX853si

良いかね。
「見る」とは「見られる」とワンセットだ。
「聞く」とは「聞かれる」とワンセットだ。

そのようにワンセットを意識して生活をしなさい。
すれば「見ること」も「聞くこと」も超越する。
そこに「大いなる意識」が観えるだろう。

あなたが猫を見ている。
猫があなたに見られている。
この関係性にワンネスがあるのだ。



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