2012年4月4日水曜日

気に入るとか気に入らないとか、そういう心が引っかかる事が「執着」

937:名無しさん:2012/03/14(水)11:42:39.34ID:3+/pEJHb

他の本のメソッドも、そして最終的にはこの本もロバートも全部ホログラムだ。
自分の他に確かなものはない。確かなのは自分が今感じ取っているフィーリングだけ。
だからプロセスは自分でアレンジしたほうがいいんだ。

それこそ夢から醒めてきた感じがしてきてる。
なんでいろいろなものを真実だと思いこんで躍起になっていたんだろう。

他人もみんなホログラム。
以前、ホログラムだからって他人をぞんざいにあしらっても
いい訳じゃないだろってレスがあったけど、それは逆なんだ。

満足してて幸せな自分ははたしてそのホログラムに対して
ぞんざいに反応するだろうか?答えはNOだ。


反応する必要のないホログラムなら無視するし、
反応する必要のあるホログラムなら丁寧に対応するはずだ。


938:名無しさん:2012/03/14(水)12:08:16.23ID:d4EcBKtz

>>937
満足してない不幸な段階では、ホログラムだからと他人をぞんざいに扱っていいわけではないが、
満足していて幸福な段階では、ホログラムに対して自動的に適切な反応がなされるから
気にしなくて良いってことではないだろうか。

で、多くの人が前者の段階で、後者の解釈を採用する。
当然、適切というものがわからないから、思考によって反応してしまう。
気に入らなければ無視を、気に入れば執着する。
このとき、ホログラムだから何をしてもいいという真理が免罪符として機能してしまう。


940:名無しさん:2012/03/14(水)13:34:49.67ID:3+/pEJHb

>>938
もっと単純に、完全に自分の視点で、自分はどんな時にどう反応するかという話だな。

例えば、自分の気分がアゲアゲで興奮気味な時(実はこれって幸せとは違う)って、
何かの人とか出来事が引っかかると、その人や出来事に対してヒスに反応したりする。

満足してて安定してる気分の時って、他人の言動とか外の出来事に対して
そんなに引っかからないし、とげとげしい反応とかもあんましない。
そこからさらに気分がよかったら、外に対してもっといい反応をするだろうな。

気分のいい時は他人に自分から挨拶したくなるとか、そういうようなこと。

気に入るとか気に入らないとかという、そういう心が引っかかる事が「執着」だと思う。

心に引っかからなければ冷静に反応するし、それが「適切な反応」へつながるのかも。


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