2021年2月21日日曜日

自分さん45 思考があれこれ躍起に「変えよう」とするから苦しいのだ。変容は自然に起こり出す。

268 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/23(水) 02:31:29.35 ID:mggnp0Fe

もうひとつ書いておく。

上で便宜的に書いたが「奇跡」などない。
なぜなら、それを体験しているからだ。

シンクロニシティにしろ偶然の縁にしろ、
体験しただけのことだ。

つまりあなたが用意した体験に
あなたが体験しただけのことだ。

そのあたりの理解ができるようになってくると
時間すら存在していないことも見えてくる。
それはまたいずれ伝える。


269 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/23(水) 02:40:33.30 ID:mggnp0Fe

体験とは、それを体験するものがいて体験が成り立つ。
就職や結婚、失恋、失業、死別などもそうだが
指の動きひとつも体験である。

眺めるのだよ。思考はそれしかできない。
思考があれこれ躍起に「変えよう」とするから苦しいのだ。
変容は自然に起こり出す。


人間とて自然現象なのだよ。


277 :名無しさん:2013/10/23(水) 18:42:32.92 ID:AS+UKYkX

>人間とて自然現象

いゃぁ~しかし、あたりまえな表現だと感じてます。
以前のおいらが聞いたなら、単に素通りかも(汗)

我々が納得するには、根拠なく(体験なく)
受け入れられる状態にまで来てないと、難しいような気も。

そうでなければ、藁をもすがる想い(他力)が在れば、自力の抵抗を諦めるか、
それとも、この様なあたりまえな表現に対して心を奮わすなら、
自ら退くより他なくって・・・・・

最後には、妄想(夢)と、事実(現実)とが入れ替わる。
今のおいらの妄想です・・・・・



284 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/23(水) 21:23:14.64 ID:mggnp0Fe

>>277
あなたにはこのような説明が適切かもしれない。

この世界の我々はよくしゃべる。つまり言葉に支配されている。
だが、"あちら"の世界は「見ること」しかない。


409 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/31(木) 23:01:54.76 ID:H9MZ9A6p

USJで楽しんできた。ハッピーハロウィン。
少し本質とはそれるが、例えて言うなら、
来場客の一体感の向こう側にワンネスが見える。

例えばこの場所で「誰よりも目立とう」とか「自分は他とは違う」とか
そういう独立的な考え方は、まさに分離であり単なる苦行と化する。

ただ楽しければいんじゃないか。
己が誰とか、思想とか主義などは「楽しさ」を遠ざけてしまう。

場に溶けるのだよ。
それこそが世界に溶けることであり
己を捨て去ったときに「それ」がそこにある。
己を持ち続ければ「その楽しさ」は味わえない。


そして私が今日見たその世界は私の印象で出来上がった世界である。
「私」すら印象ゆえの幻想であることを悟れば
なんのことはない、すべては単なる娯楽なのだよ。

まあとりあえず、ハッピーハロウィン!


410 :名無しさん:2013/10/31(木) 23:08:04.20 ID:16YFTAHW

他人に説教したがるのもなw
それに楽しいというのも幻想だ。
個を超えれば楽しみなんてない。



415 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/01(金) 00:16:59.75 ID:SnqSHt7o

>>410
いつも思うが、というよりみんな思ってるんだが
君のは、単なる理屈であり気付きでもなんでもない。

さて、こういう私の話があなたの世界に現れた。
さああなたの出番だよ。

すべて茶番なのだよ。そういうことに
「理屈」ではなく気付きなさい。


416 :名無しさん:2013/11/01(金) 00:38:12.42 ID:PsA8uvXA

>>415
面白いね。
みんなそう思ってるのか。
君も彼らと変わらないからそう思ってるんだろうね。
君達とは違う個を超えた人にはわかると思うけどw



420 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/01(金) 09:27:21.59 ID:9wqiW2ft

>>416
私があえて「みんな」という表現を使っていることに注意しなさい。
あなたに向けられたものだよ。

私は「それ」を示すため常にメタファーを記している。
あなたを含め多くの人は単なる理屈を述べているに過ぎない。

確固たる是非はバケツの水の中で境界線を引いているようなもので
全く見当違いなのだよ。


421 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/01(金) 15:27:17.25 ID:SnqSHt7o

先ほど新刊を購入してきた。
私はダグラスハーディングやロバートシャインフェルドのように
凝り固まったエゴ視点から徹底探求をする彼らの冒険が好きだ。
人間的であり、情緒がある。

この幻想の外へ脱するという幻想こそ
我々が生きている上では必要なのだろう。

新刊の内容的には、以前私が書いた通り、
ある出来事に遭遇し、それが実際に思考にたどり着くまでの一瞬に
「オー!エクスタシィ!!」があるということを述べているに過ぎない。

外的刺激が思考にたどり着いてから初めて
ポジやネガといったジャッジが入るわけで、では、
ジャッジ以前のその発生した波動は何かと言えば、それこそがすべてなのだ。

マインドマシーンという暗喩を彼は使っているが、
一日の間で起こる何百万という外的な刺激に対し
それが思考反応する前に(つまり記憶に参照させる前に)
エクスタシーを感じておれば良い。

慣れるまではエクスタシィ!!と言葉だけ発しても良いが
いずれ本当に「どんな出来事」が起こっても、胸が踊っているような
そんな経過点があったことを知ることになる。
通常そこを過ぎてから思考の罠にはまる。

よく書いているが、欲しい車を手に入れた瞬間と
それを欲しいと思い描いているときのベースとなる感情は同じものだ。

つまり手に入れる必要すらない。
欲しい、いいね!という感情、ただそれだけだ。



423 :名無しさん:2013/11/01(金) 21:13:31.01 ID:PsA8uvXA

>>420
面白いねw
君は「みんな」じゃないだろう。
それともワンネスという意味で言ったのかな?
ワンネスは感情や思考を共有するものではない。
それらはマインドのものだ。



424 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/01(金) 21:33:57.76 ID:SnqSHt7o

>>423
まだわからないのか?
私はあなたの世界の住人なのだよ


426 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/01(金) 21:46:18.26 ID:SnqSHt7o

マインドという言葉もその意味もすべて、
あなたの世界の構築要素のひとつなのだよ


427 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/01(金) 21:48:51.44 ID:SnqSHt7o

あなたが私が囚われていると思う時、
囚われているのはあなたなのだよ。そこに気づきなさい。


468 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/02(土) 22:19:19.38 ID:4VHDJlmV

私はあっちの風景ももこっちの風景も深く見てきているから
何か聞きたいことがあるなら質問しなさい。
だがマハルシのようではなく、現代的な返答となるがね。

妙にそこに拘る人がいるが、正直どうでも良い話だ。
我々が認識しているすべては「認識できる中」のお話なのだよ。

つまりマインドだろうが、涅槃だろうが、所詮は
我々の人生の中の単なる経験でしかない。それは釈迦も同じ。

結局のところ、それらを包括している我々の「生」
それが完全なる空なのだよ。

別に事業に失敗したから、恋人に捨てられたから、
じゃあゲームオーバーではないだろう。

その後のそれなりのストーリーが続いていく。
だがそこから嬉しいと思われる展開になったり、そうでなかったり、
結局は「生」が舞台なのだよ。


469 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/02(土) 22:22:51.49 ID:4VHDJlmV

つまりは「生」が舞台であることを理解しなさい。
そこから視野を持つことで、すべて幸福であることに気付く。



472 :名無しさん:2013/11/02(土) 23:47:57.59 ID:vxBsDMim

>>468
質問させていただきます。
何か望んだことが起こる(いわゆる引き寄せのような)
ことは実際に可能なのでしょうか?そうならば、どのような態度で
どのように行動することが求められるのか?

それとも「何が起ころうとも、それは自分が望んだことなのだ、
つまりそれが幸福なのだ、と気付きなさい」ということでしょうか?

それと、>>471の
>観念が変わると不思議なことが起こりだすのだよ。

ということについても、詳しくお願いします。
たとえばどのようなことでしょうか?



478 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/03(日) 08:13:53.12 ID:DtOoIBWb

>>472
引き寄せとは、
つまり意識を向けたものがフォーカスされる現象を
あえて限定的にその部分だけを捉えた方便のようなものだ。

例えば、街を歩いていて通り過ぎる多くの車の
ナンバープレートを見たとき、ある秩序的な数列を感じたとする。

だがその「秩序的」というのは、あなたの勝手な関連付けに他ならない。
あの数字は母の誕生日と同じだ、とか、あ、次は弟と同じ配列だ、とか。

そうして意識を向けると、あなたはすでにナンバープレートそのものだ。
常に気になり、だが気にして探しても秩序的な配列は見つからない。
だがふと通り過ぎる車のナンバーを見たとき、なぜか秩序を見る。

だが数列は最初からそこにあったのだよ。
ただあなたがそれを見るようになっただけであり
そしてあなたがそれに何らかの「自分とそれ」に対して
関連を付けるようになっただけだ。

よくある、混んでいる駐車場で偶然目の前の場所が空いた、など
それは結果を見ているだけであり、それが起こらなければ、
その話は生まれなかっただろう。

うちのじいちゃんはタバコ吸ってるけど100歳で元気だ、
というのと同じような話だ。

つまり引き寄せとは逆説だ。
いつも引き寄せていることを忘れている、それに尽きる。


観念が変わると不思議なことが起こりだす。
観念とはあなたの世界観、つまり「あなたというゲーム」の絶対的ルールだ。
そのルールに沿った現実が、いまのあなたを取り巻いているだろう。

当然ルールが変われば、あなたを取り巻く出来事は変わる。
変わり始めたとき、あなたはそれまで体験したようなことのない
不思議な感じに包まれる。奇跡のようにね。

だがね、実はその新しい世界も最初からそこにあったし
あなたの隣で歩いている人も後ろを歩いている人も、
同じ世界に生きながら、あなたとは全く違う世界を見ているのだよ。


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