2021年8月1日日曜日

自分さん57 体を渦巻く感触を感じなさい。感情と観照の「隙間」を見るのだよ。

955 :名無しさん:2013/11/16(土) 06:29:33.46 ID:lq0c60W1

選択の余地は全くない。
それらはやってくる。
私の内面はマインドに完全に占められている。

私にやってくるものは全て外部からだ。
私の内面は外部からであり、私には自由意志もなく、選択もない。
私は行為者ではない。

ニサルガダッタ・マハラジ

私には自由意志もなく、選択もない。
私には自由意志もなく、選択もない。

選択の余地は全くない。
選択の余地は全くない。
選択の余地は全くない。


956 :名無しさん:2013/11/16(土) 07:33:41.76 ID:7HpYz3fX

>>955
私の持っている「私は在る」にはその文が見つからないのだが。
大体マハラジが「自由意思はない」なんて言うとは思えない。
聖人の名前を使って捏造するなんて愚かにも程があるぞ。



957 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/16(土) 09:16:58.87 ID:cjdqX2KE

言葉に惑わされているようだ。
いいかい、熟睡が「目覚め」で
起きているときは「眠り」だよ。


マハラジが好きならそのあたりを置き換えて
もう一度その分厚い本を最初から読みなさい。


958 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/16(土) 09:19:12.43 ID:cjdqX2KE

すべて委ねるのだよ。以前も書いたが鳥はすべてを信頼して飛行する。
一片の疑いも無い。ただ当たり前のように飛行する。
そのようにありなさい。


959 :名無しさん:2013/11/16(土) 09:26:35.40 ID:TI+hpNKK

>>958
私の場合、なんとなくそういう瞬間があったりもしますが
それが持続しない。苦しみが沸き起こる。



961 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/16(土) 09:31:47.53 ID:cjdqX2KE

>>959
その苦しみを眺めなさい。
低周波のような感触が体を渦巻いていたらそれを感じなさい。
感じている間、あなたは飲み込まれない。
そうして感情と観照の「隙間」を見るのだよ。



963 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/16(土) 10:18:22.62 ID:cjdqX2KE

出かけるから書いておくよ。
「委ねる」をもっと理解しなさい。

上で提示された「イエスマン」という映画は面白かったが
イエス、ノー、の選択すらない、それが委ねるだ。

だが最初は「う、う~ん、イエス。」というように選択から始まるだろう。
そうして次第に選択の有無も無いようになる。それが「委ねる」だ。
>>955で書かれている「選択もない」「自由意思」もないだ。

委ねるとは、別の言葉で「愛」と呼ばれる。
愛だからといって言葉の罠にはまってはならない。
ピンクのハートなどを連想しなくてもよい。
与えるものでもなく、与えられるものでもない。
それが愛だ。

つまり委ねるということだ。あなたは世界に溶けていく。

そうして生きていると、徐々に自分と世界が
ひっくり返っているようなそんな奇妙な感覚になるだろう。
だがそれは奇妙でもなんでもなく、それが真実なのだよ。

さて私はいまから京都に紅葉を見に行ってくるよ。
ではいってきます。


953 :名無しさん:2013/11/16(土) 00:38:24.94 ID:bp5NdV2T

>自分さん
>「いま」に入るためのアプローチはいくらでもある。

よかったらほかのアプローチも教えてください。



960 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/16(土) 09:29:09.69 ID:cjdqX2KE

>>953
ここで付け加えて書き込むと混乱を招くから
私の過去のレスを参照しなさい。

言葉は制限を生むが
使い方によってはイメージを掴みやすい。

エックハルトトールのように
「常にいまと友好的な関係を結ぶ」や
多くの師が伝えるような、自己観照。
マインドとそれの「隙間」。
スクリーンと光源。

まあいろいろあるがすべて方便だ。
言葉自体は何の意味もなく、ただ区切っているだけ。

木は木ではなく、水は水ではない。
だがそれらを表現するのに、木や水という言葉がある。
実際を指し示すことはできない。

ただ、あなたがどこへ行こうと何歳であろうと
風景や風貌が変わろうとも最奥から見ている「それ」は
何も変わっていないだろう。

記憶ではない。記憶は変容する。
だが「それ」はデータベースも持たず、ただじっと見ている。


964 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/16(土) 10:26:46.66 ID:cjdqX2KE

すべてを委ねていると、世界は円滑に回りだす。
当然その世界の中にいる「個体のあなた」も人生が円滑になる。


967 :名無しさん:2013/11/16(土) 11:54:06.87 ID:JJLQfNte

麻酔かけた時、本当に時間感じなかったよ。
感じないというより無いとしか表現できない。

看護師に起こされた時、眩しいと感じて声が聞こえて、
なんとなく痛いわという言葉が意識にのぼって。

でもいちいち意識に上がってこなくても、ちゃんと自分の名前も
何故、この病院にいるのかも年齢も性別もちゃんと把握できてた。
なるほどデータベースとして残ってるんだな。瞬時にでてくるのか。

麻酔中は本当何もない。
睡眠なら浅い睡眠と深い睡眠を繰り返し、
夢も見るから何となく寝ていた「時間があった」を認識する。
朝起きて「ああ、よく寝た」といってしまうのがその証拠。

麻酔中は無いんだよ。
痛みも熱いも寒いも怖いの哀しいも。夢も見なかった。
だからといって至福もない。楽しみも快感も何にもない。
色にあえてするなら黒。

でも本当に何のイメージも伴わない黒。
(寂しいとか哀しいとか怖いとか闇とか感じるイメージ無し)
だがこれだけはいえるのが、けして光や明るいという間ではなかった。

かけられてる間、時間が本当無いんだが記憶を辿れば
麻酔かけられてた時間はあって、例えるなら単なる黒一色。
たとえとしては夢の状態。起きてる状態。

あまり、ごちゃごちゃ考えずにすんだ時、
とにかく気付くのは光があって視える。周囲の景色が肉眼を通して見通せる。

そして肉眼で見える風景は大きな変化はないのに感じるものが美しい。
日の暮れるのが早くて空気が乾燥して澄んできてる今の時期、
天気のいい時夕方沈む前の雲とか試しに見てみて。
はっとするくらい綺麗だから。真っ黒じゃ視えないなあ。

夜は星の光や月の光や街の明かりが視えるけど、
やっぱり光がないと視えないなあ。


968 :名無しさん:2013/11/16(土) 12:08:46.63 ID:c5xmOQJA

麻酔が五感を鈍らせるものなら逆なのかも。
強いて言うなら、マリファナの方が良いのかも。
経験ないけど。


969 :名無しさん:2013/11/16(土) 12:13:19.98 ID:JJLQfNte

麻薬は(経験はないが)物事を歪ませる。
病気での麻酔は、その時期タイミングに病気になり
意識の無い状態を偶然に得た状態。故意にしたものではない。
だから何度もかけるものでも、自らかけられるものでもない。

五感を鈍らせるなんてないよ。局部麻酔なら別だが
全身麻酔だからね。麻酔に落ちた瞬間さえ解らない。

起こされた時、頭はぼーーとしたが、理性はきちんとあり
病院の白がサイケデリックに目に映るようなことはない。
2時間もすればかなり現実的な感覚を取り戻せる。

私は麻薬は邪道だと思ってる(これはマインドだろうけどね)
それを使って故意に得たいとは思わない。



985 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/16(土) 17:49:19.35 ID:cjdqX2KE

プロセスも委ねるも観照もセドナ、ヴィパッサナー、ポノポノ、
般若心経に至るまで全部同じことをやっているのだよ。
「それ」を見いだすための方便だ。

相性の合うやり方を行えば良い。
ロバートは決して方向性を変えているわけではない。

上のマハラジ信者の彼もそうだが、彼のI'm Thatはバッタモノだ。
彼はバッタモノの本を満足気に読んでいる。
だが実は私の持っているI'm Thatと同じ内容なのだ。

「読んでいる」はただ見ているだけではだめだ。
食べるのだよ。文章を噛み砕き味わい、
その伝えんとする言葉をすべて食べるのだ。


イエスが「私を食べなさい」と言ったのはそういうことだ。
だが表面しか理解できない愚者は、未だに食人行為を行っている。

彼のI'm Thatやあなた方のロバート本がバッタモノから
聖なる書になるためには読み方によるのだよ。
食べなさい。一度ではだめだ。何度も食べるのだ。

>>969
良い体験談だ。
麻酔が聞いている間、あなたは生きていると言えるのか
それとも生死を超えているのか。
熟睡も虚空も麻酔も同じ、マインドの外側だ。

だがね、その麻酔の聞いている状態が「やってきた」
のではなく麻酔によりマインドが消失したのだ。

ゆえに静寂は常にそこにある。その虚空を感じることで
マインドとの隙間ができる。そうなればあなたは「脱出」だよ。


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