2021年9月11日土曜日

自分さん61 悟りとは、つまり「自分」が単なる風景だったことに気付くことだ。

132 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/21(木) 21:05:15.05 ID:pYbt1Woz

今日はIKEAでいろいろ買い物をしてきた。クリスマスの準備だ。
「悟り」についてよくわかっていない人が多いようなので
いくつかキーワードを書いておこうか。

あなたは遊ぶために生まれてきた。毎日がどれだけ苦しかろうが
それは遊んでいるのだよ。

シャワーを浴びているとき、
まるで目の前の道路が雨に濡れているのを見てるような
自分の体が「見ている対象物」のように感じるとき
その感覚を保ちなさい。それが「それ」だ。

悟りとは、つまり「自分」が単なる風景だったことに気付くことだ。
風景を楽しむことが生である。風景とは幻想のことだ。


つまり「その意識状態」がどれだけ習慣化するか
これらは初級理論だが、とりあえずはそういう感じで理解しなさい。
いずれ上級的な話(?)も伝えていくよ。


134 :名無しさん:2013/11/21(木) 21:34:53.61 ID:QjAkftrE

>>132
自分自身を客観的に見る練習をすればいいんですか?
それが習慣化すれば悟れると?



136 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/21(木) 21:39:50.53 ID:pYbt1Woz

>>134
まあそんな感じで良いんじゃないか?
悟りなんてものはそもそもない。
それに気付くには悟ることだ。

なんで禅問答なのか。
なんで仏陀なりイエスなり、
ストレートにそれを表現できないのか。

それはあなたが存在そのものだからだよ。
だけどもまだ理解できないだろう。
だから初級理論からスタートだ。


135 :名無しさん:2013/11/21(木) 21:37:17.09 ID:ofmRluoU

自分さんは感謝についてはどうお考えですか?
やはり大切なものですか?
マネゲ本では感謝について多く書かれていました。
でも新刊にはそんなに出てきていないように思いますが。

自分さんは普段感謝を感じることは多いのでしょうか?



137 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/21(木) 21:43:36.09 ID:pYbt1Woz

>>135
感謝も悲しみも苦しみも喜びも印象だ。
感謝には対象があるわけだから分離したエゴ表現のひとつだね。

そんな小難しい話よりも
単に「ああ、この世界を見れて(生まれてきて)よかったな」
そう思える方が楽しいだろう。

前も書いたが
「失う、奪われる」は「与えている」だ。
つまり何があろうが「楽しみ」である。


138 :名無しさん:2013/11/21(木) 21:48:01.31 ID:ofmRluoU

>>137
なるほど・・・感謝もエゴ表現になると。



139 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/21(木) 21:56:21.96 ID:pYbt1Woz

いつも書いてるが、世界にはあなたしかいない。
もうこれは最優先して理解するべき事項だ。

あなたの世界にいる他者は「そのときその場でそのような行為をする」
いわば風景だ。昨日も伝えたがね。

で、その他者も彼しかいない世界がある。
そこに登場するあなたは、そのときその場でそのような行為をする
ただの風景だ。

少し飛んだ話になるが、それぞれの世界がありながら
心はひとつである。便宜上、心にしたがつまり本体だ。
ワンネス的な話だよ。

理解は超えるだろうが、地球上の数十億人、
それぞれが同時刻に何か考えたり悩んだり、見たり聞いたりしている。
それらはカメラのようなものだ。数十億のカメラ。
それを見ているひとつの何かがある。

わかりやすく言葉で表現したらこんな感じなのだろうか。
ちなみに、数十億人が思考したり感じたりすることが各人の世界、
つまり「想念」だ。

>>138
奇麗に見える言葉や感情表現も全部エゴだよ。
エゴがなければあなたは熟睡状態だ。

ただ、苦も楽に変えられる。
それは苦も楽も実は単なる印象だからだよ。


142 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/21(木) 22:13:50.86 ID:pYbt1Woz

いま生活が苦しい人、
それは受け入れていないからだ。
つまり「自分が!自分が!」が根付いているのだよ。


自分の将来がどうなろうが
自分の家族がどうなろうが
失おうが、潰されようが、どうでもよいことだ。

私も悩んでいた時期はある。
ある時そういう一切の思いを捨てた。
だから背負うものがない。

だけども家族もいるし資産もある。
だがそれを守ろうとしていない。
あるがままに見ている。
なぜならば、私が考え抜いたところで何の力もないからだ。

ただ「流れ」が私にこの環境を与えている。
消えるときは消えるだろう。
増えるときは増えるだろう。
どうでもよいことだ。

ただ楽しいだけだよ。
私というエゴが認識するカラフルな世界。
「歩いたり」している。不思議な行為のひとつだ。

地面という謎の何かに気付いたり
重力を感じたり、人を見たり。

そもそも「見る」とは何なのか。
「聞く」とは何なのか。

我々が人生の大前提としていること、
ひっくり返してみて見れば、どれも想念であることが理解できる。

委ねなさい。世界(想念)があなたなのだよ。
そこで遊ぶために、あなたはわざわざ実在から分離したのだ。
あなたは存在しない。あなたこそが想念だからだ。



143 :名無しさん:2013/11/21(木) 22:18:03.97 ID:rk1Vt0GW

>>139 世界は自分しかいない。
それは理解でしたでしょうか…。
なんとなく…と感じてる人達には、
とても染み透るお言葉だと思いますが…。

あくまで個人的な感覚ですが私の時は理解というより...
全くの不信、猜疑心の塊から色んな体験をして、なんとなく...
後は「!!」言葉ではない。一瞬の確信。

全ては自分だったのだ。
それがあって、あなたの言葉も今は理解できる。

今なら、あなたの遊ぶために生まれてきたも理解できます。
だけど今、ループしたり四苦八苦してる方々の
感じてる事はけして遊びじゃない。

遊びに例えるとしても命がけのギャンブル。
悩んでる最中は、闘ってると思うんです。

それもけして好きでやっているのではない。れすらもさせられている。
だから遊んでいると感覚をかえようとしても
無理なところもあると思うのです…。

寒い時は、鍋です。思い詰まったら、休日前、
少しだけ休憩して軽い運動してお腹空かせた後、
温かい大好物を食べましょう。

自然に、うお、うまい。
もし誰かに作って貰ったものなら
うわ、むっちゃ有難いと無意識に湧くかも…。



145 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/21(木) 22:24:51.97 ID:pYbt1Woz

>>143
「遊ぶ」とは遊ぶという意味ではない。
すべてを体験するという意味だよ。

じゃあなぜ体験できるのか。
それはその世界をあなたが持っているからだ。
だから「遊ぶ」なのだよ。

苦しみも喜びも、同じものだ。
ただ眺めておれば、同じものだよ。

イベントみたいなものだ。

寒い時は鍋だ。
寒いも鍋も、見たり感じたり味わったり。
それらは体験である。体験する為に我々は世界を作ったのだ。


144 :名無しさん:2013/11/21(木) 22:23:14.49 ID:ofmRluoU

自分さんの書き込みを読むと自然と至福というか
今ここに在るような感覚になるから不思議だ。
画面を通して何かを共有・共感しているのだろうか。



146 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/21(木) 22:32:43.73 ID:pYbt1Woz

>>144
あなたの世界にはあなたしかいない。
その世界はあなたが作っているからだ。

だけども心はひとつだけだ。
世界に秩序があるだろう。
なぜ共通するのか。

なぜ人は感動したり笑ったりするのか。
そういう共有部分、それは本体はひとつだからだよ。

「世界」は人の数だけある。
「心」はどれだけ人がいようが、ひとつだ。


147 :名無しさん:2013/11/21(木) 22:35:53.90 ID:TxXi6/0w

でも自分さんって経営者だったのよね(今もかな

どん底も最高も経験してない大多数のふつーのサラリーマンに
悟りとか無理なんじゃない。

スピリチュアルマスターとか言われてる人も
たいてい高学歴で医学とか心理学の博士号持ってたりするよね



148 :名無しさん:2013/11/21(木) 22:36:09.88 ID:IW0nyqpI

アドヴァイタかじりのOSHOもどき



149 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/21(木) 22:43:48.59 ID:pYbt1Woz

>>147
経営者から見れば会社勤めの人が羨ましく見える。
多くは「檻」を作るからね。そういうものだよ。

芸能人と一般人とのギャップみたいなものだ。互いに羨望する。
どの世界にいようが、苦も楽もある。
だから環境自体は全く関係がない。

>>148
あなたの世界の私はそうなのだろう。それでよい。
個人的にはシヴァのタントラが好きだ。相性が良いというか。
OSHOはそういう過去の素晴らしい伝聞を広めている。


153 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/21(木) 23:20:31.80 ID:pYbt1Woz

いま「鬱病」ならば
あなたは鬱病を体験しているのだ。

いま「生活苦」ならば
あなたは生活苦を体験しているのだ。

この「体験している」という解釈は
自我と真我に絶妙な距離を生む。

つまり鬱なり生活苦なりの「そのような自分」を見ているのだ。

それが体験だ。人生だ。
あなたが分離してまで遊びたかった世界だ。
その状況なり世界を見ているのが本当のあなた。

だから肉体なり世界なりで起こっている出来事に
真剣に考えることもない。


155 :名無しさん:2013/11/21(木) 23:57:19.50 ID:fkg0Yxe4

>>152
全てが嘘に見えるとは、
この世界(主観の中)で、これは主観(夢、非現実、嘘)だと気付くこと!?
だとすれば、夢の中でこれは夢だと気付く様なものかと。

これはつまり、153氏の語る

>この「体験している」という解釈は
自我と真我に絶妙な距離を生む。

これと同じ事!?
あとは目を覚ますだけ(覚醒)!?


156 :名無しさん:2013/11/21(木) 23:58:53.45 ID:IW0nyqpI

劣化コピー 一見美しいが所詮造花、香りがない



157 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/22(金) 00:07:24.73 ID:FLvONrOr

>>155
横レスだがその通りだろう。それだ。

>>156
私があなたの見てきた何に似ていようと
どうでも良いと思わないかね?
そこは単なる風景だ。
「見るべき」はそこではない。


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