2021年11月29日月曜日

自分さん65 人生は、いかに真剣に考えないか、がありのままに見る秘訣だ。

277 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 10:19:20.91 ID:sd38kFYd

今日も気持ちのよい朝だね。

さて、昨日のおさらいだが、
なぜ禅問答も古代の教典もスピ本もその多くが対話形式なのか。

それは探求者と覚者との「やり取り」に神髄があるからだ。
神髄とは質問内容のことではない。まして覚者の回答でもない。

「ガチョウは外だ!」の禅問答のように
そこにただ、それが在る、それを悟ることが
「悟りから離れる」第一歩だよ。

1+1とは2ではなく。
1+1だ。

我々は「言葉」や「意味」に反射的に飲まれてしまう。

そして私がわざわざ「自分」と名乗っているのもそういうことだ。
あなたの世界の住人はあなただからね。
あなたがあなたを経験することで、その世界は光満ちていく。


278 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 10:20:24.20 ID:sd38kFYd

観念という言葉をよく使うのだが
「表現」でも「投影」でも「考え方」でもなんでもよい。

つまり、あなたが表現した世界(あなたの考え方)がそこにあるのだ。
毎日見たり聞いたり感じたり、それはあなたが表現したものだよ。

例えば環境問題が気になりだしたら
あなたの世界は環境問題のテーマが満載となる。

環境について考える。人間のエゴに憤りを感じだす。
真剣に考えれば考えるほど(つまり表現すればするほど)
その世界になっていく。

昨日までファミレス三昧だったのが、いまはベジタリアンだ。
車ばかりを使っていたのが、いまは自転車通勤だ。

苦しみが生活にあるのならば、それはあなたが自ら表現しているものだ。
苦しみを表現しなければ、苦しみはない。
ただその世界がそこにあるだけだ。

人生は、いかに真剣に考えないか、がありのままに見る秘訣だ。


279 :名無しさん:2013/11/24(日) 10:33:31.23 ID:pFucfglV

怠け心と直感の区別がつかない



285 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 11:01:33.67 ID:sd38kFYd

>>279
>怠け心と直感の区別がつかない

怠け心とは思考によるものだ。
直感とは思考を捨てたものだよ。

直感、つまり思考よりも世界に委ねる方を選びなさい。


281 :名無しさん:2013/11/24(日) 10:41:42.72 ID:azGKrhh9

>>278
だけど…先生、それ決められてるのでしょう?

例えば動物問題に関心がいくとする。
その最初のきっかけは、虐待された動物の映像などみて
頭じゃ偽善者や、こんなもん日常茶飯事、世の中弱肉強食なんだよとか

偽悪めいたこと叫んでも、無意識に涙がダーーーーーと、
もう胸しめつけられるし、悔しいやら哀しいやら、
やるせないやら、それ勝手に湧き出るから。

そうすると、そういう方面に目が行く。
愛護運動とか大がかりのものじゃなく動物病院いくと
必ず寄付、少額でも入れるようになるとかね。

その時は、損得感情からの矛盾や抵抗ない。
見栄も張らず困らない程度の打倒な金額を入れられる。
納得してる金額だから、その日によって100円だろうと
5000円だろうと、自分の事をケチだとか、あげすぎたとか後悔しない。

頭でコントロールできるんでしょうか。



284 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 10:59:18.06 ID:sd38kFYd

>>281
>悔しいやら哀しいやら、やるせないやら、それ勝手に湧き出るから。
そうすると、そういう方面に目が行く。


それはあなたの世界がそうなのだろう。
そういう方面に目がいかない人の世界もある。
だからといって非情なわけではない。
あなたの世界ではそうだとしてもね。

>例えば動物問題に関心がいくとする。

この時点で世界は決定している。
あなたがマインドから観念を積み重ねれれば、
それだけ可哀想な動物の姿がバンバン世界に現れるだろう。

いいかい。
それらはあくまで風景だ。
そこで遊ぶ(ゲームする)のはあなたの自由だが
それに囚われていては本末転倒だよ。

あなたしか、そこにはいない。
あなたの見たいものが出てくるだけだ。



286 :名無しさん:2013/11/24(日) 11:05:03.43 ID:azGKrhh9

>>284
はい。それは仰る通りなんですが...。
そう思って、可哀想な動物がでたら嫌だから
そういうの目にしないようハートフル映像とかしか
見ないようにしてるけど…。

保健所の映像とか見ないようにしても偶然、
TVでやってて目に入ったり
無関心よそおうのも抵抗ものすごいし…。

別に動物嫌いの人が非情とはまったく思ってないのだけど…。
感じるものって頭より先だから。
別に自分が善人ってわけじゃなくてね。
ほとんどの人がそう感じる事を素直に感じてるだけかなとか。



287 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 11:07:11.59 ID:sd38kFYd

>>286
>そういうの目にしないようハートフル映像とかしか
見ないようにしてるけど…


ふふふ。
世界はあなたが作っているのだよ。
私の話を熟考してみなさい。


288 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 11:14:07.58 ID:sd38kFYd

>>286
あなたが牛をペットとして飼っていたら
ステーキや焼き肉は食べる気がしないのだろう。

私も犬や猫に囲まれて生活しているから
それを食材とした料理があってもあえて選ばないだろう。

だがね、あなたは(たぶん)牛や豚をペットとして飼っていない。
だから料理を食べるのだよ。何の意識もなく。

あなたが動物が好きだから、酷い光景には目を塞ぐ。
だが道ばたでアスファルトの欠片が割れていても
目は塞がないだろう。

その世界を意識すれば必ず、喜びと悲しみのセットが用意される。
いわゆる二元性というやつだよ。
あなたの場合、動物を可愛いがる、とは
常に「可哀想な姿」という影から逃れ続けなければならない。

だけどもアスファルトには関心がない。
だから二元性が生まれない。
ただ「在る」だけだ。


280 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 10:33:56.65 ID:sd38kFYd

昨日も書いたが
会社なり学校なりで誰かに良い出来事が起こったとする。
もの凄くラッキーでハッピーでラブリー!彼はとても大喜びだ。

だが、それはあなたの世界で起こったことだ。
つまりあなたに良い出来事が起こったのだよ。

そんなときあなたのマインドは妬むのかい?
劣等感を感じるのかい?

あなたに起こったことなのに、あなたはネガティブになる。
ここが分岐点である。

歩いてたら可愛い子とすれ違った。
それはあなたの世界の住人である。つまりあなただ。

あなたの世界に「可愛い子」が在るのだよ。
あなたの世界で思考を持つのはあなただけだ。

他者は、そこでそのようにそれをする、それしかできない。
あなたの表現(観念、考え方etc..)ひとつで世界は天国にも地獄にもなる。

あなたは光だ。
あなたの見ている「それ」しかない。
世界を愛しなさい。その世界ではあなたが神で
メシアですべてなのだからね。


267 :名無しさん:2013/11/23(土) 23:02:30.62 ID:MhgIT/O4

サーフィンしろ。
そうすれば瞬間的に決断する力が養われる。

やってきたのが乗れる波かそうでない波かを
一瞬で判断して選ばなければならない。
そして決断したなら波との相対速度を合わせるための
パドルを開始しなければならない。

しかし、その結果がいつも正しいとは限らず、
乗れる波だと思ったのが波に置いて行かれたり、
乗れたと思ったら崩れるのが早すぎたりするものなのだ。
もちろんうまく乗れる波だったということもあるだろう。

つまり、自由意志があるかのように、決断して選択はしろ。
しかしその結果はあなたの望んだ通りになるとは限らないから、
自由意志は存在しない。

最悪なのは、なんで俺が望むような波がこないのだと
文句を垂れて気分を悪くすることだ。これは全く意味が無い。
なぜなら、あなたは結果をコントロールできないのだから。

まず選択、次に行動。
要点は結果をきにせず行い、うまく行ったら感謝し、
うまくいかなくてもまぁ仕方ないかで済ますか、
結果を気にして行って、うまくいけば俺の実力と思いあがり、
思い通りにならなかったらぐだぐた文句を言うかである。



283 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/24(日) 10:52:04.94 ID:sd38kFYd

>>267
私もサーフィンに凝っていた時期がある。
まっすぐ乗れるかどうかの程度だがね。
海は遠いから回数も行けないが
もう体が付いていかないからご無沙汰だ。

波に初めて乗れたとき、
まったく自分の意図しない「力」に圧倒されたものだ。

波に立った時、広大なシーツのような、
そして太陽の反射でキラキラしたそれは
顔を出してプカプカ泳いでいるときには
想像も付かなかった景色だった。

立つまでは何度も向かってくる波にモミクチャにされ、
海水を飲み、ゲロを吐き、怖い兄ちゃんに野次を飛ばされ
「なんでこんなことをやってるのか」と知らないから
想像することもできない「波の上」に何の希望もなかった。

ただ「自分の力でコントロールしようと」
躍起になっていたのだ。
「苦」だ。

立ったとき、すべての自尊心や思考が崩壊する。
そうか、波になれば良いのだと。


波という大前提の中で喜怒哀楽がある。
コントロールが出来るのは波の流れの中だけだ。

まさに鳥が大空を舞うとき、人間が世界に委ねるとき、
それと同じものだ。

ただ、>>267あなたの後半部分には異論がある。
行動しなければならない。それは力で波を制しようとしている状態だ。
いずれ空打ちになり、限界、制限、という苦しみがやってくる。

流れに委ねたとき「行為」は勝手に起こるものだ。
眺めているだけでよい。



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