2022年3月6日日曜日

自分さん75 怒濤のような不安感を超えたとき、すべてがまさに「風景」と化す。

622 :名無しさん:2013/11/29(金) 11:51:15.77 ID:daHIFA5v

よくわからないが、その思考が止まるのも真我の思し召しだろ?
たとえいくらどうにかしようとしても、成るべくして成るとき以外には
なにも起こらない、では?



624 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 11:56:17.53 ID:fzdmv+5B

>>622
>思考が止まるのも真我の思し召し

それは何かね?
真我は世界だ。あなたはそのすべてを体験することそれが「ゼロ」だ。
思考は体験をしないという、分離の「選択」だよ。


623 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 11:54:13.48 ID:fzdmv+5B

わかりやすく「性」をテーマに伝えておこう。
あなたが男性だと仮定しておく。

私はセックスは否定しない。
だが「性欲」とは完全に思考の手中に落ちている状態だ。

以前も書いたと思うが「性欲」は反射神経のように知性で応答する
ものではなく、妄想を重ねる、重ねれば重ねるほど
欲求は濃く重くなっていく。

つまり自ら挑む性行為、つまりマスターベーションだったり
性の欲求を発散するためだけのセックスとは
思考の塊が作用しているのだよ。

だが目の前の女性という「あなたの世界」に溶けていくとき
そこには自我がない。ただ流れに委ね、溶け込むように
セックスを育んでいる。

この違いがわかるかね?
前者は苦悩、罪悪感、虚無感などを伴うが後者は至福があるのみだ。
知性に対する応答とは、あなたのすべての欲求や欲望とは
まったく違うものである。


625 :名無しさん:2013/11/29(金) 12:01:40.35 ID:RSlV90ES

横ですが。
思考(自分)という観点からは、全てが麻薬なんです。
勝敗や、快不快、幸不幸、悟不悟など、二元性のもとでは、
結局は苦しいんです。

ひとときの勝・快・幸・悟を得ても、常にその裏には
敗・不快・不幸・不悟が息を潜めています。
希望を持ち、ふとした拍子にそれを得て実感しても、
すぐに消失し、絶望します。そして更なる希望を持つのです。

希望が大きくなればなるほど、絶望も大きくなります。
希望と絶望の無限ループ、これはまさに苦です。

思考は思考を越えられないのだから、
思考ではどうにもならないのです。



626 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 12:05:26.30 ID:fzdmv+5B

なるほど。その辺りで思い違いをしているようだね。

いいかい。
起こる出来事はあなた(思考)が起こしているのかね?無論、違う。

つまりあなたの人生は、あなたの意図しない何かで動いている。
そこに自由意思はない。その流れは「あなたの意図しない何か」だからだ。

だがあなたはそれに委ねることによりあなたの知るすべて
想像できるすべてを得る(得ていた)ことになる。

だがその大きな流れに逆らうのが「思考」だ。
単純な話だよ。要はあなたは逆らっているのだ。
だから苦しいのだよ。

逆らうとは、思考を起点とした行動のすべてだ。
思考はエゴやらマインドやらを包括した自意識のことだ。



627 :名無しさん:2013/11/29(金) 12:08:12.74 ID:daHIFA5v

>>623なんとなくわかった。
でも、なんにしても選択の権限はない、だろ?
いろんな人間がいて、行動があるが、それも
成るべくしてなってるんじゃないのか?



629 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 12:11:49.97 ID:fzdmv+5B

>>627
ちょっとレスがずれてしまったね。すまない。

>>626をよく読みなさい。
その「選択の権限」というものを存在させているのはあなただよ。
私の世界には「選択」という概念がそもそもない。

ただ目の前を風景を楽しんでいるだけだ。
風景はどんどん変わっていく。それを楽しんでいるだけだよ。

あなたはなぜそんなにも「何かがしたい」のか?


632 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 12:23:09.74 ID:fzdmv+5B

>>626の追記になるが、あなたの人生を動かしている
「あなたの意図しない何か」をあなたは自意識で
変えようとしているのだろう?

つまりあなたが赤がどうしても嫌いで、目の前の赤い紙を
別の色に変えるようなマジックをしたいのだね。それは可能だ。

だがそれはその赤い紙の色が変わるのではなく、
あなたが「赤い紙を別の色に変えたい」と思わなくなることだ。
そうすれば「赤い紙の赤」に囚われない世界が現れる。

つまり世界を変えるのではなく、あなたが自意識を捨てるのだよ。
そうすれば世界はいつの間にか変わっていることに気付く。

そこに赤い紙はただ在るけども、あなたを煩わせる赤い紙はない。


633 :名無しさん:2013/11/29(金) 12:32:43.69 ID:daHIFA5v

>>629まあ、なんとなくわかるが、
その”「変えたい」と思わなくなる”のも
成るべくして成るのでは?



636 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 12:45:31.93 ID:fzdmv+5B

>>633
「変えたい」と思わなくなる」
それは思考だよ。それすらも考えないのが「委ね」だ。

外出しようと服を選ぶ。
部屋にある服は色違いのTシャツだけだ。
(ここまでが「流れ」だ。あなたには選択も自由意思も
なにも、ただそれがあるだけ)

だがあなたは「最近こればっかだし、そうだ今流行してるし」
とパーカーが着たいと思った。
これが思考だ。

あなたは部屋にないパーカーを探しに行くだろう。
探しに行った先で目にするのは「流れ」だ。
最初の店にはない。次もない。
(これらの光景は「流れ」)だ。

だがあなたは「それでもパーカーがいい」と探し回る
(これが思考)。

そして隣町の光景が広がる(流れr)
あなたは探す(思考)

まあこういうことだよ。
あなたは「流れ」と「思考」がごっちゃになっている。
常にスムーズな展開をもたらせてくれいる「流れ」を
わざわざ遠回りさせているだけなのだよ。


638 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 12:49:04.92 ID:fzdmv+5B

外出しようと服を選ぶ。この起点は思考からでも流れからでもよい。

とにかく、あなたが何も自意識から選択をしないとき
ただ漠然とした世界がそこに広がっているからそこに流れなさい。

苦のループを抜けたければね。


637 :名無しさん:2013/11/29(金) 12:47:53.71 ID:pI+bRwvB

全部が正解



639 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 12:52:20.44 ID:fzdmv+5B

>>637
その通り。あなたの世界からは、私と誰かのやり取りが流れているだけだ。
その視点では全部が正解なのだよ。

つまり「自らの世界」でその視点を取り戻すことがすべてなのだ。
肉体すらも風景、雨で体が濡れているのも、道路が濡れているのと
同じように受け取れる。


642 :名無しさん:2013/11/29(金) 13:01:30.47 ID:NkbktYb7

通帳に貯金がゼロなのも風景としてとらえる。
だけど思考がどうするんだと問い詰めても、何もしない。
ながれるでおK。



645 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 13:06:26.01 ID:fzdmv+5B

>>642
>思考がどうするんだと問い詰めても、何もしない。

ある理解に到達するまでには、
何もしないということを「している」形になる。
つまり何もないふりをして必死に我慢している状態だ。

当然現実は、それまでの観念の通り迫ってくる。
それはあなたが決してコントロールできない「流れ」だ。

だから怒濤のような不安感に襲われるのだ。
それを超えたとき、すべてがまさに「風景」と化す。


644 :名無しさん:2013/11/29(金) 13:04:05.01 ID:kpXKHwJS

>>635
“成るべくして成る(運命)”
でも、運命は先には判らず、後になって初めて運命だったと知る。
なので、運命の事など気にしてられない。
我々は全力で試験勉強をするだけ。



649 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 13:22:20.34 ID:fzdmv+5B

>>644
いいね。その通りだ。受信した時点が「すべて」なのだ。
だから発信者もいなければ未来も過去もない。
「道」もない(老子のことではない)。

以前ターンテーブルの針が我々だ、と比喩したことがあるが
楽曲の刻まれたレコードを読み取っているのではなく
何も溝のないレコードがあり針が触れた箇所にだけ
溝が生まれる、そんなものだ。

体験と消化は同時に発生しているのだ。


643 :名無しさん:2013/11/29(金) 13:03:32.19 ID:RSlV90ES

「変えたいと思わなくなる、と自然に思う」とうまくいく。
「諦める、と自然に思う」とうまくいく。

実際そうなのですが、それをうまくいくための手段として選択し、
捉えてしまうと無限ループ。

じゃあどうすればいいのか。

「何もしない」というのは究極的な答えなので、
思考では、とりあえずマネーゲームなりなんなり、
色々やってみるといいと思います。
そのうちわかると思います。



646 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 13:11:58.11 ID:fzdmv+5B

>>643
その通りだ。真我のためだけに、体験があるのだ。
だが「何もしない」は究極的ではないよ。

幼い子ども達は毎月の請求書を知らないだろう。
知らないから彼らの世界にはその苦がないのだ。

自意識に上げてこないものは、あるがままに過ぎていく。
つまり親が支払っている。親の「世界」には請求書という苦がある。

自意識に上げないことだ。
これは究極的なことではない。
人生の中で一番簡単なことだよ。


647 :名無しさん:2013/11/29(金) 13:19:51.55 ID:RSlV90ES

>>646
確かに、一番簡単なことだと思います。
ですが簡単すぎるゆえに、これ以上ないほど
シンプルかつ分かち難い。ゆえに思考では、分からない。
分かりにくいのではないかとも思います。

頭でいくら考えても分からなかったのは、
簡単すぎるからだったのでしょう。
頭は月を指す指にしかなれないわけですし。



651 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 13:35:04.92 ID:fzdmv+5B

>>647
仮定だが例えばあなたが、自らの思考をもとに
レスをしているのならばどこかで苦痛や苦悩があるだろう。

だが自意識もなく‥まあプライドや使命感などもなく
ただ「書いている」だけならば、何も尾を引かない。

でもねただ「書いているだけ」というのは
まさにスルーなのだよ。ロバートの言う無限の豊かさからのね。

つまり画家でもミュージシャンでも「独自のエッセンス」を
加えようとした人々は早々に散っていく。苦悩に耐えきれず、
セールスに悩み、ファンや会社の罵声から思考が「病み」をもたらすのだ。

だけども、スルーなアーティストはその苦悩がない。
周りからみれば「なんてテキトーなんだろう?」など
嫌悪感を抱かれるものだが本人にはその罵声すらも「風景」だ。
強くもないゆえに弱さもない。ただ在るだけだ。

思考とは一体何かね?
我々は「漂う思考」である。
「月」は本当にあるのかね?
あるのは「指」だけかもしれないよ。

なぜ真我は思考を生み出したのか。
ダイヤモンドや自らの輝きを知らない。
ダイヤモンドであることすらも知らない。
なぜ真我は自らが在ることを「勘付いた」のだろうか?

実は思考が真我かもしれないね。まあ何でもいいんだよ。

ただ私はあなたとここで関われている。
それだけが素晴らしいことだ。
ただそれだけだ。


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