2022年3月13日日曜日

自分さん76 体験と認識の間に距離が生まれれば、それが自己同一化との決別だ。

655 :名無しさん:2013/11/29(金) 14:04:47.35 ID:RSlV90ES

自分さんの書き込みは非常に興味深いし、
その関わりはとても楽しいものであります。
私達は結局、起こったことを見るだけで良いのでしょう。

思考による諦めが真実を明らめるのではないでしょうか。
何かに変わることを諦めて、ただ見るしかないという。



658 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 14:16:55.61 ID:fzdmv+5B

>>655
言葉のニュアンスがあるからだとは思うが、
その見解はあまり楽しくない感じがするね。
「理解」というものを伝えるのは本当に難しいのだよ。

例えばあなたのその質問内容だが、
この数ヶ月間同じ回答を書き続けてきている。
だがなかなか伝わらない。
私の文章力もあるだろうから、本を薦めたりしてるんだがね。

上のレスで「ただ書いている」と伝えただろう?
あれがまさに「何もしていない」だ。

あなたはこれから何か行為をするときに
「ただ~している」と観照しなさい。
最初は思い込みでもいい。


思考に対しても有効だ。
「私はただ、夕食を考えている」
「私はただ、花を見ている」
「私はただ、歩いている」などね。

そうして客観的に自らを観るのだよ。
そうすれば体験と認識の間に距離が生まれる。
それが自己同一化との決別だ。

まずそうなりなさい。
そして、いつも通りの暮らしを送りなさい。

起こっている出来事がどれだけの財宝なのか、
何も変える必要などなかったことだったとか、
そういうことが理解できるようになる。


体験と認識の間に距離が生まれれば、それが自己同一化との決別だ。


659 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 14:19:10.32 ID:fzdmv+5B

そうなったときには
「何かに変わることを諦めて、ただ見るしかないという。」
そのようには受け取らないだろう。


660 :名無しさん:2013/11/29(金) 14:40:41.78 ID:RSlV90ES

>>658
思考は常に苦であり、そこから逃れるすべなどないと。
思考が思考を超えることは不可能だと。
観照すら思考の範囲内で起こることなのではないでしょうか。

私は色々試した結果、全て諦めているのです。
ただ、いまだに諦め切れていない部分があるんでしょうね。
希望も絶望も捨て切れていないんです。



662 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 15:06:12.25 ID:fzdmv+5B

>>660
言葉なのでわからない部分もあるが、
あなたがその「諦めた状態」とは、意識が体の奥でくつろいでいるような
安堵が感じはするかな?

「今に在る」と同じくグッと包まれた状態みたいなものだよ。
「顔の奥の笑顔」で入りなさい。

>希望も絶望も捨て切れていないんです。

「捨てきれない」ではなく
「捨て切れていない」のなら観照しているということだ。
そのような自分を「観ている」のだろう。
そうなのであればそれで良い。


661 :名無しさん:2013/11/29(金) 14:45:46.87 ID:Hpc9OmOJ

正岡子規が死の床で
「悟りとは平気で死ぬことかと思っていたが、
平気で生きることだと気づいた」って書いてるけど
子規は悟っちゃってた?



662 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 15:06:12.25 ID:fzdmv+5B

>>661
あなたの世界に登場する人や生き物、物に至るまですべて覚者だよ。
なぜならあなたの世界で思考を持つのはあなただけだからね。

あなたは各他者の世界の影を観ている過ぎず、
あなたの思考を彼らに及ばすことはできない。
つまり、そのすべては「あるがまま」だ。

風景みたいなものだ。
風景はその通りであるがゆえ、悟っている。

前も書いたが他者とは
「そこでそれをそのようにする」それだけの風景なのだよ。
あなたの世界ではね。


665 :名無しさん:2013/11/29(金) 15:31:34.47 ID:6HwDj0kW

ヘイ誰かマネゲのコツをシンプルに教えなさいよ



677 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 18:42:13.96 ID:fzdmv+5B

>>665
ロバートの伝記での要点は以下だ。

①この世界は自分の考え方により「そう見えていること」を知る。

②通常は好奇心と苦しみのループ。いずれ苦ばかりになる。

③そこから脱するには「あなたの考え方」を根底から変える。

④「考え方」を変えるとき現実とのギャップに激しく襲われる。

⑤「考え方」が変わることにより違う角度で世界が見えるようになる。


世界を認識するという結論が前提なので
「考え方」にしておいたが言葉は何でもよい。

古代のインド宗教から仏陀やイエス、
現代の聖者に至るまで言っていることは同じ。
ただ表現が違うだけである。


678 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 18:49:34.40 ID:fzdmv+5B

まあ何千年も人類ってのは我々と同じように苦しんできたわけだ。
国王の息子で超金持ちだろうが、生まれながらに支配される立場
だったりと環境は一切関係なく。

でもね、そんな中で悠々自適な生き様をしていた人たちって何なのだろうね。
笑い飛ばして好きに生きて華麗な蝶のように楽園を舞っていた人たちだ。
環境じゃないのだよ。「それ」を知ることだ。

世界が己であればどんなに探そうとも喜びしかないのだよ。


679 :名無しさん:2013/11/29(金) 19:00:54.05 ID:fERYV1Be

昔は身分制度があったけど、
最下層の人でも「それ」を感じて生きていた人はいるのかな。



680 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/29(金) 19:05:58.75 ID:fzdmv+5B

>>679
下層ではないが近所のおぱあちゃんにいないかね?
「まあいいじゃないの」。それより深い言葉はない。

個人的には「シークレット」みたいな
「世界は良い方向に変わる」に比重を置いた伝え方より
「相田みつを」のように「自分の見方で世界はいくらでも表情がある」
の方がより真理に近いと思うよ。言ってることは同じなんだがね。


687 :名無しさん:2013/11/29(金) 23:19:21.57 ID:fG53PhFY

>>677
②の「いずれ苦ばかりになる」のは何でだっけか。



699 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/30(土) 11:00:11.82 ID:KTSoKLDm

>>687
スポーツでも趣味でも異性でも貯金でも旅行でも
なんでもいいが、ある好奇心を満たすと空虚が姿を現す。
その空虚から逃れるために人はまた外側に好奇心を求める。
その繰り返しの末すべてやり尽くしてしまうのだよ。

やり尽くしたときすべての空虚に囲まれる。
外側に求め続ける限り逃げ場はない。

なぜやり尽くされてしまうのか。
外側はすべて自分の観念による幻だからだよ。

あれだけ欲しかった「モノ」が今は埃を被って棚に置かれてある。


701 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/30(土) 11:08:00.95 ID:KTSoKLDm

ある目の前の出来事に対して
「疑惑」「矛盾」「否定」「信頼」「希望」「空虚」など
あなたが「そのように見れば」その通りである。
世界にはあなたしかいないのだから当然である。

つまり観念が世界なのだよ。
釈迦が何を言おうとも「それって矛盾してるよね」
と見れば、あなたの世界の釈迦は「矛盾」した存在だ。

釈迦の思考は変えられない。
釈迦が残した影しか世界に現れないからである。
「思考できる」のは世界であなたひとりだけなのである。

観念を見破るときそこに矛盾も疑惑も希望もすべてなくなっていく。
だから「あれはこうだ」とか「これはこういうものだ」とか
そう思ったり意識している内は、まだ観念の檻の中なのだよ。


702 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/30(土) 11:16:56.65 ID:KTSoKLDm

観念を見破ったとき、観念を超えた理解で
「すべては私のためだけにあるのだ」とわかるだろう。

太陽も風も事件もアイドル、すべてのお金、喜怒哀楽、動植物etc..
知るものはすべて私のためだけにあったのだ。


715 :名無しさん:2013/11/30(土) 15:43:34.08 ID:gZao8jqs

金さえあればすべて自分の為にあるのはわかる。
売っているのだから、金さえあればという観念が変更されればよし。
金も自分の為にあるのだから。

求めるから苦しい、仕事して、嫌味いわれ、やるけど苦しい。矛盾を感じる。

この苦のループから逃れるため(これも求めた)からここにいた。
妄想からの脱出しつつあるようで安心感がいまある。諦め?



717 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/30(土) 16:02:25.12 ID:KTSoKLDm

>>715
世界の中にあなたや他の人々がいてお金などがあるのではなく
あなたの中に世界があり、そこに他の人々やお金があるのだよ。


つまりあなたは自分の死を知ることはできない。
先に世界が終わるからね。人々もお金もあなたより先に消える。

だけどもあなたは一体いつ死ぬのだろうかね?
他者の死はあなたの世界で起こることだから目撃するだろう。

だけどもあなたはそもそも死ぬのかい?
いいや生まれてきてもいないのではないかね。
自らの誕生を目撃できないからだ。

観念から見た場合の解き方がこのような感じとなる。
この事実をヒントに観念そのものを崩壊させなさい。


718 :名無しさん:2013/11/30(土) 16:14:43.29 ID:WXlwwMGp

私のために全てあるはずってやっても
何ひとつも私のモノにならないんです。
観念に生きるのは容易いが実際には悪化あるのみで。



721 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/11/30(土) 16:49:29.77 ID:KTSoKLDm

>>718
「あなたのもの」とはどこからがそうなのだい?

例えばあなたの目を輝かせる洋服を、
自分の部屋に持ち入れた時かね?それとも着て歩いたときかね?
はたまた、そういう素晴らしい洋服がこの世にあることを
知ったときかね?

あなたは何も所有できない。
だけども手に入れようと躍起になる。
エゴは「所有とは同一化である」と思い込んでいるからだ。

同一化はもれなく「苦」もセットされる。
物理的に得たとき、あなたはある種の苦を得ているのだ。

例えその服を肌に密着させたところで
その洋服からは満足は得られない。
訪れる至福はもっと別のところにある。

それは「そういう素晴らしい洋服がこの世にあることを知った」
ときに起こっているのだよ。

つまりそれをあなたの世界に誕生させた喜びが、
終わりのない至福なのである。求めなくともそこにあるのだよ。



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