2022年6月25日土曜日

自分さん84 あなたはあなたを超えられない。あなたがすべてだからだよ。

133 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/10(火) 21:54:13.39 ID:FmP3CWuO

コップが自らコップであることを知らない、同じように
あなたがあなたであることを知らないとき、それは世界に溶けている。

夫婦、持ち物、自分と他者のような限定的な関係性ではなく
すべてが関連している一体性であること、それが「溶ける」だ。

溶けているとき当然アイデンティティはない。
だが溶けながら「肉体」の現象を眺めている。これは思考だ。

つまり「思考」と「それ」が水と油ではなく
「思考」は「それ」の側面なのだよ。思考がなければ
「それ」は立証できない。

赤と赤以外の話と同じだ。
コップが自らコップを知らないのと同じだよ。

自らの手をスケッチするとき、手を描くのではなく手の周囲から描いていく。
つまり「手」以外だ。すると手を描いていないのに「手」が浮かび上がる。
それが本当の「手」だ。

その認識を持たないとき、あるがままの姿がある。
最初から手を描いていけば必ず印象の世界に陥るだろう。


132 :名無しさん:2013/12/10(火) 21:48:43.33 ID:xldSAaWT

「悟りなどないことを悟る」ってことはメソッドなんてやっても無駄だから
今までどおりに生きればいいってことなのかな。



134 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/10(火) 21:58:42.52 ID:FmP3CWuO

>>132
それは理解不足だ。そういうことではない。
すべては関連性であり、もとはひとつなのだよ。

「言葉」が分離をさせており、我々は言葉に囚われているだけだよ。
木とはなにかね? 木ではない。そんなものはない。
言葉が「木」と個別化しているだけでそういうものではない。

親指も小指もあなただろう。だが言葉で区切ると指になる。
あなたすらも区切られている。あなたとは地球かい?宇宙かい?

区切ることをやめたとき、あなたはひとりだったことを知るのだよ。


139 :名無しさん:2013/12/10(火) 22:37:55.10 ID:/m+hAlD5

素朴な疑問ですが、どこに向かってるんですか?
スピリチュアルな観点からでなく東大准教授が書かれた
脳科学の本からでも同じような事は書かれている。

世界があるのではなく目が出来たから世界が出来た。
きちんと理論だてて解りやすく説明してくれている。

進化しすぎた脳。持ってます。
知的好奇心は刺激されて面白い。賢くなれた気にもなる。
そんな東大の権威でも脳の事は結局全ては解らないと
書いてるのが興味深かった。

だけど読み物として非常に面白くても、
読んで体の痛みが無くなるわけでも楽になれるわけでもない。

5感や感情から少し距離を置いて、少し冷静に
物事を受け取められるようになってもそれが実感できて
痛みに恐怖もせず何ともないと本当になってたら今、
ニュースに映ってるか病院に入ってますよ。
身体を無視しては駄目です。


140 :名無しさん:2013/12/10(火) 22:38:56.25 ID:hSdpMegs

他人の事を自分だとは思えないな。



141 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/10(火) 22:40:21.28 ID:FmP3CWuO

>>139
ヒントをあげよう。これだけで気付く人もいる。
あなたが近くの温泉に行こうとも繁華街に遊びに行こうとも
時代が進化して宇宙旅行で銀河の果てに行こうともね、
どこに行こうがその風景に必ず「あるもの」が含まれている。
それは何かわかるかい?あなたのよく知っているものだよ。

>>140
では「死」とはなにかね?


142 :名無しさん:2013/12/10(火) 22:42:07.92 ID:hSdpMegs

死は肉体が二度と動かなくなること。



146 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/10(火) 23:24:31.62 ID:FmP3CWuO

>>142
>肉体が二度と動かなくなること

だがあなたはそれを知ることができると思うかね?

できないのだよ。
あなたは自分の死を知ることは決してできない。

肉体が滅んだときに「それ」が残る。
つまり観念が消え去ったときに純粋な「あなた」を知るのだよ。


あなたの世界の中にいる他者の死は目撃できるだろう。
だが彼らも死んでいない。つまり死はないのだ。

いいかい。
この意識世界はすべて循環しているのだよ。
あなたが果物を食べたとき、それは果物を食べているのではない。

死体が火葬され蒸気が雨になり土の養分になる。
そこから果物が生まれる。つまり人間を食べているのだ。
全部繋がっているのだよ。人間も果物もない、そういうことだ。

自分も他者もないのだよ。
物質と思っているすべては「ひとつ」である。
物質レベルですら「ひとつ」だ。さらに「それ」はひとつだ。
世界に歴史に秩序があることがその証明だ。


145 :名無しさん:2013/12/10(火) 23:22:17.21 ID:/m+hAlD5

だからそっちの方向へ進むから。
おとぎ話だけど仮に転生があったとしても、大気や土に分解されて
別に肉体をもって何世代も続いてきたとしても、次のあなたはあなたじゃない。
もし覚えていたとしても、なんとなく程度でしょ。

温泉行っても宇宙の果てに行っても、この体も目も持った私が共にいないと。
生まれ変わった男か女か解らない違う私は私じゃない。

時代が変わっても、この私を視ているものは
言葉にできないものを直感として感じ取るだけ。
真我は変わらなくとも私は「生」物です。
ちゃんと私と私の身体の氏はある。



146 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/10(火) 23:24:31.62 ID:FmP3CWuO

>>145
先に書いた質問の答えは「あなた」だよ。

不思議に思わないかい?
つまりどこに行こうが「あなた」が常にある。
銀河の果てですら「あなた」がいるのだよ。

あなたは知らないことは想像すらできない。
だから「あなた」の範囲内で物事を受け取る。
あなたの解釈も書き込みもそれはあなたなのだ。

あなたはあなたを超えられない。あなたがすべてだからだよ。

「あなた」という枠の中で人生が展開するからだ。
では「あなた」とは何か。それは体験である。

あなたはあなたを体験しているのだよ。

真理を知ったところで「あなた」は「あなた」を決して超えない。
真理すらも「あなた」が内包するからだよ。


147 :名無しさん:2013/12/10(火) 23:31:15.85 ID:/m+hAlD5

>>146
ですから体は大事にしましょうです。
5感を鈍らせることや距離を置いて痛みを和らげることは可能。
もともと痛みとか苦しみは生の為あるんじゃなくて
生きるのに支障があるものを知らせるものなんだから。

だから身体に痛みがないのに囚われるのはよろしくない。
だけど痛みそのものに無頓着になってしまうのもよろしくない。

意識が薄れても5感はちゃんとあります。
日本語がほとんど頭に湧いて出ず歌などと一つになって
無意識に歌ってて心地よい時も5感はあります。



148 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/10(火) 23:34:17.47 ID:FmP3CWuO

>>147
あなたがそうなら、そうなのだろう。あなたの認識だ。

だが私は「認識」を捨てている。
だからあなたの世界と私の見る風景は異なる。

これはあなたが関わるすべての人も同じだ。

だが「異なる」のは認識世界だよ。根底はひとつだ。
認識を超えることが「悟り」だよ。



181 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/13(金) 21:13:32.17 ID:023hcry7

いつも書いていることだが、すべてはイマジネーションである。
イマジネーション、印象、幻、なんでもよい。あなただけが真実である。

あなたはどういう時に騙されるのかね?
何の疑いもない、それが最初からそれであると思い込んでいるときだろう。

空気がある、それ本当かね?
歩く。持つ。そういう行動は本当に起こっているのかね?
疑問すら持たないとき、あなたはすっかり騙される。

騙しているのは自分自身だ。
印象やイマジネーションにてあなたは体験する。


183 :名無しさん:2013/12/13(金) 22:48:45.04 ID:pDtxUH2R

>>181
今日のように冷えれば寒いし殴られれば痛い。
これからの季節、青かん者は冬超せなくて凍死する人多いな。
災害が起きれば被害もあるし住まいも無事で済まない。

事象はイマジネーションでなく常に現実でゴリゴリ起こってるよ。
私はいつまでこの風変わりな思想を容認できるか自信が無い。



184 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/13(金) 22:51:55.67 ID:023hcry7

>>183
では聞くが、寒いとき、凍死する人を知るとき、災害が起きているとき
それらを感知するときに絶対にそこにあるものが、ある。あなただ。

以前も書いたが、時代が進んで銀河の果てに行っても
そこには「あなた」が常にいる。これを知りなさい。
あなたがいつもどこでもいるのだよ。
これがどういうことか知るのだよ。


186 :名無しさん:2013/12/13(金) 23:00:08.90 ID:YmefyKyq

確かに今日時間が分からなくて困った時に
「これは風景だ」とは思えなかった。

幸いすぐに解決したから良かったが、仮にエゴが作った虚だとしても
大事にしたほうがいいんじゃないのかと思ったよ。



187 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/12/13(金) 23:12:48.56 ID:023hcry7

>>186
横レスですまないが

>困った時に「これは風景だ」とは思えなかった

それ自体が風景だよ。
「風景」は風景ではない。思えなかったという意思が風景なのだよ。

すべてイマジネーションなのだよ。そこに自我が生まれる。
考えみなさい、街を歩いていて奇麗なイルミネーション、可愛い女の子、
心惹かれる音楽、欲しいと思わせる雑貨、車、明日の予定にあれこれ、など。

すべてあなたの感想→印象→イマジネーションだ。
ではあなたを省いたらそれらは一体なんなのだ?

あるがままにあるのだろう。だがね、あなたがいない。
つまりあなたの見ている風景はすべてあなた色なのだよ。


189 :名無しさん:2013/12/13(金) 23:30:14.80 ID:YmefyKyq

>>187
横ではないよ、ありがとう。
「風景」とは今までの認識を無視したりすることではないんだね。

「存在する」とは何かということをずっと考えていたよ。
やはりそれは観るものと観られるものがいて初めて成り立つ。

つまりどこまで行っても
自分の世界が広がっているんだという事に気が付いたよ。



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