2012年7月21日土曜日

シンクロニシティの研究⑦ 世界の全てが自分だという理解

895 名前:名無しさん 投稿日:2012/05/28(月) 01:28:58.49 ID:hO1ji1/f

お久しぶりです。
シンクロニシティを研究している者です。本日までにわかったこと。

すれ違う他人は、相手から見た自分も他人である。
つまりすべてが自分自身であるということ。
自分という存在を定義するのは、外的要因からでしか成し得ない。
イコール、あなたは私、私はあなたである。

青い花を見て、それを青だと定義できるのは他者であり、青は自らを「青」だと定義できない。
花であることも、生物であることも、相対的な関係でしか立証することはできない。

つまり、すべてがひとつの存在である。
すべてがあるからそれぞれを成り立たせることができる=全部自分。


また、シンクロニシティ日記なるものを着けているが
毎日何からしらのシンクロニシティがある。
驚きの連続だが、あることに気がついた。

そもそも、日常自体がシンクロニシティなんじゃないのか?と行き着く。
極端な確率で考えられる偶然の一致は、何も端的な出来事だけじゃない。
いまここで息をしていること自体が極端な確率なのだ。
つまり確率など存在しない。

この日常こそが望んだ世界であり、それが完全に反映されている。
言い換えれば、世界の変更は可能である。

なぜなら、目の前に広がっているのは観念にとらわれたイメージが
そのまま作られたものだからだ。


すべては観念=思い込みが作用している。

仕事を辞めたら生活できない→なぜ?

新しいことを始めるのは大変→なぜ?

お金さえあれば幸せになる→なぜ?

なぜ、そう思うのか。
過去の経験や他人から聞いた話などからである。そういった思い込みが観念。
観念が恐怖を生み、物質世界に生きる自らを支配している。
つまり観念を完全に捨て去り、望む世界をイメージすれば
あとはシンクロニシティが勝手に世界を創造していく。


そもそも観念もなにもかも、自分自身が創り上げた妄想世界であり
マネゲも般若心経も、曼荼羅も、量子力学もスピリチュアルのなにもかもが
解釈は違えど、同じことを指している。

俺はわかったのでもう書き込まないかもしれません。ありがとう。


896 名前:名無しさん 投稿日:2012/05/28(月) 01:42:18.93 ID:yLzVYuKr

>>895
このレスは俺が創造したってことなんだな。
つまり仕事をやめろと・・

そして信じきれない観念が残っていると
「そしてまたひとりホームレスが生まれる」というレスを創造するだろう。
もう少し待ってくれもう少しで信じきれる・・


897 名前:895 投稿日:2012/05/28(月) 01:54:20.98 ID:hO1ji1/f

>>896
>このレスは俺が創造したってことなんだな。

違う、そうじゃない。
マネゲの解釈的にはそうなるのかもしれないけど、本質は合ってるけど正しくない。

つまりは、自分を定義できるのは、他者のイメージのみなんだ。
当然その他者(物でも人でも事象でも時間でも)を定義できるのは、
それを認識してる自分ということになる。
それらはつまり、すべて「ひとかたまり」の存在ということ。

見た目にはそれぞれだけど、
ミクロ世界だって原子の結合でひとつの物体が成り立ってることを考えれば理解しやすい。
そして観念を捨て去ることにより(マネゲでいうプロセス)無限を理解できるようになる。

でも、あなたがこれまで作り上げた観念の数ってわかる?
あなたが見てる世界のすべて、それだけあるんだよ。物も人も歴史も時間も空間もね。

それらを全部崩壊させることなんて到底無理。
だから現状を変える方向で考えて欲しい。つまり職場が問題なら、
職場内のみの観念を崩壊させてその職場にポジティブな新たな世界観を持つ。

たったそれだけでシンクロニシティが発動しまくる。
つまり理想とする素晴らしい生活環境に近付いていく。


898 名前:895 投稿日:2012/05/28(月) 02:00:26.91 ID:hO1ji1/f

まてよ。
「到底無理」と書いてる時点で観念だから無理じゃないのだろう。
この世は無限。つまり制限など存在しない。


906 名前:名無しさん 投稿日:2012/05/28(月) 10:54:06.57 ID:KeHhKtq/

自分を定義するのは他者のイメージなんて言ってる時点で何もわかってない。
その観念が他者に力を与える。それこそ一番してはならない事です。


912 名前:895 投稿日:2012/05/28(月) 12:03:49.66 ID:hO1ji1/f

>>906
おっとそういう表面的な話をしてるんじゃないよ、
例えばあなたが、完全に無の世界にいたとしてどうやって自我を認識する?
相関関係にある人や物、事象などから、間接的にしか
自分を形成するすることはできないんだよ。そういう話ね。

つまり、自分と自分以外のものがあることで初めて自分が成り立つ。
集合体みたいなもの。言い換えれば自我なんて存在しないのかもしれない。


てことは。
あなたの周りにいる人や物もすべて、あなたである、ということになる。
他者から観たイメージとかそういうお話じゃありません。


921 名前:895 投稿日:2012/05/28(月) 16:20:17.77 ID:hO1ji1/f

なんだか思いも寄らぬ違う解釈なってきてるんだけど、
俺が言いたいのは、他者なんていない、ってこと。
いないものが、自分をイメージするのは不可能。

つまり、すべて自分である。

フラクタル的に考えたら、自分の生活、人生。
100万人の生活、人生。
日本全体の生活、人生。
縦の関係も全部、俺自身だし。

目の前に知らない人がすれ違う、その人も俺を知らない、
つまり、互いが知らない認識であるひとつの存在となる。

赤は自らを赤と認識できない。
外的な認識により、赤と定義される。つまり外的な認識こそが、その赤の存在。
つまり、横の関係もすべて、俺自身ということになる。

906さんやその他の人が言ってるのは、
ホログラムという個別の何かが存在してるという前提みたいなんだけど
そもそもそのホログラムは個別の何かでもなんでもない。それすらも自分である。

縦も横もどこまで行っても、自分自身。
それが、あなたは私、私はあなたです。の定義。認識論じゃないよ。

相関関係てのは、ひとつに集約される。
てことだ。


922 名前:名無しさん 投稿日:2012/05/28(月) 16:29:30.77 ID:hO1ji1/f

ちょっとまとめるよ。
いないものが、自分をイメージすることは不可能なんだ。
だからこの世界の創造主は自分てことになるんだよ。


頭の中で勝手に配置を決めて、勝手に妄想ゲームをしてるだけ。
んで、さっき書いたように縦の視点で眺めてみると己の思念のような、意識の蠢きが見えてくる。

ああ、俺はこんなことやってるのか みたいな。
世界のすべてが自分だということが理解できてきる。
さらにその視点の状態でいると、強烈な安堵感に包まれる。

シンクロニシティも自分が操作して編み出した幻想(?良い言葉が思い付かない)だし
なんでも自由自在に動かせることがわかる。


2 件のコメント:

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  2. 本当におもしろいやりとりです。このようにまとめていただけたこと感謝します(って、マネゲの文脈から言ったら自分に感謝しているんでしょうか?)。
    観念が邪魔をして2chに踏み込めないのですが(という幻想を作っているようですが)、このような良いまとめサイトで色々な解釈を見ることで、より第二段階の旅の助けになります。
    本当は、他の人(という役割を演じているすばらしい方々)のやり取りを見ずとも、ただプロセスと、便利屋のような日常に集中すればいいのですが、どうも一段階の名残があり、プロセスやマネゲの内容に関して、周辺情報を集めたくなってしまったところです。「ビジネスゲームからの脱出(英語版)」を先日読んだのですが、ほとんど新しいというか加える内容が無くて、その経験自体が、「これ以上知る必要のあることはない」という本来の自分からのメッセージのような気がしたのですが、それでも、なんとなく調べたらこのサイトにたどり着きました。

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