2020年11月8日日曜日

自分さん33 何かを得たいとするならば、それを諦めることだ。そうすればすでに手にしている。

560 :名無しさん:2013/09/13(金) 17:22:16.61 ID:xkpwr2yF

スピリチュアルなんて元から関心ありません。
この本自体、スピリチュアルとも思ってなかったのですから。
実際、スピリチュアル系の本は一冊もありません。
病院で勧められたアドラーの心理学とか心理学系の本ならありますが。
こういうのが好きでないのは子供の時からです。



564 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 22:14:09.20 ID:1lkBCI55

スピリチュアルとはなにか。
そんなものはない。
つまり暮らしもなければお金も存在しない。
我々が概念として作り上げた単なる設定要素である。

人間の姿ですら、わかりやすく言えば
勝手に思い込んでいる形状であり実際はその通りではない。
社会のルールといわれるものも、そのように思い込んでいるだけである。

あなたが破天荒な銀行荒らしならば、
刑法なんてどうでもよいものだ。
つまりすべては相対的な位置関係にある。
だが「相対」ですら、思い込みの概念である。

ただそれらが在るだけだ。これに尽きる。
あなたの見ている世界が殺伐としているならば
それはあなたがそのように見ているだけなのだ。


565 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 22:20:47.78 ID:1lkBCI55

珍しくメソッド的なものを伝えようか。

あなたが何かを得たいとするならば,、それを諦めることだ。
そうすればすでに手にしている状態になる。


お金が欲しければ諦めなさい。
すればお金を得すぎて"どうでも良い境地"と同じ場所に立てるだろう。
恋人が欲しければ諦めなさい。
すれば恋人が"いるから欲しない"と同じ場所に立てるだろう。

我々の生きている世界とはシンプルなのである。

想像力だけで幸福感を生み出せる。
それは、実際に幸福らしき出来事と出会ったときに
湧いて出るものと、まったく同じものである。


566 :名無しさん:2013/09/13(金) 22:24:27.13 ID:nZ6bVqi6

>>564
でも、諦めるフリじゃだめなんでしょ?



567 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 22:28:54.45 ID:1lkBCI55

>>566
完全に諦めなさい。
つまりあなたにとってそれが「どうでも良い」という感覚になればよい。

すべては逆説的なのだよ。
求めるからいつまでたっても得られない。



568 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 22:31:11.88 ID:1lkBCI55

「得る」というのは心の感覚である。
例えば、車を実際に購入し契約して「得た」とする人もおれば
通勤途中に見かける「あのかっこいい車!」で満足する人もいる。

後者は自らの世界にそれがあることに「得た」を知るのだ。
そしていずれ気付くだろう。
世界そのものが、自分だけの箱庭だったということに。


569 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 22:36:16.10 ID:1lkBCI55

最後にもうひとつ。
我々が日頃抱く「願い」や「思考」、そして「行動」すらも
ある秩序に従って湧き出ている。

日本でも海外でもよいか、歴史年表を見なさい。
日本ならば縄文時代から現在まで記されている。
トータルとして観たとき、秩序を覚えるだろう。

だが歴史の、さらに個別の地域の個別の一日の、
さらに個別の個人レベルではその秩序は理解できない。
これが宇宙的な視点だ。

その証明は「現在」である。
現在はそれらの秩序の答えであり、そして単なる通過点だ。
我々の日々の出来事もすべて大きな秩序のための単なるイベントなのである。

苦しむ必要はない。


570 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 22:43:45.10 ID:1lkBCI55

これを読んでいるすべての人へ伝えるが
あなたは太古から存在している意識だ。

すべての歴史を見てきた。
歴史、つまりそのドラマを感じるために
ひとつの意識は個別に分離し、自ら生み出した「出来事」を体験してきた。

なぜそんなことをする必要があるのか。
いや、そのような捉え方ですら意識の生み出した策略なのだろう。
つまり我々の理解できる次元では何もわからないのだ。
ただ感覚だけがある。

ならばそのことを知識として理解した上で
日々起こる出来事を楽しもうではないか。
何があっても守られているのだよ。


573 :名無しさん:2013/09/14(土) 00:26:33.21 ID:iAY58JnF

「自分」の話は知識としての真理だから実現不可能だよ。
マインドは本質的に不安定なものだから。
知識や観念なんてそれこそコロコロ入れ替わるし、体調などの環境によって大きく左右される。
マインドの奴隷である限り、平穏を得てもそれは一時的なものでしかない。


588 :名無しさん:2013/09/14(土) 21:38:49.55 ID:g9Ye3rqA

社会ルール、法律だけがストッパーなら
幼い子供は平気で我が通らなかったら人殺ししてる。



589 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 00:02:18.98 ID:4EEyM/yd

>g9Ye3rqA
ふふふ。普段は眺めているだけだが伝えておこうか。
私は>>573氏のレスの通り、言葉で文章を伝える時点で知識を伝えるしかできない。
だから私の言葉を超えなさいと書いた。
だがあなたはその意味すら理解できないだろう。

これはあなたが苦しんでるという前提で伝えることだから
(なぜなら対面して話しているわけじゃないから)
それを踏まえた上で受け取りなさい。

まず、あなたが制限と感じている世界はあなたが生んでいるものだ。
その答えはあなたの書き込みに現れている。

あえて例えて書くが、体は食べ物で出来ている。
単なる肉だ。肉体がそこにあるだけだ。

「今に在る」ことが日常化してくると、様々な視点で「世界」を観ることができる。
肉体視点や、世界視点など、言葉で表現できるのはその程度だが限界はない。
で、今に在るときに「肉体視点」でそれを観たとき、
私は自分の肉体を、単なる肉の塊と感じる。

どう表現した良いか‥
ゾンビというか、狼男が満月の日に獣になったというか、
ただ、野性的な肉体が勝手に動いている、そして臭いもきつく感じる。
(これは主観イメージだろう)つまり自分と思っているものは、単なる獣なのだろう。

だがこれはあくまで肉体に視点を置いた場合の話だ。いずれ意味はわかる。
そして、あなたに起こる出来事のすべて(聞こえる音や視界、感じる肌の感触、
その都度思う思考など)そちらに視点を置けば、途端に「自分」と思っていたものが消える。

つまりゼロになる。

理屈で言えば、体験こそが自分であり、それを知るためにあなたは生まれてきたのだ。
だから、出来事があり、それを経験する自分があり、プラマイ=ゼロという感覚が訪れる。

以前のレスで書いたが、視界だけを「それを見ている自分」と「自分に見られているそれ」を
同時に察知すれば「見ること」だけが残る。これは簡単な理解だろう。

だが、同時に起こっているすべてをそのように捉えれば、
自分が消えるということがわかるはずだ。


590 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 00:07:28.38 ID:4EEyM/yd

つまり、あなたはそもそも存在していない。その「体験」があるだけなのだ。
これは般若心経の通り、経験をする為にそれが在る、
だが経験の元は存在しないに通ずる。

現代的に言えば、あなたの見ている世界は
あなたが体験したいことがそこに在るだけなのだよ。
つまり、スピリチュアルも私の書き込みも、あなたの上司も
あなたの見えている社会も、そんなものはない。

言い換えれば、私の見ている世界では明らかに
あなたの社会は存在していない。ということだ。

あなたが幸せになりたければ、まず「今に在りなさい」。
今に在ることが大前提だ。あなたはそれを理解していないか、
誤った理解でそれを知っているから、不満なのだ、不安なのだ。
もしくは、理解できないのだ。

今に在れば、すべてが楽しい。そして嬉しい。そして悲しい。
だがそれが何だというのか。
ハズレも当たりなのだよ。
この意味が伝わるかどうかわからないが、
あなたの経験することは、すべて素晴らしいことなのだ。


591 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 00:11:31.12 ID:4EEyM/yd

やりたければ銀行強盗でもすればよい。
そして捕まるにしろ、逃げ回るにしろ、どうでも良いことだ。
あなたが「生きている」という実感をできることが、
生まれてきた理由なのだからね。

あなたが中東の紛争に意識を向ければそれがあなたの人生だ。
だが「遠くでそういう出来事ある」程度の話であればその程度の話だ。

あなたにとって、人生は真剣に捉えない方が良いだろう。
「考える」ということ自体が実在しないものなのだから。


592 :名無しさん:2013/09/15(日) 00:53:41.12 ID:hO5ERjGo

>>589
私の言葉を超えなさい。

勘違いかもしれないけど、なんとなくは解りますよ。
何故なら貴方は御自身のことを「流れ」と仰った。
だから私も流れに乗りました。貴方のRESがあり私のRESが生まれる。

私の中にあるものを貴方が引き出した。
別に同調することだけが流れに乗るということでもないでしょう。

自分さんほど達観できたら解らないけど、そこまでは普通の人はなかなかなれないですよね。
真実を視るには陳腐で、つまらない質問だけど、
そして肉体は幻想と自覚できたとして、お腹すきませんか?
制限はないと思って空を飛べますか?

イマジネーションの中では自由でしょう。
また、よい知恵がふってわいてくるかもしれない。
しかし5感として感じられるものを無いと言われましても...。

6感的なもので、その状況、その状況で
人の意見もころころ変わるし、姿もころっと変わるから、
思い込んでるものって本当か??と疑う時はあるけれど、
実感できないのに無いですと言われても…。

真我レベルでは私の経験することは全て素晴らしいかもしれなけれど...
マゾにはなれないし、真我の胸ぐら掴んでやりたい気になりますけど…。

ちなみに自分さんの世界と私の世界は干渉しあえないかもしれないけど
自分さんのとこにもモモクロもAKBもいるでしょ?



598 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 08:53:20.22 ID:4EEyM/yd

>>592
おはよう。今日は用事が多いのでそちらを楽しんでくるよ。

さて >>お腹すきませんか?

もちろん。
だがお腹がすくのは、肉体だ。あなたではない。

>> 空を飛べますか?

もちろん。飛行機に乗ればよい。
その時空を飛んでいるのはあなたではない。肉体だ。

簡単なテストで、あなたが肉体ではないことがわかる。

息を止めてみなさい。
苦しんでいるのは肉体であり、あなたはそれを見ているだけだ。
肉体とは60兆の細胞のことだ。さらに言えば、肉体は死んでも髪や爪は伸びる。
音も聞こえている。

誰かがそこで死んでいるとき、音は聞いているのだ。反応はできない。
だが「誰が聞いているのか」。
つまり細胞それらも我々の認識する「死」というポイントは曖昧なのだよ。

単に「肉体」という、あなたとは全く関係のない物体が
あなたの人生と思い込んでいる中心に存在しているだけであり
昨日も書いたようにそこから視点を持とうが、外側から視点を持とうが、自由なのだ。

>>モモクロやAKB、についても書いておく。

他人という絶対的なものは存在しない。
あなたが他人という見方をしているだけだ。

モモクロはモモクロという枠をあなたが与えて見ている。
彼女のメンバーの親からすれば、モモクロよりも「1人の娘」という見方だろう。

あなたの家族にもいえることだ。
あなたが思い込んでいる親との記憶を捨てたとき、または失ったとき
彼らは本当にあなたの親なのだろうか?

逆にその思い込んでいる記憶を世界すべての人に与えたとき
すべてがあなたの親になるだろう。つまり、人間というものは
単なる「人間」であり定義はあなたの「認識」によるものだ。

あなたは、店で可愛い机を見て「私の」部屋に欲しいと思い購入する。
あなたはその経過を経て「私の机」にするのだろうが、
机自体は机であり、何も変わっていない。
あなたが単に「見方」を変えただけのことだ。


593 :名無しさん:2013/09/15(日) 01:06:46.76 ID:hO5ERjGo

>>591 やりたければ銀行強盗でもすればよい。
そして捕まるにしろ、逃げ回るにしろ…。

これももうひとつ、解らない。自分のリスクのみですよね。考える事。
逃げ回る覚悟や捕まる覚悟があればやってもいい。善悪なんてないんだから。
世は本当に自分一人で幻想と思えた人がいえる言葉ですよね。

しかし私はまだ、そこまで思えない。
量子論だって仮説だし、世界は自分一人で幻想も
自分の脳の思い込みか証明しえない。もしいたらどうすんの?

で、幻想だとしても、された側は泣いて苦しむのに。
それを何とも思わずと言われても...。



599 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 09:02:37.51 ID:4EEyM/yd

>>593
あなたの疑問的な書き込みからわかるのは、
「どうすれば自分の都合の良いように世界は変わるのか」ということだ。

歴史年表の話を先日も書いたが、あなたが最期を迎えるとき、
あなたの人生が一片の無駄もなく、秩序通りだったことが
トータルした目線で理解できるだろう。
あなたはそれを受け入れたくないだけなのだ。

できることはすればよいだろう。
そしてできないことはできない。
会社が嫌ならやめればいい。
空を飛びたければ飛行機に乗ればよい。

それらもある視点から見れば、単なるそういう「感覚」を得ているだけのことだ。

どんなに瞑想の修行を積もうが
肉体のみで浮遊することは不可能だ。
なぜならば以前も書いた通り、どれだけ念じても指は動かない。
だが指が実際に動いているとき、我々はそれを見ているだけ。
つまり動作を「知ること」しかできないのだよ。

あなたこのスレッドの書き込みを通じて
あなた的に善し悪しな何かを得たとしよう。
それがあなたの考え方に作用する。

つまり、この起こっている書き込みが
あなたの指の動きなのだ。つまり、あなただ。
ゆえに私は「自分」というハンドルネームをつけている。

だからあなたがすべてに疑問を持とうとも疑惑を持とうとも
それがあなたの人生だ。疑問は単に疑問であり、それだけだ。
答えを導くためのものではない。

「色とはなにか」この問いにあれこれ答えを求めるから苦なのだ。
「色とはなにか」とは単に「色とはなにか」が在るだけである。


600 :名無しさん:2013/09/15(日) 09:19:09.79 ID:Y6JsrRUZ

>>599
おまえの言葉には真理がない



601 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 09:45:04.25 ID:4EEyM/yd

>>600
「真理」すらもその言葉があるだけだ。
言葉の内にあると思っているもの、それは妄想だ。
親もなければ犬もない、温度もなければ自分もない。

般若心経も紙らしき物質に、文字と呼ばれる黒い模様があるだけだ。
そこに「有り難い」や「真実」を定義しているのは、そういう捉え方をしているからだ。
つまり、これらの話に全く興味のないひとは、単にどうでも良いことだ。
それは見抜いている。

さてそろそろ出かけるが
どのような教えにも「私たち私たち自身を知るために生まれてきました」や
アダムとイブ、二元論など、そういった分離の話が出てくる。

つまりモモクロに憧れる少女がいたとして、少女自体がモモクロなのだ。
モモクロが出現しそれに何らかを感じること、それがすべてなのだよ。

だがモモクロの出現とは、指の動きの話の如く、
自らコントロールしたものではない。
発生したものを我々は「ただ知るだけ」なのだ。

少女がモモクロになろうとすればするほど、苦しみを生むだろう。
それはすでにモモクロだからである。(私はモモクロはあまり知らないが)

すでにモモクロだった、そういうことをいずれ気付けば
すべてが、つまり自分の置かれていると思っていた世界が自らであると
簡単に理解できるであろう。アディオス。


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