2020年11月1日日曜日

自分さん32 悟りとは、あなたが「いた」ことに気付くことである。

508 :名無しさん:2013/09/08(日) 09:39:42.63 ID:7QTsqnza


http://ameblo.jp/that-silence/entry-11271995184.html

自分さん、これどうなんでしょう!?


509 :名無しさん:2013/09/08(日) 09:57:50.71 ID:7QTsqnza

ここまで簡略化されると、逆に疑ってしまいます。



518 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 22:29:09.20 ID:AmAnKm9H

>>508
あなたの本質は愛である。
そのブログに書かれていることが
あなたにとって受け入れられることであれば、そういうことである。

いつも書いているが、仏陀も目の前の蚊すらも
あなたの中の単なる登場キャラクターである。
あなたという空間があるから、それらが存在できるのだ。

偉人もなければ、偉大な発明も
あなたが観ている世界があるから、存在できるのだ。


519 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 22:38:28.85 ID:AmAnKm9H

すべてを信頼して飛行している鳥たちのようになりなさい。
いまあなたがそこにいる。温度や音、視界、そして思考ですらにも包まれているだろう。

それらを信頼しなさい。
それらを信頼するということ、それはそれらが「自ら」であるということだ。

「鳥」だ。
彼らは墜落しない。なぜならば彼らはを自らを包んでいる「世界」を信頼しているからだ。
だが信頼しなくなれば、疑いを思考するようになれば彼らは墜落するだろう。
恐怖に怯えながら飛行を続けざるを得ないだろう。それが多くの人々の現状である。

あなたは常に包まれている。いまも。
そこに気付きなさい。
それを忘れないようにしなさい。


520 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 22:46:48.95 ID:AmAnKm9H

いまに在るということが理解できない人が多いようだ。
理解する必要はない、すでにあなたはいまに在るのだから。
そう伝えてもやはり「理解できない」のだろう。

歩いているとき、歩いている自分を観察しなさい。
すると、次第に「勝手に歩いている自分」を感じるだろう。
足を見下ろせば、勝手に動いていることに気付くだろう。

そして周囲を見渡せば、自分が進んでいるのではなく
周囲が動いていることに気付くだろう。


ある一瞬、そういったことに気付くはずだ。
だが思考が「いや、それはない。そう思い込んでいるだけだ」と否定を突きつける。

一瞬でいいのだ。
その一瞬が大きく開きだす。そしてあなたは
「ああ、そうか。自分は見ているだけあり、すべては出来事が単に起こっているだけなのだ」
とわかるときが来る。

それ以降はいまは書かないが、段階としてその気付きは大切なことだ。
そのとき、あなたは「今に在り」「ここに在る」。


521 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 22:51:17.22 ID:AmAnKm9H

花は花である。机は机である。
それらは「別のなにか」になろうとしない。
だが我々は「いまよりもっと」良い状況になろうと目論む。

だが花は花である。机は机である。
強烈な存在感がある。
そこには至福がある。不足がないからだ。

あなたは何になりたいのか。
そのまま朽ち果ててもあなたはあなたである。

あなた自身を表現しなさい。
そうすれば世界は至福に変わる。不足がないからだ。



522 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 22:52:48.12 ID:AmAnKm9H

悟りとは、あなたが「いた」ことに気付くことである。


523 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 22:59:07.77 ID:AmAnKm9H

いわゆる「メソッド」と言われる気付きに導く手段が多く考案され
そして伝われているが、それらは何の力もない。

なぜならば、それらがあるという出来事自体が、
あなたのすべてだからだ。

何もないのだよ。
いずれそこに行き着く。
何もないからそれでいいんだとあなたは安心する。

だがそれはスピリチュアルに携わろうがなかろうが
誰もがいずれ気付くことだ。


524 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/10(火) 23:08:08.09 ID:AmAnKm9H

何もない。
だから起こる出来事をすべてOKと受け入れる。

それで良い。
いや、それしかできない。
大きな流れに身を委ねることしかできないのだよ。

頭の中で起こる問答は多くの人は「想像力」としてしまう。

それは違う。
その思考が起こる自体が我々のコントロール範囲を超えている。
つまり未知なるものなのだ。

以前も書いたが、すべては未知なる状態に我々(自我)は置かれている。
それを受け入れなさい。

我々は"自分"が数分後に腹痛を起こすことを「知らない」。
何も知らないのだ。数秒後に何を思考しているのかも知らない。
それを受け入れなさい。

あなたは、あなたではない。
鏡を見たとき、写るあなたと、誰かと対面して会話しているとき、
あなたの視界に入るその誰かもすべて、あなたではない。
あなたはもっと別のものだ。


526 :名無しさん:2013/09/11(水) 06:49:41.14 ID:N/jOVXYc

花は花である。机は机である。
それらは「別のなにか」になろうとしない。
だが我々は「いまよりもっと」良い状況になろうと目論む。

花は花で机は机なら人間は人間だと思います。
花はつぼみから花へ。受粉の為、虫を誘うよう一層、輝き
そして枯れていきます。

机は生物じゃありません。今よりもっとよくなりたいなど望みません。
その理屈ならば人間も犬や猫になろうとは思いません。

あなたは何になりたいのか

人間だから恋愛したり仕事したりスポーツしたり
したいわけです。家族を作りたいわけです。
美味しいものだって食べたい心地よい所に住みたいわけです。

生き物として当然の望みがかなわないから苦しむわけです。



532 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/11(水) 20:11:23.41 ID:+xf+SpkV

>>526
>生き物として当然の望み

それはなにか?
苦しいのならば望まなければよい。
人間は人間であり犬は犬だ。机は机であり、石は石だ。
ちなみに書いておくが生物も無生物もない。

有機物と無機物に境界はない。
集合体をどの地点から眺めているかだけのことだ。


プラスティックで形成された「モノ」もあなたも同じものだ。
哲学的な範疇ではなく「あなた」に生えている爪と髪が別のものに感じるように
ただそれだけのことだ。

人間、犬、机、石。
それらは名称を与えただけの概念であり
人間も犬も机も石も、そういうものは実在していない。

あなたが虫ならば山道を走ろうが、一億円の豪華なテーブルを
よじ上ろうが何の違いもないだろう。

そしてあなたは「恋愛」「仕事」「スポーツ」「家族」
「おいしい」「心地よい」と分離概念を作り続けている。
そういう概念を持ち続ける限りあなたの言う通り、苦しい生涯となるだろう。

虫になりなさい。ただ在るのだよ。


533 :名無しさん:2013/09/11(水) 20:57:14.47 ID:K250NDjt

いや、虫じゃないし
自分さんが言ってるのって正しいのかもしれないけど実践できないよね。
なんというか寝たきりの人間にフルマラソンさせるみたいな・・・


534 :名無しさん:2013/09/11(水) 21:16:11.44 ID:N/jOVXYc

ありがとうございました。

私は独断と偏見ですが自分に
も他者にもある弱者である自分を認められた時、
悟りの道に一歩近づけると思っております。

弱いこと=損と損得勘定に結びつけない事。

だからといってお腹が満たされるわけでもなく、
激走すれば息切れも起こし眩暈も起こす。

ただ損得勘定と切り離して考えられれば
しんどい、辛いは、肉体的感覚として在るものですが
気持ちはそこに囚われずすむので多少の自由は感じられるかと...。


535 :名無しさん:2013/09/11(水) 21:28:30.92 ID:N/jOVXYc

苦しいのならば望まなければよい

これは皆、頭で一度は考える事だと思います。
覚醒された方はある意味、生き延びた方。
望まない状態を造りたければ死ねばよい。

何故、死を考えるか。
望みたくなくとも生命に組み込まれた情報の所為かどうかは
解らなくとも望んでしまうからです。

マインドで、安定した働き口、年齢、容姿と条件づけをしたとしても
好きになる人は好きになってしまう。栄養学を学び、これは身体によい
食べ物、これはよくない食べ物とわけても美味しい物は美味しく感じ、
まずい物は不味いと感じる。

それを無理に頭で捻じ曲げようとしても
精神は健全でいられなくなる。間違えれば自由、解放でなく
認識論の奴隷になってしまうかもしれません。

生物である以上、生存欲求も承認欲求もあって当たり前。
感情は生物にとって素晴らしく合理的なシステムであるという
科学者の意見もあります。

より進歩したい向上したい欲というのはあって当たり前。
それを潰さない方向での覚醒というものを目指しております。



538 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/11(水) 23:23:04.58 ID:+xf+SpkV

ふふふ。

>>533
なぜ実践できないのだろうか。実践するもしないもあなたの自由だ。
この意味がわかるかね?

>>534
>弱いこと=損と損得勘定に結びつけない事。
それは単なる理論だ。そういうことすら考えなくなるとき、あなたは超越する。
超越と書けばあなたは大袈裟に感じるかもしれないがすべては「常に超越」なのだ。
そして超越すらも、単なる二元論、つまり単なるイベントであることにいずれ気付く。

>>535
あなたがその書き込みを述べていることがすべてである。
このように伝えれば、いまのあなたは混乱するかもしれない。
結局のところ、あなたが見聞きし、感じたことが、「すべて」なのだ。
それを"そのまま"受け入れなさい。


545 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/12(木) 20:09:21.20 ID:/637ZWbV

「人生とは何か」を表現するならば、それは
「過ぎ去ったものがすべて」である、そういうふうにしか言いようがない。

だがここに素晴らしい秘密がある。
つまり我々は指の動きを経験した後、それを「知る」しかないのだ。

心臓も胃腸の動きも、体を維持するために動き続けている。我々の意思とは関係なく。
我々は努力をして、やっと生まれたわけではない。
そして、社会も自然も自分が作ったものではない。ただそこに完成していた。
その中で生きている。つまり生かされているのだ。

では私とは何か。
人生は思い通りにならない、いや、ある流れに沿ってすべては動いているのだ。
私はそれを「見る」だけなのだよ。


547 :名無しさん:2013/09/12(木) 21:08:23.06 ID:gYSvFS6w

>>545
>では私とは何か。
>人生は思い通りにならない、いや、ある流れに沿ってすべては動いているのだ。
>私はそれを「見る」だけなのだよ。

つまり敢えて言葉で例えるなら、「私」とは全体(ワンネス)ゆえに、
求めるモノは、既に全体の中に有るモノであり、
そしてまた、全体として在るのなら動くこともない。

だから、本来の「私」とは、ただ見ているだけの者であると。
けれど、活動体験(つまり、求めるということ)をしたかった故、
この世を創りだした。

このように思ってみたりして(汗)



548 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/12(木) 21:16:38.18 ID:/637ZWbV

>>547
あなたがいまその場所に佇んでいるとき
触れる空気、温度、聞こえる音、視界などがあるだろう。

あなたがそれらと関わって「生ずるもの」それがすべてである。
「聞こえていること」「感じていること」が大切なのだ。
それを知るために、我々は肉体を持ち生まれてきた。
だから何が起こっても良いのだ。常に何かを得ているのだから。


549 :名無しさん:2013/09/12(木) 21:17:27.20 ID:QWJRVA6a

しかし…。これ悩みます。深く追求するほど社会生活と遠ざかる。
利潤追求とは矛盾してくるから営業職や経理職は辛くなってくる。
大抵は自営されたり脱サラされて、よく解らない民間資格とって開業してる。

よく見る情報商材貼り付けたブログの方々とか...。
もしくはスピリチュアルを売りにして本を出すとか...。
私は逆にそういうのにものすごく抵抗があるのです。



559 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/13(金) 16:26:22.25 ID:1lkBCI55

>>549
>私は逆にそういうのにものすごく抵抗があるのです。

たぶんあなたは知識として多くの真理を得ているのだろう。
だから抵抗を生んでいる。

ならばスピリチュアルから離れなさい。
あなたがこういったことに興味を持たなくなったとき
商材販売や、よくわからない民間資格で開業している人たち、
精神世界を売りにした本を書店で見かけても何とも思わないだろう。

そしてあなたは彼らと同じ商いをしているかもしれない。
すべては超越してるのだよ。

「知ってしまえば後戻りはできない」

戻ればよい。
あなたは言葉でも知識でもない。
枠にはまってはいけない。枠を設置している空間があり
その空間があなただ。


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