2020年11月22日日曜日

自分さん34 ワンネスが前提にあり、体感できているすべては変化によるものだ

621 :名無しさん:2013/09/15(日) 14:26:54.18 ID:I7X7Rzc1
あのさあ。
「自分」は自分自身がマインドで知識として理解しているだけだから、
他人にも「理解しなさい」とか「気づきなさい」とか言うけど、
実際の覚者はそういうもんじゃないから。

彼らは状態が真我なの。
その状態ではマインドや身体は道具でしかないわけ。
だから彼らは「理解しなさい」なんて言わないよ。
マインドでの知識として理解しても何にもならないから。
その状態に近づく為に「瞑想しなさい」と言うだけ。



627 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 22:03:40.00 ID:4EEyM/yd

>>621
ふふふ。それでよろしい。
あなたも結局人生のすべてが「瞑想」だったことがわかるときがくる。
それに気付くかどうかは、あなたの観念の崩し具合による。
基本的に間違った観念でスタートするから、どこかで気付かなければならない。
だからあなたも気付きなさい。


623 :名無しさん:2013/09/15(日) 15:31:50.84 ID:y7s55aGg

620の言ってる事はよくわかる
自分は今から出掛けるって自分で自分の体動かしてるよね。
自分では指も動かせないってのは何かの例えかい?
レスしてるのは誰?

>理解出来ない責任を周りに押しつけ被害者面し、

こういう事話して周りは理解してくれる人ばかりですか?

マネーゲームから脱出しようと理解したいとは思ってるよ。
お金の使い道に困る程稼いでた事もあった。

毎月200万位手取りがあると物欲もなくなってくるのもわかった。
無いから欲しがるんだよね。
今は無いから欲しいやw



627 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 22:03:40.00 ID:4EEyM/yd

>>623
いくつか答えられるところを返しておこう。
まず、出かけているのは私だが、実際は私ではない。

これはまさにその通りだが、たぶんあなたにはまだ理解できないだろう。
私の書き込みにあなたは反応しているのだ。

私の書き込みがなければその「反応」をする出来事はない。
そしてあなたは私に対して思考に浮かんだものを文章として書く訳だが
その思考が浮かんだ原因は、私の書き込みである。

つまり、あなたは「私がいつ現れ、どんな内容の書き込みをするのか」
見当もつかないのだ。その見当もつかない事柄に対し、あなたは反応している。

そこで浮かぶ思考、それは一体なにだ?
あなたの思考すらも私は手中に収めている。
なぜならばあなたは私の反応でしかないからだ。
つまり私とは、あなたなのだよ。

これは生活すべてに言えることだ。我々は「反応」でしかない。
風が肌に当たれば「風が吹いている」と感じ
風景を見れば「風景が見える」と感じる。
つまり、主体は自分の肉体以外にあるのだ。

その主体を経験する為に、肉体がある。これが>>601で書いた話だ。
この世のすべての元はひとつだ。ダイヤモンドは自らの輝きを知ることはできない。
だから分離した視点が必要なのだよ。

さらに言えば肉体の動き思考の浮かびも
我々がそれが「起こった」ことを「後で知る」しかない。
観照するしかないのだ。大まかに言えば、
観照以外の選択はすべて「苦」となる。


629 :名無しさん:2013/09/15(日) 23:17:01.13 ID:I7X7Rzc1

だから気付くのはマインドなんだってw
マインドは超えなきゃならないんだよ。
マインドにこだわる限り普通の人と変わらない。



630 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 23:37:05.43 ID:4EEyM/yd

>>629
あなたがそう思うのならばそうなのだろう。
だがあなたが必死に提唱するマインドというものなど、そもそもないのだがね。
方便としてエゴや自我、マインドなどと説明されるが
そんなことどうでも良いものなのだよ。

そういった方面に気付きなさい。
そして常に進化し続けなさい。


631 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/15(日) 23:43:38.43 ID:4EEyM/yd

ちょうど良い。
「方便」を検索してみなさい。wikiに良い解説がある。
覚者と言われる存在たち、スピリチュアルと呼ばれる書物、
それらが伝えている内容、すべては方便である。月を指差す指である。


632 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/16(月) 00:13:35.16 ID:bQwNUEmI

仏教の最初の分裂になるのかな、大乗と小乗だ。
本来の釈迦の教えは、何も目指す必要もない、何も変える必要もない、
ただあなたが生きて、そこにいることが素晴らしいことなのだよ、
そういう内容だ。

だが多くの人は「なぜ食べ物がないのだ」「なぜ苦しむのだ」と
釈迦の教えを理解できない。しかし「学べば釈迦の言う、幸せの境地に行けるのだ」
と勘違いをしだす。仏教が「目的」となってしまったのだ。
これが大乗と小乗の分裂である。

我々はスピリチュアルを学ぼうとする。そもそもそれが間違っている。
だから、本来のあるべき状態に気付きなさい、そのように言われる。
だが「なんで苦しいのか」が多くの人が抜けきれない。

じゃあそのための手段として瞑想という技法を提案される。
方便も技法も、単に、ただ単純に「生きていることが素晴らしい」に気付くためのものだ。

悲しみも苦しみも、あなたがそこにいるから経験できることなのだ。
釈迦は修行をやめたのだ。それに気付いたからだ。
得られるものではない。最初から得ているのだからね。


633 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/16(月) 00:14:55.86 ID:0vd+i08r

この世界は優しさしかないのだよ。


634 :名無しさん:2013/09/16(月) 00:16:42.80 ID:4AHYymbB

あのさ、マインドがなければ君の言う「気付きなさい」や
「理解しなさい」も「進化し続けなさい」も全て無意味だよw
それらもマインドの仕事だからね。
自分の言ってる事がわかっていないのだろうか?



636 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/16(月) 00:40:43.89 ID:0vd+i08r

>>634
よろしい。その通りなのだろう。
そろそろ眠ることにするよ。今日もありがとう。おやすみなさい。


642 :名無しさん:2013/09/16(月) 09:51:28.21 ID:4AHYymbB

「生きている事が素晴らしい」も
「気付く」も「真意」も全てマインドのものだ。
マインドを超えなければ真我には届かない。

真理を知識としてしか理解していない人は、マインドのレベルと
真我のレベルを混同しているからわかりやすいねw



643 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/16(月) 10:04:49.38 ID:0vd+i08r

ふふふ。
まず前提として私は実体がないことを認識し受け入れなさい。
ただ私の文脈が漂っているだけだ。私に「人格」を与えているのはあなたである。
たまたま前を通った車のナンバープレートの数字程度のものだ。

そしてそれに「意味付け」をしているのは、あなたであるということ知りなさい。
本来意味はない。すべてに意味などないのだ。
だがすべてに意味がなくなったことを知ったとき、すべてがひとつとなる。

矛盾もない、マインドもない。矛盾やマインドと枠を与えているのは
非常に個人的な範疇であり、これは生死の境界と似ている。

我々はいつ産まれたのだろうか?
声をあげて母胎から出てきたときか?
受精したときか?それとも男性の精液の時点からか?
いくらでも遡れる。

つまり始まりもなければ終わりもない。
植物の繁栄のように肉体ですらそもそも永遠の中にあるのだ。
だが「言葉」で認識するゆえに、我々は永遠を破壊する。

宇宙から見れば地球の朝や夜などなく、
自らが起点であること一度知れば、時間など存在していないことを理解する。

正しいも誤りもないのだ。
ただ単にナンバープレートの文字列がそこにあるだけだ。
もちろんこの書き込みだけではない。
キーボードを打つ指先の感触、目の前のPCディスプレイ、
それらをも意味付けを後付けしている。「認識」だ。

では、あなたの人生で一体どういう苦しみを、
あなたはわざわざ作り出しているのだろう?


644 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/16(月) 10:10:46.35 ID:0vd+i08r

この手の話は、聞き手によって様々に変化する。
当然である。そういう性質で世界は成り立っているからである。
釈迦の教えに理解できない人も半数。

なんでそんな簡単なことが理解できないのか、そういう人も半数。
つまり釈迦の教えなどなく、それをどう解釈したか、
それがあるだけである。つまり無限だ。

多くの人は確固たる「宝」があると考え
それを目指して「真理」を求めるだろう。

だが一連の私の書き込みのように、
確固たる実体のないものが「それ」だ。
だから求める人は、不安を覚えるのだ。

求めれば求めるほど、苦しむだろう。なぜならそんなものないからだ。
だがそういう"システム"に理解をするために「教え」がある。
それはあくまで道しるべであり、決して真理ではない。
最初からそこにあり、ごく当たり前のものだ。


645 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/16(月) 10:16:33.26 ID:0vd+i08r

そういう"システム"に気付くために、
自我や執着を捨てるだの、瞑想だの、三昧だの、
思考を停止させる手段を提案される。
当然それらは「目的地」ではない。
目的地などないからだ。

以前も書いたがラジニーシの教えを借りるならば
常に予測不能でありなさい。常に死に続けなさい。

クリシュナの教えを借りるならば
常に知らないという状態でありなさい。

それが燃え上がるような「生」を浮き上がらせる。
燃え上がるような、強烈な「生」の感覚。
それは本当に素晴らしい。


676 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:00:25.75 ID:QKovjQfN

いつも書いていることだが
青は、青以外の色があるから青が存在できる。
この世界が青一色ならば、色という概念すらない。

だが机も人も、怒りも、温度も、すべて「青」と同様に
その存在を与え認識するならば、それ以外への認識が必要なのだ。
だがこれはよくある「二元論」ではない。ここを間違えていけない。
高いと低い。

一体どこまでが高く、どこまで低いのだ?
暑いと寒い。一体どこまで暑く、どこまで寒いのだ。
このように、それを捉える意識によりいくらでも
変幻自在な物事に対し、別に視点が必要なのである。
金持ちと貧乏も同じだ。

つまり、そんなものないのだよ。
それが「高い・低い」を超越した視点だ。
高くもあり低くもある、だがどちらでもない。

願望系と言われる追求派グループは、
当然ながら何も得ることはできない。

世界は永遠であり、願望系の場合は追い求める状態が永遠だからだ。
どこまで西へ進んでも「西」が続き、だが同時に東にも進んでいることに
気がついたとき、すべての概念は崩壊し、超越する。


677 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:03:25.31 ID:QKovjQfN

「高い・低い」や「男・女」「昼・夜」などは二元性ではない。
ある性質の「変化」なのだ。

ワンネスが前提にあり、この体感できているすべては
変化によるものだ。だから境界がない。
だから移ろいやすく、だから生まれ消えていく。
すべては「変化」の賜物である。


678 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:11:08.72 ID:QKovjQfN

マネーゲームから脱出すれば、当然のことに気付く。
「脱出」とはロバートの方便だが、まあ脱出といえば確かにそうなのだろう。
お金とは何なのかと考える以前に、その実感を忘れてしまう。

収入や支出という区別もなくなりただお金という「感覚」が
波のように押しては引くだけだ。

それは得るも失うでもなく、単に流れているだけになる。
眺めているだけだったということを知ることにある。
金銭もそれ以外も何もかも。


679 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:18:39.14 ID:QKovjQfN

動きとは変化である。
つまり収入・支出とは、そのように概念として区切っているだけであり
因果関係はない。レジで支払うことと、商品を手にすることはまったく別のものだ。

あなたが部屋の中で周囲を見渡すことも、視界の動きがあるわけではなく
視界と思い込んでいるそれが変化しているだけだ。

幼児の頃の写真を見なさい。いまとまったく違うだろう。
どこで幼児と少年、青年、大人という線引きができるのか。

それは高い・低いと同じように、境界は不可能である。
ただその写真を自らと証明できるのは「記憶」だけである。
記憶が世界だ。

記憶が時間という曖昧な概念を作り出している。
そして肉体外面という無意味なカタチを超越したときに気付くことがある。

唯一、幼児の頃と今と変わらないもの、それは「見ていること」だ。
視力のさらに内側から、幼児でも大人でも関係もなく、
ただ見ているのは一体誰か?


680 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:22:54.11 ID:QKovjQfN

その見ているものが、意識だ。
それはいつも変わらない。
先日も書いたが、生も死も、高い・低いと同様に線引きはない。
つまり生まれてもないし死んでもいない我々はずっと見てきたのだよ。

死はかならず他者である。
あなたの世界にいる人や動物だ。
あなたに死はない。

意識はあなたの肉体の中にあるのではない。
あなたが感じ取る空間全体こそが意識だ。
意識が変化を生みだし、それを見ている。
ダイヤモンドが自らの輝きを知るために
自らを見るように。


681 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:32:28.48 ID:QKovjQfN

自らを知るために変化を生む。それが意識の性質だ。
二元的でも相対性でもない。それらは方便だ。

可愛い子も不細工な子も変化だが、
それを認識する思考ですら変化である。
すべては変化だ。これを覚えておきなさい。

レジで支払うとき、財布から金が消える、釣り銭をもらう、
それらに何の関係性もない。それぞれが独立した変化なのだ。

去年までは興味のなかったサッカーに今興味がある、それも変化だ。
この書き込みをしているとき、文字がどんどん打ち込まれているのも変化だ。
変化は動きを錯覚させる。時間とよばれる概念を生みだす。
だがそれらは錯覚だ。つねに今があるだけである。
今に対して、様々な変化が流れるように起こっているだけである。


682 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:40:31.55 ID:QKovjQfN

変化をコントロールすることはできない。
ただ眺めるだけなのだ。浮かぶ思考も感情も、
ある「それ」が変化作用しているに過ぎない。内容などないのだ。

それをあたかも内容があるように我々は苦しむだろう。
その苦しみは変化が生んでいるように見える「動作」にまつわる錯覚だ。

あるのは見ること。つまり目撃だけだ。
何の為にあなたは存在しているのか。
目撃である。それ以外にない。

指の動きから思考や感情の出現、お金や人の流れを眺めているのだ。
生も死もない。永遠に目撃しているのだ。

前世も今の家族や友達と別の関係があった、などと
よく言われるが、元は一つだから当たり前だ。

前世という区切りすらない。
人間とプラスティックのコップの違いすらもない。
すべては意識が生みだし続けている変化であり、
それを目撃しているだけなのだ。


683 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/09/17(火) 02:46:47.46 ID:QKovjQfN

この幻の世界で、相田みつをのように「それ」を伝えるのか。
それともクリシュナムルティのように「それ」を伝えるのか。
受け取り方は大きく違うだろう。

だが同じことを言っている。
違うように感じるのはあなたの状態だ。

状態とは変化の状態のことだ。
あなたが「求める人」ならば、得ることのできない泡のような
「それ」に聞こえるだろうし、あなたが「求めない人」ならば、
この話などどうでも良いはずだ。

だが、本来のあなたは同じものだ。
我々が他人と見なしているものは、変化したそれの状態の他ならない。
バリエーションに富んだ、この無限の可能性に満ちた世界を楽しみなさい。


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