2021年1月17日日曜日

自分さん41 私の世界だったそのもの - 気づきまでに至った過去の話

59 :名無しさん:2013/10/07(月) 18:49:34.36 ID:W7oSzENa

プロセス過程で
2.これは現実ではない。
3.これは完全に作り物だ。
4.これは私の意識の創造物だ

と唱える過程で、実践してたら一度は
現実逃避と思う人は少なくないと思ったのだけど。


60 :名無しさん:2013/10/08(火) 09:18:55.37 ID:bMCCiDCB

>>59
現実逃避だと思う奴は大抵「不快感を感じ切る」をスルーしてる。

プロセスする対象は目の前の現実じゃなくて、自分が感じてる不快感の方。
自分の感じた不快感に対して「これは自分が作った」と宣言する。



61 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/08(火) 23:43:33.42 ID:Baowl7wO

ふふふ。
現実逃避。
「現実」逃避。

言葉にどのようなイメージを込めているのかはそれぞれだが、
あなた方は、それぞれの目の前に広がる「現実」を変えたくて
この本やスピリチュアルに足を踏み入れたのではないか?
ならば「逃避」も「改革」も「変化」も同じことだ。

マネゲ本で言うところのプロセスが現実逃避ならば
あなた方の実社会では般若心経も現実逃避だろう。

現実をどうにかしたいのならば、あなたが変わりなさい。
そうすれば簡単に現実は変わる。
それがロバートのプロセスなのだ。


62 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/08(火) 23:58:47.01 ID:Baowl7wO

現実という観念をひっくり返すことにより
それまであなたが常識としていた世界が崩れていくのだよ。



63 :名無しさん:2013/10/09(水) 00:38:02.65 ID:C/yRUdYz

>>61
自分さんこんばんは。
あなたのレス楽しみにしてるから書き込みが嬉しい。
いつもありがとう。

確かに私にとってスピも悟りも現実が苦しいいからこそ
知りたいと言う手段になってしまってる。
なかなか己が変わると言う体験に至れない。

自分さんはどんな切り口から現実を観念と認識してひっくり返せたんですか?
もし良かったら今の境地に至る道のりのお話をお聞きしたいです。



64 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/09(水) 00:53:32.04 ID:VijL/ijI

あなたに必要ならば、単に私の世界だったそのものを書いておこう。

要約すれば「理不尽」と言われるそのものだった。
人に頼まれ、他人を助ける為に自らの資財を投げうる結果となり
時間も金も、自らの家族も危険な状態に歩ませた上に
私の築き上げたすべてが足元から崩壊した。

そして奇病といわれる病気に悩まされ、
毎月何百万という支払いに追われ、
だが、収益はゼロという状態だ。

そういうベースに、様々な人々が私を頼ってくる。
なぜならば彼らは時間に拘束された会社員であり、
私は経営者ゆえに自由な時間があると思ったのだろう。

私が動かなければある人を病院に通院させることができなかった。
その人の抗癌治療を連れて行けるのは私だけだ。
だが私には24時間張り付かなければならない事業がある。

さあ、何を選ぶ?
私にも家族があり、住宅ローンがあり、会社を経営している。
だが、その人は私がいなければ治療ができない。

私も病気に悩まされいる。
文字は見えず、階段も降りることが度々困難になる。
子供は義務教育中でありながら妊娠騒動を持ってくる。

妻はいつもノイローゼだ。
私自身、不遇な家庭環境で育ち、誕生日すら親に祝ってもらこともない。
私宛に税務署、国金などから督促が届く。電気やガスが止まる。
飼い犬に餌も与えられない。だが毎日他人を病院に連れて行く。

そんな時、ふと「ああ、この見ている世界が私なのだ」とわかったのだ。
世界こそが私。見ているすべてが私なのだ。


言葉にできないが、何となく「そういうことだったんだ」と腑に落ちた。
だから苦悩は消えたのだよ。

なぜならば、私が「そのように見ようとしていた世界」だったことがわかったからだ。
そうしてからスピリチュアルと出会う。


65 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/09(水) 01:03:46.95 ID:VijL/ijI

その人は今月死んだ。
当初余命1ヶ月と言われていた彼女は
2年半生き続けた。医師を含め誰もが奇跡的だという。

何が奇跡的なのだ?
彼女は単に、自らの状況を大して認めなかっただけのだよ。

金にしても健康にしても、そこに意識を向けなければ
それは無いことなのだ。対外的なものではない。
すべては「内的」なものなのだ。


そこにまずは気付きなさい。
あなたがそれをどのように「見るか」それですべては決まる。
見なければ、勝手に流れていく。

私はエゴ的には自己破産を計画したが、ある時からそれを意識しなくなり
気がつけば破産をしないまま、どうにかなっていた。これが真理だ。

思考は制限である。
流れるがままに任せなさい。どうなっても良い。
あなたは何も知らない。知らないままで良いのだ。
知ることなど不可能だからだよ。

あなたがそこに存在している以上、あなたは守られている。
だからエゴを捨て去りなさい。自分など、どうでもいいのだ。

大切なのは、あなたが見ている世界、
関わる人々、出来事、感覚、それがあなただ。
日頃自分自身と思っている以外のすべてが、あなたなのだよ。



66 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/09(水) 01:23:47.99 ID:VijL/ijI

いつも見ている風景、出来事。
あなたは生きている。
だからその「生」を大切にしなさい。

理不尽や嫌なこと、腹立つこと、
それらはあなたが生きているから経験できるのだ。
ハズレもアタリなのだ。
だからすべて大切なものなのだよ。

もっと濃いこの世界の仕組みを知りたければ
伝えてもいいが、まずはあなたの世界を大切にしなさい。


67 :名無しさん:2013/10/09(水) 01:53:04.66 ID:C/yRUdYz

>>64 自分さんありがとうございます。
率直に言って凄まじく苦痛に満ちた体験をなさったんだなと感じる。
でもその中で「ふと」見ている世界が私だと気づかれた。

苦が消え、世界が己の意思で見たいものだったと納得する。
この過程をマネゲプロセスで体験するんだろうか。

>>60のようにスピリチュアルに出会われたのは
その後だったというのが驚きです。
そしてエゴがお身体お大事にと言ってしまう。


68 :名無しさん:2013/10/09(水) 01:54:08.56 ID:C/yRUdYz

>>65
エゴを捨てる、と言うのは、己というのは全てのバックグラウンドだった
と言う事かなと知識のみの理解なんですが、意識を向けなければ
「無い」と言う所に色々とまだ引っかかる気持ちがあります。

今は自分自身以外全て自分と言う感覚に身を委ねてみようと思います。

>>66レスに何故か泣けてくるのですが何だろう。
エゴが善し悪し言うのはさておき、生きている、体験している、
感じている命、それを大事に生きると言う感じでしょうか。

是非もっと濃いこの世のお話もお聞きしたいです。



79 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/12(土) 22:39:14.09 ID:ph9Ezrcw

>>68
>意識を向けなければ「無い」と言う所に
色々とまだ引っかかる気持ちがあります。


そこが一番のキモなのだよ。
あなたの生きている世界ですべてに執着を持っているわけではないだろう。

今月の支払いに"重苦しい思い"はあっても、どっかの田舎町の
年金生活のじいさんがパチンコで1000円負けた話などを聞いても
すぐに忘れているはずだ。

執着を与えている事柄に関しては
悩み、苦しみ、うまくいったりいかなかったり、様々な苦行を伴ってくる。
だがどうでも良い事柄に関しては、それがどうあろうが「それはそれ」である。

これは何を意味しているのか。
つまり世界のすべてはどうすることもできないのだよ。
勝手に起こり、勝手に過ぎ去る。


すべてに執着を与えなければ、あなたは「大自然」そのものである。
これが「無い」ということだ。

完全にあなたが世界に溶けたとき
そこにあなたという幻の自己はなく、あなたの正体が姿を現すのだ。
それは一連の秩序という姿である。

そしてそのとき、マジックが起こりだす。
必要な物はすべて揃い、あなたが存在するためのスペースが守られる。


80 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/12(土) 22:40:51.49 ID:ph9Ezrcw

ふふふ。だがね。
実はマジックが起こるもなにも、
生まれてから今までずっとそうだったことに気付くのだよ。

「親」と概念化された何者かが、あなたの幼少からの衣食住を守っていたことや
文字や本という概念化された発明があなたに道を与えていたことなど、
すべて「あなたのためだけ」に用意されていた、
つまりあなただけの世界だったことがわかるのだ。

そしてさらに深い部分が見えるようになってくる。
すべての生物、物質、出来事や感情など、それらの出所はたったひとつであり、
みんな、自分自身だったということが知識ではなく感覚で理解できるだろう。
何もかも全部、自分自身という水槽の中の遊び事だったのだとね。


81 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/12(土) 22:50:55.00 ID:ph9Ezrcw

私が>>64-65で書いた経験だが「過去という時点」でそれらは起こっていない。
つまり私もあなたも何もしていないのだよ。
1年前の出来事も1秒前の出来事も、それらは幻である。
記憶がそのように思わせているだけで、誰も行為してはいない。

以前指の動きの話をしたが、勝手に起こったものを
我々は「知った」だけしかできない。
では誰が指を動かしたのか。そんなものはないのだ。
指というものすらない。

深い部分突き詰めていけば
この世界は単なる妄想だけだったことがわかる。

だがその妄想を常に作り続けているのは何か。
世界に妄想しかないのであれば、妄想こそがすべてなのだ。

だから我々は妄想そのものである。
悟りも釈迦も経済も恋愛などという概念も
それらは一体なんなのだ?

すべて実際は何もない場所に勝手に作られた妄想概念である。

実際は何もない。
妄想という遊びがあるだけだ。
それを知るか知らないか、いや、多くの人は
年齢を重ねるごとにその「違和感」に気付きだす。

人生って一体なんなのか。
何のために生まれてきたのか。
この違和感は一体なんなのか。

そういうことに少しずつ気付き始め、
そして妄想世界を飛び出すのだ。
つまり死などない。

すべての出来事は記憶と名付けられた概念が有している。
「いまに在る」それすらも妄想、我々が生きている世界もすべて妄想である。
だが妄想しかないゆえに、妄想がすべてなのだ。
この意味がわかるかな。


82 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/12(土) 22:59:32.07 ID:ph9Ezrcw

妄想の中に我々は生まれた。

だからどこまで行っても妄想である。
何をひらめいても、どんな素晴らしい教えを得ても
それらもすべて妄想の中ゆえに、妄想なのである。
死すらも妄想だ。

愛も善悪も、禅も魂もすべて妄想の中で生まれた妄想。
妄想を生んでいるのは、実は何もない場所である。

だから好きなように生きなさい。何をやっても良いのだから。


83 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/12(土) 23:15:22.00 ID:ph9Ezrcw

補足をしておく。私が>>81で書いた、

>多くの人は年齢を重ねるごとにその「違和感」に気付きだす。

これはあなた方のスピ本などで得た理解をひっくり返すかもしれない。
なぜならば、妄想の世界に生まれた自我、つまりエゴが唯一の突破口となるからだ。
エゴが「妄想世界の違和感」に気付きだすのだ。

エゴこそ「妄想」が予測しなかった反乱分子だが
エゴがあるから、そこに気付けるのだ。

我々の心に生まれたエゴが、我々を気付かせてくれる。
そこへ導いてくれるのだよ。
しかしまあ、モノは見方ひとつだ。

エゴという予測不能のバグすらも
妄想世界の中の妄想だといえばそれまでだ。

マトリックスという映画がよくモチーフにされるが
アノマリーすらもマトリックスのプログラムとは、
あの作者は理解しているのだろう。


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