2021年1月24日日曜日

自分さん42 妄想に気付く方法のひとつとして「それ」を認識できるのはなぜかということを知ることだ。

84 :名無しさん:2013/10/12(土) 23:20:53.45 ID:+jtzz7da

妄想の中で妄想として生きてるなら
幻と呼ぼうが現実と呼ぼうが関係ないじゃん。

好きな事やっていいったって妄想の中で犯罪犯せば、
妄想の中の警察に捕まる。



86 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/12(土) 23:26:25.30 ID:ph9Ezrcw

>>84
あなたのその世界観すらもその中の決まり事でしかないことはわかるかね?
警察に捕まるならばそれはそうなのだろう。
失業して家族が路頭に迷うならばそうなのだろう。
それがすべてなのだろう。

だが路頭とはなにか。
捕まるとはなにか。家族とは?警察とは?
それらはなぜそれらなのか。

もしあなたが何かしらその世界を超えたいのならば
まずは気付きなさい。その世界の本性を。

もちろん犯罪をすれば犯罪であるし、貧困は貧困なのだろう。
それを定義しているのならばそのままだ。

あなたが人生に違和感を感じるならばすべて、
それらはその世界の中にあるという意味を瞑想なり、
スピリチュアルなりで得ていなさい。


85 :名無しさん:2013/10/12(土) 23:21:29.89 ID:GUu7mcsd

自分さんの状態って俗に言う悟りを開いた状態なのかな!?



87 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/12(土) 23:27:27.77 ID:ph9Ezrcw

>>85
私の中では悟りすら妄想の産物だ。
だが別に偉そうに伝えることでもない。
あなた方がいるから、ここでの私がいる。
そういうものだ。


88 :名無しさん:2013/10/12(土) 23:36:10.58 ID:+jtzz7da

身体が死んだら自分もエネルギーの一部というか他と一切垣根はないかもしれないけどさ。
あれだろ。貧困層の子供の目は欲望がなく生きる事だけに一生懸命だから、
日本やアメリカの人より澄んで、その目に聖を感じるっていうようなやつだろ。
それは感じるさ。

それが本質的な美ってやつかもしれんがさ。
聖職者や、哲学、芸術分野から見れば限りなく美しいものだったとしても、
その子が飢えてまともな教育受けれないのは間違いなしでさ。

真実を見抜くって聞こえはいいし、その通りだとしてもさ、
その子は美しいと思われるより御飯が食べたいと思ってるかもしれないしさ。
悟った奴の視点て、なんか聖者特有のピント外れや純粋さゆえの傲慢さ感じるんだよな。
>>87さんが傲慢て意味じゃないですよ。



90 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/12(土) 23:48:42.50 ID:ph9Ezrcw

>>88
あなたの書いているすべてはあなたの世界だけの話なのだ。
実際には貧困層もアメリカもない。

あなたのこれまで生きて生きた蓄積の中で、アメリカや貧困という概念があるのだ。
そしてそれらは記憶であり形のないものだ。
例えばあなたの目の前にあるコップすら、過去の記憶である。
見た時点で記憶なのだよ。

何度も書いてしまうが、実際には何もない場所での妄想の中に我々はいる。
これは伝えてはいけないのかもしれないがまあそういうことだ。

ちなみに私も実在していない。
私の書き込みを読んでいる人々の数だけ、私がいるのだ。
つまりすべては妄想世界の産物である。


91 :名無しさん:2013/10/12(土) 23:59:36.32 ID:+jtzz7da

87さんが実在していなら自分も実在してないさ。
言ってる事はわかるさ。私も見られた人の人数だけ実体のない私がいるさ。

一人一宇宙なんて話もちださなくとも、あなたの世界じゃ実体のない
幾分かの私があなたの世界に現れて質問してるんだろう。
が、それに気付いてどうなんの?

気付いたところで身体が消えるわけでも、恐怖や喜怒哀楽が完全に消えるわけでもない。
自分で何とかできない自分の世界の役者やエキストラは相変わらず変わらない。

別に真実が妄想な世界だったとしても、
気付かず無茶しない程度で楽しい人生おくれたほうがいいじゃん。
死んだら記憶も生まれ変わりがあったとしても、それはもう今の自我の自分じゃない。

自分という役者は違う役者になるんだろうから
リセットされるのに特に何も変わらないなら気付く必要なくない?



93 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/13(日) 00:01:02.39 ID:3z3CTpPZ

>>91
例えばスティーブジョブズもあなただ。
なぜならばスティーブジョブズを認識できるからだよ。

妄想に気付く方法のひとつとして
「それ」を認識できるのはなぜかということを知ることだ。


街を歩く可愛い子もカッコいい男の子も、それを認識している時点でそれらはあなた自身なのだ。
もとは「たったひとつ」から表現されている。


94 :名無しさん:2013/10/13(日) 00:13:46.55 ID:rW8kV2Cu

それいっちゃったら鳥も虫も植物も全部自分だよ。水も食べ物も脳で認識してるんだから。

世界が本当は巨大な脳の塊で、宇宙や万物がホログラムで、
実は周りは皆、光ばかりだったとしてもそれを確かめる方法はない。


95 :名無しさん:2013/10/13(日) 00:17:09.23 ID:AsBpspvd

自分さん
結婚したいけど結婚相手がいない。惚れた女は去っていく。出会いがない。
幸せな結婚という幻想はどのようにしたら作られるのでしょうか。



96 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/13(日) 00:35:50.69 ID:3z3CTpPZ

>>94
あなたの1行目がその通りだ。

>>95
それがあなたの人生だ。
もし超えたいのならば、あなたの内側を探りなさい。


101 :名無しさん:2013/10/14(月) 02:36:54.11 ID:LM5XNaxb

幼稚園のまっさらの純真子供心で、
スーパーマンに憧れて高い所から飛び降りたら怪我をする経験をする。
自らに制限をかけてるのではなく、失敗して、これは出来るが
これは出来ないと学んでいく。

自らに制限をかけるのも、幼少の時から臆病だったわけでなく、
失敗して痛い想いするから未知を信じられなくなっていく。
ちゃんと世界が想像とおり自分の想い通りにならないを体験して大人になっていく。

それは想像力を馬鹿にしてるのではなく自らの体験からの教訓だよ。
誰かに洗脳されて制限ある世界だと思わされたわけではない。

自分氏もあなたもそれに気付き今を生きてどんなイリュージョンが起こったのだ?
個で想像できる範囲を超えた創造はどうやって創造したんだ?



102 :名無しさん:2013/10/14(月) 02:52:10.34 ID:LM5XNaxb

幼い頃、空を翼生やして飛びたくて大人になったら
飛行機に乗ることが出来ていて願いが叶っていたことに気が付いた、とかなのは無しね。

その子の願いは翼を生やして自分で自由に飛び回ることだから、
空を飛びたいは叶ったが、翼を生やして自力で飛ぶの制限は越えられなかったんだから。
その子供を飛行機に乗せて夢は叶ったなといっても、
なんか違う...とガックリするのに違いないから。



103 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/14(月) 04:22:30.51 ID:4ke0DKIO

あなたはここ最近書き込みをしている人かな?
ならば察するに、あなたは現在の人生の状況に変革を求めているのだろうか。
ここではその前提で答えておく。

あなたの求めるイリュージョン、そんなものはない。
イリュージョンは最初からあるものだ。
あなたが「今よりもっと」「もっと違う世界になってほしい」など
努力をして求めれば求めるだけ「求める人生」が続くだけ。


「なんか違う~」「~なかったんだから」そのようにあなたは書いている。

いいかい。
あなたが明日死ぬと宣告されたとしよう。
あなたはきっとこう思うだろう。「自分の人生って一体なんだったの?」と。
なぜならば、なにひとつ達成できなかったからだ。
後悔、絶望、虚しさ、そういうもので溢れ返るだろう。

あなたは様々なことを求めている。
そしてとりあえず今のところ、精神世界に微かな期待を感じている。
理解しておきなさい。「それ」がすべてなのだよ。
「"それ"のその先」を見ても何もない。


104 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/14(月) 04:26:09.57 ID:4ke0DKIO

いつか人生の本番が始まる、などと将来に向けて
準備や期待をしながら多くの人はそのまま死の床を迎える。
その時、何割かは自らの人生を呪い、後悔のまま去っていく。

だが何割かは、
ああ、そうか。いつか始まると思い続けていたことが、私の人生だったのだ」と気付く。

あなたは毎日、毎秒、毎瞬、
どのような状態にいても何百万という出来事の中にいる。
それらは光だ。それこそがイリュージョンだ。

何百万という光の渦の中で、
あなたはそれらに気付くこともなく、何気なく生きているのだ。

そこに無いものばかりを求め、そして(たとえ話としても)
子供心で飛び降りて怪我をした痛い思いから「それ」は怖いもの、と心に刺を刺してしまう。

関連などないのだよ。「それ」は「それ」だ。
「これは"こういうものだ"」という独断な脳内変換作用、連鎖作用を断ち切ったとき、
あるがままの「その素晴らしさ」に気付く。それが大切だよ。


あらゆることに疑問や問いを持つだろう。
言葉にしても、誰かの行いに対しても、自らの将来に対しても
その中に答えや意味を求めるだろう。

そういうことはやめなさい。それらは「それ自体」でしかない。
つまり「今日は何をしようか」は「今日は何をしようか」が答えだ。
我々に目や鼻があって手足がある時点で、すでにそれらは「そういうもの」なのだ。

起こる出来事も問いも物も人も出会いも、
何もかも最初からそこに置いてあっただけ、ただそれだけである。
人生の疑問も「ただ疑問がある」単にそれだけのことだ。

そこから導かれるものなどない。
すべてにおいて「1+1=」とは「1+1=」だ。
それは「それ」なのだ。


105 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/14(月) 04:50:42.75 ID:4ke0DKIO

棒のようなものと丸い玉のようなもの。ただそれがあるだけだ。
そこから「野球」という形のない概念が生まれる。

棒は「バット」玉は「硬球」などと名付けられ、
採点方法などのルールが設定される。
「野球」など実在しないのだ。妄想上の世界なのだよ。

だが、明日はヒット打てるかな、ちょっと素振りしておこうとか
ライバルチームとの争い、人間ドラマ、涙、怒号、歓喜など
妄想の世界にどっぷり浸かって、ありもしない一人芝居を続けている。
それが我々の生きているこの世界の正体だ。

棒のようなものと丸い玉のようなもの、それがあるだけなのに
そこから生み出される妄想世界、見事である。


恋愛、経済、健康、これはこうでなくてはならない、
これはこういうもの、あらゆるすべてに、自らの妄想世界を作り出している。

経験や知識など、見たこと聞いたことなど、
どこからともなくやってきたそれらに騙されてしまうのだ。
そしてその作り上げた限界の中で苦しんでいる。

異性を意識するまでは、普通に会話を交わす「友達」だったのに
異性を意識した途端「異性」に見えてしまう。
変わったのはその相手ではなく、あなただ。

突き抜けた人生を歩む人々は、どこかでその違和感に気付いている。
同じ人間なのに、こちらの捉え方ひとつでエラく見え方が違うもんだな、と。

それが光明だろうが悟りだろうが、そんなものはどうでも良い。
どちらにしても妄想の中の、また新しい妄想でしかない。

だがわざわざ苦しい水槽の中で泳ぐよりも、
広い海で自由に泳ぐ方が楽しいだろう。
それすらもいずれ苦しみに変わる。

そうして「あるがまま」に物事を捉えることが
どれだけ大切なことかを理解するようになる。

すべてあなたのさじ加減である。世界はあなたが作っている。


106 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/14(月) 05:02:33.99 ID:4ke0DKIO

ちなみに「棒のようなもの」それすらも妄想の産物である。
「棒」は言葉であり、それが実際何なのか誰も知らない。

宇宙的な視点で見れば、地球そのものであるし
ミクロな視点で見れば、分子やらクオークやら、
最終的に到達した先には何もない空間がただ広がっているだけである。

さて、この世界とは一体なんなのかね。
先日も書いたが、何もない場所に妄想があるだけ。

科学も仏教も「宇宙的な視点で~」すらも妄想の産物だ。そんなものはない。
海の中で境界線を引いているようなものであり
すでに妄想空間の中の遊び事ゆえに、出てくるもの、すべて妄想である。

好きなように生きなさい。


107 :自分 ◆3wwHKM8d6k :2013/10/14(月) 05:30:30.65 ID:4ke0DKIO

何もない場所だ。そこにたどり着きなさい。
光明や悟りなどといった「言葉」を超えたところ、
つまり妄想世界からある距離をおいた場所、そこに「それ」はある。

距離こそが「それ」とも言える。
なんにしろ、あなた方の見ている世界など信用しないことだ。
何が起ころうとも「あ、そう」程度でよい。全部受け入れてしまってよい。

それだけで達するだろう。
「それ」は共にずっといたことがわかるだろう。

あなたは灯台で、散々照らして周囲を探していたのだが
光源はあなた自身だったというオチだ。


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